雪牢

 
 

 しんしんと降り積もる雪の中にその男は立つ。
雪ばかりの白い世界の中でただ前を見詰めて。
動くことなくまるで蝋人形のように、ときおり昇る呼吸の色がなければ、何一つ動きの感じられない姿。
 

天はただ雪を降らせる。
淡々と、それ以外のことはできないかのように。
 
 
 

「ラムサス…あなたまたここにいたんですか?」
雪に埋もれた建物。
その入り口より一人の男が一人の少年を伴って出てくる。
「ヒュウガ…か」
男は建物からもれ出る灯りから背を向けたままちらりとだけ傍に立とうとする人間のほうに目をやり、そしてまた視線を何も無い空間にもどす。
前も雪。
後ろも雪。
視線を固定する印も見えない。

「その呼び方いい加減辞めて欲しいんですけれどもね」
とうに捨てた名前ですので…
青年は肩を竦めてそう苦笑すると少しきづかわしげに雪を踏みしめ男の隣に並ぶ。
少年はその隣。
 

「いいかげんに中に入りませんか?冷えちゃいますよ」
「…かまうな」
素っ気ない男の返事に、青年は多少あきらめた風にため息を吐く。
吐いた息はまさしく凍り付いたように白く小さい光を内包し暗い空に昇っていく。
日が射し込めばさぞかし綺麗だろうと思えるその光景を望むことは今のこの世界では…できない。
熱も光も清明も全て奪われて枯死して行くだけの世界。
 

この男…、一時は精神失調かと思われる状態を通り、雪原のアジトで落ち着きを取り戻してから半月。
最近彼は夜になると外へ出てこのなにも無い雪原を眺める。
誰にも癒せない孤独と向き合うように…。
雪が覆うばかりの死と紙一重の色のない世界に…。
 

誰にも痛いとも告げず…。
何が欲しいとも言えず。
 

「それより何か用か?」
「何か用かはお言葉ですね…心配して出てきた人間に…」
青年の拗ねたような物言いにほんの少しだけ眉をひそめて男は嘆息する。
この男は世界の最後の光景とも呼べるこの光景を前にしても何一つ変わらない。
今も何を考えているのか分からない風情で1人の少年の…たぶんその少年のためにここにきたのだ。

「おまえではない…隣にいる奴だ」
その少年の名を、ラムサスは注意深く呼ぶ。

「俺?」

シタンの隣にいた少年がその声にぴょこりと首を傾げる。

「そうだ…フェイ」
おまえが…用があってでてきたのだろう?
青年が伴なってきた少年は実際先ほどからラムサスと青年を挟んで反対側に立ち、青年にぴたりと張り付くような
感じで何を言うでもなく自分をじーっと見詰めていた。
 

 実はほとんどこの二人会話をしたことがない。

 
 元々の一方的な確執が彼をそうさせているのだろうか、それともそれを気遣う旧友たちが近づかないようにとでもいっているのか…
フェイがラムサスに近づくことはめったに無い。
ラムサスとしてもそっちのほうがありがたいし、過去の確執を考えれば当然の処置といえた。
面と向かってもかける言葉など何一つ思い浮かばない関係。
しかし何か友好的な関係をはじめから築くにはすでにお互いにかかえているものが大きすぎた。
だから、今こうして、保護者の介在があってとはいえ、この少年フェイがラムサスの側にたち、真っ直ぐに視線を向けているというのは何かあると思うのは当然のこと。
 

 与えられた子と与えられなかった子。それはこの二人に与えられた立場。
しかし…本当は何もかも…自我すら奪われた子供と
己すら認められなかった子供。
一つのものを奪うように仕向けられた偽りの運命の双子。
1人はいわれた…『お前が本来持つべき物はあの子供が持っている。取り返せ』
…と。本当は彼らの手にはなにもないというのに。
 

 ただ一つの共通点は…同じ生き物はもう世界のどこにもいないということだ。
争ったお互いですら比べようもないほど遠い別の生き物。
 

 その二人がはじめて真っ直ぐに何の障害もなく向き合う。
 

 不思議な沈黙が流れる。
何一つしがらみの無くなったお互いに対してどんな感情を持てばいいのか分からない、二人の無言の会話。
二人はお互いに何かを思い出すようにしばらく見詰め合った後、フェイのほうが
少しいいにくそうに口を開く、
 

「あのね…あしたゼウスのところにいくから」
 ああ、この少年はこんな声だっただろうか、とラムサスは思う。

「……」

「決着つけてくるから…」
 真っ直ぐ見上げてくる瞳はただ純粋に黒く、今になってお互いのことなど何も知らないのだと気付かされる。
本当のことなど何一つ知らされていなかったのだと思う。
何も知らないまま無い物を争っていたのだとここに立つその人自身の存在が教えてくれる。
その存在だけが教えてくれる。
  
 

前も雪
後ろも雪
それ以外は何も見えず。
側に立つ物は何もなく。
 

誰にも痛いとも告げず…。
何が欲しいとも言えず。

いいえ、たぶん何もかもが雪の中。
 

たぶん自分ですらその雪の中。
 

「強いぞ」
 言葉の色には憎しみも確執も無く。
…意外にすんなりとでた言葉にフェイも瞬きをくりかえしそして、そっと笑顔を返す。
「知っている、たぶん…大丈夫」
 自分しかできないから…。
「そうか…」
 そうだな…とラムサスが呟く。
誰も負うことの出来ない宿命と呼ぶにはあまりにも残酷な役目。
何度もあいまみえながら多分何一つ相手の姿すら見えてはいなかった。
 

何もかもが雪の中。
 

 今それを確かめるかのように一言一言、ぽつりぽつりと…
「だからね…」
 この砦戦えるのがほとんどいなくなるから…
少し言いよどむフェイ。
「心配するな、この砦なら俺が…守る」
 素っ気ないほどあっさりと言えた言葉。
その言葉にフェイの顔がぱぁっと明るくなる。
「ありがとう!」
「別にお前のためではない。俺に守るべきものがまだいる…」
「うん…」
 壊れていく自分に添おうとしてくれた小さな4つの魂。
そしてこの場所に受け入れ、怒ってくれた友人、その家族。
半端な戦闘力では強化されたアイオーンには太刀打ちもできない。
当然のように受け入れられる立場。
こういうときに自分に課される存在意義はよけいなことを考えずにすむ分、むしろありがたいほどだ。
 
 

「で、今ですね、壮行会という名の飲み会が開かれているんですよ」
来ていただけませんか?ととなりでにこにことシタンが笑いかける。
「断る」
「でもここにずっといると凍えちゃうよ?」
フェイがずっと親しげに話しかけてくる。
「残念ながらこの程度ではあまり寒いとは思わないようだ」
「ならいいんですけれど…」
ラムサスの頑固さは身にしみて知っているヒュウガは、半分諦めたようにやれやれとため息をつく。
「でも、貴方に来ていただかないと…シグルドが犠牲になるのですが…」
「知ったことか」
「もう、相変わらずなんだから」
「少しは変わったと思えば…」
 

「似てないね」
 

「は?」
 

「似てないね、ホント」
 

 二人のやりとりを、子供のように見上げてフェイがいきなり口を出す。
酷く幼い舌っ足らずとも思える口調。
唐突に言われた言葉に少し驚くがすぐにその中身は理解された。

「おまえ…アベル…か」

すぐ分かる自分が可笑しい。
魂に刻まれた記憶など自分にはもうあるわけもないのに。
「うん」
子供のような笑顔にどこか隠者のように達観した眼差しの少年に妙なデジャヴュを感じてラムサスはすこし眉をあげる。
繰り返されるアベルの現身。
写し取られたカインの影身。
それらはしばらく瞬きを忘れたようにお互いを見やって…そしてまた口を開く。
「似てない」
「…あたりまえだ…」
「そうだね」
 ラムサスの憮然とした物言いに、にっこりとアベルのフェイは笑う。
たぶんこれはなぐさめに近い感情から出た言葉かもしれない。
わざわざこういう事を口に出すということは…似ているのだろう…シタンはそう目を細めて二人を見やる。
似ているのだ、何もかも。
親に作られた子供。
偽りの愛情をもって忠誠を誓わされた子供。
「でもね、カインもねすごーーく頑固だった」
思い出すようなフェイのくすくす笑いにラムサスは思いっきり眉を不機嫌そうにしかめる。
頑固なのは当然だろう。
たった一つの目的をただ全うするように作られた存在のはずなのだから。
その全うするべき目的を変えていくことになったのは…
それは目の前の…
 
 

「まぁ頑固なのはいいんですけどね…そろそろタイムリミットのようですよ」
シタンがくいと砦の階段を指さすとそこからがやがやと人の声が聞こえる。
その声は段々大きくなってゆく。
どうもその声の主は酔っぱらったジェシーのようで、それ以外の声は一生懸命ジェシーを止めているような感じだ。
「先輩がラムサス呼べって煩かったんですよ?。だから私が呼んで来るっていったんですけど…」
どうも痺れきらしちゃたようですねとシタンはぺろりと舌を出して、
「では、私はフェイを寝かしつけてきますから?」
ぱっと、フェイの腕を取り挨拶もそこそこに、そそくさとその場をあとにした。
酔っぱらいジェシーの相手は実に疲れるし、ついでに恥をかく。
あきらかにこれはフェイの名を借りた遁走だろう。
もしくはフェイを巻き添えにしたくないだけかもしれない。
ラムサスはその後ろ姿を見送ってまた大きな息を吐く。
その息より立ち上る白い靄はまるで自分が生きている証のようで何度も深呼吸をして
肺に冷たい空気を取り込む。
それでも何度深呼吸しても白い息は消えることはない。
 
 

禍よ天から来たりてこの大地を覆いつくさん。
天に等しき物、子にとっての親、愛情。
太陽の光のごとく無遠慮に逃げ場もなく降り注いでこそ
大地は真っ直ぐに生きる力をはぐくむ。
 

しかしその天が送るのは冷たい、冷え切った雪ばかり。
降り注ぐ偽りの言葉を抱きしめればただこの身は凍り付き腐り果てるだけだった。
 

誰にも痛いとも告げず…。

  痛いことはないと思っていた。
 

何が欲しいとも言えず。

   何が欲しいか分からないのに
 
 

  どれほどの物を今まで雪の中に閉じこめて来たのか。
 

今雪に覆われて凍り付いてゆくこの大地を我が身のようにただ、何も持たない空っぽの身体で眺めそしてその身に、冷え切った風を満たす。

ここは風がある。
ここはたぶん出口。
風が身体の熱を奪おうと吹きつける、あまりに冷え切ったその実感。
それでも身体のは消えることはなく…それを諦めたようにかかえて幾度も幾度もその感覚を確かめる。
 

ラムサスは後ろのざわめきがいっそう大きくなったのを背中で受け止めて
また目の前の白い雪原に目をやる。
背中に暖かさを感じる。
そのことに気付く自分。
すこしだけ笑う自分に驚く。
 

ざわめきの主がここへ来るまでの短い間。
今度こそ何かに挑むように雪原に、天に目をやり顔を上げる。

ここは雪牢の口。
 

今はもう自分は雪の上にいる。
たとえいまだ天から降るものが冷たい雪だけだとしても…。
 

「何にも…似ていない…」
そう呟いたのは自分一人が聞いていればいい。
 


〜終〜


こんな綺麗な絵におまけ…?
大役クリアできましたでしょうか(恐)?

でもラムサスはかわいいです。癖になりそうです(笑)。

(2002.7.3 リオりー)