乱反射2


「おいこら!そこの接触者!」
 

 再度の呼びかけ、というより怒鳴られたような感覚。
さすがに、この呼びかけには反応せざるをえず、フェイはゆっくりと振り向いて怪訝そうにバルトを見る。
バルトは仁王立ちでフェイをねめつけると、振り向いて何かを問いたげな目をした相手ににかっと笑う。
「やっと振り向きやがったな」
もうさっきから呼んでんのに、シカトされているみたいですっげぇむかついていたんだ。
そんなふうにいって、そんな感じなどみじんも見せずにけらけらと笑う。

「その…」
「何だ?接触者」
がっくりと脱力してしまう、
何てこともない言い方。
真剣に、それなりに真剣に悩んでいたことなんか平気で蹴り飛ばされてしまったよう。
「その接触者って言い方…」
「呼んでも答えやがらねぇからだよっ。
しゃぁねーだろ、いまんところ他に全てをひっくるめた呼び方がねぇんだから…」
 一応、イドでもなんでも接触者にはちがいねぇんだろ?
俺だって本当は不本意だよ、そうぶちぶちいいながら…。
「だからぁ…」
バルトはバルトでこんなフェイを前にずっと悩んでいたのだ。
だから今その答えを手のひらに載せて目の前につきだしてみせる。

「だから早いところ名前を付けようぜ」
「名前?」
「そ名前」
「全部ひっくるめて呼んでいい名前。今のお前の名前。
やっぱ、イドはイドだし、フェイはあのフェイだもんな。
やっぱあれはあいつらの名前だと思うわけよ、俺はね。
まぁ、とにかく今のお前はフェイでもあってイドでもあってまぁいろいろだけど
あいつらではないわけじゃん。
やっぱふんいきとか、かなり違うところもあるし…」
そういって少し言いにくそうに苦笑を浮かべて
「あいつらよりも思慮深くっていうのか?そんな感じだし」
 

 統合を済ませたとフェイは言った。
もう大丈夫だといった。
けれどもそんな彼はよく甲板に出て外を見ていて…。
ただ遠くを見て…。
そんな姿は胸が痛くなるばかりでもかける言葉一つ見付からない。
あの姿はフェイのものではなかった。
そして森を歩くフェイも…。
フェイならばあんなふうに何もかもを諦めたように、全てを懐かしむように
遠くを見たりはしない…遠くを知らないのだから。
フェイならば声をかけることもできたけれども出来なかった。

 あの時の気持ちをどういったらいいのだろう…。
孤独?疎外感?どれも違う怒りにも似た気持ち。
そして思い知らされる事実。
ああ、自分は”フェイ”しか知らないのだ。
あの不安定で意地っ張りでわがままで…でも一生懸命で優しい…。
世間知らずでも一生懸命地面に立とうとしている。
あのムキになって喧嘩して、意地を張り合って
笑いあえたフェイしか知らないのだ…。

でもそれは今の彼のほんの一部…
それこそ一万分の数ヶ月でしかないのかもしれない…。
悔しくて悔しくて涙が出るかと思った…。

 バルトは立ち止まり一つ深呼吸して一大宣言をするみたいにじっと相手を見て厳かに口を開く。
「だから…さ、名前つけようぜ。お前の納得する今のお前だけの…」
俺とお前の間だけでもいい、全てをひっくるめたお前の名前。
他の人に分からなくてもいい…ただ…

 でも、負けない。
昔がいくら長くても今は今。
現実を遠くしないで。
ほんの少しの間でも、二人で出会って喧嘩して戦ってきた
あの時を軽くさせたくはない。
あのフェイだけでもきっかけだと思えば十分。
だから今のこいつすべてにこちらを向かせる。
 

バルトは照れたように早足で歩き出しフェイを追い越して背中越しに一番にいたかった言葉を投げてよこした。
「フェイだけだとちゃんとお前のこと呼んでいないみたいでいやなんだよ!
でもかわっちまっても、どっかにフェイがいる限り俺は友達だとおもってっからな!」

ちゃんと俺はお前を認めているよ?
だからちゃんと呼びたいんだ、一部の名前だけじゃなく全部。
自分がそう納得できるように、
お前にそれを分かってもらえるように…。
そんなことではお前の重さを何一つ分かってやれていないのだとしても
出来る精一杯の…宣戦布告にも似た言葉。
全てはこれから。
これからにすればいいのだと…。
 

「バルト…!」
フェイはあわててその背中を追う。
その声は現金なほど今までと違って…。
「バルト!」
呼びかけても何と言っていいか分からない、それでも呼ばずにいられなかったその名前…。
「バルト!」
「何だよ接触者!」
そっぽを向いたままのぶっきらぼうな返事でも限りなく暖かい。

「…ぷ…だからその接触者って…」
「おー、そう呼ばれたくなかったら名前決めろ!」
そうしなければずっと接触者って呼ぶぞ!
ぶっきらぼうに聞こえる返事はやはり照れているようで
でも彼がそれをずっと言いたかったのだろうということがよく分かる。
「フェイでいいってば」
ちゃんと返事するよ、という声は自分でも笑いを含んでいるのがよく分かる。
「それじゃ俺がいやだ!」
ちゃんと名前を呼ぶんだ、それが人としての礼儀だろう?
傍若無人なくせに妙にこだわりを見せる対人の礼儀はやはり育ちだろうか、
もともとの性格だろうか?
「じゃぁどうしろと」
「だからちゃんと決めればいいんだ」
「なんでもいいよ」
お前がわかってて呼んでくれるなら…
「だからそれじゃいやだ」
不毛な会話を繰り返していると、バルトがいきなりぴたっと足を止める。

「何?バルト」
「ああ、ここが森の終わりだ…」
 右を見て、左を見てバルトが前を指さす。
見れば確かに雪から林立していた枯れ木はそこでとぎれ、
眼前にはただ広い地平線が広がっている。
「すっかすかの枯れ木の森でもずいぶんと視界が違うもんだな…」
その言葉通り黒い枝が交差する切り刻まれた風景、そしてその影がのびる大地とは
まるで印象の違う白い光だけの世界が目の前にはあった。
そしてバルトの言ったとおり砂漠のあったところはまだ幾分大地が見え
そしてわずかながらの緑がその大地と雪の縁を縫うよう飾っていた。

きれいだった…。
何もかも…。
もう凍り付くことを待つしかないような大地でも、
白く白く目をふさぐしかないような世界でも…。
光に照らされたすべてが、ただあるがままに…。

「バルト…」
「なんだ?」
「……望んでもいいのかな…」
 無知という名の暗闇に全てを隠していたように
もう失われてしまったものに罪を重ね、
負いきれない罰をもう掘り返されること無い凍土の過去に凍り付かせたまま…
全てを暴く光に目を開けることが出来なくても…。
「…望んでも…」
「当然いいんじゃねーの?」
 主語も目的語もない問い。
それにはっきりとした答えが返る。

ああ、何もないところに何かをうち立てようとする人間の強い言葉。
何も知らなくても手をのばしてくる、その無謀。

全てを取り戻すかわりに全てを失い。
どれも自分でどれも自分ですらなく、真っ白い大地怯え、
償うことすらもできない罪の数々に、救いを求めてあがくのではなく
自分を…
もう誰とも分からない
自分自身を…
 
 

「望んでも…」
 
 

「なんだぁ、泣いているのか?フ…」
 フェイと呼びかけそうになってバルトはあたふたと訂正しようとする。
それがおかしくて少し赤くなった目頭を真っ直ぐバルトに向けて今度こそにっこりと笑う。
「いいよ…フェイで」
 もうわかっているし…お前が何を言いたいのか…。
「それに、泣いているんじゃないぞ!ちょっと雪の照り返しがまぶしかっただけで…。」
 

 空を仰いで目を細め、
大地に目を落としては目を伏せる。
確かに、全ては白くその姿をさらしてただ自分にはまぶしく…
でも目を伏せてしまえば世界の黒も白もたいした違いはないのだ。
それをよしとせず、ここまで来て…。
ああ、自分が何を望んでいるかなんて本当はわかりもしないけど…。
 
 

「まぁな、光なんて真っ直ぐ見るもんじゃないぜ」
「そうかもね…」
 
 

 背中には黒月の森。

 なにもかもを抱え込んだまま
知らなければ幸せだなんてお世辞にもいえないけれども
絶望と希望は全く別の物だと信じられた。
林立する枯れた木々は何も知らない頃の忘れがたき墓標。
戻ることも許されない目隠しの森。
 
 

 今、天を仰ぎ
地を眺める。

 天は青く白い光を一杯に投げかけ
地は白くその光を矢のように跳ね返す。
何もかも白く、
何もかもが残酷で痛みを伴う。
 
 

それでも、今目を開けずにはいられない。
何かを振り切るように一つ首を振って、自分だけの足でフェイは一歩踏み出した…。
 
 


…バルト大活躍。主語が途中変わってしまったよ…。最初はシタフェイでかいていたときは
救いも何もなかったのにバルトになったらお手軽に浮上(苦笑)。
たまにはいいですか(逃)?
 

(2001.11.11 リオりー)