砂漠の月






ユグドラシルが点検のため停泊していた夜、食事のとき先生に耳打ちされた。
「今晩遅くなってから、そっと甲板に出ていらっしゃい」
よくわからなかったけれど、先生の言うことだったから、深夜部屋を抜け出した。


ハッチを開けて外に出ると、日中の熱暑が嘘のように涼しい風が吹いている。
中天近くに月が明るく輝いていた。
甲板の端近く、ほどけたリボンを持った手で風に乱れる髪をおさえる先生の後姿があった。
「今夜は満月だったんだね」
こちらを見やり、やさしく微笑んでくれる。
「あなたと一緒にこうして月を見るのも、ずいぶん久し振りのような気がしますね」



ラハン村を出ることになる前、先生の家で月見をしたことがあった。
「辺境では『中秋の名月』と称して、この時節の月を愛でる風習があるんですよ」
先生はそんなことを言いながら、なにやら嬉しそうに団子やすすきを飾ったり、月餅とかいうお菓子を並べたりしていた。
あのとき先生にかぐや姫の話を教わったんだ。
俺はなんだかおとぎばなしを聞くのがくすぐったくて、珍しいものを食べるのに夢中な振りをしてた。
なんだか先生はちょっとがっかりしたみたいだったっけ。



あのときと変わらぬ月なのに、今夜だけはどうしてこんなに泣きたくなるほど綺麗なんだろう。
月は満天の星空に冴えざえと輝いていて、見わたすかぎりの砂漠までもが、心なしかいつもより少しやさしい色をしているように見えた。
俺は甲板の端に腰を下ろした。
微かに機関の駆動音がしていたけれど、世界は静謐の中にあった。


「なんだか、世界に先生と俺と二人きりみたいな気がする」
ささやいて見上げると、先生はじっと遠くを見つめていた。
先生の横顔はすきとおるようで、夜空に溢れる星よりも、今夜の月よりもきれいだった。少しだけ苦しそうな、悲しそうな表情を見ていると、息が止まりそうになる。


先生の服の裾をつかんで、小さく呼んでみた。
「先生…」
「なんです?」
いつもと同じ、やさしい先生が見下ろしている。
「……なんでもない」
(かぐや姫みたいに、先生がどこかに行ってしまうんじゃないかと思った)
心の中の呟きをおしころす。
「ここにすわってよ」
隣に座った先生の肩にことんと頭をもたせかけると、先生は黙ったまま俺の頭を抱き寄せて、そっと髪を撫でてくれた。


このままずっと、こうしていたいよ、先生。
言葉にできぬ想いが、月あかりにとけていくような気がした。






幸村まなつさんのサイト『STUDIO GENKI WEB』への差しあげもの第1号。
リクエストは甘甘でしたのに、月見からかぐや姫になってしまいました(汗)
月の綺麗な夜にはちょっとセンチメンタルになっても許してください。
幸村さんには 素敵な挿絵 をつけていただきました。ありがとうございます。


(2000.11.19 桜姫)