聖誕祭






フェイは困惑していた。
聖誕祭も間近いというのに、プレゼントが決まらない。
聖誕祭とはニサン正教の記念日で、何でも聖者の一人の生誕を祝う日であるらしいが、いつの間にか好きな人に贈り物をする日として一般には認識されるようになっていたそうだ。
この習慣に馴染みのないフェイにはマルーが懇切丁寧に説明してくれたのだが、「好きな人に贈り物をする日」というフレーズにフェイの頭はいっぱいになってしまい、詳しい由来は右から左へ抜けてしまったのだった。
やはり気持ちを確かめあったばかりの恋人(この言葉に未だ慣れず、考えただけでも赤面してしまうフェイだった)には、喜んでくれるものを贈りたいではないか。
フェイの差し出すプレゼントの箱をにっこりと受け取るシタン。
「ありがとう、フェイ。ちょうど私の欲しかったものをプレゼントしてくれるなんて、あなたはすてきですね」
そして優しく抱きしめて、たっぷりと濃厚なキスを…。
そこまで考えて、フェイは目の前でぱたぱたと手を振った。頬が熱い。
まずはシタンの「欲しいもの」が何なのか、調べるところから始めなくては。

どんなものを贈られたら嬉しいか、それは本人に尋ねるのが一番。
「先生、あのさ…」
「なんです、フェイ」
下を向いてもじもじしていたフェイは、思いきって顔を上げた。
「先生のいま欲しいものって、なに?」
シタンはにっこり笑って、
「もちろんあなたですよ、フェイ」
「いや、そっ、そういうんじゃなくって…」
事前のシミュレーションにない科白に赤面してしまうフェイ。
「可愛いことを訊いてくれますね」
「あ…」
力強い腕に絡めとられ、抗う言葉は甘いキスに溶けてしまい、肝心な質問はフェイの脳裏からもあっさりと消えていってしまったのだった。

翌日。昨晩は簡単にうやむやにされてしまったが、今度こそは流されないぞと決意も固く、フェイは再度挑戦することにした。まず、質問は要点をはっきりさせなければ。
「先生の欲しいもの、教えてほしいんだけど」
「ふむ、なるほど」
なぜかシタンは納得した風に腕を組んでうなずいている。
「昨晩といい、そういう科白で誘うのが最近の流行なんでしょうか」
「さ、誘うって、誘うって、先生…」
あまりと言えばあまりな反応に目を白黒させていると、
「もちろん欲しいのはあなただけですよ。それにしてもあなたから誘ってくれるなんて嬉しいですね。昨晩はわかってあげられなくて、すみませんでした。お詫びに今夜はじっくりと…」
この人はこうなるとひとの話なんて聞いちゃいない。フェイが反論する言葉を見つけられないでいるうちに、やっぱり昨晩と同じくなだれこんでしまった。
予告どおりシタンはじっくりと時間をかけ、そのことは(誤解や体力的負担はさて置くとして)フェイにとっても嬉しくはあったのだが。


さすがに二晩続けて目的を果たせなかったので、フェイは別の手段を考えることにした。
ここは普通なら身近な人物に好みの傾向を尋ねるところだろう。
しかし、ここユグドラシル艦上でシタンとのつきあいがフェイより古いのはシグルドだけだ。
いつも親切にしてもらっているし、シグルドはいい人だとフェイも思う。バルトをとても大切にしていることもよく判っている。それでもフェイの知らぬ名でシタンを呼び、フェイと出会う前のシタンを知っている彼に、自分の恋人のことを訊くのはいやだった。
となれば、あとは本人をじっくり観察して糸口をつかむしかない。

最近シタンは医務室を自分の研究室代わりにしている。フェイが覗いてみると、やはりシタンは化学実験らしきことをしている最中だった。
「おや、何かご用でしたか?」
「別に何でもないよ。それより、何を作ってるの?」
「完成したら教えてあげますよ」
シタンは思わせ振りに微笑んでみせたが、すぐに手許に視線を落とした。
何やらビーカーの液体を加熱している。傍にあった試験管をとって、ガラス棒を使って内容物をゆっくりとビーカーに滴下する。火を止めて暫くガラス棒でかき混ぜていたが、棒を持ち上げて滴るそれを指先にとり、慎重な動作で指をこすり合わせ、鼻先で匂いを嗅ぎ、少しだけ舐めてみて眉をひそめた。
「うーん、代用品ではどうしても品質が落ちるなあ」
その辺にあった布きれでいやに丁寧に指先を拭うと、顎の先をつまんで考え込んだ。
シタンの真剣な表情についうっとりと見入っていたフェイは、ふと我に返った。
見とれている場合ではない。これこそ求めていた糸口に違いないのだから。
「何か足りないものがあるの?」
「ええ、まあ、ちょっとした成分がね。ナルコユリという植物の地下茎から抽出できるんですが、このあたりでは手に入りませんし。何か別のものを考えるか。確かあれは…」
腕を組み、つま先で床を鳴らしながら独りごちる。こういうときのシタンは自分の思考の中に入りこんでしまうとフェイは知っていた。
フェイはそっと隣室に入り、植物図鑑を引っぱり出した。
シタンの言う植物はキスレブとの国境付近の山中に自生するものだ。本格的な冬に入る前、今の時期なら採取できる。少し距離はあるが、ギアを出せば遅くならないうちに戻ってこられるだろう。
特徴となる形状を記憶して、フェイは部屋を飛び出していった。


フェイが戻った頃にはすでに深更を回っていた。問題の植物を採取した直後、キスレブ軍の偵察ギア小隊に発見されかかって、必死で逃げ回っていたのだ。ヴェルトールなら3機相手でも十分勝算はあるが、ここでキスレブを刺激する訳に行かないことはフェイも承知していた。
演習などと適当なことを言って出てきたが、個人的な理由でギアを出してしまったことでもあり、何としても救援を呼ばずに戻らねばならなかった。なんとか燃料もぎりぎりでユグドラシルに戻り、フェイは安堵のため息をついていた。
危険はあったが目的は果たしたし、無事に帰ってきたのだ。シグルドや整備主任のちょっとしたお小言くらいは我慢しなければいけないが。

ギア格納庫を出ると、廊下にシタンが立っていた。
「あれ? 先生、こんな遅くまでどうしたの?」
「『どうしたの』じゃないでしょう。なぜ単独でギアで出たりしたんです?」
よく判らないが、シタンは怒っているらしい。気配がいつもより冷たい気がする。
「今の情勢がどんなものか、あなただってわからない訳ではないでしょう?
ヴェルトールが発艦したと聞いて、ブリッジを総動員して偵察していたんですよ。
自分の力だけで無事に戻れたとは思わないことです」
フェイはびっくりした。そんな大事になっているとは思わなかったのだ。
「さて、どうしてこんな勝手なことをしたのか、説明してくれますね?」
たたみかけるように迫られて、さっきまでの満足した気持ちはしぼんでしまった。
フェイはおずおずと手に持った野草の束を差し出した。
「これを採ってきたんだ…」
「これは…まさか、こんなもののために?」
「こんなものって…、先生が欲しがってたからわざわざ採りに行ったのにっ」
こんな筈ではなかったのに。シタンに喜んでほしくてしたことで、結果として何もなかったのだから。訴えたいことは頭の中をぐるぐるしていたが、喉につかえたように言葉にならない。
いきなり両手首を痛いほど強く掴まれ、まっすぐに目をのぞきこまれて、フェイは怯んだ。
「私が心配するとは思わなかったんですか?」
言葉もなく俯いたフェイを、シタンは強く抱き寄せた。
「あれはあなたを傷つけたり、辛い思いをさせたりしないためのものなのに、そのせいであなたが危険な目にあったりしたら、私は…」
少しくぐもって聞こえる声に焦燥の色が濃い。シタンのこんな様子は初めてだった。
「先生、ごめん、ごめんなさい…」
不謹慎だとは思ったが、こんな風に心配されるのはちょっと嬉しい気持ちなのだった。


聖誕祭の夜。
呼び出しに応じて医務室にやってくると、シタンは過剰ににこにこしていた。
「あなたにプレゼントがあるんですよ」
そう言って差し出されたのはガラスの小瓶だった。
上下2箇所がくびれていて、縁の部分は波打った曲線的なスタイルになっている。縁取りの他に胴の部分にも金で植物のような文様が描かれていた。先の尖った栓も金色に塗られている。形状や装飾も、深い青と金の2色づかいも異国的で、シタンが持つにしては意外なデザインであるように思えた。
「アヴェの伝統工芸品だそうですよ。大切な恋人へのプレゼントに相応しい器でしょう?」
器というからにはその内容物がプレゼントの本体ということだ。
「先生、それ、中身はなに?」
「ああ、説明が足りませんでしたか。潤滑剤です。組成は私のオリジナルですが。あなたのおかげで合成がうまくいきました」
「潤滑剤?」
「二人で過ごす夜に欠かせないものですよ。あなたを傷つけないようにするものだと、この間お話ししてあったでしょう?」
ここに至ってようやくフェイは事態を認識した。
シタンがあれほど熱心に合成していたものの用途を。
「さあ、仕上がりを試しましょう」
組成がシタンのオリジナルとあれば、どんな効果があるのか知れたものではない。
詰め寄られ、怯えて後ずさりながら、フェイは最後の抵抗を試みた。
「あの、ええと、それって先生が使うものじゃないの? それでも俺にくれるプレゼントなの?」
シタンはにっこり笑って答えた。
「もちろんそうですよ。
あなたが気持ち良くなって、私も楽しい。二人で幸せになれるんですから、これこそ完璧なプレゼントじゃないですか」
……違う。何かが根本的に間違っている。
でも、とても嬉しそうなシタンの顔を見ていると、些細なことはどうでも良いように思えてきた。
シタンの言うとおり、二人で幸せになれればそれで良いのだから。
「…うん。そうだね」
優しく答えて、フェイはシタンの頚にやわらかく腕を巻きつけていった。





ざくろうさんのサイト『AMBIVALENCE』のクリスマス企画部屋用書き下ろし。
「先生のが欲しい…」と口説かれて、喜んで書かせていただきました(笑)
ざくろうさん書かれるところの健気なフェイをイメージしています。
フェイ視点なのに、書き手の私は先生の気持ちでとっても幸せ…♪

(2000.11.05 桜姫)