ダイスの目のままに

 白い石畳に陽光が眩しかった。
 決して華美ではないが丁寧に掃き清められた街路は、この国の主が来客を迎えるにあたり如何に心を尽くしているかを窺わせる。
 「この国の主」というのは正しい表現ではない。この国には王も皇帝もいない。皆が協力して復興に尽くしているはずだ。だが、事実上の指導者が誰かは、自明の理というものだろう。
 かつて征服の野望と引き換えに痛めつけられたこのヌメロスは、たった一年で見違える様になった。暗い顔で地面だけを見つめていた国民は、今は頭上の太陽を振り仰ぎ、顔に笑みを浮かべて立ち働いている。
「指導者一つでこうも変わるものか」
「全くだ」
 思わず漏らした言葉に応えが返ってきて、トーマスは振り返った。
 背後にいたのは、片目に眼帯をかけた男。
「待たせて済まなかった、キャプテン・トーマス」
「あんたは確か・・・?」
 見たことがある顔だと眉を顰めると、男は困った様に唇を歪めた。
「昨年の戦いでは、あなたにはなかなか悩まされた」
 ああ、そうだ。アイーダのパペットを攫った連中は、この男の船で逃げ去ったのだ。
 トーマスが思い出したことを感じ取ったのあろう、
「ガゼル、という。今はパルマン、いや、エクトルを補佐している。あなたの噂はエクトルから聞いている」
 男はそう言うと視線で礼をし、建物の中へトーマスを誘う。どうやら遺恨はない様子に、トーマスもまた小さく礼を返した。あの時はあの時、今は今。心から望んでラウゼンの野望に従っていた者はそう多くはなかったはずだ。
「かまわない、約束よりも早く来ちまったのはこっちだからな。それより、パルマンは?」
「今は来客中でもう少しかかる。その間少し待ってもらいたいと」
 復興途上の国の指導者としては、色々忙しいのだろう。パルマンだけでなく、その側近連中とて同じ事。
「急いでいるわけじゃないから気にしなくていい。あんたも仕事があるんだろう?俺のことは気にしなくていいから仕事に戻ってくれ」
 その言葉にガゼルと名乗った男はにやりと笑った。
「折角の休息時間を奪わないでくれ」
 そう言いながら「流石に昼から酒はまずいから」と手ずから茶を入れる。以前のヌメロスなら黙っていても給仕が持ってきてくれただろうに、こんなところにもパルマンの民主化の成果が垣間見える。
 本当に変わったものだ。元はヌメロス海軍の艦長だった男が、陸に上がり、客の為に茶を入れている。
 トーマスはその変化を自分の身に照らし合わせて首を左右に振った。とてもじゃないが陸で客に茶を入れる自分など想像できない。
 海はトーマスにとって無二の物。わざわざガガーブを渡ってこの国を訪れたのは、一つは友人の使いとして、一つは自らの眼でこの大陸の状況を確認するため。だが、一番根本的な動機は・・・「キャプテンは『プラネトス二世号で』ガガーブを渡りたいんでしょう?」と部下に言われるまでも無い。それほど「海」はトーマスの生活に切っても切れないものになっている。だからつい口に出してしまった。
「よく陸に上がる気になったな」
 その言葉にガゼルは微苦笑を浮かべ、日に焼けなくなって随分経つ腕をさすった。
「今のヌメロスには船はない。それに陸にいたほうがあいつの役に立てる」
「だからって、そう簡単に陸に上がれるものなのか?俺なんて一月も陸にいると息苦しくなって敵わない」
 不思議そうに問うトーマスにガゼルの苦笑が一層濃くなる。
「この国は今、猫の手も借りたいくらい忙しい。そんなことを思い煩っている暇などない」
 トーマスの視線を避けるかのように、ガゼルは椅子の背にもたれると視線を壁に向けた。が、その視線は壁を通りぬけて遥か彼方を見つめている。トーマスの存在は既に彼の意識にはないだろう。心は近くて遠い海の上だ。
 トーマスはそんなガゼルをただ黙って見つめていた。
 もし自分が海を去る日が来たら、自分はどうするだろうか?そんな自分は想像できない。息絶えるその日まで海の上に、船の上にいるのだとばかり思っていた。気の向くまま、風の向くまま、ルーレットの盤上を回る玉のように。あるいはどの目が出るか判らぬダイスのように。だが・・・海より大切なものができたら?自分が海を捨ててもいいと思えるものができたら?
それはそれでとても幸せなことなのかもしれない。
それが何か、今のトーマスには判らなかったが。
 ガゼルは随分長いこと壁をみつめていた。それからふっと息を吐き、視線を戻してトーマスと視線がかち合った途端、傍目にもはっきりと「しまった」という顔をした。トーマスが思っていたとおり、ガゼルは彼の存在をすっかり忘れていたらしい。
「すまない」
 軽く頭を下げ、それからまた一つ小さな溜息。
「人はどんなことでも慣れるものだ。人々は皇帝のいない生活に慣れ、エクトルはアリアとの生活に慣れ、俺はこうして陸で仕事なんぞしている」
 トーマスに聞かせるというよりは、呟くような声。
「今の仕事には満足している。国が日々復興していく姿を見るのは楽しいものだ。・・・だが、それでも時々無性に恋しくなる。波の音や潮の香りが」
「海に生きることを覚えたら陸は退屈なところさ」
 それでもこのガゼルという男はもう海へは戻る気はないのだろう。戻る気がないからこそ失ったものを懐かしむ。
「その海すらを諦められる人物を得たことに感謝するんだな」
 投げ出した言葉に羨ましさは混じっていなかったはずだ。
「それはそうだな。仕える・・・いや、共に働くことに喜びを感じる相手などそう多くはない」
 それを思えば俺は海にいた時以上に幸せなんだろう。
そう言って浮かべた笑みは、無理やりのものとは思えない。パルマンもいい部下(いや、協力者、か)を持ったものだ。これならばヌメロスは近いうちにどこよりも早くどこよりも見事に復興を果たすだろう。もうここへプラネトス二世号を駆って様子を見に来る必要はないに違いない。
 そんなトーマスの心を知ってか知らずか。
「誰もがずっと海にはいられない。いつかは陸へ上がる日が来る。あなたもだ、キャプテン・トーマス」
 問いかけるガゼルのそれは妬みではない。それはいつか来る現実。
「その時はどうする?エル・フィルディンとやらに戻るのか?」
 トーマスは少しだけ考えた。
自分の人生を託すに足る相棒はいることはいるが、パルマンと違って生憎彼の相棒は近くにいて手助けすることなど望んじゃいない。
「さあな。俺に取っちゃ一番の故郷は海。その次は・・・」
「次は?」
 トーマスはにやりと笑った。
「こいつで決めるさ」
 船乗りの手の中でダイスが跳ねた。


すみません。訳のわからない話で・・・。
ヌメロスの艦長だったガゼルは、あの戦いの後どうしたんだろう?という疑問を書いてみたかったのですが・・・
海洋もの大好きな私としては、ガゼルとトーマスの会話も書きたくて・・・
くすん。「何が言いたかったんだ、お前!」状態・・・。






     わぁい\(≧▽≦)/これも澪様からいただきました。お引っ越し品です。
       いや片っ端からふんだくってすいませんです。管理人の欲望はサメのようです。
     でも欲しかったのですよ。海の男の会話!!なにげでクールでかっこいいです。
     彼らにかかるともういろんなことが大したこと無いように語られるけど、でもそれに
     人生賭けちゃうんですよね。ダイズの目に人生。らしいです〜。んでほんのり艦長×隊長…はうっ(鼻血)
       澪様素敵な海の男をありがとうございましたです〜\(≧▽≦)/
            (2003.2.12 ほむら)