墨宵


 

 
「何か事をおこすんなら俺を呼べよ…」
 
 

口癖のような言葉。
うんざりするほど何度も聞かされた、そのこたえも決まりきった言葉で。
「俺が…なにかするとでも?」
「…そういう意味じゃないさ」
「?」
「そういう意味で言ったんじゃないんだ」
 

むかしからずっと変わらない存在。
夜となく昼となく…
奇跡のように、夢のように。
だから呼ばない。
呼びたくない
呼べない。
 

ああ、お前が今ここにいなくてよかったと思うよ。
それだけは本当にこころから思うよ。
お前はそれを怒るのかも知れないけれども…。
 
 

◇ ◇ ◇

 
 暗い暗い地下の倉庫。
積み上げられた古い木箱がかたりと音を立てるのに一瞬びくりと肩が動く。
注意深く、広く気配をさぐるのを心がけながらその木箱の周りをゆっくりと確認し、何も無いことにほっと息をつく。
そんな息の音すらも響いてしまうほど音の無い夜の地下倉庫。
昼は工場で機械の音に囲まれているからなおさらそう感じるのだろう。
動力部にむかって掘っているトンネルはもう大分進んだようで
一時は見張りをひやひやさせた掘削音はもう耳を澄ませてもほとんど届かない。
あたりには誰もいない。

手の中には短剣が一つ。
かちりと音を立てて鞘から抜き出すとそれはランプの明かりをはじいて鈍色の光を見せる。
まちがいなく自分が持てるただ一つの武器。
あまりにも頼り無いが、これですら今の立場ではやっと持ち込めたものだ。
ただの工場の強制労働者という身分ではこれすらも身につけていることを見られるわけには行かない。
誰かに見付かることがあれば自分はこれ一つで差し違えても仲間たちを逃がす。
そう誓いのように短剣の刃を額に当てて目を閉じる。
そしてゆっくりと目を開けその武器の光をじっと見つめる。
救わなければならない。
慕ってくれる仲間を、ここの人々を、そして国を…。
覚悟と呼べるものならとうに出来ている。
 

それでも思い出すのは…。
 

”何かあったら俺を呼べよ…”
ふと耳によみがえる言葉に苦笑する。
何度も聞かされた台詞だから
ことあるごとにでてきてしまうのか…。
いや…たぶんこんな時だから。
何もかもがあまりに頼りない夜だから…。
 
 
 
 
 

「よう、パルマン遊撃隊長殿、今晩飲みにこないか?」
それはいつもの決まり切った挨拶ののようなものだった。
「ガゼル…おさそいはありがたいが、明日南の国境に行くことになった。
今晩は準備だ」
「やーれやれ、また遠征かい?どうも最近風向きが良くねぇな」
パルマンを誘いにきた気さくで陽気な男はやれやれといった風情で帽子を外してあたまをかく。
「しかたあるまい、…どこも人手不足だ。半人前の兵士をやるよりも俺が出たほうがいい…」
「まったく、我慢強いんだか何なんだか。
ま、いいや、なんかことを起こすときはよべよ」
「また、その話か、俺は動くつもりはないぞ」
「やれやれ、資格も能力も性格も申し分ない奴がこれだもんなぁ
もったいない。」
とっとと世間のためにでも王様にでもなっちまえよなんて
第3者が聞けばひっくりかえったかも知れない、即反逆罪にとわれかねないかなり恐い台詞をこの男はさらりと吐く。
この男の言い方は、決まり切った挨拶のようになってしまっていて、冗談なんだか本気なんだか聞いている方どころか話している方にも実はよくわかっていないのではないかと思わせる軽さだ。
しかし本人は至って本気なのだが…。
だから受け答えをする方も、さらりと、しかしきっぱりとそしていつもと同じように眉を寄せてはねのける。
「資格も能力も俺になどありはしない。それよりも事を起こして
傷つく人のほうが問題だろう」
「この国がこういう状態でもか」
「こういう状態だからこそなおさらだ。これ以上国を疲弊させる気か?」
「やれやれ、でもこのままだと…おまえの身も安全とは程遠いぜ…」
「俺の身などどうでもいい」
「こういう奴だからなぁ」
しかたないなと肩をすくめる男はこの反応を好ましいものと思っているように苦笑する。実際にこういう性格の男だから気に入っているのだ。
まったく処置無しだなと照れもなくガゼルは笑う。

「……」

「ま、いいや、とにかく憶えて置けよ。事を起こすとき俺を呼べよ」
「またその話を…」
懲りないとはまさにこのことではないかと思う。
聞かされる方の眉間にしわも癖になってしまったようだ。
「ちがうちがう、そのことじゃないさ」
ガゼルは屈託なくわらって手をぱたぱたとふる。
「そうじゃないんだ」
「?」
「ただ忘れるなって事さ」
ふわりと頬に触れる温もり…。
おどけた口調に軽い笑顔の上に浮かぶのは、自分の間近にうつるあまりにも真剣な眼差し。
「…忘れられるようなことか!この危険人物!」
とっさに手を払って目をそらしてしまうのはどこか自分が正しいと言い切れない今の自分と相手に対する微かな負い目のせいなのだろう…。
腫れもののような扱われ方をされる自分に恐れげもなく、嫌悪も躊躇もなく
触れてくるのは、くだらない肩書きのついていたあの頃からこの男だけ。
そんな奇跡のような事実に自分は何も返せずにただ首を振るだけなのに…。
何もできない自分にこの男のくれる物は重たくても手放すことも出来ずに…。
しかし、相手の逡巡が手に取るように分かる相手はただ笑って言うだけなのだ。
「俺はお前の味方だって事さ」
事を起こしても起こさなくても、
消して忘れて欲しくない言葉を…。
この分からず屋で自分のことを省みない優しすぎる青年ただ1人のために…。

「いつも俺が傍にいるって事を忘れるんじゃねぇぞ」
 
 
 

 ランプの炎がちりりと音を立てる。
出来るだけ絞った灯りに長く伸びる影の揺らめきが凍ったような夜の時を
否定するただ一つのものであるかのように飽きもせず眺めて、ただ過ぎる時間を感じる。
なにもなければ退屈なだけの夜の見張りはしんとした空気につまらないことばかり思い出して、ほんのすこしだけ途方に暮れてしまう。
 
 

『忘れるな…』
 
 

忘れ様も無い言葉
 
 

『俺はずっとお前の味方だから…』
 
 

 知っている、分かっている、信じている、何よりも誰よりも。
つまらない肩書きでがんじがらめのころから、それをものともしない態度で
壁の内側に入り込み、肩書きの無い今でも何一つ変わらないなぜか自分には傍若無人でなによりもやさしい男。
 
 

『まぁったくお前は放っておくと自分一人っきりで行動しやがって』
 
 

 いつもの少し怒ったような口調を思い出して思わずくすりと笑う。
今回も怒るかな?
怒るだろうな。
一応こころのなかですまないと謝っておく。
図らずも事を起こすことになったときはあの男は国王の命令で遠い海の向こう。
奴と奴の部隊がいれば力押しでこの工場を開放できただろう。
少なからぬ犠牲を出して。
それとも力押しが嫌だといえば一緒に潜入しようとしたかな?
結構こういう事が好きなやつだ。
 

 だから本当に…本当にここにいなくて良かったと…。
 

大丈夫、一人きりだなんて思ったりはしない。
味方、部下…やさしい人々。
肩書きとともになくしたと思っていたすべては
ずっと実は無くしてなんかいないと気付いてしまったから
この国という重荷を一人で背負わなければと思うことはもう無いだろう。

でもこんな夜に思い出すのは…一人きりで思い出すのはやはり
ただ一人のこと。
 
 
 

『絶対によべよ…』
 
 
 

 ああ、だから本当にお前がここにいなくて良かったと思うよ。
なにより強く一番に思うこと。
それだけは神に感謝してもしたりないくらいだ。

きっとあの男はまた冷たいなと拗ねてみせるのだろうか…。
 
 
 

 かすかなランプの灯りにも冷たい光を見せる短剣をまた鞘にしまう。
かちりという短剣がはめ込まれる音はすべてのものに鍵をかけるような音を立てその輝きを閉じ込める。
この輝きが出てきていい場所は今でなく、ここでもなく。
自分はまた足元すら見えないようなほの明かりに目を使うことをあきらめて
瞼をおろしそれ以外の五感をなるべく遠くまで、はりつめぐらせる。
過去でなく、思いでなく感情でなく…ただあまりにも不安定なこの現実のが持ち得る事実だけを、そのありかだけを探り出すように。
そしてあまりにも暗い未来にかすかな光を探すように…。
 
 
 

ああ、本当にお前がここにいなくて良かったとおもうよ。
だっておまえが傍にいたら

俺は本当につまらない弱音を吐いてしまいそうで…。
 
 

−終−

長々といたTOP絵


ほむらがよくわからない複合ワザどつぼに
はまったためながながとかえられなかったパルマンTOPのために
リオ氏が文をつけてくれました。
合作風味何となく幸せ(笑)

(2002.3.12 ほむら)