長い夜の果て…

 
 あるはずの心から
未だ産まれない意志

存在の可能性
可能性の可変性。
上下する存在価値のパーセンテージ。
 

それは、何の助けにも光にもならず。
確たるものはいま、それが、ない…
それだけ。
得られるもの何一つ。
 

捨てられるものすら何一つ…
 


 

「あなたを助けてあげましょうか?」
 

 暗い果ての見えない闇の中で、不思議とはっきりと見える青年はその顔で
見たこともない不思議におだやかそうな表情を浮かべてそういった。
初めてみる男。
たぶん100人が見れば100人安心してしまうだろうその優しげな表情も
目の前の少年には警戒を抱かせるだけだったようだ。
第一印象はきっと最悪。
後ずさりして身構える少年に不審の表情がありありと見える。
息の詰まるような空間に目に見えて緊張が走る。
この暗闇でもお互いがはっきり見えるのは全身から立ち上るオーラのためだろう。
強い…お互いのオーラには目を奪うような美しさと強さがある。
見つめるは淡い碧のまだらを見せる白い光。
正面には全身に傷を負った深紅の髪の少年。
少年はまだ子供のような細い四肢に手当てもされない傷と真紅のオーラを纏い
金色の目には暗い色を浮かべて青年を睨み付ける。

判断は記憶…
この子は何を持ち得るのか…

あまりにあからさまな態度に青年はその人好きのする笑顔の口の端にほんの少しだけ微苦笑を混ぜる。
殺気一つ持たない相手を何だと認識したのか…
言われた言葉も聞かぬげに。
無防備に腕をさしのべ、青年は一歩近づく。
少年は一歩下がる。
決して縮まらぬ距離。

すべては経験の記憶。
しかし持つのは、自分のものではないシルクスクリーンにうつる世界。
照らし合わせても目の前に今
生きているものの正体などつかめるわけもないのに…。

 

やがて少年の背は壁にとんとぶつかる。

 

暗闇に果てが見えないのはただ単にこの部屋がろくに灯りも無いからだけで、
地面壁ともに強固な厚さ数メートル近い合金の板をはったこの部屋は、実はたいした広さはない。
窓はなく、ドアの位置は内側からは見えないように細工されており
部屋の中は精神の集中を阻害するような嫌な音波で満ちていた。
すべてはこの少年のためのもの。
思いやりでもいたわりでもない、ただ捕らえておくだけのための冷たい部屋。
いったいこの部屋に入れられるのも何度目だろう。
この少年のもつ力が抑止力である自称保護者の力を上回ったときに
その力を殺ぐために入れられる部屋。
ろくにご飯も与えられず耳の奥に嫌な感触ばかりを残すノイズとともに過ごす。

そして今、ほんの数メートルもない二人の距離に満ちるものは、まだらに混じり合うオーラ。
すれ違うだけ、全く異質の感情。
理解は…無い。少なくとも少年の方には。

 

「またずいぶんと暴れましたね?ここを出たいのでしょう?」
金属の壁についた傷痕を確認すると、答えの無いことを気にするでもなく青年は
話し掛けた。
なにか別の感情を期待したのかそうでないのか…
しかし、相変わらず応えはない。
いや応えは少年の容赦無い攻撃という形で返された。
問答無用、いきなりの返答。
急激に膨れ上がる殺気に青年はとびずさる暇もあたえられず、少年の気の波動を受ける。
じゅっと嫌な音とともに青年の服の端はこげて合成のスーツ特有の嫌な匂いがかすかに立ち上る。
しかし青年自身は残像を残し少し離れた場所にふわりと立ち、何も無かったかのように笑いかける。
まるで昔からの知己を相手にするように親しみを込めて…。
「やれやれ、聞きしに勝る…ですねぇ」
この言葉にかちんときたのか少年は続けざまに攻撃を放った。
とても動きを制限されているとはおもえない苛烈きわまりない攻撃の連続。
いかなるものもこの攻撃の前ではその形すら残せないであろう…それほどまでに容赦無い殺気。
しかし青年はそのすべてをさらりと避けきった。
無数の攻撃に、すさまじいエネルギーの奔流が収まったときその場に残ったのは力を使い果たし
肩で息をしている少年とその間近にたつ青年。

「やれやれ、ずいぶんと派手にやってくれましたねぇ」
 服がボロボロなんですけれども?換え無いんですよね〜、と確かに
あちらこちらこげて黒く煤けてしまったスーツの長いすその先を
傷一つない手でつまんでみせびらかす。
その青年の顔は戦う前と同じ表情を浮かべて。
「…き、キサマ何者だ?」
 呼吸を整えながら、しかし相手に射殺しそうな視線と殺気をぶつけながら尋ねてくるのを
青年はやはり先ほどのみのこなしのように、さらり、ふわりとした調子でやわらかく返す。
「ああ、やっとしゃべってくれましたね」
「キサマ!名前を言え!」
「ナマエ…ですか?困りましたねぇ、名前…ないんですよ今」
 本当に困りましたという風情で首を傾げるが相手には全く理解されなかったらしい。
「キサマふざけるな!!!」
「ふざけてなんかいませんよ?本当に無いんですよ。ちょっと前まで使っていたものならあるんですけど
この名前は捨てるつもりなんで名乗っても意味が無いでしょう?」
 もう、後は捨てるだけのもの。
「……何なんだキサマは…」
「あ、興味を持っていただけましたか?うれしいですね?
何なんだといわれますと、あなた次第ということで」
「わからん…」
 青年はその答えににっこりと笑いかけ…そして瞳になにか真剣な…深い色合いを見せて
手を述べながら尋ねる。
 

「助けて欲しいですか?」

「なんだそれは」
「助けたいんですけど…」
「それが意味のあることなのか?」
「さぁ…」
「お前は何だ!こちらの質問には一つも答えないで!まず名を名乗れ!」
さしだした手を空振りにされた青年はちょっと落胆した風に視線を落として、そしてまた真っ直ぐに少年を見つめる。
「やっぱり名前が要りますか…、まぁそうですよね。人と会うのに基本ですからね。
仕方がありません、出直すとしましょう」
少年の怒気にけろりとした応え…空回りの問答に何一つ届くことのない言霊。
気付いているのは青年ばかりでも、それではどうしようもなく、青年は一つため息をつくとまた
軽い口調で別れを告げる。
「キサマ!」
「宿題にしておいてください。次にあったときまでにはきちんと考えておきますから」
不器用なウインク一つ。
青年はふわりと笑うと気配を消し闇の中に溶け込む。
やがて転送ポットの動くかすかな音が聞こえて青年は部屋から去っていった。
「なんなんだ!あの男は!!」
少年の言葉に闇は異質なノイズを響かせるだけで、何一つ答えることはなく…。

 

「ずいぶんとひどいナリだな…ヒュウガ・リクドウ」
 転送ポットを出て隔壁を抜けたところで青年に一人の男が待っていた。
自称保護者…いうだけあってこれだけ騒げば知れるというところか。
「まったくね。たいした破壊力ですよ。あなたがもてあますのが分かります」
 しかし、驚くこと無く青年はにっこり笑って久しぶりですねと付け加えた。
「ふむ…久しぶりだったか」
「500年も生きていらっしゃいますとその辺の感覚が無くなるのではないですか?
あなたに最後にお会いしたのはカレルレン殿の施設に呼ばれて出て行くときでしたから…もう3年以上は
たっていますよ」
 自分もずいぶん外見的に成長したと思ったが、目の前の男は多分目に映る形で物を判断などしていないのだろう。
「たしかにおぬしにとってはずいぶん長い時間だったようだな。
見込みはあると思ったがそこまで強くなるとは」
「ありがとうございます。でもまだまだですよ。能力を制限された子供相手に
手も足も出ませんでしたから…」
「あの部屋は精神の集中を乱すだけだから、等しくお前の力も弱くなっていたはずだが…」
「それでもね、あのままでは頭をなでてやることも出来ない…」
「ふん、今回はずいぶんと勝手な真似をしたものだな…ヒュウガ・リクドウ。良くここが分かったな」
「こと接触者のことに関する限り、あまり天帝陛下をなめないことですね。特にあなたのことは良くご存知ですよ?」
「なるほど、天帝の犬になったか…それでかわいそうな接触者の子供を助けにきたのか?」
 ぴりっと空気に緊張が走る。
そうやすやすと奪われはしない、そういう雰囲気を醸し出す自称保護者にヒュウガはちょっとだけ笑った。
「……彼が望めばそうするつもりだったのですけれどもね」
 だれが邪魔をしても…言外にそんな自信をにじませて。
「あれは出ることを望まなかったのか?」
「望むとも望まないともいいませんでした…それ以前の問題なんです。
助けられるとはどういう事かも理解しなかった、まともに興味すら持たなかった」
 出たくないわけではないだろう。
 でも…

少年が外のものに興味を持たないのは当たり前だった。
少年はもともと外界の嫌なものを引き受ける役目だったから、はじめ出されたときに外界に触れるものは
すべて耐え難い嫌なものか自分を害するものだった。
そのようなものに興味を抱くわけも無い。
無視するか…出来なければ逃げるか壊すか、それだけだ。
少年は怒りとそして比類なき力を持っていたので破壊した。
目に映るものを破壊して破壊して破壊しつくせば、なくなってしまえばもう害される心配はなかった。
何も恐くない。すべて終わらせてしまえばいい。
嫌なもの以外のものを独占していた少年がいた。
しかしその少年はもう表に出ることはない。
その独占していたものが壊れてしまったから…終わってしまったから…。

全てを隠れて何も見ないで…
どちらも全くそんな感じを貫き通す頑固さばかり一緒。
ならば今のままでは進むもひくもありはしない。
 

 

「でもあながち収穫が無かったわけではないんですよ」
 そういってヒュウガは嬉しそうにわらう。
「名前を聞いてくれたんです」
「ほう…そうれがどうした」
「あのなにものにも興味を持たないような子が私に興味を持ってくれたんですよ、たいした進歩でしょう」
「ずいぶんと入れ込んだものだな」
「不思議とね…あの子のことが分かる気がするんですよ…」
 

「おまえが何を出来ると?」
 この自分ですら何一つ出来ないというのに…そう男がはき捨てる。
「何が出来るというわけでもないのでしょうが、良いことに終わりがあったように
悪夢にも…嫌なことにも終わりがあると…」
 今まではその嫌なことの終わりはもう一人の少年の出るときだった。
そしてあの少年はただ嫌な事の繰り返し。
けして終わりを知ることはなかった。
「それをお前が教えられるとでも?」
 その問いに青年は苦笑を浮かべてゆっくりと首を振る。
「さぁ…出来ないかも知れませんね」
 でも…と青年は言葉を続ける。
「私でなくても外に出れば人がいるじゃないですか。
もっと、もっとそれが出来るやさしくて強い…」
 そんな確証はあるわけないのでそれはきっとただの祈りで願いにすらならないのかもしれない。
なにしろ自分と、目の前の男以上に強い生き物はそれこそ見たことがないから
出てきた彼を守る術は本当は今のところ無いのだ。
「つまらない話をしてしまいましたね、このまま居座ると危なそうなので失礼します」
もうここには用はないとばかりに背を向け入り口に向かって鷹揚に歩き出す。
背中など隙だらけで、何一つ危険なこと無いかのように。
男はそれを追うことなくただ見送る。
「あなたは助けて欲しいですか?」
 風に肩まででそろえられたこげ茶の髪をなびかせてヒュウガは思い出したように振り向いてそう問い掛けた。
「わしはもうとうに救われている…500年前のあの時に…。ただ、何の間違いかその屍を喰らって生き延びてしまったがな…」
 男はたいして面白くも無さそうに、でもゆっくりと答える。
「そうですか…」
 それだけを聞くとヒュウガはもう振り向かずに出て行く。
今ここにいる意味はない。
いても何も出来ない。
それが自分のプライドにさわってしょうがなかい。
助けると言うことすら伝えられずに…。
あの少年に対して、その思いだけが心を痛めてただ今はここから早く去るだけ…。
「あなたですら知っているのにね、グラーフ殿」
助けられるということを…救いの意味を…
それが死という終わりの形だったとしても…。

人に認識されてはじめて言葉は意味を持つ。
ものには名前が付く。
人は人としてその存在を鏡に映すように知ることになる。
助けるというのも
生まれるというもの
進むというのも…
彼が何らかの形で望んではじめて意味があることなのだ。
まるで生まれ落ちた子供が息をするために大声で泣くように。
救いを求めて母の手を探しつかむように…
それならば彼はある意味まだ生まれてはいないのかもしれない。
少なくとも育てられていはいないだろうけれども…。

生まれは血と憎悪の腹を食い破って出てきた存在でも
育て方によっては全然違うものになる…と
たぶん自分は経験のどこかで知っている。

あの幼さの残る手を取って、自分の側で育てることが出来たなら…。
別に教育論者を気取る気はないので
それで全てうまくいくとはとても思えない。

それでも…この手を…先を…。

戯れにも、あのいやな場所を出るために利用するためだけでもいい
でもそんなくだらない理由ですら、自分の手を取らなかった…あまりに純粋で希有な存在。
全てを見、何一つ知らない盲目の胎児よ。
いっそ鉄条網の針金で縛り上げ、あのように暗い場所から無理矢理にでも
引っぱり出して遠くへ連れていってしまいたい気持ちになることにシタンは自嘲気味に嗤った。
何にもそこそこ入れ込んで、そこそこに飽きるばかりの自分とは思えない思考だ。
でもそれで存在だけを欲し好き放題しているあの人たちと寸分違わない。
それではきっとだめなのだ。

「まだ…なんでしょうね…」
イド…かすかに口の端に乗せた少年の名前はかすれて声になることはなく…。
『お前の名前は…?』
ああ聞いてくれただけでもきっとすごいことなのだろう。

「次までに名前を考えておかなければなりませんよねぇ」
落ち着けるところまで歩くと目の前に残像を結ぶようにじっとある高さをみつめて…そしてひとりごちる。
やがて彼の手をとりえる自分が虚像でないために…。

◇ ◇ ◇

『お前のナマエは…?』

あいつは答えなかった。
ただ意味深な笑みを浮かべて
『まだ決まっていないんですよ…。この次までに考えておきますね?』
そういった…。
ヘンな奴だ
ヘンな奴だ!
俺の目の前にて死にもしない消えもしないで存在を主張するくせに
ナマエ一つ言わなかった。

終わらせてしまえばいい…あの時から少年は強くそう思うようになる。
そうすれば何一つ心を傷めることも無い。
ずっとそうやって生きてきた。
本当に終わりを望んだわけではない。
ただ何も無い世界で丸まっていられると安心できた。

それでも目に映るもの…それは壊れないものだ。
自分では壊せない強いものだ。
それは壊せない。
だから自分の世界のどこかに入れておかねばならなかった

自分がそれを望んでいるとは心のどこにも気付かずに…。

「今度会ったらぶっ壊す」
そうはき捨ててまた境目の見えない暗い空間に胎児のように丸くなる。
膝を胸元に抱え込み自分の腕を自分で抱きしめ世界のすべてを遮断するように…。
それでも空間に満ちる嫌な音は消えずに少年の神経を責めさいなむ。

『助けてあげましょうか?』
タスケル…
タスケルってなんだ?
何を?
何で?
どうやって?
そしてどこへ…?
闇は闇。
赤かろうと白かろうと黒かろうと…
果ての無い闇の中どこへいこうと何一つ変わりなどしないものを…。

そもそも助けるってどういう事だ?
どこへ行こうというのだ?

自分の持つ記憶というものは
まるで朽ちかけたパノラマの映像で何一つ大事なことは伝えてはこない。
現実はかわらない。
だから…

助けるなんて知らない…。

その日初めてイドは名前も知らない相手と…
意味の分からない言葉のことをかかえて目を閉じた。
 
 

 
先は存在するやもしれず
しかし可能性のみで何一つ光を持たず…。

それでも可は否にあらず。
可能性は無にあらず…。
 


 
 
 
 

はい、なんなんでしょうね…これは。
ネタがあるからといって人からキリ番権限奪っておいてこのざまですか(苦笑)まぁ、イドと先生は昔会ったことがある説は自分としてもおいしい妄想の最たるものですので楽しく書きはしたのですが…。

イドはものを知らないですよね。というか彼自身で学んだことがたぶんほとんどありません。彼が知っているのは彼が学んだものではなくて他人が得たものを無理矢理持たされている(しかも悪いことばっかり)もので、彼が触れてコミュニケーション(これをすること自体が無理なんでしょうけれども)をとって確信して、すすんでいったことではないんですね。まぁ回りのせいですけれども。
だから本当のところの大事な人間の判断材料なんてまともに持ち合わせてはいないでしょう(だからあのぎすぎすフィーリングなんでしょうけれども(笑))。
でも真っ白なフェイのとき…フェイの見たものは見えていたのですからそこでなにか学んだことはないのかなぁ…?先生もその辺知っていたならフェイを通して彼にメッセージとか送っているような気がしてならないときがあります。だって少なくとも先生はイドの存在を知っているんですから。私なりの妄想(笑)

ということを考えた割には外れたSSですが…
3333を踏んで下さった悠様に…。もちろん返品ありです…すいません(爆)

(2002.1.4 リオりー)