「あれ?雨?」
 

そんなカミューの声にマイクロトフが書きかけの書類から目を上げ首を傾げる。
「雨?」
夜の自室、明るい部屋から外を見てもなにも見えず、また静かな夜は音一つせず。
「うん、たぶんね」
言った本人はソファーを占拠して本からろくに目を離さずに、確認する気もなさそうで、マイクロトフは息抜きとばかりに席を立ち窓を開けて天を仰ぐ。
「ああ、本当だ」
外は星一つない世界。
そこに目を凝らしても何一つ見えるわけでもなかったが、窓を開けると小さな冷ややかさが風に乗って舞い込んでくる。
漆黒の空より音もなく降り注ぐ霧のような雨を顔に受けてマイクロトフは気持ちよさそうに目を細める。
「うん、そんな気がしたんだ」
あたり、とでも言うような口調はちょっとだけ得意げに。
やはりカミューはソファーから動く気はなさそうに、でもマイクロトフの方に目を向けてにっこりと笑う。
「ふぅん、音一つしなかったぞ。カミューはすごいな」
「気配みたいなものかな?」
「雨に気配か?」
「さぁ、自分でも何となくだからね。空気が少し冷えるような、水がそばにあるような」
そういう感覚ならマイクロトフにもよく分かる。
水辺を渡る風邪に感じるようなひんやりとした、それでいて少し湿気を含んだ重い空気。
言われてみれば空気はほんのすこしだけ重くて冷たい。
「気配というのとは、少し違うのではないか」
「取り巻く空気みたいなものだから、気配って言っていいかなって、ちょっと思っただけ」
「ああ、なるほどな」
水の気配。雨の気配。
嵐の気配。
それがあるだけで周りの空気がかわる。
それだけが持つ空気。
そして人の持つものも…。

「なるほど、そう考えると面白いな」
「そう?」
「他に分かる物はあるのか?」
「さぁ…。分かってもつかえる物でもないしね…」
本を顔に伏せてカミューは気のない返事。
「使えないか?」
「別に予知しているわけでも現実をかえているわけでもないからね」
実際の所、マイクロトフは面白がって気配の話をしたがったが、カミューはソファーから降りることを考えもしない程度には雨のことも気配の話しもどうでもよかった。
話しかけてくれるのはうれしいんだけど…。
「ほら、明日の会議の資料、自分で作るんじゃなかったのか?」
この部屋を取り巻く空気を取り戻すように一つ伸びをしてマイクロトフを一つこづく。
それとも手伝ってほしいのか?
その言葉にあわてて書類に集中し直す横顔をみてカミューはすこしだけ笑う。

人を取り巻く空気。
存在感とも言うのかもしれない。
そういう物に頓着しない…というか気がつかないマイクロトフが実はカミューの知る限り一番強い存在感を持つ人間だ。

マイクロトフを取り巻く空気はいつもピンと張りつめて清浄できれいだ。
汚れを許さない精神的な潔癖さが肌で感じられるほどに。
目をそらすことも己を偽ることも許さないような気配。
マイクロトフがいるのといないのとでは場の空気は明らかに違う、他の人への影響力も強い空気。
子供のような柔軟さも感じられるがその気配はむしろ人を緊張させるようなものである。
それなのに自分は…
 

なんでだろうな、あの空気のそばにいると何だか眠くなってしまうんだよなぁ…。
 

本の下で忍び笑いとあくびを一つ。
そんな眠気を吹き飛ばしてくれるのも彼の行動、彼の言葉、そして彼自身ではあるのだけれども…。
他に混じりようもない相手の気配を意識して、それにのんびり浸っているのも悪くはない。
 
 

そういえば、マイクロトフにとって自分の空気はどう感じてくれているのだろう。
 

「何、人のことを見ているんだ」
そんな考えに反応したかのようにマイクロトフは振り向いた。
時折以心伝心…いや考えていることが分かっているわけではないだろうから、反応したのは視線かちょっと不埒で君にしか向けられない興味か…。
「早く終わらせて相手をしてくれにかなぁ…って」
なんとなく見られていたことに気づいたらしいマイクロトフの文句にやんわりと笑ってこちらに気にせず続けろと言う。
 

”おまえのそばにいると落ち着かなくなることがある…”

本に意識を戻そうとして、ふと昔いわれた言葉を思い出して目の前の男の横顔ををもう一度眺める。
まっすぐに書類と取り組む彼の横顔は少し緊張したような面もちで何かを読みとれるわけではなかったが…。
 

それも上等…
 

カミューはまた、本の下で苦笑するとゆっくりと目を閉じた。
 


もしかして…私雨が好きですか…(苦笑)
このタイトルは「空気」が正解やもしれませぬ…☆。
この程度の言葉遊び的なものならちょこちょこと…。

(2001.7.20 リオりー)