冬枯れの赤

 

声もなく音もなく…
意識すらもただ白く染め上げて…
 
 

 
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

まずいな…と思う。

目がかすむ。
ただでさえ吹雪で視界が悪いのに、これではどこに進んでいるのか分からなくなりそうだ。
寒さのせいでなかなか血も止まらない。
布で押さえつけて雪の上に血の跡を残さないように努めてはいるが
あまり功を奏していないようだ。
いっそもっと雪が酷くなれば血の後も隠してくれるのだろうが
この細かい雪ではそれは望めないかもしれない。
ドジを踏んだ…のだろうか。
とった行動に間違いはなかったと思う。
今はそれを考えてもどうしようもない事。
とにかくしなければならないことは移動、…出来ることはそれだけ。

後もう少し、もう少しのはずだ。
寒い冬枯れの木立の向こう、開けた丘を越えたところ
今はそこへ行ければいい。
あそこなら自分を隠してくれるかもしれない。

雪の寒さの中雪に隠れそれでも色を失わないあの花の所へ…
こんな時にそういうことを思い出せたのはかなり上出来だ。
ぽたぽたと雪の上に朱色のシミがおちる。
あまりに印象深い目を奪う色。
自分のそれなんか見たって感慨の一つもわかないけれども
あいつのを見させられるよりよっぽどいい。
その辺だけは神にでも何にでも感謝してやってもいい。
何度か目にしているけれども、それでも慣れる事なんて無かったし、
それが最後でないのはありがたくも、また次があるという点ではた迷惑な話だった。

「つっ…」

膝が崩れそうになるのをかろうじて踏みとどまる。
痛みも寒さも感じるうちならまだ動くのには支障はない。
足は引き摺らないように、跡を残さないように、そしてできるだけ速く…。
 

そして視界が赤く染まる…。
その色の中で目を伏せる。
薄れゆく意識の中、最後に意識に残るのがその色でないことを祈るように…。
 

広大な雪に不似合いのしみのような色。

何にもなくても、それだけは意識の外へでることはなく
何にも感じられなくとも、その色だけは視界から外すことはかなわず…。
なにもない真っ白な世界にただそれだけはたった一つ…
 
 
 

ただそのことだけはぽつんと…
 
 
 
 
 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 
 

「ただいま!」
その声と主に視界に広がる深紅に仰天する。
「カミュー!……」
「マイク?お帰りは?」
開かれたドアからの木枯らしを纏い、うっすらと白い粉雪を砂糖菓子のようにデコレーションされた
カミューは目の前の友人の驚きなど気がつかぬようにノー天気に笑いかける。
「どこへ行っていた…は聞くまでもないな」
自分の心配そっちのけの風情の親友に地の底から出るような声になる。
額にはきっちり青筋が浮かんでいることだろう。
「あれ?マイクはどこかへ行くのか、なにかあったのか?場内が騒がしいようだが…」
マイクロトフの軍装に厚手のコート、ダンスニーをきっちり下げて今にも外に飛び出すぞ
といういでたちに首を傾げる。
「何を言っている…」
「?」
怒りで肩が震えている。

「お前を探しに行こうとしていたに決まっているだろうがーーー!!!!」

城内に響きわたるような怒号にカミューを探して右往左往していた団員達も
団長の帰還を知ってわらわらと入り口に集まってくる。
「ちょっと怒鳴らないでよ、傷に響くから」
「響く傷があるのならおとなしく寝ていろ!一週間前に失血死し損なった奴が
ふらふら出歩くんじゃない!!」
集まってきた騎士達はあわてて相手はけが人ですから、とマイクロトフをなだめにかかる。
怪我人だったらもう少しおとなしくしていて欲しいものだが…。
カミューはそんな騎士達に軽く笑いかけると肩をすくめて大げさにため息をつく。
「はいはい、私に退屈で死ねってことね、まぁ目的は達したからおとなしく部屋に帰りますよ」
「目的とはその腕の中に抱えてる椿のことか?」
マイクロトフはカミューの胸元をさして言う。
マイクロトフを驚かせた赤。
深緑の葉を覆い隠し、腕にあふれんばかりの鮮やかな赤。
「そう、きれいだろう」
「あの丘にいったのか…」
マイクロトフは思わず頭を抱えたくなる。
死に掛けたちょうどその場所に傷も治らないうちに、のこのこ出て行き花摘みか。
自分もよく鈍感だのタフだのいわれるが
大概この男の精神もタフである。

「死に掛けた時に思い出したんだよ」
冬、この国で一番きれいな処ををね。
「ずいぶん余裕がある事だな」
願わくば、花の中にて…といったところか…
「元気になったらどうしてもまた見たくなって取りにいったんだ、はいおすそわけ」
持っていた枝の半分をマイクロトフに渡す。
「もっと元気になってからいけばいいものを…」
どうしてくれるこの騒ぎを…とまわりにわらわらと集まってきた先ほどまで城中を青くなって駆けずり回っていた
赤騎士達を指差していう。
「そんなにのんびりしていたら見頃が終わってしまいそうな気がしてね。でもさすがに疲れた、マイクロトフ送ってくれるだろう?」
そういうとカミューは外套のすそを翻し、回りの騒ぎなどどこ吹く風ですたすた自室へ歩いていってしまった。
「ああ、もう」
いつも自分勝手でマイペースな奴だけれども、病人やら怪我人になるとことさらわがまま勝手になりやがる。
そうぼやくとマイクロトフは傍にいた部下に花を預けて慌ててカミューの後を追った。
 
 
 
 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 
 
 
 
 「まったく、今度から一言声をかけていけよ」
声をかけたら出してなんかもらえないと思うけれどもなぁなんて笑いながら布団から顔を出しているカミューの代りに
彼の持っていた花を一生懸命花瓶に詰める。
なにしろ腕いっぱいに抱えられた枝葉は半分でも相当なもので、マイクロトフはどうにかあまり葉や花を落とさずに
花瓶に詰める事に成功したが、できたオブジェのあまりの大きさに飾るところを探して部屋をうろうろする羽目になる。
「いくつかに分けて飾ったほうが良かったか?」
「いいよ、そこの書類机の上においておいて。どうせしばらくはたいして仕事もできないし、そこならここから良く見えるから…」
「分かった…」
マイクロトフはいわれるままに仕事机の上にその花瓶を飾る。
殺風景な机の上を覆うような枝。
「きれいだねぇ…」
仕事机を半分以上占拠したその花は常緑樹色の緑とあいまって確かに部屋を典雅でいてあざやかにな雰囲気に彩る。
「よく死ぬ間際にこの花の事を思い出したもんだ」

深い雪の中偽装した賊に不意打ちを受けた。
カミューは深手を負いながら商隊を守るために部下をつけ、一人残り
一人でほとんどの敵を始末し、そして発見されたのはなぜか教われた場所からは
丘二つも超えた椿の群生した谷だった。
深手を負っていた彼はなぜかまだ残りがいるかもしれない敵から身を隠す場所に、離れたこの場所を選んだ。
救出に駆けつけたマイクロトフ達は大慌てでその辺を駆け回った。
「人間危なくなると昔の印象に残った事を思い出すっていうじゃない」
「それがあそこだったのか?」
殺風景な景色。
確かに印象は深いだろうがあまりに寂しくそして恐ろしく感じる場所。
「…私がマチルダにきた時はよりにもよって真冬でね。なぁんにもなかったんだ」
冬枯れた大地、一面を覆う雪、芯まで凍えさせる寒さ、そして見も知らない人々。
「そんな中しばらくしてだったよ、あの椿を見たのは…」
白い何もかも死んだような大地の中に雪に埋もれるようにしてしかし凛と咲くあの花を…。
「誰かみたいだなぁ…ってその時思ってね」
「誰か?」
「目の前の純正マチルダ産騎士殿」
「俺か?」
いわれてマイクロトフは目をぱちくりさせる。
冗談だろう?と思う。
「俺のどこがこの花みたいだって?むしろずっとおまえのイメージに近いじゃないか」
「私?」
「俺はこの花はずっとカミューみたいだと思っていたんだぞ」
「なんで?赤いから?」
「ま、まぁそんなところだが…」
くすくすと笑う友人を前にちょっと理由は言いにくくて口篭もる。
厳しい寒さを誇るこの異国の地で、
その寒さに負けず冬のさなかに鮮やかな色を咲かせるこの花。
華やかなだけではない落ち着いた印象すらある強く優雅な花。
ずっとこの花はカミューみたいだと思っていた。
毎年見るのを楽しみにしていたけれども…。
ある時ふとその花が別のものに見えた時、それからあそこに行くのはやめた。

雪に散らばる深紅の花…。
目を奪われたのは枝に咲き誇る花ではなく切り捨てられたように、もがれたようにちらばる地面に咲く花。
恐ろしいと思った…。

「おまえに似ているよ。だからかな、あの時寒かったし血は止まらないし、さすがに死ぬかな?と、思った時
この花を思い出してね。」
「ではるばる死に掛けの体引きずってそこに行ったわけだ…」
「どうせどこかに隠れなきゃならなかったからね、でも結構早く見つけてくれたじゃない」
「どうしてか俺も頭にこの花の事がうかんだんでな」
血の跡は雪がすでに覆い隠し、後を追うのは不可能だったから隠れられる場所を思いつく端から
あたった。その思いつく場所の一つにこの花の谷間があったに過ぎなかった。
おかげで雪の上、散らばる花びらの中で倒れている姿を見つけた時は息が止まるかと思ったけれども…。
「あははは、悪かったね。確かに血みたいな色しているからね」
脅かしちゃったみたいだね。
同じ事を考えているような気がして、そんな言葉に緩く首を振る。
 

誰かに似ている花は
チノイロヲシテイル…。
 
 

「マイク、知っている?この花ってすごく潔いんだって」
「知ってる」
ゆっくりと散るのではなく時がくると花ごと首からあっさりと落ちるとか。
「だから私はこの花が大嫌いなんだけれどもね」
にっこり笑ってあまりにも自然に言った言葉だったため、
マイクロトフは言葉の意味を全く聞き逃すところだった。
「…何?」
「大嫌いなんだよ、この花…」
再度繰り返したその言葉とはうらはらにカミューの表情はあまりにもあっさりとしていて
嬉しそうで一瞬意味の理解できなかったマイクロトフはもうすこしでこの言葉を
そのまま聞き流しそうになる。
 

ケレドモ、サイゴニミルフウケイハ、キット…。
 
 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

 「椿が丘の椿ですか…?」
執務室に帰るとカミューからもらった椿の半分はきれいに活けられて窓際に飾られていた。
部屋に入ってきた副団長がそれを見て少しだけ目を細める。
「あそこは椿が丘というのか…?」
そのまんまだな、と笑い、どこかとは言わずにマイクロトフはたずねる。
「ええ、これだけ赤く見事な椿が咲くところは他にはありませんでしょう?だからいつからかそう呼ばれていますね」
「ふぅん、何であんなところに椿ばかりがあるんだろうな」
「あそこは北風の吹き抜けるところで、草木がうまく育たないんですけれども、
あの丘の影だけは風があまり感じられないでしょう?そのせいだと思いますけれども…。
椿は元々寒風を防ぐ垣根として用いられるだけあって風雪に強いですし…。
そうそう、丁度いい起伏もあってマチルダが不安定だったころは戦場として選ばれていたそうです。
でもあの丘の陰だけは起伏の関係で北風があまり強く通らないんです。
そこにある少女が恋人の死を悼んで植えた椿が増えてああなったといわれていますね」
死者の血と生きる者の悲しみをすった花だと…。
「そうか…」
 

ならば自分があの花に感じた感想はあながち間違っていない。
そして多分彼も…
 
 
 

『嫌い?』
怪我をおしてまで摘みに行く花が?
『大嫌い』
けろりと笑って返すから一瞬耳がおかしくなったのかと思ってしまう
でもカミューはそれっきり花瓶の花に目を向けたまま黙ってしまうから
少しだけ首を傾げて言葉の続きを辛抱強く待ってみる。
 

純白の大地に決して自分を損なう事無く凛とした花弁をつける潔い花。
白い肌から当たり前のように流す血の色に見えて。
あまりにも潔い、いっそシュールな風景。
『本当に良く似ているよね』
遠くを見るようにぽつりぽつりと、思い出したように言葉をつなげていく。
マイクロトフに…だから大嫌い。
幾度も目の前で繰り返された風景。
そういうのは大嫌い。
許せないくらいに大嫌い。
 

分かっている、それはいずれまた来る当たり前の光景なのだと。

ダカラキライ
 

『本当は大嫌いなはずなんだけれどもね…』
潔く散るその姿なんてものは…

でもね…
 
 

『本当はこんなのは嫌いなはずなんだ…』
 
 
 

何も無い白いだけの枯れ果てた冷たい大地。
争いの果てに不毛の大地に咲く真紅の仇花。
その光景は生者の意識すらすべて奪い取り…
 

『でも…そういう姿って本当にね…』
そういって言葉を切り、少しだけうつむいてみせると
すぐに顔を上げ目を細める。

『綺麗な花だろう?』
でも綺麗だなんて思いたくなかったんだよ…
そういって笑って見せた顔は儚いというより痛々しく…。
 
 
 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 
 

 その光景は残酷な現実…。
痛みが自分の存在を確認できるたった一つの手段のように
白い世界にただ一つの存在を主張する…。
 

自分は冬枯れの世界にただ立ちつくす。
自分が何を無くしたが、何を見ているのかももう分からずに…
何も出来ずに何も考えられずに。
 
 

音もなく声もなく、全てが枯れ死に絶えた世界で
そんな光景だけを視界の真ん中に意識して
自分はぽつんと確かにそう思ったのだ…。
 

『ただ…、綺麗だと…』
 

声すらも出せずに…。
 

 


意味不明…壊れ。
私生活が修羅場ると壊れたものを書き散らかすように
なるようです。だったら修羅場に書かなければいいのでしょうが
そういうときほど筆が軽いのも恥を捨てられるのも事実なんですよね(苦笑)。

椿は会社の側の大通り沢山はえています。
街路樹と呼ぶにはだいぶ育ちすぎた感のある
その椿のなかに本当に深紅の花を付けるものが
一本あります。
椿って本当に首をもいだようにそのままの姿で
地面に落ちるのですよね。
その深紅の椿の下は春先は本当に
薄気味悪いほど鮮やかでシュールな光景を
通る人に見せてくれます。恐いくらいとは
ああいうことを言うのだろうかとよく思います。

(2001.3.29 リオりー)