早春賦

 

 あまりの寒さに朝、目を覚ましたら外は一面の雪だった。
地面はうっすらどころか見事に白く覆われて木々も帽子をかぶっている。
昨日までは日ごとに空気は暖かくなり雪は雨になり、大地は茶色の地面を見せて
そろそろ新緑の芽の色も見え始めていたっていうのに…。

冬に逆戻りかな。

「ああ、道理で寒いと思った…」

窓枠に手をついてがっくりと頭を落としてしまう。
こう急に寒くなられては体のほうがついていかない。
暖かかったり寒かったりするのはこの季節当たり前にしてもこの一日のギャップは酷すぎる。
ぼやきたくなるのも当たり前だ。
布団を取り替えたばかりだって言うのについていない。
おまけにこれだけ雪が積もったとなると当然次にくるのは
スコップ抱えて元気な大型犬が一匹…。

「こういう日ぐらい隣に残って恋人の湯たんぽの代りになってくれても罰は当たらないと思うんだけれどもね」

出来たばかりの自分の恋人はこういう時全くこっちの気持ちなど頓着してくれない。
身体を震わせてくしゃみを一つ。
いけない、いけない、こういう時に風邪をひくんだ。
とにかくいったん冷え切ったベッドに逆戻りする。

「寒いなぁ…」
こころが…なんてバカなことを言ってもたぶん一笑に付されて終わりだろうから言わないけれども
結構こういう時に考えてしまう。
彼が恋人というポジションになったのは実はつい最近のこと。
せっかく一歩近づいて、一歩を踏み出すことが出来たって言うのにあまり二人の距離は変わっていない。
追っかけて抱きしめて暖めたいと思うのはいつもこっち。
たまには向こうから…いやいきなりそこまでの贅沢は言わないから、うんと側に来てくれるだけでもいいんだけど。
隣の空気から暖かさが伝わるくらい…。
ちっとも暖まらない薄い布団にため息一つ。

でも、向こうは寒いなんて思ってもいないに違いない。
気持ちを受け入れてもらって春が来たような気がしても
まだまだ寒い始まりの季節といったところか…。

そういう気持ちはまだ相手には理解されない。
煩いことを言って冬に逆戻りなんて勘弁願いたい。
「しかたがない…目が覚めてしまったから手伝ってやるか」
肩を竦めてひとりごちる。
このまま冷めた薄い布団に潜っていてもちっとも暖かくなんてならない。
もうすぐ起こしにくる時間だ、たまには先に起きて待っているのも悪くなかろう。
ほんの少しでも暖かくなるように…今はそれだけを心がけよう。
友人のラインを超えられず胸に黒いものをかかえて過ごした途方もなく長い冬の時間に比べれば何て事は無いはずだ。
 

「カミュー!起きろ!!」
案の定何がうれしいのかマイクロトフは妙に元気に部屋に飛び込んできた。
「おはよう、寒いと思ったら雪だね」
「あれ?カミュー起きていたのか?」
「ああ、あんまり寒いもんだからね」
驚いた?といたずらっ子のように首をすくめて笑ってお出迎え。
マイクロトフはそれに嬉しそうに笑い返して無防備に近寄ってくる。
うーん、見事に振られた犬の尻尾の幻覚が見える。
「そうか、昨日まであんなに暖かかったからな。風邪など引くなよ」
「まぁ、大丈夫さ。ところで雪かきでも手伝おうか?」
「……なるほど、雪が降ったはずだ…カミューが進んで雪かきをしたがるとは…」
マイクロトフは今の言葉にちょっと目を丸くした後、さも納得とでも言うようにうんうんうなずいて言う。
「ちょっと、順番が違うでしょう?マイクロトフ」
あんまりな物言いに、思わず苦笑する。
「ありがたいが終わった」
「終わった?」
「ああ、積もったとは言え膝下ぐらいだし、朝練に来た青騎士達と手分けをしたらあっという間だった」
「あらら、人がせっかく手伝う気になったのに」
「なに、終わったのは必要なところだけだ、表通りから正門まで、裏門から通用口まで、あと訓練場かな。
やりたければ庭でも、テラスでもまだ雪かきできるところはいくらでもあるぞ」
「さすがに遠慮しておくよ」
苦笑して丁重に断りを入れる。
お前がやるんならつきあってもいいけど、と思っても見るけれども
そんなことを言った日には本当に一日中重労働させられそうな気がする。
「でもせっかく早くおきたのなら、城の見回りに付き合わないか、雪の状況と被害…を見ておかなければならんから」
「被害ね?それほどの事もあるかな?いいよ、散歩がてらというところだね」
二人っきりの朝デートという意識は向こうにはないのだろうが、それなりに嬉しいお誘い。
それには断る理由はなかった。
 
 
 

「なかなか奇麗に積もったな」
ざくざくとまだ誰にも荒らされていない新雪を踏むのはいつやってもなかなか楽しい。
一面の白は朝日を受けてまるで宝石のような光を放っている。
朝の空気は奇麗でひんやりとして気持ちがいい。
こういう朝は好きだ。
マイクロとトフと歩くのなら寒さも半減といったところ、風が暖かくすら感じる。
「冬に逆戻りって言うところかな」
やはりマイクロトフは雪が好きらしい。
スキップを踏んでいるような軽やかな足取りでざっくざっくと雪を踏む。
「そうでもない、春の雪だな…」
春の雪は水を含んで重い、マイクロトフはそういって足下の雪を蹴ってみせる。
なるほど、その蹴った雪は靴にまとわりついてほとんど飛ばない。
「そうかもね、もう溶けかかっているし」
彼に言わせると、こういう雪ってうっとおしくていけないんだそうだけれども…
彼が言った被害の言葉は庭にでてすぐに分かった。
 

「ああ、思った通りだ、枝が折れておる」
庭につき回りを見回るとあちらこちらで庭木の枝が折れ、雪に埋まっていた。
「ああ、被害ってこれのこと?」
「ああ、春の雪は湿って重くまとわりついて落ちないから、重みで枝がやられる
降ると分かっていたら養生させたんだが…」
マイクロトフは枝の一つを雪の中から拾い上げる。
もうすでに若芽をつけた枝。
春の証の新緑の芽。
「なるほど、春だね」
「だろう?鳥は鳴いているし、空も霞がかかっている、花が咲いている枝もあるぞ、もったいない」
ため息をついて枝を一カ所に集めるように放り投げる。
マネをして拾い上げる枝は確かに春の息吹をその身に飾って、冬とは違う柔らかい色彩を見せていた。
春だと思ってみると確かに回りの景色はそれらしい気がする。
風が暖かく感じるのも別に隣にいる人間のせいではないようだ。
本当に頬をなでる風はひんやりとしていても冷たくはない。
「そういえば夜中裏の猫も騒がしかったな…」
「カミュー…」
いきなり落ちた話のレベルにマイクロトフは思わずがっくり来てしまう。
花や鳥や春霞と猫の発情期を一緒にしなくてもよかろうものをという言葉が相手の名を呼ぶ声にありありと感じられる。
「春の恒例行事でしょう」
恋の春だし、なんて俗っぽく舌を出してみせる。
 

恋の春。
うーん、なんて安直な。
人間なんて年がら年中恋をしているけどそれでも春はやっぱりそれなりに心が浮き立つものがある。
隣の恋人もそんな気持ちになてくれればいいのに…。
奥手の彼にそんなことを望むのは無理というものかもしれないけれども…。
「今夜そっちに遊びに行くね」
見回りにつきあって、それとなく今夜の約束を取り付ける。
せっかく手に入れたのに引く事は考えられない。
とにかく精神的に先に進みたくて一生懸命押してみる。
余裕は実のところ全くない。
「またか…」
少しうんざり口調にため息つかれてもめげない。
まだまだ始まったばかりだ。
「良いお茶が手に入ったんだ。まだ寒いしね」
「そういって…おまえは…」
「そういって…何?」
「お前は毎回人の布団に…//////」
口ごもる恋人は全く慣れるということをしないようだ。
そう、寒いって言っては、なし崩しに人の布団に潜り込むのが最近の手になっている。
そうでもしないとなかなか触れさせてももらえないからしかたがないと思うんですけど?
そう考えると…
「あ〜あ、本当に寒いな。春は名のみの…か」
この手をつかえるのもあと何回か…他の手を考えなきゃならないな。
「もう寒くないだろう!」
「私は寒いの!」
少しは理解しろ!唐変木!の言葉はぐっと飲み込む。
何のために人が毎晩毎晩毎晩(それが問題かもしれないけれども)くだらない
理由を付けてお前の部屋に押し掛けると思っているんだ。
やっとなれた恋人の顔を見たいからに決まっているだろう?
それを毎回ため息ついてそんな顔しなくてもいいのに…。

相手はやっぱりちっとも理解してくれないようで、思いっきりしかたがないなというようなため息をつく。
そしてそっぽを向いて被害調査とばかりに枝の雪をばさばさと払い始める。
ま、いーですけどぉ!
春は名のみの風の寒さや…
春であっても歌うほど暖かくはなっていないと言うことで…。

「いいじゃないか…」

もう少し近づきたいと思っても。
そうぶつぶつと文句を言っても返事はもう返ってこない。
仏頂面されるだけでは面白くない。
そっぽを向かれるだけで、しかたがないのであとについてその仕事の手伝いをしてやる。
嫌われていない、好かれているという自覚だけが今の春のたった一つの兆し。
こういう時間もいいんだけれどもね…。

「…………」

しばらくすると、マイクロトフは地面に散らばっている枝で隅っこに山を作り出す。
乾いたら燃やすつもりだろう。
かわいそうだがこの枝は始末しなければならない。
マイクロトフは少し考える素振りを見せると、そのなかで花の咲いているものを拾い上げ、こっちに突きつけるように渡してきた。
「花が咲いているのに折れてしまってかわいそうだ」
首を傾げてその意味を問うと、優しい答えが返ってくる。
「そうだね」
枝についた花は俺で雪に埋もれても白く可憐な花を咲かせていた。
その枝についた雪を払ってやり、相づちをうって次の言葉を待つ。
「せっかくの花だ、だから…花瓶を貸してくれ」
「いいよ」
無骨なくせにこういう優しいところは大好きだ。
それにこの花なら花瓶に挿して愛でるのも悪くはない。
「なんならみんな集めてあっちこっちの部屋にでも飾ろうか?」
そうすればこの枝もこのまま燃やさなくて済むわけだし
みなの心も和むから一石二鳥だよね。
「うん、それでもいいが…、とにかくお前の所に飾ってくれ」
「もちろんそれはいいよ?なんならあとで見においで?」
花見と言うには寂しいけれども仏頂面以外のお前の顔が見られるのならおやすいご用だ。
「うん、行く」
行くと言っている割には妙に難しい顔。
眉間にしわを寄せて…怒っているわけではないみたいだけれども…。
「じゃぁ、お昼過ぎ、紅茶の時間にでも…」
その眉間のしわに気付かないようにつとめて明るく話しかける。
「今夜行く」
「え?」

「…今夜花見に行くから…」
 

ふわりと枝をぬける風は優しく花の香りを運び鼻孔をくすぐる。
腕にかかえた枝の間から見えるマイクロトフの顔はやっぱり”しょうがないな”とか、”うんざり”
といったようなぶすくれた顔をしていたけれどもその顔色は回りの白い景色とはそぐわない色をして…。
「マイクロトフ…顔…赤いよ?」
その眉間のしわに驚いたあと盛大に吹き出してしまう。
なんだ、そういう事を言うときはもうちょっと景気いい顔してもいいのにね。
ああ、でも、らしくてらしくて嬉しくて嬉しくてにやけているんだか、景気いいんだかそんな顔を盛大にしているのは間違いなくこっち。
その顔にますますマイクロトフがぶすくれた表情になる。
どうしてくれようこの悪循環。

「うるさい」
もう何も聞かないぞ!という意思表示ありありでマイクロトフは背中を向けると早足で雪の中をざかざかと歩いていく。
あわてて自分はその背中を追いかける。
なんとか回り込んで、その盛大な仏頂面をみるために…。

「マイクロトフー」
「うるさいといっている!!」
「今夜の花味酒はなにがいいかい〜」
 

ロックアックスの厳しい冬を耐え、たぐり寄せた春はもうすぐそこまで…。
 

<終>
 
 



 
 
春〜です。タイトルまんまです(苦笑)
うーん、忙しいから余り物が考えられず
しかし書かないと書けなくなるといた感じです。
もっとあっさりとしてうまい具合に書きたいのですけれども…。

(2000.3.25 リオりー)