それは炎のような
 
 
 

 カンってやつは実は何もないところから生まれない。
積み重ねた経験が人生に蓄積されて、ある条件…まぁ大概似たような状況やどこかマッチする符号を過去に見ているときに、覚えていても思い出せないそんな深層部分から警告を出してきているのさ。
ああ、もちろん警告ばかりということはないね。
信用していいのか分からない相手を信用していいような気がするのもまぁそのへんなんだろう。
あ、おまえの信じる癖はたぶんほとんどがカンじゃないからな。
人がよすぎるだけだからその辺も混同しないように。
本当に根拠のない選択は当てずっぽうという。
わかるだろう?
それと同じだ。

 おまえがよく私に云う要領って奴も実は多彩な経験から成り立っているんだよ。
誰しも赤ん坊の頃から要領がいいわけはないだろう?
どこかで身につけるんだ。
経験を積み重ね危険に近づき、時には痛い目にあって安全な距離感を体で覚える物なんだ。
そうしてたくさんの経験を積んで初めて他の事象にも応用できる、大体の危険と安全の距離感がつかめるようになる
要領というものが身に付くんだ。もちろんいくら経験してもそこから学ばない困った人間もいるけれどもね。
基本はすべて経験と学習の上に成り立っているんだよ。
私はただ間違いなくおまえよりこういう経験が多いんだ。だから要領がよく見える。
酒も遊びも女も…それに付随して人間関係もね。それだけのことさ。
無駄な経験なんてほとんどない。経験は積むだけ積んだ方がいい。痛い経験も今後に生かせるならこれ以上有効なことはない。
わかるね。
それに引き替えおまえはそういう経験をまるで積んでこなかったから多少不器用でもそれは仕方のないことだ。
 
 
 

「カミュー…」

 いつもの彼からは考えられないほど弱々しい声がベッドからあがり話を遮る。

「なんだい?マイクロトフ」
「おまえはさっきから長々と何が言いたい」
「さぁ、なんだろうね」
 ふふ…とベッドサイドで笑うのは先ほどからとうとうと一人でしゃべっていたカミュー。
「ふがいなく酒に飲まれて気分の悪い俺をバカにしに来たのか?」
 弱々しい声の持ち主はくったりと布団に埋まったまま気持ち悪そうにうめく。
「心外だなぁ。わたしはただ、初めて飲んだ酒だから勧められるままに飲んでしまって気持ち悪くなったのも仕方がない。二十歳すぎていてもまぁ初めてのことだし恥じることはないってね」
 ウソだ…とマイクロトフは即座に思った。
…どう考えてもバカにしている。というか酒の初陣ででんぐり返ったマイクロトフをからかいに来ているとしか思えない。
腹立たしく思ったところで、ぐるぐる回る視界と戦っている最中ではとてもその糾弾をする元気な無いのも当然で。
「俺はどう聞いてもおまえの過去にしでかした数々の軍紀違反の正当性をいけしゃぁしゃぁと主張しているような気がしてならないんだがな」
 それでもあげた力無い反撃は、一番正解だったかも知れない。そしてそれは次のカミューのセリフで肯定される。
「どうだかね…まぁ私ほどの経験があればこの惨事は防げた。それは確かだと思わないか?」
 それは確かにそうかも知れないが、だからって夜遊び推奨というのも認められる話ではない。
それをいったら軍規など半分以上意味をなさなくなる。
それはもちろんカミューにも分かっているわけだから、
要するに普段がみがみいっている意趣返しをここで思いっきりされているのだ。
と判断せざるを得ない態度だ。
死者にむち打つとはこういうことだろうか。
 あとは心配かけた怒りという奴もあるかも知れないな、とふっとマイクロトフは思う。
これはマイクロトフの思い上がりではないだろう。
マイクロトフが倒れたと聞いて駆けつけてきたカミューは
青ざめた顔をして、ひどくうろたえていたから。だからマイクロトフも好きに云わせているのだが(でなければたとえ視界が回っていようとも、不埒なことを言う奴はお得意の根性で部屋からとうに叩き出している)

「この手の経験に遅いと云うことは無い。今でいいんだ。今から覚えれば…」
 ほとんどスライムと化しながらも反撃するのは、やはり風紀代表としての意地だったろう。
そもそも酒など飲まなければいいと普段なら言いそうだが。
「そうだね、一度痛い目に遭えばもうマイクも断れるだろうしね」
とりあえず気が済んだのか、それに逆らわずに笑うカミューもこの辺が引き際だと心得ているようで、座っていたベッドサイドから立ち上がる。

そのとき…

「…まぁ、確かに経験があるのと無いのとでは大違いなんだろうな…」

 ぽつりと吐き出されたマイクロトフの言葉。
カミューの方が驚く。

「えらくしおらしいね。そんなにつらい?」
「そういうのではない…」
 吐き出した息はお世辞にも楽そうとはいえない物でカミューはあわてて額のタオルを取り替える。
 が、マイクロトフはそれに気付かないようにぼんやり天井を見ながらゆっくりと独り言のように言葉を続ける。
「経験していれば、対処できる。何かあっても傷つかずにすり抜ける方法も分かるんだろうな…」

「酒も…恋も」

ここでマイクロトフは言葉を区切るとゆっくりとカミューの方に頭を向けた。
さっきとは違う、酒の感じさせない真剣な眼差し。沈んだような落ち着いた色。
「カミューは恋をしたことが…というのは愚問か。なぁカミュー…恋は経験していればつらく無くなるのか?慣れて忘れることが、できるようになるのか?」

とくり…
瞬間心臓の音が体の中で響いた。

「マイクは誰か好きな人がいるの?」

 心なしか語尾がふるえただろうか。

「……」

 その言葉にマイクロトフは沈黙を返しただけだったが、耳が紅いのはきっと酒のせいじゃないだろう。
その肯定の印にカミューは自分の胸元をぐっとつかみ何かを堪えるように目を伏せた。
しかし目を開けたときにはカミューは明るく笑ってマイクロトフを励ます言葉を紡ぐ。

「じゃぁ、がんばればいい。マイクロトフならきっとうまくいくと思うけど?」

うそつきの自分なんかと違って…。とカミューは心の中で付け加える。

「無理だ」

「なんで…?やってみる前から諦めちゃ成就する物も成就しないよ。」

「違う…」

何のことなのか、何が違うのか?

「……」

「これは絶対に言ってはいけない…」
 

 それ以上会話は続かなかった。
唐突に始まった言葉はどこかからか溢れ出したもので、一番触れてはいけない物に触れていたのだとお互いがどこかで知っていた。
冗談にできない何か。
口にすることもはばかられる重さ。
マイクロトフは何もなかったようにカミューの渡したタオルを目の上に乗せてぼんやりと上を見たまま何も言わなくなった。
カミューも何もいえなくなってそのまま自分の部屋に帰っていった。
 

ぱたりとドアが閉まった。
 
 

『自分はどうかしている…』
 
 

恋は炎のようだと誰かが言ったと覚えている。あの紅い騎士服の親友だったかも知れない。
マイクロトフは目を覆うように目の上に手を置いて、その手をぎゅっと握り込む。
それはあまりにも美しい陽炎にも似た深紅の揺らめき。でもそれは間違いなく炎だ。
その美しさに心を引かれて手を伸ばそうとしても、触れた手を焼くだけで、その手につかむことはできない。
そういうもの。
そういう夢ばかりを見せるのが得意な残酷な相手。
それと知っていて自分は何で…。

 自分は経験していけば慣れるのかと相手に聞いた。
バカなことを聞いたと思う。
そんな質問に意味など無い。
不器用な自分はもう同じコトを繰り返すことなど出来はしないのだろうから。
だって手を伸ばす方法も、終わらせる術すらわからないのだから。
 
 
 

『自分はどうかしている…』
 
 

恋は落とし穴に落ちるような物だとどこかで読んだ覚えがある。無防備に何も知らずにその穴に落ち、落ち込んでみて初めて恋と気付く。
まさしくそのようなものだとカミューは自嘲にもならない息だけの笑いをため息のように吐き出す。
落ちてみて初めて恋だとわかる。
それまでの恋は、恋と思い込んでいただけの物だったと思い知らされる。
恐ろしいほどの喪失感。
救いを求めてもそこは暗い落とし穴の底。
見えるのは…頭上に広がる鮮やかな空の青ばかり。
手を伸ばしても届かない鮮やかで誰の物でもないつかみ所のない空。
救われることのないこの場所で何度絶望と共にその空を仰いだろうか。

何という残酷な。

助けを読んでもきっとその声は届くことはないのに自分はこの暗い感情を抱えたまま空を仰ぐことをやめることはできないのだ。
 
 
 
 
 

知らなければいい、恋なんて。運命の恋なんて思ったらもう他は無い。
今までの浮ついた思いが、病が恋でなかったと、まるで落とし穴に落ちるように落ちてからでないと気づくことはない。
目をつぶれば瞼の裏に炎。
己を焦がす炎。
天を見上げる。
ひたすらに逃げ場を探すように。
でも自分は空を飛べるわけもない。

これが恋でなければいいのに…、と何度も何度も繰り返し思う。
自分も…そして相手のあの人の心にある感情も…。
 
 

 でももう遅い。
わかっている
もう手遅れなのだ。
 

 終


 
 
リハビリ。双方向片思い赤青。バカ二人と一刀両断にされました(笑)。

(2004.1.26 リオりー)