カミューが求める人影を見出したのは、他に誰もいない屋上だった。
「こんな所にいたか」
 そう呼びかけると、塀の上に両肘と頭を乗せていた人影が、ゆっくりと身を起こした。
「カミュー」
 四割で予想していた事態が実現したような、ささやかな驚きを見せて振り向いたのはマイクロトフ。あらかた中身がなくなったグラスを片手に握り、足元に酒瓶を一本置いて外を眺めていたマイクロトフは、長衣を外した軽装だった。
 カミューは溜息一つ付いて肩を竦めてから、足を踏み出した。ゆっくりと踵を鳴らしながら、マイクロトフの傍らに立つ。
「よくここが分かったな」
 感心したように呟くマイクロトフの肩に、カミューは自分の脇に抱えていた、厚手のブランケットを広げて掛けた。自分は、しっかりコートを着込んでいる。
「広間も酒場も探した。部屋に戻ったら上着だけがあった」
 先程マイクロトフがしていたのと同じように、カミューは塀に上体を預けた。下界で繰り広げられている喧騒は、屋上まで聞こえた。殊に、酒場から発する騒音は、平時であれば苦情が殺到しそうなほどだ。
「手間を掛けたな」
「全くだ」
 憤慨の表情を作ったカミューは、足元の酒瓶を拾って直に呷った。
「一人きりで新年を迎える気だったのか」
 酒瓶を差し出すと、マイクロトフは素直にグラスを掲げた。上質のワインを、味を駄目にする勢いで注いでやる。ささやかな意趣返しではあったが、今日のマイクロトフには通用しなかったらしい。そ知らぬ顔でグラスを口に当てると、カミューと並んで塀に寄りかかり、眼下にいとおしげな視線を落とした。
「まさか。そろそろ戻ろうかと思っていたところだ」
 言葉とともに吐く息が白い。晴天の夜空は冷気に冴え、星の光はいつもより遠くまで届きそうだ。
「だが、お前がここにいるなら、別に戻らなくてもいいか」
 何気なく落とされた言葉に、カミューは横を向いた。一瞬だけ、一瞬だけだがマイクロトフが微笑んだ。

 今日は12月31日。そしてまもなく、1月1日になる。

 お祭り好きの盟主と、酒好きの城民が結託した催しは、昼過ぎからすでに始まっていた。
 今日ばかりは子供たちも夜更かしを許され、起きる気力のある子はあちこちを走り回っている。有象無象の酒豪たちは丸半日も飲み続けており、新年を待たずに酒に負けた連中は、毛布を掛けて床に転がされていた。今日は大広間も酒場も食堂も、皆お祭り騒ぎだ。
 この騒動に、つつましく夕方から参加したカミューとマイクロトフは、話し掛けてくる人々を相手にしているうちに、気が付けば離れ離れになってしまった。しかも相手の何割かは前後不明の酔っ払いとあっては、体よくあしらって再合流を図るのも難しかった。まぁ、同じ場所にいるのなら問題ないだろうと高を括っていたカミューは、新年まであと一時間を切ったところで、マイクロトフが何処にもいないことにようやく気付いた。
 誰かに誘われたのかと大広間を出て酒場や食堂を巡ったが、どこにも彼の姿はなかった。念のため二人に与えられた部屋へと戻ってみると、見失う前まで着ていたマイクロトフの上着がハンガーに掛けられており、その代わりに、部屋にあったはずのワインが一本減っていた。
 何処にいるかはわからない。だが、マイクロトフはおそらくどこか寒い処にいる。そう直感したカミューは、椅子に掛けてあったブランケットを丸め、その中に強めの酒を一本忍ばせて部屋を出た。
 なまじ北国育ちで寒さに耐性があるために、薄着でどこへでも行ってしまう男を捜しているうちに、24時が目前に近付いていた。何度も城内外を行き来してそれらしい場所を探しても、まるで宵闇に溶け込んだかのように、青い姿はどこにも見出すことが出来なかった。
 城外を一周し、それが徒労に終わって、カミューは途方に暮れた。信じてもいない神に祈る気持で天を仰ぐ。
 すると、星よりも近い場所で、何かが鈍く光った。一瞬の光を目で拾い、カミューは目を凝らしてその方向を見た。闇に包まれた屋上に、うっすらと人影を見た、気がした。
 影は一瞬だけ塀から顔を覗かせて消えた。
 カミューは懐から懐中時計を取り出した。屋上に上がって、それが徒労に終われば、近年稀に見る間抜けな新年を迎えることになる、それくらいの時間だ。
 だからといって無難に騒乱に参加して馬鹿騒ぎの新年を迎える気にもならない。一か八かだと、カミューは城内へ駆け込んだ。
 そして、カミューは今年最後の賭けに勝った。
 
「全く、この騒ぎで見つからなかったらどうする気だったんだ」
 笑顔一つで誤魔化されそうになったカミューは、挫けそうになる自分の不満を奮い立たせるべく、故意に不機嫌な声を出した。
「…その心配はしなかったな」
 だが、カミューの心を知ってか知らずか、マイクロトフの返答はあどけない。
「カミューなら、俺を見つけるだろうと思ってたな」
 聞きようによってはとんでもなく惚気に聞こえる台詞を、マイクロトフはさらりと告げた。酒豪の類に入るマイクロトフも、少し酔っていたのかもしれない。
 だが、直接攻撃をクリティカルに受けたカミューは、塀の上にへたり込んだ。そもそも、マイクロトフ相手に不満を託ち続けるなど、所詮カミューには無理な芸当だったのだ。
 ぐしゃぐしゃと髪を掻き毟り、多少恨みがましい目付きで隣のマイクロトフを見上げる。
「ん、どうした?」
 上機嫌で小首を傾げるマイクロトフは、細めた目元が仄かに紅く染まっている。一人で拗ねているが馬鹿馬鹿しくなり、カミューは溜息一つで鬱屈を振り払った。
「…なんでもないよ」
 背筋を伸ばし、気を取り直したカミューは、再び懐中時計を取り出した。新年まで、あと1分少々といったところだった。
 先程までの奔走を本当に無駄にするところだったと安堵しながら、カミューは懐中時計をマイクロトフに見せた。二人で肩を寄せ合い、子供のように懐中時計を覗きこんで秒針を見つめる。

 10、
   9、
     8、
       7、
         6、
           5、
             4、
               3、
                 2、
                   1。
 

 長針と短針と秒針が、12の位置でピタリと重なった。
 一瞬の邂逅を経て再び離れた針を見届けてから、二人はどちらともなく顔を上げた。
「新年、おめでとう」
 先にそう告げたのはマイクロトフの方だった。
「…おめでとう」
 返したカミューは、そっと顔を寄せると、触れるだけの口付けをマイクロトフに贈った。家族が交わすような穏やかなそれに、マイクロトフは目を瞬かせた。
「今年、最初のキス」
 悪戯っ子の笑顔で教えると、マイクロトフが少しだけ困った表情で、カミューの額を小突いた。
「馬鹿」
 世界一優しい罵倒を受け、カミューは歯を見せた。
 その時、下界で一際大きな歓声が響いた。遠吠えのように連呼される「おめでとう」の言葉に、二人は顔を見合わせた。
 マイクロトフが、自分の懐を探って時計を取り出した。シンプルな細工を施した、銀色の蓋を開く。
 0時を、10秒ばかり回ったところだった。
「進んでいたのか…」
 自分の時計を握りしめたカミューが愕然と呟くのと同時に、マイクロトフが腹を抱えて爆笑した。呼吸さえ苦しそうなその様子に、カミューは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。負け惜しみさえ浮かばず、残酷な笑声に背を向けた。声が徐々に勢いを失い、やがて後を引く呼吸の音に変わっても、振り向く気にはなれなかった。
「カミュー」
 だが、呼ぶ声とともに肩に手を置かれ、カミューは渋々と首だけを後ろに向けた。
 思いがけず近い位置に、マイクロトフの顔があった。意表を突かれて思考を停止させている間に更に近付いた顔は、唇に暖かさを一つ掠めて唐突に離れた。
「今年、最初だ」
 呆としたカミューに、マイクロトフは左の口角だけを上げて見せた。ひょいと屈んで足元の酒瓶を攫い、昇降口に向けて一人で歩き出す。
「下で、飲みなおすぞ」
 素っ気ない口調。だが。
 暗がりではあったが、星の光に浮かんだその首筋の薄紅を、カミューは確かに見た。
「は、ははっ」
 腹の底から込み上げた情動は、笑声になってカミューの口からあふれ出た。一頻り笑った後に、カミューはマイクロトフを追って駆け出した。

 よく考えたら、最初もなにもないのだと。二人が気付いたのは酒場に辿り着く直前だった。
 最初も最後も、この相手としかしないのだから。

                                            終



 
 
ひげ王様から寒中お見舞いとして頂きました\(≧▽≦)/。年越し赤青です。ひげ様の書かれるちょっと振り回され気味の詰めの甘い攻赤というのはめっさかわいくて大好きです〜。
年最初のキス。でも最初も最後もないっていうのがもうのたうち回るほどいい感じですね。お互いしかいないのです〜萌え!!

ひげ様!!新年早々素敵な萌えをありがとうございました〜\(≧▽≦)/

(2003.2.21 ほむら)