Lykaris
リュカリス

 

 


 

堅物で有名な親友であるこの青騎士団長のことを、カミューは『酒は飲んでも飲まれない』奴だとずっと思っていた。
まさか、彼の酒量が一定を超えると、こんなに分かりやすく潰れるとは。
今目の前で酒場のテーブルに突っ伏して半ば寝ているのが自分の探している人物だと、にわかには信じがたい。
しかし、その艶やかな黒髪も、固く閉じられた少しかさついた唇も、意思の強そうな眉も、全てが間違いなくこのマチルダ騎士団領における三色の騎士団の一つ、青騎士団を束ねる団長マイクロトフのものだった。
何故、カミューがこんな場末の酒場で酔いつぶれた親友を目の前に腕組みをしているかというと。
ご丁寧にも『あと三刻経って自分が戻ってこなかったら、赤騎士団長カミューにいつもの酒場まで向かわせるように』という伝言を、マイクロトフが自らの部下に申し渡していた所為で。

「マイクロトフ、起きろ」

肩を揺らすと、うう、と呻き声を漏らす。
半開きになった目が、ゆるゆると焦点を定めようとしばらくさ迷う。
ようやくカミューを視界に認めたのか、マイクロトフは得意げな子供の表情で、にいっと笑った。
完全に酔っている。
カミューは頭の痛い思いで、自分のこめかみを押さえた。

「おっしゃる通りに迎えに馳せ参じましたよ。…さ、帰るぞ酔っ払い」

わざとらしい慇懃無礼な口調も、アルコールに溶ろけたその鼓膜には、届いているのかいないのか。
突っ伏した姿勢のまま動こうとしないマイクロトフの両肩を後ろから掴んでテーブルから離し、上体を起こさせる。
ぐらぐらと揺れる身体は、カミューが支えておかないとすぐに元のうつ伏せた格好に戻りそうで、危なっかしい。

「マイクロトフ。おい。起きろって」

「起きてるではないか」

不意にまともな返事が返ってきた。
が、まともに身体を起こす力はないようで、上半身は不安定にぐにゃりと曲がり、背後に立っていたカミューの赤い騎士服にもたれかかる。
そんなわけで、カミューはマイクロトフの両肩を支えている手を離せない。
やはり、酔っているのだ。

「…半分だけだろう。一人で立てないくせに」

そんなになるまで飲みたいと、彼に思わせる出来事なら心当たりがある。
白騎士団長ゴルドーとの、意見の相違による言い争い。
ある種慣例化された感の否めないその光景は、毎回ゴルドーの一方的な命令で締めくくられる。
後に残されるのは、『命令』という単語に言葉を封じられたマイクロトフが作る、握り拳だけ。
大体、彼ら二人は思想思考が根底において180度違うのだから、意見が対立するのも当然なのだ。
しかも、どちらも妥協という言葉を嫌う。
そんな所は似ていたりするのに、と、カミューはため息をついた。
唯一その狡さを含んだ言葉を知る自分が常に場を仲介していなければ、本当にどうなることだろう。
あの剣と信念と正しい騎士の魂だけで上へ上がってきた男の末路が、上司への反逆罪だと思うとどうにもやるせない。
そんなことにならないように、カミューは笑顔と形骸的な台詞を駆使して、白と青の騎士団長がぶつかり合うのを阻止する毎日だ。
騎士団領を唯一と考えるゴルドーと、騎士団に関わらず助けを必要とするもの全てを大切にしたいと願うマイクロトフと。
彼らの考えの違いは根が深い。

ただ、今日の論争は本当にいただけなかった。
カミューは昼間に起こった、上層部会議で二人の騎士団長が言い争う光景をまざまざと瞼の裏に再生した。
ハイランド軍からの難民の受け入れようとするマイクロトフと、あくまでマチルダ領民だけを守ろうとするゴルドー。
両者が譲歩という言葉の存在を思い出さない限り、会話は平行線を辿る。
さすがのカミューも間を取り持つことが出来ないくらい、二人の意見は真っ向から対立した。
しかし、やはり今度も最後にはゴルドーの『命令』によってマイクロトフの言葉は黙殺される。
毎回ああも理不尽に論議を終結させられるのだ。
マイクロトフの鬱憤も溜まるであろう。
最近は特にその傾向が強くなった。
ゴルドーには、そうするしか論争を終わらせるきっかけがないのだ。
マイクロトフの言い分を退けるだけの強固な、そして正しい理由がない。
騎士として、人として、彼の言葉はいつだって正しい。
正しい言葉。
正しい生き方。
―――正し過ぎるのだ。
この男の『弱きものを守りたい』という気持ちが純粋であればあるほど、その純粋さを疾うに失った者には苛立ちを誘うだけであろうということも、カミューには分かる。
光を発する者には、自身の光の眩しさなんて知る由もないだろう。
その光を直視できないものの気持ちも。
光を遮る者にもまた、遮断された光の気持ちなど分からない。
どこまでいっても、平行線だ。
分かるのはただ、それだけ。
どうにもならない。
そのことが分からない男ではないマイクロトフが、今夜のように飲まずには
いられない気分になるのも、カミューには分かりすぎるほどであり。
そういう訳で、彼が部下に託した伝言を受け取った後、すぐにこの酒場へと
足を向けたのだ。

「帰るぞ、その為に俺を呼んだんだろう」

とりあえずこのだらしない格好をこれ以上人目に晒すには、彼の肩書きに持つ地位は高すぎる。
カミューは弛緩した親友の重い身体を、担ぎ上げるように背に乗せた。
人間の身体とは、このように重いものだったかと、踏ん張る足に力を込める。
勘定を済ませようとすると、店の女将に手を振って断られた。
既に十分なお代をいただいていますから、と。
似合わない親友の周到さに、カミューは眉根を寄せる。
準備が良すぎるのも、気味が悪い。
何もかも忘れたくて飲むのではないのだろうか、この男は。
思わず背に担いだ男の顔を覗きこもうと、振りかえる。
最初見えたのは旋毛だけだったが、気配を読み取ったのか、マイクロトフは顔を上げた。

「すまない、カミュー」

口調だけはしっかりしている。
だから一見、酔っていないように見えるのだ。
飲む前も後も、変わらない気遣いを見せて。
一体、彼はいつ忘れたいことを忘れる暇があるというのだろう。
酒の力をもってしても、彼に一時的にすら世のしがらみから解き放たれる瞬間がないのは、どういうことなのだ。
どういうつもりでアルコールを口にしているのか、理解に苦しむ。
酔うなら気持ち良く酔えばいい。
何も考えずに。
それが出来ないなら、どこで気を抜いているんだ。
今気を抜かないで、いつ抜くというのだ。

「…本当に、すまない」

ぽつりと背中に呟きが落ちた。
酔っている人間にしては、明瞭過ぎる口調。

「俺はいつも、おまえに迷惑をかける」

「…そう思うならもう黙ってろ。
この俺が連れて帰ってやってるんだ、何も心配することはないだろう」

「ああ、あてにしてる」

「一つ貸しだ」

「ああ、今度一杯奢らせてくれ」

予想外に、するりと返事が返って来た。
ということは、カミューがこう言い出すのを予測していたというのか。
借りを作りたがらない彼の性格は、熟知している。
だから後の責任は全て取るつもりで、最初から全て準備していたのか。
世話になった後のことまで考えてから、自らの杯に酒を注ぎ足す白い手。
そんな覚悟付きの夜なら、何の安らぎにもならないのではないのか。
カミューが彼のために何かをするということ事態が、マイクロトフの想定内の
出来事だなんて、腹が立つ。
後片付けまで自分ですることを想定してから散らかすタイプだ、この男は。
そんなことは、酔いから醒めた後で考えればよいのに。
一時的にも世の面倒を忘れるために酒精に頼っているはずなのに、彼は「忘れる準備」を忘れたためしがない。
酒を飲む前も、飲んだ後も。
おそらく飲んでいる最中さえ。
彼のそんなどこかに残る冷静な部分を、苦々しく思う。
こんな時くらい、なにも考えずに酔えばいいものを。
自分の前くらい、その堅苦しさを解けばいいものを。
分かっているのだ。
彼がそういう性分だということは。
今の事態が彼の最大限の甘えだと知っていても、もどかしさは消えない。

「…重いか。こんなことなら最後の杯は控えとくんだった」

背中でもごもごと声がする。
背負われて運ばれるとは思っていなかったらしい。
マイクロトフの予想内のカミューは、せいぜい肩を貸す程度か。
そう思うと、ようやくマイクロトフの意外に周到な心積もりを出し抜くことができた気がして、カミューは少し嬉しかった。
しかしそれを表情に出すようなことはしない。

「…そんなこと気にする余裕があるなら一人で歩け」

「すまん」

「謝るな。謝られると貸しにならないだろ」

思ったより低い声が出た。
その声音に何かを感じ取ったのか、マイクロトフは何も答えなかった。
気配が余りに静かだから、眠ったのかもしれない。
背中で気を使われるよりは、いっそ眠りの国に旅立っていて欲しかった。
彼に謝られると、歯がゆくなる。
こんな時くらい何も考えずに、自分に頼ってくれればいいのに。
カミューに迷惑をかけることで、却ってそのことを気遣ってマイクロトフはまた自らを苦しい場所へと追いやる。
自分はこんなに彼の存在に寄り掛かっているのに、彼の方は自分の背にその全てを凭せ掛けてはくれないのだ。
今のように酔いつぶれている、一時の間さえ。
そんな彼だからこそ自分は大切に想うのだと知っているのだけれど、それでも今は。

「マイクロトフ、寝たのか」

そっと呼びかける。
耳を済ませると、小さく寝息が聞こえた。
その安らかな様子に、カミューは知らず止めていた吐息を吐き出す。
いっそ、心をどこかに置いてきてくれたらいい。
空っぽになって、その身を預けてくれたなら。
自分はどんな彼をも、受け止めるつもりでいるのに。
差し伸べた手は虚空を掻く。
それでも自分は、何度でも彼に手を差し伸べるだろう。
その手をとってくれる日が来ないことを、知っていて。

(馬鹿だな、俺は)

自嘲の笑みが、薄く唇に乗せられた。
店の外に出ると、途端に氷の破片を含んだ風が、肌をかすめて吹き抜ける。
秋口だというのに、ロックアックスではもう雪が降り始める季節なのだ。
背負った男の、青い騎士服越しに伝わる体温が高い。
アルコールの所為だと分かっているのに、その熱い吐息が耳を掠めると胸の暗い部分で何かががざわめく。
人通りのない石畳で出来た坂道を、ロックアックス城へと向かう。
歩を進めるうち、徐々にずれ落ちてくるマイクロトフの身体を、時々背負い直しながら。
その重みを手と背に覚えさせながら、石畳で出来た道を踏みしめる。
ゆすり上げる度に視界の端で揺れる、投げ出された腕。
今この瞬間だけ、弛緩した彼の身体は自分の自由なのだ。
眠っているからこその、無防備さ。
それを預けてくれているのが、彼の自分への信頼感からだと分かっているから、尚更背中の温もりが胸に痛みを伴って沁みいる。
見上げれば、月のない空。

「寒いな…」

星々が透き通った空気に、囁きにも似た瞬きを繰り返している。
夜の空気に、自分の吐く息と彼の吐息が白く薄い煙のように溶けていくのを、カミューは目を細めて見送った。
 
 
 
 
 
 

北の空の女神にでも、預けてきてくれないか。
その心。
その愛しき魂を。
そうすれば、今背中に全体重を預けてくれている空っぽの身体だけでも、
つかの間に手に入れたと錯覚できようものを。
 
 

END


『TEAR TEARA』のやよいひなせ様に頂きました。切り番SSですvvv
当時は申告制キリ番だったのですよね。おかげで相当むちゃくちゃな
申請をした覚えはあります(爆)それを快く受けて下さってこんな素敵な
SSを下さいました。リクテーマは『青様に甘えられる赤様』
寄っかかりきらない大人の甘え、そこがもどかしいカミュー様。
ちょっと切ない関係がおいしすぎます。それに酔っぱらって背中で
寝てしまう青様が…想像するとものすごくかわいいです〜。

本当に素敵なSSをありがとうございました〜。
無茶な申請をして…よかった(おい)vvv

(2002.1.24 リオりー)