Memento・Mori

夕暮れの風が吹き抜ける…。

夕焼けが血の色に見えるだなんて誰の言葉だったろう…。
夕焼けの色、バーミリオンはあくまで黄金色の光を宿して
その光を闇の中に溶かし込んでいく。
枯れ草すらも実りの穂のように輝かせる、鮮やかな朱金。

血はもっと赤く、紫色でどす黒い。

ふと自分の手に目を落とすと深紅に染まっていたはずの服が黒く変色し
ところどころぽろぽろっと剥がれ落ちる。

かさぶたみたいだ…。

身体から切り離された生命の流れの証なんか、こんなふうにあっと言う間にもとの面影を無くしていく。
足下に転がる人の身体ってそうだ。
息を止め、熱を無くした身体は幾重にも折り重なってドス黒く、もしくは妙に真っ白で
すっかり泥土につかり、何がなんだかわからない状態になっている。
放っておけば2,3日で腐り虫や獣の餌になり土に帰り、人としての跡形もなくなるんだろう。
それが必ず最後にたどる道ならそれでいい…
自分も最後にはそうありたいと思う。
でも、いまその死の痕跡を見て思うことはきっと違うこと。
彼らは数刻前は同胞であり、敵という名のものであり、またそれにふさわしい人だった。

どれくらい自分はここにこうして立っているのだろう。
ふとマイクロトフは現実の時間に目を向ける。
激戦がこちらの勝利で終わったのは昼もずいぶんすぎた頃だ。
だからたいした時間はたっていないと思うが風は刻一刻と冷たくなり、空の朱はいっそう深くなる。
なぜこんな言いようのない空気を疲れて空っぽの身体につめこんで
何をするでもなく、自分は立っているのだろう。
悲しいわけではない。
惜しんでいるのでもない。
一歩間違えれば自分もここに転がっていただろう。対等の立間で正々堂々戦った。
おかしな同情の類はいっそ戦士としては相手に失礼だし、自分も死んだ時、相手にそんなマネはして欲しくない。
あるとすれば志半ばで散った同胞への哀悼。
正々堂々たたかった敵への尊敬と…。
どれも違う気がして息を一つ吐き、朱色の空を仰ぎ見る。
 
 

「マイク、やっぱりここにいた」
「カミュー?」
「マイクはよく戦いの後戦場にいるからね」
「……そうだったか?」
邪魔をしたくはなかったんだけど…
そういってひょいっと死体を乗り越え隣に立つ。

「まったく…そんな状態でいつまでここにいるつもり?」
「そんな状態?」
「めいっぱい戦ったくせに着替えもせず、怪我の手当も泥を落とすこともしない…」
「そんなにひどいかな」
「鏡がないのが残念だね。そんな姿見たら女子供は絶対泣くってくらい見事な恰好」
服服も肌も、髪も何もかも、どす黒く血と泥で迷彩され、不揃いに固められている。
苦笑する。
確かにかなりひどい恰好だろう。
これで城に帰れば即、湖に投げ込まれそうだ。
でも、カミューの方も実は大差ない恰好をしている。
「お前もな…」
「顔と手は洗って、傷の手当はしましたよ?」
それだけでも全然違うでしょう?と自分の顔を指さしてみせる。
言われてみればそうかもしれないけれども、髪は乱れっぱなしで
マントは破れている、服も泥だらけだからやっぱりたいして違うようには見えない。
戦場でこぎれいでいるようならそっちの方が間抜けだが…。

「マイク、せめて、傷の手当ぐらいはしなければ」
「一応、手当はしてある」
ひらひらと目の前で振られる左腕には無造作に布が巻いてある。
戦中の傷をふさぐだけの手当だろう、すでにほどけかかり風に幾筋かの白い波を描く。
「そんな応急処置だめだよ」
「まだ医務室にはこんな傷よりもっとひどい連中があふれかえっている、
この程度ならまだ、後で良い」
カミューは特にそれ以上何も言わずにマイクロトフの左腕を取りせめて、とばかりに
ほどけた布をまき直していく。
手当も終わらないうちに再び戦場に飛びこんだのだろう。
布は黄色く変色しあちらこちらにどす黒い血のシミが、固まりがこびりついている。
同盟軍きっての戦士。勝利を導く青い戦神。
今日の戦場での彼はまさしくその名の通りの働きをした。
青い長衣を血の色に染め、常に激戦区のただ中にいた容赦なき殺戮者。
その痕跡を体中に色濃く残したまま、こびりついた血でところどころ固まった髪を風に遊ばせ
遠くを見る…。
どちらも、いつものマイクロトフとは違う生き物のようだ。
 

「ずいぶんと閑散とした場所だな」
「戦場がごみごみしていたら戦え無いじゃない」
人と血の臭い、怒号で埋め尽くされていた草原は戦いが終わってしまえば
何もないやたら見晴らしの良い、荒れ果てた地。
「こんな所にいたら死霊に食べられちゃうよ?」
「俺が殺した奴の死霊か、俺が倒したときより強くなっているかな」
いつもはその手の話を苦手としているのに
「どうかな、私は生きている人間の方が強いと思うけどね」
「おまえらしいな」
「とはいえ、この死体の数全部でられたら多勢に無勢かも…」
「死霊の軍隊か…大将は誰だ?」
「死神…かな」
「じゃこちらには来ないな…」
死に神の相手は生きている人間じゃないから。
何がそこにあるのか、マイクロトフは荒地の遠くをぼんやり見つめたまま
動こうとしない。
話も耳に入っていないようで…。
 

「帰ろう…マイク」
「もうすこし…」
「本当に死霊に魅入られるよ」
「本当に出るなら会っていかねばな」
「珍しい…そういうの大嫌いじゃなかったっけ?」
「死霊がでるとして…恨み言を聞くのは、俺だろう?」
「………」
「勘違いするなよ、別に後悔してるとか感傷に浸っているわけではないぞ」
人を殺すのが商売な人間がやることでもないだろう?
血糊のこびりついたままの顔ですこし笑う。
「別に良いんじゃない、悼むのも感傷に浸るのも、後悔するのも…
それで足を取られるのではなければ…」
後悔しない人間よりは好きだよ?そう笑い返して肩をすくめる。
好きだけれども…ね。
でも自分の知らないところでこんなふうにいて欲しくない。
そんな言葉は曖昧に飲み込み、もう一度帰ろう、という。

帰ってきて。
どこから?

「今帰っても、笑えない?」
砦に帰れば勝利の祝賀会にかこつけた大騒ぎが待っている。
今回の戦いでは、飛び抜けた活躍をした
草原の戦いに利のあるマチルダ騎馬隊、特にマイクロトフが
担ぎ出されるのは目に見えている。
疲れも感傷も腕の傷すらも無かった振りをして豪快に笑い、勝利の凱歌をあげなければならない。
それが勝利した側の大将のつとめだろう…。
自分も、彼も…。

「笑えるさ。そうではないと言っているだろう?」
マイクロトフはほんの少しぎこちない笑みを作り
少し伏せ目がちの相手の顔をのぞき込む。
「じゃぁ、早く帰ろう!」
「カミュー」
「ここにいたって良いことなんか無いよ。みんなもきっと待ってる
だから…」
頑是無い子供のような言い方。マイクロトフの方がすこし驚く。
「感傷はおまえの方じゃないのか?カミュー?」
「……帰ろう…」
のぞき込んで初めて気付く、初めて合った視線は優しげな口調とは裏腹に
切なげにゆれていて…
「カミュー?」
目線が合った瞬間、怪訝そうにさしのべた手は強くひかれ
マイクロトフは腕に中にだきこまれた。
そのまま深く口づけられる。
「カ……!」
深く口づけて一端離され、また噛みつくように幾度も奪われる。
一瞬場所もわきまえないいきなりのキスに驚くが
触れる唇の思いがけない熱さにマイクロトフはそのまま全ての抵抗を投げ捨てた。
わずかに唇が離れる瞬間にからみつく視線があまりにも切なくて
細かく、荒っぽい、息を乱すためのキス…
 

「カミュー…?」
一時の激情が過ぎてほんの少しだけの距離で解放される。
「気にしないでくれ…本当だね、ちょっとした感傷。」
息のかかる位置を保ちながら、泣きそうに切なげな目で悪戯っぽく笑ってみせる。

生きているね…
生きているね…

本当にひどい感傷。

マイクロトフが自分にはわからない痛みをかかえて戦場を見に行くのはよくあること。
いつものように探しに行って、でも邪魔をする気はなく、しかしその光景に息が止まった。
戦いの傷と返り血の痕跡を纏い、無数の屍の上に表情もなく、でも毅然と立ち、
遠くの朱と闇の境目をじっと見続けるその姿。
まるで生と死の境目を見続け、勇者の魂を読みへ導く、孤独な戦神。
飲み込むように包み込んでいく夜の闇の帳が彼を包んだらそのままいなくなってしまいそうで
思わず名前を呼んで強引にこっちに向かせた。
でもマイクロトフは相変わらず荒れ地の先を眺めていて…
たまらなくなって場所もわきまえず唇を奪った。
ふれた唇のあまりの冷たさに幾度も口中を荒らして熱を探した。
離れて冷たい夕暮れの風が熱を散らすと、もう一度、もう一度と何度でもその証を探すために
相手の意志などお構いなしに口づける。
荒っぽく
泥臭い…
沢山の無惨な死とその証をみせる無数の屍の上で、
血の味のする熱に、吐息に生を確かめる。

帰ってきて
帰ってきて

どうしようもない焦燥。

そんな所に一人でいないで
私の所なら、無理をして笑わなくてもかまわないから…

何一つ持たない子供が母親にすがりつくような、何一つ替わりのもてない…
逆らえばこの死体の山の上に引きずり倒し血と死肉の泥土に身を沈めても
その生の証を貪らずにはいられないだろう…
やがて不意に相手が思わぬ強さで抱きしめ返し、そして吐息を奪い返してくれる。
「マイク…?」
「お前は…暖かいな」
決してその熱の届かぬ範囲から離れぬような距離で掠れた声が返る。
間近にある深い黒い瞳が初めて…真っ直ぐにカミューを映す。
泣きそうな声なのは気のせいではないだろう…。

わかってくれたのだろうか…
それともお前も?

「おまえは少し冷えちゃっているね。こんな所にずっと突っ立っているからだ」
生きているからね、とは言わずにとがめる言葉でもう一度引き寄せる。
今度はマイクロトフは間違いなく方に腕を絡め答えてくれる…
いや自分から触れにきてくれる。

おまえも私の生の証を望んでくれる?
私の熱を渇望してくれる?

「本当に後悔はしていないんだ…」
マイクロトフは決して自分からは離れようとはせずに囁くように呟く。
「…………」

神ならぬこの身…避けられない道も多い。
どちらにしろ通らなければならない道というのなら
この生業につく身としては、自分の手でできたことを誇りに思う。
「それでも…俺は自分がしたことを、血を、命を、この道を忘れたくないんだ…」
ここにいた理由はただそれだけ…
といってちょっとだけ笑ってみせる。
「それなのに…な」

山のように築いた死体の上で幾度となく…
自分一人のためにたった一人の熱さとつながりだけを望み…そうしてかなえる…。
ふれる吐息は罪悪感の欠片もない…
でも血の臭気そのままの味がして…。

最悪の歓喜。

「もうすこし暖めてあげようか?」
声が悪戯めいているのはなんなのか…。
「ここでか?」
「なら、もうそろそろ帰ろう?本当に冷たくなりそうだ」
「死霊が出てくるまで待って恨み言を聞くんだろう?」
「…まったく、本当にこの血泥の中に引きずり倒したくなった」
「それは勘弁願う」

泣き笑いのような…
いや泣くようなことなど何もないような最悪の精神状態。
何もかも下に踏み敷いて…

たった一つだけ腕の中。
 

冷たくなっていく風は、ここにあった熱の痕跡も微かな命の痕跡も吹き払い、
ずっと前からこのままで何一つ変わっていないような錯覚を与える。
少しずつ暗くなってくる夕焼けの朱色は相変わらず血とは無縁の赤銅色に近い黄金を履き
ただ、影だけが流された血のように黒く長く大地にのびる。
足の下に敷いたはずの、その血に埋もれないよう強く抱きしめて…
「つっ!……」
「あ、ごめん、腕の傷忘れていた…」
みると布に微かに新しい血のシミが浮かび上がってきている。
少し開いたらしい。
「はやく、帰ろう?」
「もう少し…」
「傷が痛むだろう?」
「いいから!」
「……………」
「痛いのは…傷なら痛くてもいいんだ…」
生きているから…
そう聞こえた気がして
「ああ…」
「痛いのはかまわないから、もう少しだけ…」
側に…
側にいるから微かに聞こえた声に
もう一度強く抱きしめる。

明日になれば勝者である同盟軍によって略式ながら合同葬儀が開かれる。
遺体は片づけられ、持ち物は身内に帰されるためにはがされ
遺体は一カ所に荼毘に付されるだろう…。
そうしてこの地もとの何も無いまま
「ここを…戦いの傷をを忘れないようにしようとおもって…いただけなのに…」
「うん?」
「なんだか変に嬉しいばっかりなんだ…」
おまえが…暖かいからだ、ばかもの…。
最後の言葉は泣きそうで、枯れ草をならす風にかき消されそうなほど微かだったから…

「…そうだね、もう少しだけこうしていてあげる」
「本当にお前が来るまでは、ちゃんとそういう風にここにいられたのに…」
嘘だ、さっきまでの戦場での自分は、
空っぽでなにももてずに呆然としていただけだと思う。
「私も見ているから…」
だから、そんな風に言わないで欲しい。
「うん…」
「やっぱり恨み言はちゃんと聞いておいてあげないとね」
誰の恨み言?
俺の?
カミューの?
言うべき言葉はこの体温がすべて。
泣きたくなるのも、泣かずに済むのも全部回してくる腕のせい…。
その腕の強さに引かれるように首に顔を埋めてみても
空っぽだった中味はいまやそればっかりで…。

「一緒ならここにいてもいいよ…?」
さっきは死の境目にいるようなマイクロトフを何としてもつれて帰りたかったけれども
今はずっとここにいてもかまわない。
ここが死と生の分かれ道でもその先の暗闇でも…。
こうして腕の中に彼ひとつだけあるのなら…。

「どうしようもないな…本当に…」
腕の中で確かに彼は笑ったようだった。
ひどい笑い方だな…
そう思う自分もきっとひどい笑い方をしているのだろう…。
「ホント、最低」
ここならば笑わなくてもいいのにね…。
 

黄金色の黄昏は終わりは、瞼の裏に一筋だけきらめきを残して。
そして跡形もなく消えていく。
もう自分の表情すらわからないであろう闇が降りてきていたけれども
それでも何一つ消えないで…
 

もう、遠くを見ていてもかまわない。
ここがどこでも、もう見えない…。
恨み言ならいくらでも…。
 

 
〜終〜
 


交換会用に書いたSSです。
お題は「喜怒哀楽」
悩んだ末にこう壊れました(笑)
壊れずにはすまないらしいです…最近。
Memento ・Moriは某バンドの曲でもありましたが
「死を思え」という意味らしいですね。
この分の説明で良く覚えているのが
「死を感じて初めて人は生きることの重さを知る
この言葉はおごれる生者への警告である」
でした。
で、これかい…ええ…これなんです(笑)。
あたってしまいました『雨模様』の氷雨様…
もうしわけありません〜(脱兎)

(2000.11.3 リオりー)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

おまけの挿し絵(笑)