Black Bird



 
 

 
 夢を見る…。
真っ暗な闇の中もがく夢。
前に進みたいのに前に進めず
声を出したくてもそれも叶わず…
粘着質の闇が呼吸すら塞ぐような夢。
のがれたくて……でもどこへ?
何かを叫びたくて
 

…でもなにを?
…そして誰に?
 

背中ばかりを見ている気がする…。
 

「…マイク……」
「………」
「マイクロトフ!!」
 マイクロトフが、ハッと目を開けるとそこは見慣れた天井とあまりにも見知った友の顔。
「…カミュー…」
 暗い夢から抜け出してやっと出せた声は弱々しく掠れていたりするから
「大丈夫か…?」
 心配をかけてしまったらしい。
忙しい執務の間をぬっての二人の時間。
ただ隣同志で寝ることだけでもと…、でもそんなことすらも望むことが難しい日々。
こんな姿など見せたいわけではなかったが。
 

「うなされていたか…」
「ああ…歯を食いしばって苦しそうにしていたから…おこしてしまったのだが…」
「礼を言う…夢見が悪かったらしい」
 こういう時に隣にいてくれて…
そういう意味を込めてかすかに目を笑みの形に細める。
ありがたいとも思うが、忙しく身体もつかれているであろう時に起こしてしまってすまないという、そんな表情。
息を吐いてみれば身体はひんやりと冷たくなっており
だいぶ汗もかいたらしい。寝間着がじっとりと水分を含んでいる。
カミューは黙って柔らかいネルの着替えを渡す。
マイクロトフはゆっくりと冷たくなった寝間着を脱ぎそれで汗を拭きそしてやわらかな着替えに袖を通す。
暖かい香りに顔を埋めるように新しい着替えに頬をよせれば、それは現実らしくあたらしい毛糸の匂いがして子供みたいに安心する自分がいる。
「夢?」
 その着替えを手伝うように手をのばしカミューはさりげなく尋ねる。
「ああ、コールタールの夢」
「コールタールが何で悪夢になるんだ?」
「空気がコールタールだった…」
 ねっとりとまとわりつき離れることのない。
しがらみ以上にしがらみのように…。
「なるほど…それは悪夢だ」
「声も出せない…必死でもがくんだがどこへも行けない…」
 足を取られる。
体が重い。
呼吸をするために口を開けることすら許されない空気。
それでも息をしなければ死んでしまう。
目を開けなければ心が死んでしまう。
だからもがく。
でも、何もつかめない、誰もいない。
何もできない己の弱さに歯がみすら出来ずに、捕らえられてもしかしたら自分は泣いていたかもしれない。それほどに己を蝕むような黒い感触。
起きた今でも身体の関節が軋んでいるようで、マイクロトフは着替えの端をぎゅっと手のひらに握りこむ。

「………」
 思い返せば馬鹿馬鹿しい夢だな、そう笑うマイクロトフの言い方は
本人が気付いてはいないようだが痛ましさがにじむ。

夢判断をするまでもなくこの夢の意味するところは明白だった。
相次ぐ小競り合い、騎士団内部の個人的利権による内紛。
救えない人々…いたずらに情熱だけが空転して…。
理想を見据えただがむしゃらに進もうとするマイクロトフに、
くだらない目先のことばかりまとわりついて何一つ実になることが
できないこの状況は首を絞められるの等しいだろう。
 

「ほーんと、くだらない夢だね」
 しかしそのことを口にするでなく、
その場限りにしかならないだろう慰めを与えるでもなく
カミューはその汗でしめった頭をそっと抱きしめるようにして、そして笑い飛ばした。
「おいおい、人の夢だとおもって…」
「だってそうじゃない?動けないときは動かないでおとなしくしておくものだよ」
それをもがくから体力消耗するのだ。
「災害時の基本がなってないね、マイクロトフ」
片目をつぶって妙にうまい上官の口まねに、おとなしく腕の中でじっとしていたマイクロトフは吹き出した。
「それからちゃんと回りを見て…」
 お前1人じゃ無いんだから…
おどけた言葉に滲む心からの言葉。
浸食されて冷えた心が体の温もりと共によみがえるような感覚にマイクロトフはほうと一つ息を吐く。
そうしてみてずいぶんと自分に力の入っていたことに気付く。
関節はかちかちで手足の先はずっと何かを握りしめるようにしていたからやっぱり冷たくなってしまっている。
浸食された世界にそれでも灯りを掲げてくれるひと。
 

いてくれてよかった。
起こしてくれてよかった。
 
 

何て自分は弱いんだろう。
相手を守りたくて、回りを少しでも救いたくて。
でもこんな夢にすら、自分にすら勝つことも出来ずに浸食をゆるし
カミューに迷惑をかけているなんて。
”回りを見て”なんていわれなければ気付けない愚かしさ。
それはここにいるからという彼の合図。
その言葉にこめられた無上の優しさ。
もがくことしかできない自分にくれるたぶん最上の。
自分は彼に何もできやしないのに。自分勝手に突っ走るしかできないのに。
与えるばかりのこの男の暖かさはなんなのだろう。
いつだって先を見ているような奴で、ずっと先に立つような奴で…。
 

背中ばかりを見ている気がする…。


ああ、どうして夢の中でこれを忘れているなんて不遜なことが出来たのか。
夢とは違う意味で涙が出そうになるのは、きっと凍り付いていたものが溶けるような一つのシグナル。
そしてもう一つの痛み。
「もう大丈夫だ心配かけたな」
 未だ心配げに背中をなでてくれるカミューにもう大丈夫だ告げる。
せめてこれ以上心配をかけないように。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫だ、悪夢は終わった」
 それは今だけでまた同じものを見るのだろう…この状況が続く限り。
あれは、自分自身が見せる夢…、すべては自分の弱さから出る弱音。
声を止めるのも、足を止めるのも…。
浸食するのはやはり自分で、それを分かっていても。
「そうならいいが」
「お前が終わらせてくれた」
大丈夫…お前が引き戻してくれるんだろう?
またあの言葉を言ってくれるんだろう。
いっそ愚かな自分のために。
頼り切っている罪悪感に痛む心にも、素直にかけねなく信じられる。
 マイクロトフは目の前の肩にそっと額を乗せて背中に腕を回す。
甘えるような体勢。

 こうやって起きて思い返すと夢というものはだいぶ曖昧で
苦しかったことは憶えていてもどう苦しかったのか、
息の出来ないような感覚すらはっきりと思い出せない。
だから人は深層心理のみせる幻につぶされずに済むのかもしれないのだが…。
目を覚ましてしまうと思い出すのは真っ黒い空気だけで、たいした感慨ももてなく、マイクロトフはやっぱり少し笑う。
そう笑えるのは目の前の男のおかげなのだけれども…。
カミューがいなければマイクロトフはいまだに悪夢から覚めることも出来ずに
もがいていただろう。
己の弱さを許せない、弱さを認めても許さない、その弱さが己を追いつめる、鏡あわせの矛盾。
それはよく分かっている。
だから、彼に向けて笑う。
どんなに悪夢を繰り返してもこの目の前の男がその悪夢を終わらせてくれる。
こうやってもがくしか知らない自分にただ一つ持ち得るもの。
無条件の信頼…。
そしてそれ以上の言葉の代わりに、回した腕で背中をきゅっと捕まえる。
そうすれば、その温もりを抱きしめていればもうあの闇、寒さに浸食せずにはいられるのだと信じるように。
目の見えない自分がそれを無くしてしまわないように。

そう、手放せない弱さが自分を責めるとしても。
すまない…心の中に口に出来ない、そんな氷のひとかけらを残して…。
 
 
 

 カミューはその物言いと態度にちょっとだけ目を丸くしてそして微笑む。
「隣にいるのはいいことだな。うなされていたらすぐ気付いてやれる」
 そして回した手にぎゅっと力を込める。

変わらない手触り。
子供のような柔らかい土と水の匂い。
それを逃さないように、頭に顔を埋める。
 

 このままずっと寄りかかってくれればいいのに…。
 

頭を占める言葉を吐き出すことも出来ずに、カミューはそっと口の中で息をかみ殺す。
考えてはいけないあまりに相手に失礼な感情を卵のようにずっとあたためて
ときおり自分は言葉を見つけられず途方に暮れる。
 

 何もできないのは自分も同じ、回りも同じであっても彼は何一つ責めることはなく…。
ただ目に入っていないだけなのだろうけれども。
 
 

 背中ばかりを見ている気がする…。
 
 

 夢を見る…。
真っ暗な闇の中もがく夢。
それは自分の夢…。
回りは見えない…。
自分は探す。
隣にいるはずの誰よりも大事な人を。
隣にいるはずなのだ…
そうありたいと願って常にこっそりと、しかし努力してきた。
それなのにその人はただ前を見て、隙あらば走り出してしまいそうに見える。
ああ、自分は背中を見ているのか?
それすらも探せずにいるのか?
目を伏せれば浮かび上がる寂しいばかりの情景。

 回した腕にじんわりと熱がしみこんでいく。
着替えた身体に汗で冷えた体温が戻っていくのが分かる。
その熱を与えているのは自分か、それとも彼自身でただ取り戻した熱が自分に伝わっているだけなのか。
前者ならいい。
この腕の世界にいまだけは彼は自分の方をむいているのだと実感できる。
この小さな時間、この小さな世界の中だけでは…。
いまだ汗でひんやりとした頭髪を暖めるようになでてやると
猫のように気持ちよさそうに目を細める。
 

”回りを見ろよ”
…なんて口で言うのは容易い。
カミューの口元が自嘲気味に歪む。
ああこの体勢でマイクロトフに顔が見られなくてよかったと思う。
どうして隣を見てくれないのだろう…なんて
答は簡単。
自分にそれほどの存在感がないからだ。
真っ直ぐ前を見て立っていても、隣に存在を感じることが出来るくらいがきっと理想。
それくらいならばきっとこうやって、言葉に出して横を向かせなくても
あのマイクロトフはマイクロトフのままで安心して前を真っ直ぐ見据えたまま
進めないときも立つことが出来ただろう。
こんなに必死になって1人もがくようなことなんかさせることなく…。
知らず知らずのうちに背中に回した腕に力がこもる。
「…カミュー?」

ああ、回りを見ろ、なんて
隣にいる自分を見ろなんて、何度も口にしてしまえばきっと言葉に自分は負けてしまう。
それは時には彼にとっても必要なことなのだろうけれども。
それでも、自分はこんなにもわがままじみた人間だったか?
なにも気付かないまま背中を押して、
こんなコールタールの状況に気付かせない、
苦しい思いをさせないくらい大きくなれたら。
いつもは偉ぶってみせている、一つ差の年なんてこんな時には何の役にもたちはしない。
隣で存在感を示せず、後ろを押してやることもかなわず、
前に立って先導することもできない。
それなのに真っ直ぐ前を見る人間の首を捕らえてこちらに向けるようなこと。
それは力無き者の暴挙にも似て。
 

「カミュー!」
 はっとして腕の中を見る。
「カミュー少し痛いぞ…」
「あっと…ごめん」
 あわててぱっと腕を放す。
いつの間にか力が入ってしまったらしい。
マイクロトフは顔を上げ心配そうにじっとカミューの顔を見上げている。
何一つ…心一つ逸らすことの許さない目。
いま自分を見ているこの目をこのまま凍らせて閉じこめてしまえたら…
大きな黒い瞳にうつるそんな自分の顔はひどく気弱げで間抜けだとカミューは苦笑する。
「どうしたの?」
私の顔に何かついている?
そう尋ねるとマイクロトフは緩く首を振り、でも目を逸らさない。
言葉に出来なくとも、相変わらずどこか聡いそのカンでなにかを見つけたのかもしれない。
どうしようもない弱さ。
だからかもしれない…こう相手の弱さを捕らえてしまいたいのは。
ああ、自分がもし弱いばかりでその腕がなければ生きていけないほど
寄りかかったのならマイクロトフは別の意味でずっと隣を…こっちを向いてくれるのかもしれない。
そんなことプライドが許すわけもないのだけれども…。

夢を見る。
夢を見せるのはいつも自分。
見るのは願望でなく、現実のもつ真実。
弱さが放つ悲鳴は何よりも強く真実に目隠しをするので、
まばらに拾う現実の断片は、本当は自分に何を言っているのかわからない。
きっと見落としたものばかり。

背中ばかりを見ている気がする…。

相変わらず何かを探すようにじっと目を見られることに耐えられなくなって
目を伏せて唇を寄せると目をぱちくりさせて、それでもおずおずとこたえてくれた。
「さ、もう寝ないと…明日早いんでしょう?」
唇を離しにっこり笑う。
くだらない年上の余裕。
このまま目を見ていたら離せなくなりそうだなんて。
「あ、ああ…」
「大丈夫…悪い夢を見たらまた起こしてあげるよ…隣にいるから…」
そうやって年上ぶるのはなけなしの虚勢か。
どっちが必要としているか何て分かり切った逆転の構図。
額をなでて子供扱いなんて、馬鹿馬鹿しいほどの甘えの代謝機能。
自分の都合ばかりで現実の天秤を支える試みに、今の自分の重さが軽すぎて。
「ありがとう…」
それでも安心したように布団から顔をこちらに向けて笑うので
危ういバランスは決して夢の方には傾かずにいられるのかもしれない。
まだ大丈夫…。
まだ虚勢でも強くあれる。
相手にも自分にも…。
暖めすぎて、もういつ生まれるともしれない卵をかかえたまま、呪文のように呟く。
「どういたしまして」
「そうだよな…」
「何?」
「ちゃんと足元を固めなければな」
「そうそう…先は長いし」
「そうすれば先は見えるかもしれないし」
「状況は変わるかもしれないし…」
あまり意味のなさない言葉を遊びのように投げ合って、マイクロトフはそのまますぅ…と眠りの世界におちていく。
 

名前を呼んで?
闇で目が見えないなら声で。
声が出せないならその温もりで呼ぶ。
ここにいるよ、戦っているのはお前だけじゃないと自分から口にすることは
悲しいくらい難しい。
相手に寄りかかりきるほどの弱さはなく
しかし相手の腕無しでは生きていけないほどに狂おしく。
プライドばかり邪魔をして、伴わない実力に歯がみしても
それでも寄せられる体重を願ってしまうのは…。
 

マイクロトフは眠る。
ただひたすらに眠る。
そうすればこのひとときでも己の弱さをに捕らえられずにすむのだと信じるように。
暗闇からも浸食する世界にも背を向けて。
ただ側にある温もりを探すように時折ゆっくりと手をのばし。
 

月が西の空に沈む。
世界を照らすものが何一つ無くなっても
カミューはあくことなく寝顔を眺める…。
触れもせず、表情すら見せずに、ただ眺める。

子供のような無防備な寝顔を…。
そうしていれば全てのものから守れるというように。
そうしていれば自分が悪い夢を見ないですむのだと。
 

そう、相手の弱さを願わずにいられるのだと信じるように…。
 

    終


 
 

もとはヒロイ様の御本のなかの台詞にひっかかって感想メールの
うしろにちょこっとつけた文だったのですが、その後カミューはこうだよね
とかそういう話をしていましたらそのたびに話しが肥大していきましてこのようなつぎはぎな話しに…(爆)。
ヒロイ様曰く「そうじゃないのよ、カミュー」…まったくそのとおりです。精神的にすれ違いまくっています。自分に自信がなさすぎて、相手を見誤るという。ふふふふ…もがけもがけ(悪魔)

Black Birdはビートルズより。別に黒ツグミというわけではありません(いろいろ訳があります)が、小学生の頃持っていたテープ(!!)についていた訳が一番いまだに心に残っています。

(2001.12.5)