風追い草


「暑いね…」

「…ああ…」

夏の昼下がり。
雲一つ無い真っ青な空。
白く照りつける日差しは地上に存在するものをそこに焼き付けようとするかのように
影を黒くくっきりと浮かび上がらせる。
目の前を夏に見られる蝶がよろよろと横切り
煉瓦の敷石の隙間にけなげに生えている草の上にかろうじてとまる。

風のない午後…。

草木は青く茂り川からひかれた用水路の水は音もなく流れ
道は白い石で舗装され、家々は整然と立ち並ぶ完璧な景観。
なのに足りないものばかり…。

二人っきりで白い道をゆっくりと歩く。
 

世界は白日にさらされたままで
ただ暑く、
そして暑い…。

「井戸があるよ…?水を補給していこう…」
「ああ…」
井戸は綺麗な水をたたえている。
音を立てないようにそろりと桶を降ろし水を汲み上げる。
住人と旅人を潤すはずの冷たい清水。

「ハイランド軍の見張りに気付かれないようにね」
「ほとんど見えなかったがな…」
「入り口付近に一隊、裏にいたかな?
中には見えないね…」
「今ここは人もいないし地理的にも前線から離れている。
確保に人を削く必要はないだろう…」
「たった二人で潜り込んでいるとも思っていないだろうし…ね」
かろうじてお互いに聞こえるような声のはずが妙に響く。
汲み上げた清水で水筒を満たし、
のどを潤し、
手を洗う。

ぱしゃん…

地面にこぼれ落ちた水の音にびくっと震える。
こぼれた水の跡に目をとめ
周りを見渡し、
そしてこの違和感に気付く。
 

「そうか…」
「なに?」
「蝉の声が聞こえない…」
「?、ああ…そうだね、今年はこの辺ではあまり聞かないね」
しん…と静まり返った街の真ん中では吐く息の音すらはばかられるくらい
響くのに、肝心の音が何一つしない…。
異空間に迷い込んでしまったかのように…。

「獣の紋章はそのようなものの命まで奪うのか?」
ひび割れた感情の感じられない声。
「…それは無いと思うよ…ほら、蝶だって草木だって生きているしね」
「でも…聞こえない」
「…蝉は、7年間も土の中で過ごし、地上に出て10日ほどで死ぬ
その間に結婚して子供を産むんだ。
ちょうどその頃何か子供を産めない理由があったら…
その7年後は蝉のいない夏になるんだよ。たしか7年前って…」
「…あぁ、凄い嵐が来て、大洪水があって10日以上も
この辺一帯泥土に浸かっていたっけ…な」
「そうだったね、たしか私たちも救助と治安維持、堤防作り、物資運びにかりだされて…」
「…そうだったな…」
懐かしむでもなくただ淡々と言葉をつなぐ。
 

「五月蠅いだけと思っていたのにな…」
「五月蠅いと思うだけでもけっこう暑さがまぎれるものだからね」
蝉の声がないだけでも照り返す日の熱がどこへも行かずに
ただ籠もるような気がする。
「暑いな…」
「そうだね」
「音が在ればいいのか…?」
「さぁ…、でも何も聞こえないな…」
「なにも…?」
「だれも…いないみたいだね」
「そうだな」

白い光と浮かび上がる影だけの静寂の街。
綺麗な町並み。
でも人のいない街。

「あの時、ここにいたんだね…」
「ああ…」

街角ではしゃぐ子供の声、
水浴びをする人々の声、跳ね返る水音。
木陰に集い語らう老人達の駒をうつ音。
物売りの呼びかけ。
そこの大通りではいつも馬車が駆け抜けていた…
その声、音

「何もできなかった…」

すべては失われた…あの時に…。

「だから、なにも…聞こえない…」

ほんの少し前、この地を嵐が襲った。
その嵐はこの町から全ての住人の命を奪った。
その嵐の跡は見えなくなっても奪い去られた命は次の命を刻むことはない。
生まれるはずだった命
満ちるはずだった音。
それらは今では何一つその痕跡すらも残せずに消えた。

ここは残酷な音のない世界。
時の止められた街。

紡がれる命の無いことがただ一つの惨劇の証。
この静寂が何よりの悲鳴。
 

「うん、何も聞こえないね」
「だから暑いのか…」
「そうかもな…」

ぽつり、ぽつりとかわされる
感情の感じられない言葉。
空っぽの声。

切り取られた空間。
強い、ただじりじりと照りつける白い太陽の光だけが
空間の在処を主張する音のない世界。

「あついね…」
「あぁ…」

気が狂いそうな暑さ…。
 

「暑すぎるな…、ここは…」
うつむき加減の顔は逆に黒く陰って
表情はあまり見えないほどに。

「マイク…泣いている…?」
「泣いてなどいない…」

「それは、なんの意味もない事だろう…?」
「……………そうだね……」

救えなかった命。
悲しむ資格すら持てない自分。
絶望すらも許されぬ自分。

涙の主は本当に気付いていないようで、
それ以上指摘することなく、口を噤む。
透明な滴は音もなく、ただなめらかな頬をつたう。

涙はなぜ出るのだろう、その滴を目にとめてふと思う。
泣いたとて何かが変わるわけではない。
何かが出来るわけではない。
何かを訴えたいわけでも期待しているわけでも
ないのに、この男は気付かないまま涙をこぼす。

「なにも…意味がないだろう…」

その言葉のように涙はこの暑さの中地面を潤すこともなく消えてゆく。
それでも涙は感情のない言葉を咎めるかのように
閉じこめられた感情のこぼれた欠片のように。

「お前はあの時、ここにいたんだね…」
「…………ああ…」
 

「おまえが…無事で…本当に良かったよ」
何一つ意味のない閉ざされた空間で誰にも届かないように
空を仰いでそっと呟く。
相手には慰めにも救いにもならないならない言葉だから
気付かれないように。
意味はなくとも確かに存在する感情。
存在する…そのことへの思い…。

それだけがこの世界の救いであるかのように…。

世界はまだ残酷な白日の中…
伏せた瞼の内側すら白く焼き尽くし
残酷な現実を突きつけることをやめない。

白く照り返す町並みはただ穏やかに綺麗で…
無音の世界に残された心たちは他を責めることなく
ただ…、ただ綺麗で…
 
 

どれくらいの時間そうしていただろう…
日が傾きかすかに風が吹き始め
閉ざされた空間の終わりを告げる…。
風が草をなで、梢をならして初めて自分達以外のものが音を立て
時の流れを気付かせてくれる。
暑さも幾分和らいだようだ…。

「そろそろ…、行こうか?」
「そうだな、そろそろ行かないと今日中に城主殿に合流できなくなるな」
 

「蝉は…もう鳴かないのか?」
ふと思いついたようにたずねる。
「そんなことはないよ。他の地から新しいすみかを求めて
虫も草木も風に乗って移動する。ここも…ね。時間のかかることだけど」
「そうか…」
「どこもこのままではないんだよ」
「そうだな…」

その言葉に祈るようにうつむいて目を伏せる。
 

今年の蝉はもう帰ることはなく、時を刻むこともできないけれども、
風がやがてこの地にも新たな命を運ぶように、
次に吹く風はまだ生きるものに優しいものであるように…
次に落ちる涙はこの地を潤せるように…
次にこぼれる言葉はせめて誰かに意味のある音になるように…
伏せた目を開け、もう一度だけ時の止められた街を振り返る。
 

「………………」

これから風になるはずの者…
こぼれ落ちた言葉はどこに届かずとも
 


 

たぶん祈りよりも強く……

 


蓮川様から頂いたとっても可愛い暑中見舞いSSの
お返しのへたれ暑中見舞いです(汗)。
暑中見舞いってこんな暑苦しいものでよかったのでしたっけ?
恩を徒で返すリオりー(悪魔)

例のマチルダ離反イベントの直後
二人でこっそりミューズに潜り込んで
彼らなりの区切りをつけるような
雰囲気にしたかったのですが…。
あれって夏?夏(苦笑)?
イベントがらみに季節を付ける
恐怖を味わいましたわ(苦笑)
(2000.8.1 リオりー)