風に翻る布が、闇に映えるやけることのない白い腕が羽根に見えると時折思う。
そう言うと相手はこちらの意をはかりかねたのだろう、首をかしげて…それからぶっきらぼうに

「俺、鳥じゃないから」

とだけ言った。
 

「鳥だったらいいのにな」

「なんでだ?」

「好きなところに飛んでいけるだろう?」
 

鳥ならば簡単なのにな。
捕らえて羽根をむしってしまえばいいんだから…。
 
 

何でも簡単でないと混乱するのはこちらのほう…
 
 
 
 


鳥ではないので…1
 
 

 がっしょんがっしょんがっしょん…
 

石造りの廊下に奇怪な音が響く。
どこかからブリキの人形でも走ってきそうな音だがここではそれほど珍しい音でもない。
ゼクセン騎士の鎧のたてる音だ。
しかし滅多に聞けるものでもない。こんな派手でかろやかな音は。
鎧を着てしかも城内を走り回る人間がそういないからである。

「またあいつか…」

パーシヴァルはその音を背中に受けながらため息をつく。
音の主は分かっている。というかそれしかいない。ゼクセンの誇る烈火の騎士ボルスである。
目的は一緒だろう、仕事のためにこの廊下の先のサロンに行くのだ。
それはいっこうにかまわないのだが、パーシヴァルとしては問題は自分が今廊下にいて、ボルスがたぶんそれを見つけてしまったということだろう。
とりあえず眼前の目標になってしまったみたいだ。
ボルスの足音は一直線にパーシヴァルの方に向かってくる。同じ方向だから逃げようもない。

「…くるな…」

仕方なくパーシヴァルは身構える。
まさに開戦直前、敵前の気持ちで…それにしては少し逃げ腰だが…後ろの気配を察知する。
さすがに毎度同じ結果になってたまるものかと無理矢理気合いを入れるパーシヴァルは、背中に近づく気配に集中して…ボルスが追い越していく瞬間上体を反対側にそらして攻撃をかわそうとした。
早さではパーシヴァルに一日の長がある。
見事にかわしたかに見えた…しかし今回もパーシヴァルは見事に敗北をした。
ボルスはかわしたパーシヴァルの襟元を片手でつかんで引き戻し、反対側の手でぱんぱんぱんと豪快にパーシヴァルの髪の毛を後ろから前にはらったのである。
体勢を崩しているパーシヴァルにはひとたまりもなかった。

「こらっ」

そしてボルスはパーシヴァルの前で背中を向けたままぴょいっと勝利のジャンプを一つすると、文句を言う暇も与えず、サロンの方へ駆け抜けて行く。

がっしょんがっしょん…

音が奇怪な割にはかなり軽やかな走りを見せるボルスの背は、あっと言う間に小さくなってしまった。
 

「…またやられた…」
 

あとには、長めの髪を崩され、顔にばっさりかかった姿で呆然とするパーシヴァルが残された。
 

最近二人の間ではこの攻防が繰り広げられている。
クリス様がグラスランドへお忍びに出かけてからである。
お互いろくに雑談をする間もないくらい忙しいなか、出会えば…いやすれ違いざまでもボルスはパーシヴァルの髪をばさばさと崩しにかかる。
なぜかこれをパーシヴァルはうまくかわせたことがない。
ボルスの方は、崩して速攻で逃げ去る時もあればそのまま目の前に立っているときもある。
パーシヴァルが多少怒ってもみてもまったく堪えた様子がない。
悪戯と言うにはしつこすぎる。
というかボルスは何故か全身のパワーを使ってこの行動を完遂させようとするので、パーシヴァルの力と気力では勝ち目はないまま、毎度ボルスの通り過ぎたあとには台風に頭をつっこんだような髪にされたパーシヴァルが残される。
通り過ぎたのはある意味台風には違いない男ではあるが…。

被害者となるパーシヴァルにはこの意味が珍しくさっぱり分からないでいた。
察しのいいパーシヴァルにとってはボルスの行動や精神状態の起伏など子供のそれを見るようなものなのだが、それ故に思いつきで行動するボルスのその部分はパーシヴァルには理解できないことが多い。
こうも続くとただの思いつきとも思えない。
 
 

いらいらさせられる…。
 
 

ストレスをため込んでこちらをはけ口にしているのか…とも考えるのだが。

なんせクリス様いない今、副官の立場で常に側についていたボルスへかかる負担は、自分達の比ではない。
ボルスは現在団長代理…なのだから。
参謀としてサロメがもちろんついているのだが、彼はいま評議会の力を押さえるために影で飛び回ることがほとんどだ。
それに彼がいたところで、評議会に直接対峙するのはどうしてもボルスの役割になる。
そしてボルスはこういうことが一番苦手なのである。

彼はここのところブラス城とゼクセを行ったり来たりの状態が続いており、相変わらずの評議会の勝手な言い分にめっきりストレスをため込んでいる。
鉄拳を振るわずに済んでいるのが奇跡だと思えるほどだ(もともとボルスは戦士でないものに手はあげないが)。
あとは、まぁ評議会の方がボルスの家柄…実家の力に勝手に配慮して強いことを言ってこないのも幸いしているのだが(その辺を見越してボルスを盾にしているというのもある)それでも言われる内容にそう大差はない。
今もボルスがビル・デ・ゼクセから帰ってきて、その報告のためにサロンにみんなを呼び集めるところで、呼ばれただけでも憂鬱このうえないのに、それを口にしなければならないボルス本人の心情は同情するに値する・

色々大変なんだろうなぁとは思う。
これがストレスならつきあってやってもいいかな、とも思うわけだが…。
しかし、酒とベッドで今晩愚痴でもきいてやろうかと思っていた矢先にこれである。
勝利のジャンプまで見せられては、いったい何を考えているのやら。
落ち込んでいるのか怒っているのか、どれにも当てはまらないような気がしてならないパーシヴァルである。
 

「それとも…やっぱり抜け駆けへの意趣返しかな?」

思い当たる第2の理由。
自分がボルス達を出し抜いてクリス様を村へ連れだした。
それだけでも噴飯ものだろうがその上、そこにいたのが原因でクリス様がナンパ男とグラスランドへお出かけともなれば恨みの一つや二つで済めば安く上がったというもの。

「…恨みという感じでもないんだがな…」

ボルスの攻撃は痛みを伴うものではない。
嫌がらせともとれ無くないが、むしろ何かに一生懸命になっているように見えるのだ。
それにいまだに恨み辛みを抱えてこんな真似をしているなら夜、自分に触れさせるような真似はしないだろうボルスとは、今は少ない時間なりにうまくすごせている方なのだ。
ふわりと翻る白い手。

「………」

考えに詰まってパーシヴァルは前に落ちかかった髪を後ろへ掻き上げる。
もともとうしろにむかって生えている髪を鬢用の油をつけてまとめているだけなので、それほどの被害でもない。
ちょっと崩れるが手櫛でなおせる程度のものだ。
だから、そんなことに一生懸命になるボルスの心情の方がパーシヴァルには気にかかった。
普段分かり易い恋人のことだけに、分からないと妙ないらいらがたまってくるのが自分でも分かる。
とはいえ、この程度の情報ではその真意を測れるわけもなく、パーシヴァルは簡単に髪を直すと考えるのを止め、消えた背中を追ってサロンへの足を早めた。
 
 
 

「パーシヴァル、入ります」

サロンへ行くとボルスは団長席に座ってうなりながら書類をやっていた。
その傍らにはすでにレオとロラン。
会議らしく人払いがされていて…しかし本来まとめ薬のサロメの姿は見えない。
ルイスもいないのでお茶はロランが入れている有様だ。
「サロメ殿は…?」
「サロメ殿は人に会う用事がおありとのこと。ルイスはそれに従卒としてつけた」

えらくしゃちほこばった口調で答えたのはボルス。
ボルスはサロン奥にある執務用机に座ってなにやら一生懸命書類を仕上げている。
普段ならサロメがする仕事を彼がいないので一生懸命やっている姿は、書取をさせられた子供によく似ていてパーシヴァルは苦笑しながら手伝いを申し出る。
「書き物なら手伝いますが」
「いい、お前への辞令をお前に書かせるわけにはいかない」
「俺?評議会からの?」
「そうだ、え…とまえもって確認するが…パーシヴァル。卿の隊は問題なく出られるか?」
「今すぐにでも」
たどたどしくなれない口調で形式張った質問をする臨時団長に、パーシヴァルは華麗に礼を返す。
「ならば、パーシヴァル…と。それだけだと防御に問題なので…レオ殿、卿も動けますか?」
「聞かれるまでもなく」
ソファから力強い声がする。

それだけを確認すると、うんうんうなりながらボルスは目の前の書類を書き上げ、おもむろにその書類を持ち上げて

「じれー」

抑揚のない事務的な、しかし拗ねた子供のような投げやりな調子でその書類を読み上げる。

「パーシヴァル。フロイラインとレオ・ガラン両名は、3日後の○○日にそれぞれ一中隊を率いてビュッテヒュッケ城開城の任にあたるべし」

「そうきたか」
ある程度予想できた辞令内容にパーシヴァルは苦笑する。
しかし笑って済ませられるような内容でもない。
サロンの中に嫌な空気が走る。
「さきも様子を見に行ってもらったが、その続きと思って引き受けてもらいたい」
「評議会からのお達しで?」
せっかくグラスランドの方がどたばたしているときに、自分のうちの足下でたき火も何もないものだ。
「そう、正式な依頼である。今回は評議会側のメンツにかけて評議会側の軍がでる。そのフォローが役割らしい」
それはボルスもよく分かっているので実につまらなさそうな顔ありありである。
一般民間人に向ける剣など、騎士団のどこを探してもない、といわんばかり。
まさかこんな顔で評議会に顔を出していたわけではないだろうな、と思わず心配してしまうほど”嫌”と顔に大きく書いてある。
「ならば我々はゼクセンの騎士として受けねばなりませんね。かしこまりました。確かに」
そしてそのボルスの気持ちはパーシヴァル達ほかの騎士達の気持ちでもあった。
しかしパーシヴァルは優雅に紙に書かれたそれを受け取る。
「女神の名を持って、確かに」
公人として…好き嫌いではない。
強くなり上に登り詰めてもなに一つ自由ではあり得ない身分。
部屋にいかんともしがたい鬱屈した空気が流れる。手足をからめ取られ、意志を鉄の檻に閉じこめられて、こんな事ばかりを繰り返し何の意味があるのか。いうまでもなくここにいるみんなのこころは同じなのに。

「用件は以上だ。必要な物資は補給係のレブランに言うように」
「かしこまりまして」
「では今回の用件はそれまで。………こんなものか?」
書類を覗き込んでいた顔を上げ、上目で仕事の是非を問うボルスの仕草にふっとその場の空気が和む。
仲間内にこそ柔らかい空気に、そして年若い危なげな団長代理にふっと回りの人間の息が抜ける音が聞こえた。
「そんなものでしょう」
「そうか、…そうだ、あとサロメ殿より伝言がある”早まった行動はとらないように”」
ほっとした表情を見せる団長代理はその年齢に似つかわしく、少しあどけない。
「?」
「なんだかわからないけどそういってた。伝言はそれだけだ」
「そう言ってたじゃないでしょう。少しはその内容を確認して下さらないと。あなたしか確認できなかったのですから」
「な…なんだよ必要なことならサロメ殿は言うぞ。俺はてっきり…」
本当に彼は素直に話を聞いてきただけだろう。
山積みの書類を抱えてうなるボルスに、しかたがないですねともったいぶった態度で、パーシヴァルはからかう。
「ま、聞いてこなかったならしかたがないでしょうね」
「サロメ殿のことだ、何か在れば分かるようにして下さるだろう」
同調してからかい気味に首を振るみんなにボルスはすっかり拗ねてしまった。
「なんでぇ…みんな…」
「ほらほらむくれない。書類の字が違ってますよ?」
「え?どこどこ」
「ああ、はんこ押すのそこじゃないですよ。あなたは今団長代理なのですから押すところは承認の字のあるところです」
「あわわ、いつものくせで…」

辞令がでたときの重苦しい雰囲気とは一転して、サロンの空気が柔らかく暖かいものになるのをパーシヴァルは目を細めて眺める。
よくよく人に慕われると言うか、意外に大将向きの男だとパーシヴァルはボルスを見る。
ボルスはクリスとは、大将という資質についてはよく似たところがある。
能力にまったく問題はないのに、妙に危なっかしくて手助けをしたくなるような雰囲気がある。
そして当人もそれを受け入れる素直さと謙虚さをもっている。
だから誰もが信用する。
今もボルスはクリス様の代理という責務の緊張でかちかちになりながらわたわたと書類をこなしている。
とりあえず自分の責務を理解し、誰かに頼ることなく書類を書き上げていく。
書類を睨み付けて対峙する姿は戦っている姿とそっくりで。
そしてちゃんと出来ているのに何度も何度も不安そうに回りに確かめる様は何とも微笑ましい。

あの二人は強くて真面目で真っ直ぐでそしてとても不器用なのだ。
そしてそれがとても分かり易い。
だから誰もが彼らを助けたいと思い、そしてそばにいて心を和ませる。
 
 

鳥のように見えるときがある。
鷹や白鳥のように大きな翼を持ち、大空を舞うあの華麗な鳥たちではなく…
しかし自分の求める場所に…太陽に向かって休むことなく一心に夜明けの空を飛び続ける小さな黒ツグミのような鳥。
自分の生まれもなにもかもを良しとしないで、世間を知らない小さな翼で、それでもよたよたと前を見据えて跳び続けるるのなら…。
 
 

羽根をむしってやればいいのだろうか…?
でも何のために?
出来ればとうにやっているかも知れない凶暴な感情と不可解な思考。パーシヴァルは自分で自分に狼狽する。
 

出かけていってしまった鳥。
 

思ったより状況の変化に自分もいらだっていたみたいだ。
たとえあの二人は鳥だったとしても、すぐにどこかへ行ってしまうようなことはないのに。
パーシヴァルは自分の言葉に出来ないかすかな焦燥を否定するように首を振った。
 
 

「パーシヴァル?」

パーシヴァルのそんな雰囲気をめざとく見つけたボルスが首を傾げて彼を呼ぶ。
パーシヴァルはそれには何でも無いという風にいつも通りに笑いかけてみせる。

「おかえり」
「……ただいま…ってお前も出から帰ったばかりだろう?」
「お前の方があとから帰ってきたからな。だからおかえり。大変だったみたいだな」
「べつにどうってことない…」

少しふてくされたように下を向いてそっぽを向く青年にパーシヴァルは笑って近づくと、そっと顔を近づけて耳元で囁く。

「そうか?ま、。とにかく今夜…行くから」
「…わ…わかった…」

何度同じような経験をしても、顔を赤くしてうろたえて…そして頷いてくれるその仕草にパーシヴァルは笑みを浮かべてその柔らかい金髪を手で梳く…と。

「隙アリ!!」

ボルスは赤い顔をそのままにぱっと手を挙げると、またパーシヴァルの前髪をばさーーーっとはたきおとした。

「ボルス……」

「成功☆」

「お前は何がやりたいんだ…」
 

暗さも、ほのぼのした雰囲気も、焦燥も、甘い雰囲気もとりあえずそのへんにごちゃごちゃしていた空気をぜんぶまとめて台無しにされてパーシヴァルは前髪を落とした間抜けな恰好のままがっくりと執務用の机に額を落とした。
 
 

 

 噛み合わない二人。
少し壊れ風味(ある意味本領発揮(涙))
うまくまとまるかは謎です(汗)。

(2003.2,2 リオりー)