ハニームーンは空にいて       

 

 とりあえず、空がきれいだった。
あたりを煌々と照らす金色の月は中天にかかり、かすかに薄い雲がその光を受けて
複雑な輪郭を浮かび上がらせている。
誰かの髪を思い出させるまさしくハニームーンの金色。
澄んだ空気はその光を冴え冴えとしたものに見せていた。
うん、悪くない。

「今日は空がきれいだな」

「おい」

「うーん、今、初めて気づいた」

「おい、パーシヴァル!」

「……」

「おいこっち向け!パーシヴァル!なんなんだこれは!」

「何なんだこれはといわれましても」
 

なんなんだはこっちのセリフなんですけどね。
とりあえずこっちはさっきまではひっくり返って空なんか眺めるつもりはさらさらなかったわけで。

「おまえが上から降ってきたからだと思うんだが」

俺は、見回りの帰り、名前を呼ばれたからそちらの方を振り向けばちょうど二階の廊下の窓から飛び降りようとするボルスを見て、あわてて受け止めようとして受け止め損なっただけだと思うんだが。
それで甲冑を着ていたから大したダメージはないとはいえ、何で敷き潰された俺の方が、ボルスににらまれなければならないのだろうか。
おまけにこのボルスの格好と来たら湯上がりに大きな柔らかいパジャマのシャツをだぼっと着込んだだけというような出で立ちで片手にワインのボトル、もう一方の手にグラスなんかを持っていたりするので、俺はこの非現実的かつ扇情的な現実に混乱をきたしてしまわないよう思わず空なんか眺めてしまっていたりするのだが。

「俺は二階から飛び降りたの」

「そのようだな」

「下は芝生だしこの程度なら俺は着地はちゃんとできるんだ」

要するにとっさに受け止めようとしたのはよけいなお世話だったといいたい訳かな?
そりゃぁどうもすいません。確かに柔らかい土と甲冑ではダメージも違うだろうが。

「おかげでおまえをけっ飛ばして敷き潰してしまったではないか!大丈夫か?」

…違った。どうやら潰してしまったことを悪いと思って心配しているようだ。
相変わらず誤解を招きまくる言葉を選ぶ天才だなこいつは…。

「パーシヴァル、何を笑っている。」

「いえいえ、それよりそちらこそ大丈夫ですか?それにその手のワインは…」

「ああ、俺の方は…いてっっ!!」

「ああやっぱり俺の甲冑にしたたかぶつけたみたいだな。どこだ痛むのは」

「いてて、尻、腰…ふくらはぎのところ…ああ、でもワインは無事だ」

痛そうなしかめっ面一転にっこりと極上の笑みでワインを見せるボルスを見て眩暈。
とりあえず俺の甲冑に乗り上げている素足を横に避けてもらわなければ正視もできない。

「ばかか、おまえは。とりあえずワイン捨ててちゃんと手を使えばそんな痛い思いをしないで済んだだろうが」

「なんだと、これはいいワインなんだぞ」

論点はそこかい。
ボルスは死んでもワインを離しませんでした。じゃない…

「だいたいなんでそんな格好で」

やはり甲冑にまともにぶつかったダメージは少なからぬものでとりあえず立ち上がろうとしたボルスは、すぐにうめいてまた俺の甲冑の上にへたりこんでしまった。
ああ、なんというか目の保養じゃなくて目の毒なんだが。
しかしとりあえず立てもしないボルスを力任せにどかすわけにもいかず。
また情けなくも空を仰いでため息なんか一つ。

「だいたい何で飛び降りたんだ?」

「おまえが見つけたから」

素直で結構なんですけど

「…おまえ酔っているな…」

ボルスは酒が強いと言えば強い、弱いと言えば弱い。
酔うのは早いがつぶれるのは遙か彼方先というなかなかやっかいな体質である。
ちなみに酒癖はおおむね明るい酒だが、たまに感情の起伏が激しくなる。

「そんなに飲んでないぞ」

「ああそう…」

酔っぱらいに酔っていると言っても意味がないのでおざなりに返事。

「で、俺に何のようですか?ボルス卿」

「ワイン」

「は」

「いいワインが入ったら、一番おいしい条件で飲むのが当然じゃないか?」

…あ、イヤな予感が。

「…もしかしなくてもそれにあわせてつまみを作れっておっしゃってます?」

ボルスは人の顔を見てにっこにこ。

「とりあえず起きろ」

ああーやっぱり。
前に何も食べずに飲んでいたのを見かねて、酒に合わせてつまみを作ってやったら、妙にそれが気に入ったらしいボルスはいい酒が入ると必ずワインに対してたいした造詣もないパーシヴァルに声をかけて来るようになった。いわく
『酒は俺が提供するから、つまみは卿な』
ということらしい。
自分としてもワインに興味はなくてもいい酒にいいつまみを挟んで、陽気なボルスの相手をするのは文句無く楽しい時間なのだが。
こうもストレートに来なくたって…どうせ飛び込んでくれるならワイン以外の理由で出来れば色っぽい理由で飛び込んでくれればいいのに。
それにつまみといってもここじゃなぁ。

「パーシヴァル起きろって」

「おい、つまみを作るのはいいがここはブラス城じゃない。ビュッテフュッケ城だ。お望みのものが作れるとはかぎらんぞ」

ブラス城なら何がどこにあるか知っていたし顔も利いた。
しかしここではそもそも入ることを許してくれるかどうか…。

「とりあえず起きろって」

聞く耳持たないらしいボルスにやれやれと思いながらも、その立てないボルスを膝の方へずりずりと移動させ、したたかぶつけたらしい背中をなだめながら起きあがるとほら、と目の前にグラスが突きつけられる。
赤ワイン特有の濃厚な芳香。
その飲めと言う仕草に逆らわず自分の手を使わないでグラスの酒に口を付ける。

「…これは…」

口の中に広がる極上の芳香と味。
だがこれは…

「どうだ?」

「…いい酒だな…」

「だろ?」

自分が誉められたようにうれしそうに笑うボルス。
パーシヴァルは口に残ったワインをもう一度確かめる。
濃い赤の割には渋みと酸味の少ない、ただし独特の濃い濃縮したような味わいのある酒。
ずいぶんと若い。
まだなじみきっていないアルコールの舌を灼く刺激がひどくその濃い味わいと独特の芳香に見事にマッチした…若い酒のためにあるようなワイン。
たぶんかなり南のほうの品種によるものだろう。
まさに若いワインのためのような極上の品。

「しかし…これは…」

ボルスが好んで買う酒ではない。むしろこれは…

「うまいだろ?見たこと無い銘柄なんで、聞いてみたら試飲させてくれたんだがな、パーシヴァルが好きそうだと思って」

ああ、俺のために買ってきてくれたのか…

「ああ、じゃつまみは」

「つまみ?ここにあるぞ」

ボルスはこともなげに言うとパジャマの胸ポケットからずるずると袋をとりだす。

「ナッツ?」

「同じ地方で取れるものらしいんだ。店の人がこれが一番だと進めてくれた。癖があるがそれが実にこのワインに合うんだ!」

…つまみはいいのがすでにあって、俺を見つけて飛び込んできて…そしてこの酒…。

「もしかしてお前」

俺を待っていたわけか?
この酒を飲ませるために。
俺好みの酒を見つけたから、それを買ってきて飲ませるために…。

「ちが〜う!」

いきなりの図星…だろう言葉に、真っ赤になったボルスは、反発するように睨み付けてくる。

「俺はいい酒を手に入れたから自慢したかっただけー!!」

でもそれではなんで俺を見つけて飛び込んできたの?
なんて言いつのろうとしてやめた。
酔っぱらっても素直じゃない恋人を追いつめるような真似は、あまりにもあからさまな事実の前ではかわいそうすぎて、うれしいのでやらないでおいてやろう。
そのかわりに

「ああ、帰るのが遅くなって悪かったな」

素直に謝ってやると張った意地の空振りでボルスは赤い顔のまま大人しくなる。
こういうところは掛け値無くかわいいな。

「別に…いい」

「いい酒だな」

「いい酒だろう?」

とたんに勢い込んで嬉しそうにするボルスにくっくと笑いが漏れる。
 

「部屋に帰ってゆっくり飲もうか?」

「おう」

「立てるか?」

「………」

どうやら立てないらしい。
では、と俺はひょいとボルスを抱き上げる。
お姫様抱っこという奴だがボルスは気に入らなかったらしくいきなり盛大に暴れはじめた。
「お!おろせ!パーシヴァル」
うーん暴れられるとしたたか打った背中が痛いんだが…。

「仕方ないだろう…お前裸足だし、まだ足とかうって痛いんだろう?」

ワインとワイングラスを持っているから手を使わせるわけにもいかないしな…
そういってもこの体勢は我慢ならなかったらしいボルスは降ろせ降ろせとうるさい。
しかたがないので肩を貸すように降ろしてやれば…

「い…てて…」

とへたり込んでしまう。

ほらみろと手を貸そうとすれば、しかしボルスはそれは嫌だと言わんばかりに上目遣いに睨み付けてくる…。

「まったく…」

「うーー」

それでもワイン瓶を抱きしめて睨み付けてくるのはかわいいのだが…。

「他に手はないだろう?」

「ヤダ…人にあったらみっともなさすぎる」

まぁたしかに…。
どうやら抱っこされた状態で人にそれを見られるのはどうしても嫌らしい。
…逆の立場だったら俺も確かにそれはごめん被りたいところだがな。
しかし、どうしろというんだ…。
暴れるのを無理につれていけるほどこちらの背中も調子がいいわけじゃない。
打つ手無しの馬鹿馬鹿しい状況にため息をついて空を見上げればそこにはさっきも見惚れた見事なハニームーン。
 
 

「……」
 

それも…いいかな?

「ボルス、ちょっとだけ我慢しろよ」

「え?うわっ」

強引に抱き上げると今度は城内に行かずにすぐそこの城の壁際に行く。
自分はすとんと腰を下ろし壁によりかかり、膝の上にボルスを乗せた。

「???」

「おいボルス。みろよ」

なんなんだと聞きたそうに人の顔を見るボルスに、指さして見せた先には綺麗なハニームーン。

「…綺麗だな…」

「部屋に籠もるのがもったいないくらいだろう?」

「ああ…」

「お前が立てるようになるまでここで月見の酒としゃれ込むのはどうだ?」

その提案はいたくボルスの気に入ったらしい。
ボルスはしゅるりとシャツの裾を整えて膝を隠すように座り直す。

「しかしなんだこの体勢は」

「しかたがないだろう…ボルス…お前裸足だし」

パジャマの裾をドロだらけにするのもまずかろう?

「誰かに見られたら」

そりゃぁお暇様抱っこ以上に言い訳の聞かない体勢でしょうね。

「こんな奥まったところの壁際なんかお前が飛び降りてきた窓からおもいっきり下を覗き込まなきゃ見えませんよ。しかもこんな暗がり…わざわざそんなことをするバカもいないと思うううですけどね…」

含み笑いでそういってやると、納得したのかボルスは膝の上で大人しくなった。
その身体を抱き寄せてみると目の前にはやはり綺麗なハニームーンのブロンドが月光に光って綺麗なきらめきを見せてくれる。
白い綺麗な素足も月光の前では格別だ。
極上の目の娯楽。
ボルスは大人しく自分に体重をかけてよりかかると腕の中でグラスにワインを注ぎ始めた。

目には月夜に跳ねる金の波。
湯たんぽ付きで眺める秋の空は極上。
腕の湯たんぽが俺のためにと極上の酒。
一つのグラスでその酒を分け合う。
甘えられているような体勢と暖かさが酷く気分がいい。

たまにはこういうのもいいだろうなんていい気分で酒を傾ける。
 

「でも何で裸足なんだ?」

「え?俺…ちゃんとスリッパ履いていたけど…」

「…スリッパは降ってこなかったと思うけどな…」

先ほどの空を思い出して呟くとボルスは少し首をひねって

「ああ、そういえば窓枠に膝をかけたときにそこに並べておいて置いたかも!」

わりととんでもないことをいうボルスに俺は思わずワインを吹き出しそうになる。
変なところだけおぼっちゃまらしく……礼儀正しく律儀なことで。
廊下を通りかかった人は窓際にきちんと並べられたスリッパを見たら何と思うだろう。
やっぱり身投げかと思うだろうなぁ…。
そうすればもちろん下を見るだろうし…。
それを考えたら、なんだか凄く大笑いしたくなってきて困った。
窓から下を覗き込まれたら、この体勢一巻の終わりですよ…そういうところは気付かないんですか、ボルス卿。
お姫様抱っこ以上に言い訳なんかきかないと思うんですけどねぇ…。
 
 
 

……ということはもちろん目の前の男には言わないでおくことにしようか。
 
 
 
 

それでもつい漏れてしまう忍び笑いは、綺麗な夜と酒で幸せだからとごまかして。
 

こんな目の毒なお前を見ているのも、俺とあとは月だけということで…。
 
 

 


 これにはとりあえず煩悩の元になったFAXがあります。素足にパジャマのシャツだけ→
 
 でも途中で挫折感が…。
 続きを書きたいような気がするのですが
続きはただのプチエロ(笑)さてどうしたものか…。

(2002.12.5 リオりー)