「パーシヴァル」
ヴァの部分が引っかかるらしい。
発音はきれいなくせに、少しだけいいにくそう舌っ足らずにもに聞こえる独特のイントネーション。
甘えられているような気にすらなる甘いテノール。
それから笑顔。
ふだんしかめっつらしい顔ばかりしているのでなおのこと目立つのだろう。
ふと何かあったときだけ転がりでるように現れる子供のように無邪気な笑顔がいい。
あとは目。
挑むように、まっすぐに前を見る目。
からかうととたんに向けられるすねたような、なんだかいつもいらついているようにすら見える目が一番気に入っているなんていったら、おまえはなんと言うだろう…。
◇ ◇ ◇
「またずいぶんときれいな人間が……」
深く思い出すまでもなく、あいつに向かって最初に発した言葉は間違いなくそれだった。
容姿についてはあんまり人のことはいえない自覚はあり、またそれによってそれなりにいやな思いをしているため、人にたいしてそういうことは言わないように心がけている自分だが、それをしてもその男は思わず口を滑らせるだけの存在だった。
白い肌、緩くウェーブのかかった薄い色合いの金髪はきれいになでつけられ陽光に透けて金糸の光にさえ見えた。アカデミーの廊下の高い天井に色ガラスのはまった窓から差し込む光に照らされた、それは間違いなく一つの絵のようでもあった。
顔立ちは小作りで完璧な造形。鼻は小さくしかし筋は通っている。
目は大きなアーモンドアイにやはり黒目がちのハシバミ色の眼球がはまっていて、長い金色のまつげに縁取られている図は、その白い肌と相まって、とりえず当人の妙に気張った表情を考えなければ、そのままピクスドールの大きいのがいるといても信じられたかもしれない。
そんな形容が文句無く当てはまる、どちらかというと可愛らしい綺麗さ。
いわゆる貴族的というか上品な、あまりそこらではお目にかかれないタイプの美人だ。
それがこんな騎士養成所ともいえる最高のアカデミーのなかで見かけるなんて、それこそ田舎からでてきたばかりの自分としてはつい口が滑ってもしょうがないのではないかと思う。
好きとかキライではなくそれは純粋な賞賛で感嘆。
しかし、もちろん相手にとってはそれが賞賛になるわけもないわけで。
この言葉は全部を言う前に我に返った。
が、かなり至近距離で口に出してしまったため、その言葉は間違いなく彼の耳に入ってしまった。とっさに他人のフリをしても、口を押さえたのでバレバレだったらしい。
彼は歩くのを止めてくるりと振り向くやいなや、ぎっとめいっぱいこっちを睨み付けてきたのだ。
ああ、美人がもったいない。
なんて一瞬思ったのはまぁ横に置いておくとして、さすがに聞かれたのはまずいと思った。
青年は真っ直ぐにつかつかとこちらに歩いてくる。
そばに来れば自分とそれほど違いのない均整のとれた体つきで、睨み付けるその顔もきっちりとした青年のものとわかる。
たぶんじゃなく、ほぼ間違いなく同じ騎士見習いの仲間。
だいぶ幼くは見える顔立ちだが、ほぼ同じ年齢なのだろうか。
回りを伺うような様子が一切感じられない態度から推察できる。相当毛並みのいい人種だ。
まっずいのに口滑らせちゃったかな?
そのれっきとした、しかも身分のある騎士見習いの青年が、同じ仲間にきれいだなんて言われてうれしいわけもない。彼の背負うオーラは間違いない怒り。今更こっちからこんにちわも無さそうな雰囲気である。
やっぱりまずったか…
栄えある騎士への道、第一歩でなにをやっているんだという気持ちで、とりあえず自分はこの怒りを甘受すべく相手の出方を待った。
青年は規則正しい歩調で自分の目の前に立つ。
さてここは人目も多い廊下のど真ん中だが…怒号が来るか平手が飛ぶかパンチが来るか…。
しかしどれも来なかった。
青年は目の前すれすれまで来て、少し下の視界からじっとパーシヴァルの顔をのぞき込んで、というか盛大に睨み付けてきた。
綺麗な目。
色を添える派なによりも、たぶん炎のようにかいま見える意志の強さと、そのアンバランスな感情の揺らめき。
心を突き通すような視線。
パーシヴァルが一瞬状況を忘れて見とれるほどに。
そして青年はその目でしばらく睨み付けた後、なぜか何も言わずにくるっときびすを返して去っていってしまったのだ。
「なんなんだ…」
全ての予想を覆されて、パーシヴァルはぽかんとその場に取り残される恰好となった。とりあえずぶん殴られたときのために歯を食いしばって、足を少し開き気味にかまえてしまっていたので、この空振りはりがたくもだいぶ間抜けだった。
青年の名前は、それこそ即日、1時間もしないうちに知ることになる。
というか間違いなく今期一番の有名人であった。
ボルス・レッドラム
ゼクセン人なら知らぬものはない、大貴族レッドラム家の次男坊。
それがパーシヴァルの同期として入ってきているという。
「ふーん、レッドラム家のご子息ねぇ」
「な、何でこんな所にいるんだよなって思うよな、おまえも!」
考え込むようなパーシヴァルに出来立ての友人は、目の前のウインナーにフォークを突き立てながら力強く頷く。
この友人の言い分はもっともで、このアカデミーに来たものは騎士への道が開ける。
が、騎士とは戦場にでるもののことをいうわけで…
「貴族様なら上級騎士になっとけばいいのにな」
上級騎士とは皮肉のような言い方で、身分は普通に騎士なのだがなり方がそもそも違う。彼らはアカデミーを通さず家庭教師の免状で学科を通過し、程々の訓練で騎士の名を名乗る。仕事も違い彼らは首都ゼクセをまもる衛士になる。そして数年もすると首都を戦禍無く守りきったという功績を持って昇進していく。
いったいあんなゼクセンの奥深くでだれが戦争を始めるというのか。するんなら評議会内部で狸とキツネが化かし合い合戦をしているくらいだろう。しかしそうして昇進したものは確かに騎士で自分達よりも上の位にいるのだ。
そしてボルスという男はここに来なくても騎士というなのトップに行くことの出来る筆頭の家柄であったのだから。
「確かにね」
実を考えなければそれで十分。
「な、変わった奴だよな」
「変わっているのか?」
「なんか話によると子供の頃から剣の訓練に明け暮れていて、相当腕が立つらしいんだけどさ」
「そうなんだ」
じゃ実をとれない上級騎士の道なんてまっぴらだなんだろう。
それほど、それについては変なことではない。変だと思ったのはもっと別なこと。
貴族のくせに。
適当に相手の話に相づちを打ちながら先ほどの青年を思い返す。
やったらきれいなはずなのにまず思い出すのはあの不機嫌全開の真っ直ぐな目。
明らかに怒っていたのに…。
うーん、パンチの一つ覚悟して奥歯かみしめて待っててやったのに変な奴だった。
怒鳴りつけも不遜な態度で詫びを要求しても来なかった。
とりあえず何度か縁のあった貴族という人種の取るどの行動とも当てはまらない…
膝を床について見上げなければならないようなそんな相手には見えない。
「あれならばそれもアリかな?」
「は?」
真っ直ぐにこっちを睨み付けた意志の強い瞳。その目は不機嫌とありありとかいてあるような目をしていた。考えていることが手に取るように読める…酷く幼い情緒の持ち主らしい、でも…
信じられないくらい真っ直ぐで意志の宿った綺麗な目。
怒っていた。確かに怒っていたのに…。
その目との再会はまた実に早く訪れた。
次の日の昼食後の時間を、大食堂で1人のんびり本を読むことに当てていたそんな時間だった。
ざわりと空気が微かに震える。
ざわめきに流されて入り口に目をやれば、そこにはボルス・レッドラム。
良くも悪くも話題の中心らしい。
彼が来ると部屋の空気がよそよそしくざわめく。
別の世界の生き物を見るような…
たぶんそれは彼の背負うもののせいで、彼自身のせいではないのだろうが…。
パーシヴァル自身彼の立場に立場に対して拭えない嫌悪と…同情があるようにそれは彼が生きていく限りたぶん拭えないモノ。
しかし、ボルスはそのざわめきをものともしないで通路の真ん中を真っ直ぐ前を向いて食堂にはいると、何かを探す風にあたりを見渡して…そして目標を見つけると真っ直ぐにそっちにむかって歩いてきた。
パーシヴァルの方へ。
さすがのパーシヴァルも緊張した。
もちろんそんな素振りは見せはしないで、本を読むフリをして顔を上げないようにしていたが。昨日の今日だ、当然ボルスの用件は昨日のことだろう。
侮辱されたと怒って…どうでるか…
身分違いの不条理は知っているつもりなので先を考えるなら耐えるしかない。
でも不思議と悪いことにはならない気もした。
そう思えるのはやっぱりあの目のせいだろう…。
見さげるのでなく正面から、実際は少し下の目線から真っ直ぐ見つめてきた拗ねるような目。
予想通りボルスはパーシヴァルの横でぴたっと止まると、本を読むフリのパーシヴァルの顔を覗き込むようにする。
何を言ってくるか…
しかしボルスは何も言わずにじっとパーシヴァルを眺める…。
耐えきれなくなったのはパーシヴァルの方だった。
こういう状態で気付かずに本を読むふりをするというのも無視しているようでまずいと思い、パーシヴァルは顔を上げボルスを認めると、本を閉じ儀礼的に会釈をした。
「あの…」
「………」
ボルスはそんなパーシヴァルの顔を間近で眺める。
「何を…」
相手の戸惑いを面白そうに眺めた後、ボルスは一呼吸置くと、にかっと笑って、
「なんだ、お前も人のことを言える顔じゃないじゃないか」
といいとばしたのだった。
「……」
一瞬何のことか分からなかったが、次の瞬間その言葉の意味に気付いたパーシヴァルは気が遠くなって沈黙した。
も…もしかしてこれは昨日の…
もしかしなくてもこれは昨日の意趣返しであろうことは疑いようもない。
しかし何という手を使ってくるのか…
くだらない権力をかさにきたような手で来るよりある意味よっぽど衝撃があったりする。
が…ガキくさ…
子供かこの馬鹿馬鹿しい意趣返しは。
もっと名誉だのくだらない逆恨みの反撃を予想していただけに、逆に脱力でパーシヴァルも沈没するところだった。
このボルスという男。目を見て感じたように確かに身分でどうこうという男ではない…ようだが…
ようだが、なんだこの子供のようなメンタリティは。
いや、これもある意味イメージ通りか。
感情を隠せもしない視線の持ち主。
しかしながら的確にパーシィちゃんと呼ばれ続けてきた男のいやなところをついてきたことは確かであって…。
頭がいいんだか悪いんだか…。
たぶんこの反撃を一生懸命考えてきたのかと思うと何とも言えない馬鹿馬鹿しくも笑いたい感情が押し寄せてくる。
そんな脱力感でイスから傾いで落ちそうになるパーシヴァルをボルスはしてやったりという表情で腕を腰に当てて悪戯が成功したときのように笑った。
心にすとんの何かが落ちるようなそんな邪気のない可愛らしい笑い方。
パーシヴァルもその笑顔に憎めない何かを感じて力無く笑った。
身分を気にしてかまえてしまったのはパーシヴァルの方。
彼はそんなところを意識することなく、いっそ小気味いい方法で飛び込んできた。
性格には意識せず投げたボールを打ち返されたと言うべきか…。
ならばそれは受け止めなければならないだろう。
受け止めたいとパーシヴァルは思った。思わせる相手だった。今度はこちらが偏見など関係ないところで。
相手は背負うモノなど何も関係ないところで、自分の頭と精神とその身だけで自分に挑んできたのだから。
それが恐ろしく子供っぽく可愛らしい方法なのもパーシヴァルの気に入るところだった。
笑ったパーシヴァルに相手にされなかったと思ったのかボルスはなんだよ…と口をとがらせてまた睨み付けてくる。
こういう恐いモノ知らずなところはおぼっちゃまと言えなくはないけれども…。
睨み付けてくる目を、すっかり自分の地になっている皮肉っぽい笑いで受け止めて、はじめましての挨拶代わりに一言
「お前みたいにかわいい顔したのにはそれは言われたくないなぁ…」
遠慮ない子供っぽい本音。
おまえにはそれでいいんだろう?
それからは全く子供の口げんかで…。
「なんだよそれわっ」
「鏡見て考えろ」
「だから、ひとのこのこといえんのかって」
それが長く続くばかげて親密で反発的で、そしてそれらしい関係の始まり。
うっかりすれば最悪の出会いは、もっとも感嘆にもっとも離れた位置に立っているはずの二人を簡単に引き寄せてくれたのだ。
◇ ◇ ◇
「よくよく考えるとあれって二目惚れだったんだなぁ…」
ベッドに足を延ばして本を片手にのんびりと過ごしていたとき急にパーシヴァルがそんなことを言う。
「なにが」
その足に上半身をもたれさせるようにしてうつらうつらしていたボルスが、いきなりの不可解なパーシヴァルの言葉に顔を上げすぐ上にある男の顔をじろっと睨む。
「ちょっとした恋の話」
「こいぃ?何番目のだ?」
「手厳しいな。でも本気で惚れたのはただ1人だぞ」
「いってろ!で何が二目惚れだって?」
「気になるか」
「お前がいいだしたんだろうが!」
「あはは、まぁいいさ。おまえ俺とはじめてあったときのことを憶えているか?」
そのとたんになんともイヤーそうな顔でボルスが憶えているといって沈黙した。
「あのときお前盛大に俺を睨み付けてくれただろう」
「あたりまえだ!お前が嫌なこと言うからだ」
「綺麗だって?」
とたんにボルスが赤くなってまた睨み付けてくる。
かわらないね、そういうところ。
実のところ綺麗だかわいいだ、なんて言葉はその後もいわれっぱなしで、この男にとっても自分にとってもかなりタブーな言葉。
お互いに使う以外は。
「その目がな、あまりにも純粋で単純でわかりやすくて綺麗で惚れた」
ひねくれ者の自分だが、こういう時はたまには素直に率直にものを言ってやる。
それがいい攻撃方法だと知っているから楽しくてやめられない。
「…なんだそりゃ」
案の定言われていることが恥ずかしいのか、ボルスは顔半分シーツに埋めて上目使いでこっちを睨み付けてくる。
だからそれは俺にとっては逆効果なんだと、今もいってやったし、前に教えたような覚えがあるんだがな。
「俺は、お前が俺を睨み付ける目が好きだってことさ」
「変な奴」
「いい趣味だろう」
どこが!とボルスは口の中で吐き捨てると、
「…じゃぁ、おれはしょっちゅうお前を睨み付けてなきゃいけないじゃないか」
ぶつぶつと呟いた。
「は?」
驚いたのは俺の方。
ボルスは驚いた俺の様子でいったことの恥ずかしさに思い立ったようで
「…!いまのはなし!なし!!」
と必至で頭を振って否定する。もう耳まで真っ赤だぞ。
こちらとしてはそんなおいしいこと見逃すほど野暮でもないんでね。
ぶるぶるふる頭を両の手で挟み込んで顔を寄せるとにんやり意地悪く笑ってやると、ボルスは目に羞恥の涙すら浮かべて睨み付けてくるもんだからつい皮肉っぽく笑い返してやる。
最初と変わらないそんな関係。
「全くお前って奴は」
睨み付けるのは逆効果だっていっただろう?
それとも誘っているのか?
ゆっくりそのまま引き寄せてやれば逆らわないのは長い時間が変えた二人の距離。
ふわりと体勢を入れ替えてベッドにおしつけると逆らわずに背中に腕が回される。
「こういう時は笑いかけてくれてもいいんだけど…」
そんなことを言えばもっと逆効果なのはしっているけどやっぱり言ってしまう。
でもそれは拒絶ではないと知っている。
拗ねたように見える目は俺だけに見せてくれるんだろう?
その態度で教えてくれる。
だからきっと何度でも…
ゆっくりと顔を近づけてキスするときは、
その時だけはもったいなくてもその瞳を閉じてくれるので…。
終