視線の行方              

 

パーシヴァルとボルスが19〜20才ぐらいのお話です

「チクショウ!あいつめ!今夜帰ってこないようだったら…容赦なく上官に言い付けてやる!」
作戦部に上奏するための書類をワイン片手に書きながら、ガシガシと髪を乱し、ボルスは愚痴を垂れていた。 
ここは遠征中のゼクセン騎士団野営地。
与えられたテント内の簡易机でボルスは先程から書類と格闘していた。
すでに日は暮れ、周囲は闇につつまれている。 焚かれた篝火が造り出す不思議な陰影が、白いテントに映り込む。
もうそろそろ明日の戦に備え眠らなければならない。
だが精神が苛立っている為か、なかなか睡魔は訪れてくれない。
「…はぁ」
ボルスは溜め息をついた。 先程から己の精神を苛んでくれているのは、同じテントの同室者の行方である。 
ボルスは小隊長クラスの官位を有する騎士だ。故に、下士官達のような5〜6人纏めて雑魚寝という境遇よりは、 上等な待遇を与えられてはいる。
一つのテントを同じ階級者と二人で分け合って使用しているのだが…その相方がすでに2日間このテントに戻ってこないのだ。
日中姿は確認しているので戦死した為に戻ってこないわけじゃない。かといって、重傷を負い、衛生テントから出られない…というわけでも無い。
特別な任務を与えられているという事もない。
それなのに、このテントに戻ってこないのだ。
これは由々しき事態なのである。 何故同室者が帰ってこないのか、明確な理由はわからない。 
まったく思い当たる節がないかと言えば、そうでもないのだが…。
「俺…あいつに避けられてるのかなぁ…」
そう思った途端、チクンと胸が小さく痛んだ。

■ ■ ■

ボルスがその男を目で追うようになったのは、訓練を終えた騎士達が四肢の泥を洗い流す水場で偶然目にした、蛇の彫り物がきっかけだった。
ボルスの隣に並んだその男が、腕に付着した泥を落そうと袖口を二の腕まで捲り上げた瞬間、その腕に這う蛇を見た。
水を浴び、濃紺色の鱗を鈍く輝かせるその蛇は、躍動感さえ感じられるが、厳密にはタトゥーだった。 
少々ぎょっとはしたが、さまざまな出身者が寄り集まったこの部隊内では、肌に墨を刻印する者など、さして珍しくもなかった。それだけの事であるならば、すぐに忘れてしまった事だろう。
だが、ボルスはその男の横顔を見て息をのんだ。
肌、髪、瞳の色。目鼻立ちに、漂わせている雰囲気。そして、獣の彫り物。 

『この男、あの少年と似通った容貌をしている…同じ部族の出身に違い無い』

その風貌に思い当たる人物の記憶を重ね、その横顔をじっと見詰めていると、ひょいとその男がボルスを見た。 
「*******」
「…っ?」
視線が合った途端、聞き慣れない言語で話しかけられ、ボルスは戸惑った。
「*******、********」 
更に何か言われ、ボルスはムッと顔を顰めた。 
「失礼だが、公用語を使用していただきたい」
ボルスが小声でそう呟くと、男はうっすらと笑い、その場を離れていった。 
「なんだあいつ…喋れるくせに」
様々な地方出身者が集まる騎士団での最低限の入団資格が、共通語を操れる事だ。
故に出自がどうであろうと、同じ言語でのコミュニケーションが可能なのだが、先程の男はあえて意思を伝える努力を放棄していた。 つまりそれの意味するところは… 
「中央出身者への…いや、俺個人への悪口だったんだろうな」
だからボルスの分からない言葉を使った。
最初に無遠慮にジロジロ見詰めた己にも非はあるだろうが、理解できない言葉で責めるのは卑怯な気がした。
「わははは!いや、ボルス違うぞ、ありゃあ愛の告白だ」
豪快な笑い声とともに、後ろから声をかけられ振り向けば、そこには現在大隊長クラスの指揮権を有する仕官、レオ・ガランが立っていた。
軍でいうならば大佐で、ボルスより階級は上であり、ボルスが尊敬する騎士の一人だ。
「これはレオ殿…聞いていらしたのですか。そういえばレオ殿は北方地方の言語に造詣が深くていらっしゃるとか…」
「おおよ、アレ等の言葉は耳に馴染んどる。…あいつがなんと言ったか知りたいか?」
「…どうせ、悪口でしょう?中央出身者と地方には歴然とした派閥がありますからね。でも、なんと言ったんですか?」
そう言って身を乗り出すボルスに、レオは耳をかせと合図した。 彼の口元に耳をよせれば、紡がれた言葉は… 
「『お坊っちゃん、可愛い顔して睨むなよ。そんな恐い顔してなけりゃ俺の好みだぜ』だそうだ」 
「ふざけないで頂きたい!」 
怒りを露にしたボルスに、レオはどこまで本気なのかニヤニヤしている。 
「直訳すると『あなたからの無遠慮な視線が痛い』という事だが、意訳すればそういう意味になる、言葉とは裏の意味を読むものだろう?」 
「…つまり、レオ殿の勝手な解釈じゃないですか」
憮然としたボルスは、だがはた、と気がつき、レオに聞いた。
「レオ殿、今の男と見識がお有りで?」
「うむ。イクセ出身のパーシヴァル・フロイラインだ。先日こっちに配属された。いずれお前とも正式に顔合わせすることになるさ、同じ小隊長クラスだからな」
「イクセ…イクセって俺が告発した暴行事件の被害者の少年も、たしかイクセの出身だったはずじゃ…」
「ああ、そういや、そうだ。…ボルス、その件については、あまり気に病むな。お前がどうこう出来た話では無いのだからな」 
そう言いおくと、レオは去っていった。ボルスの胸にはザラついた嫌な後味が残った。

■ ■ ■

一月程前、前衛基地であるブラス城内でレイプ事件が発生した。
被害者はイクセ出身の下士官の少年。加害者は…有力なギルドマスターを父に持つゼクセンきっての豪商の三男坊とその取り巻き連中だった。
ボルスはたまたま警邏の任でその輪姦現場を通りかかったのだ。
加害者連中はボルスを見るや逃げ出したが、少年はすでに手酷い暴行を受け、全身傷だらけだった。
黒い髪に、漆黒の瞳。月明かりでもそれと分かる程、見目の麗しい、綺麗な少年だった。
無名諸国の風習として名高い獣の入れ墨が躯のいたるところに施されているのを見て、ボルスはこの少年がゼクセンの北方地域の出身である事を見てとった。
顔つきや身体的特徴も、ボルスのような生っ粋の中央生まれとは若干異なるのだ。
助けてくれた者が加害者と同じ、ブルジョワ階級で有力士族出身のボルスと分かるや、少年は傷ついた己の躯を必死に庇い、『もうできない』とボルスに許しを乞うてきた。 
「何もせん。俺をあの下衆共と一緒にしてくれるな」 
そんな少年に哀れみの視線を向けると、ボルスはそっと彼を肩に担ぎ、医務室に運び込んだ。

親のバックボーンをかさに着た一部の傲岸不遜な子息達による不祥事は、今回の少年輪姦事件も含め、これが初めてというわけではない。
なんの後ろ立てもない弱い立場の人間ばかりを狙う暴行事件は後をたたず、軍規により裁かれた悪事はほんの一握りで、大半は泣寝入りを余儀なくされていると聞く。 
そんな現実をまざまざと突き付けられた気がして、周囲の反対を押しきり、ボルスは思いきって騎士団上層部に対して、今回の事件の告発に踏み切る事にした。
当然、一部の貴族の子弟達からは「裏切り者」と避難された。だが生憎ボルスはこ狡い生き方が出来ない男だった。
己の法に照らし合わせ、「悪」と、看做された事柄であれば、容赦なく糾弾する。そういう教育を受けて育った。
だが、事はボルスの思いどおりには進まなかった。
告発したまでは良かったが、軍法会議は開かれず、一連の不祥事は全て少年側からの誘発により起きた事件であると断じられ、加害者の無法ぶりに裁可が下る事はなかった。
騎士団上層部に政界からの見えない政治的圧力がかかったのはいうまでも無いことだった。 
不始末の責任をとらされ、少年は騎士団を退団させられ、郷里に帰される事となった。
ボルスは二三の口頭注意を受けた。 結果、全てが加害者に有利な展開となってしまった。

告発したのがブルジョアであれば、揉み消したのもブルジョア。

ボルスの立場は、少年を擁護する地方出身の騎士達から見れば、被害者少年を騎士団から抹消する為の駒であり、件の豪商の息子達と同列に映った事だろう。
この事件を境に、地方出身者と中央出身者の二極化は更に進んでしまった。
あからさまな嫌がらせ行為こそないが、ボルス個人への陰口も相当なものだった。
結果が全てだ。
ボルスはこれを甘んじて受け入れた。
…というか、下手に何か言い繕うものなら、いつ双方から闇討ちされるかわからない。
今は辛抱の時だと、懇意にしてくれる友人達は励ましてくれた。

■ ■ ■

この件以来、落ち込んでいたボルスが、騎士団を去らざるを得なかった例の少年に、どことなく似かよった風貌の男に目がいったのも自然の成行きだった。

一度注意が向くと、結構目に止まるものである。
どこにいても、パーシヴァルの姿は直ぐに捕捉する事ができるようになった。
同じシフトのせいか、食堂では殊更目についた。 ボルス達中央出身者と地方出身者が同じテーブルに着席することはまずない。
明確な決め事があるわけではないが、水と油のように、そこには絶えず埋まらぬ 溝があるような気がする。
テーブル越し、ボルスは何度もチラチラと視線を送ったのだが、パーシヴァルがこちらを見返す事は一度もなく、非常に聞き取りにくい北方訛りを交えて仲間達と談笑している。
仮に目が合ったとして、喋る事など何もないのだから、無視してくれるのはボルスとしてもありがたい。
あの少年のその後を彼が知っているとは限らないし、聞いて何かが変わる訳でも無いのだ。
そのうちこんな風に彼を見詰める行為自体、自分でも飽きるだろうと思われた。 
「またあいつを見てるのか?ボルス。変に誤解されて殴り掛かられたらどうする?俺達は犬猿の仲なんだからな」
そんなボルスに、仕官学校時代から親交のある友人、ガウェインが声をかけてきた。 皿の上のジャガイモをつつきながらボルスが挨拶代わりに手を上げると、ガウェインはボルスの隣の席に陣取った。 
「あの男…なんだっけ、イクセ出身の…」
「フロイライン」
「そうそう、そいつ。…なんだよボルス、名前まで知ってんのか?なんでそんなに執着するかなぁ…。そのフロイラインって奴、あまり良い噂きかないぜ。深入りするのはやめとけよ」
「噂?どんな?」 
「ボルスにはちーっとキツイ話だよ。それでも聞きたいか?」 
フォーク片手に可愛らしくコクンと頷くボルスに、ガウェインは軽く肩を竦めてから喋り出した。
「まぁ、話せば長いから要約するけどな、あいつ自分の出世の為なら誰とでも寝るって話だぜ。この時期に地方配置から中央に転属になったのも、大方あの美貌で上官に取り入ったんじゃないかともっぱらの噂だ。北方出身者は平民とはいえ、妙に色気のある奴が多いからな。だから、いらん事に巻き込まれたりもするだろう。あの連中に『お願い』したい奴は騎士団内にもゴマンといるだろうからな」
いらん事とは例の輪姦事件を指しているらしい。
ボルスは無言でパーシヴァルの背中を見遣った。噂の真贋はさだかではないが、どうであれ何かと注目の的らしい。
「…随分と気色の悪い話だな、男色家に大人気とは」 
ジャガイモをもくもくと頬張りながらボルスはガウェインの顔を見た。 
「そう思うだろ?ボルス、お前もあの連中とは距離を置いたほうがいいぞ。お前、綺麗なんだから、汚されてからじゃおそいだろ」 
「それは俺が決めることだ」 
「お前は本当に放っとくとヤバイ方へ、ヤバイ方へと突き進んでいっちまうよな。俺は心配でしょうがないよ。もうちょっと要領良く立ち回ってくれよな、ほらイモついてる」
ガウェインに口の端のイモを取ってもらいながら、ボルスはパーシヴァルとその仲間をもう一度見遣った。
彼等と直接の接点が特に有るわけでも無い現状としては、ガウェインの忠告事態、あまり意味のあるものとは思えなかった。

しかし、そんな話を聞いたからだろうか、ボルスはますますパーシヴァルの事を意識してしまうようになった。
あくまで視線のみでだが、自由時間はいうに及ばず、勤務時間帯にまで彼の姿を追い求めてしまうようになったのだ。
何故こんなにもあの姿形に執着してしまうのか、自分でもはかりかねた。
だが、あの後ろ姿や、彼が友人と何か言い合いながら笑う様を見るのは楽しいし、飽きないのだ。
まるで恋する乙女のような心境だった。
友人の何人かは『身分違いの恋』だなどとからかってきたが、そう言われても見るのを止める事はできなかった。
見るだけなのであるから、何か減るわけでもないし、当人から見るなと注意をされたわけでもないので、この行為を止める気にはならなかった。

■ ■ ■

そんなボルスとパーシヴァルに、ひょんな事から接点がうまれてしまった。
グラスランド遠征における野営地でのテントの組み分けで、二人は同室に振り分けられてしまったのだ。
それを知ったボルスはにわかに緊張した。
一方的な観察により、ボルスの中にはパーシヴァルに対する親密感が芽生えているのだが、なにせ、あの告発事件の被害者である少年と同郷の男だ。
向こうはボルスに対して親密感など抱いてはいないだろうし、一波乱あるのでは無いかと頭を悩ませた。
友人達は、何かあったら大声を上げて周囲に知らせるんだ、直ぐに駆け付けてやる!とまで心配し、救助を約束してくれた。 

初顔合わせの日、 先にテントに私物を運び込んだボルスは、後からパーシヴァルがやってくるのを待った。
すっかり辺りが暗くなったころ、パーシヴァルが小さな荷物を片手にテントへとやって来た。
緊張のあまりそわそわとしていたボルスであるが、姿を表したパーシヴァルが、普段観察している彼とは180度異なる、どこか異様な雰囲気を纏いつかせている様に、かなり戸惑ってしまった。
彼は、音をたてずにそっとテントの帳を開くと、中を伺うように、慎重に一歩足を踏み入れた。
まるでいつどこから敵の伏兵が飛び出してくるか、極度に警戒しているような有り様であった。
『一体何を警戒しているのだろう?俺が何かするとでも思っているんだろうか?』
ボルスは顔をあげ、視線を合わせた。だが緊張の為、いささかキツく、睨み付けるような視線を送ってしまった。 
それを受け、パーシヴァルは戸惑ったように小さく会釈すると、ぎこちない足取りで自分に与えられた寝台の上に荷物を置いた。テントの中は、ちょうど中央を境に左右にそれぞれの寝台がある。
テーブルは一つで、椅子も一つ。先に来ていたボルスがその椅子を使用しているのでパーシヴァルは自然と寝台に腰を降ろす事となった。 そして、上目遣いでチラとボルスを見遣ると、ぷいと視線を他へそらす。
「……???」 
ボルスは内心で困惑した。 いつも盗み見している時に目にした、物腰が優雅で、飄々としているパーシヴァルとは随分受ける印象が違う。
どちらも同じ人物なのだが…はて、どうした事だろう? 
お互いがお互いの出方を伺っていた為に、妙な沈黙が二人を包んだ。 そのような雰囲気に慣れていないボルスは焦り、何か会話の糸口を見つけようと内心でオタオタした。
聞きたいことは色々とあったのだが、生憎何も出てはこなかった。
ちら、とパーシヴァルを見遣ると、やはり居心地悪そうに足を組み、ボルスからの反応を何かしら待っているように見受けられる。それを知ったボルスは余計に固まり、ますます何も言えなくなってしまった。
挨拶や自己紹介すらマトモに交わせず、結局、気まずい雰囲気のまま、その日は一言も口をきかずに、お互い眠りについた。

翌日も一日戦いに明け暮れ、ボルスは疲労困憊した躯をひきずり、野営地に帰りつくなり、倒れるように寝台に横になった。 パーシヴァルは帰ってこなかった。最初は死んだのだろうと漠然と思っていたが、彼は戦死者リストに名を連ねてはいなかった。聞けば彼は水魔法を操れるらしい。当然 負傷者リストにもいない。 
その翌日は戦闘は無く、待機するよう命令が下った。
昼間、ボルスはパーシヴァルの姿を1日ぶりに野営地内で見かけた。同じ地方出身者達の輪に溶け込んで何事か会話を交わしている。何故昨夜戻ってこなかったのか、その理由を問いただそうと思ったのだが…その輪に排他的なものを感じたボルスは、声をかけるのを躊躇い、そのままテントで彼の帰りを待つ事にした。
ただでさえ、例の暴行事件以降、連中には恨みを抱かれている。
下手に干渉して自分の立場を危うくするのは得策ではない。 しかし時計の針が夜半を大きく回っても、パーシヴァルはテントに姿を表さなかった。
そして話は冒頭に戻るわけである。

■ ■ ■

「あれ?地図がない!」
書類作成も大詰めを迎えたころ、 携帯していた地図が見当たらない事に気がつき、ボルスはテント中を捜しまわった。地名を確認し、サインしなければならない書類があるのだ。
「ああもう!こんな時にどこに置いたんだっ!?絶対この部屋の何処かに置いた筈なんだが…」
自分のテリトリー内は探し尽くし、パーシヴァルの寝台周辺を漁る。
寝台の下を覗き込み、発見できないとわかるや、はぁ〜と盛大な溜め息をついた。 
「これだけ探して何故見つからないんだ?こんな時に同室者がいれば、貸してもらえたんだろうがな…」
寝乱れてもいないパーシヴァルの寝台に腰をおろし、ボルスはふと、とある事に気付いた。パーシヴァルの私物が…初日にはたしかにあった筈の荷物が消えているのである。
「……自分が留守の間、俺が何か盗むとでも?クソッ!なめられたもんだな。お前の私物に手を出す程落ちぶれちゃいないんだよっ!」 
八つ当たり気味にパーシヴァルの枕を殴りつけると、ボルスはガウェインに地図を借り受ける為、外に出た。
だが、生憎とガウェインは先日の戦で負傷し、衛生テントのお世話になっていることが判明した。仕方なくボルスはその場から一番近いレオのテントを訪ねる事にした。所属が違うとはいえ、等級が上の人間に地図を貸して欲しいと頼むのは結構、いや、かなり気がひけた。
「紛失しただと?」
案の定、ジロリの睨まれ、ボルスは首をすくめた。 
「なるべく明日中に配給手続をとりますので、それまで貸していただきたい」
寝入りばなを訪問者に起こされ、レオは些か不機嫌だ。 上半身の甲冑を外しただけの格好で、腰には剣を帯びている。夜間とはいえ臨戦体勢は解除されていない為、いつでも飛び出せる格好でいるのだ。
「そこの机の上にある。持っていけ」
顎でしゃくられた先の卓の上に丸められた地図があった。ボルスはそれを掴むと、求める地域の地図かどうか確かめようとその場で広げ確認作業をした。
「……?」
地図を見て、ボルスは何か、ひっかかるものを感じた。
地図の端にポツンと残る染みが目につく。
先日自分が零したコーヒーの汚れも、たしかこんな位置についていた筈だ。
『あ!』
見たかった地域に目をやった時、ボルスはそれが自分の地図であると確信した。
何故ならば、己が赤いペンで付けた印と注意書きがそのままその地図上に表記されていたからだ。
「レオ殿、この地図は一体どこで…?」
そこまで言いかけ、瞬間ボルスは腰の剣を鞘から抜き払った。
寝台に人の気配を感じたのだ。
賊が忍んでいると思い、背後のレオの制止も聞かずにボルスは寝台の帳を勢いよく開いた。

「フ、フロイライン!?ここで何をしている!」
そこには、肌も露なしどけない格好で横たわる同室者の姿があった。 
このシチュエーションからして『何をしている』とは、随分と野暮な質問を浴びせたもんだと瞬間後悔したが、今現在の状況を思い出し、ボルスは再び眉間に皺を寄せた。
臨戦体勢命令が発令されている中で、規定の服装を守れていないのは…つまり裸体を晒しているのは、充分軍規違反である。ついでにいうならばパーシヴァルは持ち場を離れているという意味でも二重に軍規を犯しているのである。
告発されれば、軍法会議にかけられる事必至であろう。

『俺の元に帰らないで、こんな場所に入り浸っていたなんて!!!!』

無性に腹が立ち、ついつい棘のある台詞が飛び出してしまった。
「貴様、今がどういう状況か解っているのか!持ち場に戻れ!」 
その台詞に反応してか、むくりとパーシヴァルが上体を起こした。
そのニの腕には見事な蛇の入れ墨。 
それについ視線を奪われたその隙をボルスは突かれた。
いきなり世界が反転した。気がつけば先程までレオとパーシヴァルが抱き合っていたであろう寝台の上に、ボルスはうつ伏せに押し倒され、両の腕を後ろ手に捻り上げられ、拘束されてしまった。
しかも、それは、どんな巨体相手でも確実に自由を奪うポイントを熟知している。
パーシヴァル一人の仕業だというのに、凄まじいバカ力だった。
髪を掴まれ、枕に顔面を強く押し付けられた。呼吸がままならない。ボルスは全力で抗った。 
「見つかってしまいましたね、レオ殿。よりにもよってこいつに。どうしましょうか」
真上から降って来る、低く柔らかな声はパーシヴァルの物だ。
今更だが、彼が訛りのない流暢なゼクセン語を喋っているのを、この時初めて聞いたような気がする。
レオの溜め息が背後から聞こえた。 
「離してやれパーシヴァル」 
「しかし、この男、確実に私達の事を告発しますよ。今なら夜陰に乗じて消す事も可能ではないですか。なに、死体は今夜中に戦場にでも転がしておけば、後は掃除屋が始末してくれますよ。完全犯罪と言うにはおこがましいですが、充分バレませんて」
「窒息しちまうぞ!」
レオの一言に仕方なくと言った体でパーシヴァルはボルスの呼吸を自由にしてやった。
ボルスは涙ぐんで咳き込み、喘いだ。
「すまない、今のは軽い冗談です。コロリと忘れていただきたい」
くったくのない笑顔で覗き込まれ、ボルスはカッと頭に血が昇った。
「嘘こけっ!貴様!今俺を本気で抹殺しようとしてただろう!!お花畑が遠くに見えてたぞ!その先には大きな川があって、対岸には死んだ祖父さんがっ…!!」
「ああ、少々手酷く扱いすぎましたかね。脳が酸欠状態なのかな?冗談ですってば、取り乱さないで下さい」
「絶対に貴様の事だけは死んだって訴えてやる!!!」
途端、ボルスは再び枕に沈められた。
「…やっぱ殺っちゃいましょうよ。死ぬ覚悟できているようだし。そうすりゃ私も周囲を気にしてビクビクする事もなくなるし」
「パーシヴァル!!いい加減にしないか!ボルス、起きろ!」
レオの咆哮に、二人は慌てて居住まいを正した。 ボサボサに乱された頭髪を手櫛で梳きながら、ボルスは隣に座るほぼ裸のパーシヴァルを睨み付けた。
「いい加減、服を着ろよ!」
肩を竦め、パーシヴァルは脱ぎ散らかした服をひととおり着用した。
「すまんなボルス。そいつの冗談は少々ブラックだからな」 
レオの取りなしに、ボルスは憮然とした。
…どこが冗談なんだ!!レオの了承を得ていたならば、こいつは確実に俺を殺していただろう。あの殺気は本物だった。そして明日の朝、俺は物言わぬ 死体となって戦場に転がっていたはずだ! 
「フロイライン、俺はこの事、穏便に済ませる気はないぞ…最後まで戦ってやる!」
言うが早いかボルスは剣を片手に立ち上がるとその場を離れようとした。
「まあ待て。お前にも責任の一端はあるんだぞ、ボルス。訴え出たらお前もただでは済まんぞ」
「…レオ殿!俺を脅迫するんですか!」
いきり立つボルスの肩を掴むと、レオは室内に引き戻し、椅子に座らせた。
「パーシヴァルの言い分も聞いてやったらどうだ。お前がテントから追い出したようなものだろう」
初めて耳にする話にボルスは目をしばたかせ、隣の男をまじまじと見遣った。
「ぬかせっ!俺がいつ貴様を追い出したというんだ!」
「初日からですよ。あからさまに私を蔑み、避けていたではないですか。目が合えば噛み付かんばかりに威嚇してくるし。ペレスの事で、あなたと我々の関係は拗れたままだ。このまま、あなたと同室でいたならば、いつ自分もペレスのように搾取されるのではないかと、心落ち着けて眠れやしませんでしたよ。だからここに避難していたのです」
ペレスとは、暴行事件の被害者であり、この男の同郷者でもある美少年の名だ。 
「そんな事は…」
「私だって、好きであなたのような高貴なお人と同室になったわけじゃないのですよ。そこの所を掃き違えないで頂きたいものだ」 
わざとらしく「高貴」な部分を吐き出すように発音し、パーシヴァルはボルスの言い分を遮った。 
「………」
パーシヴァルの言葉尻には、暴行事件の事を指している以上の棘がある。

元々、イクセ村一帯は十数年前まではゼクセン領では無かった。どこにも組みさない無名諸国の一つであり、ゼクセン地方とは信仰する神も言語も異にしていた。
主に小麦の売買がその地方の収入源であり、ゼクセンとは交易でもって繋がっていた。
だがゼクセンが連邦国家としての軸要を打ち立てる際、その強い経済政策でもって締め付けられたイクセを含む周辺の北方地域は、ほぼ強制的に連邦に併呑されてしまった経緯がある。
初めの数年はハルモニアとルビークのような関係を強いられていた。だがもともと温厚で従順な民族性であった為に、地域紛争がぼっ発することもなかった。
信仰も言語も異にしていたとはいえ、まったく類似性が無いというわけでもなく、むしろ重複する事柄が多かったためか、急激にゼクセン文化圏と融和していった。

しかし、中央の人間達にはそんな地方民族をどことなく見下す風潮がある。

騎士団内での例の暴行事件ひとつとってみてもそうだ。
善かれと思いしたことだったが、ボルスが事件を告発したことで、あの少年は騎士団から去らざるを得なかった。故意ではないが、彼の前途を潰してしまった自覚はある。 恨まれても仕方のない縮図がそこには展開していたのだ。

膝に置いた拳を強く握り締め、ボルスは今にも堰きを切って溢れ出そうになる感情を必死に押さえ込んだ。 
「パーシヴァル、ボルスはペレスの為を思って、あの馬鹿共とお前達の板挟みになるのを覚悟で告発に踏み切ったんだ。こいつは根っから腐ったあの連中とは違う。そこは汲んでやれ」
「…わかっていますがね。ペレスはイクセに残る家族にとって、貧しい家計を支える唯一期待の星だった。それを考えるとなんともやるせない気持ちになるのですよ」
こいつが告発さえしなければ、ペレスは騎士団を去る事もなかった。暗にそう言われ、ボルスは目の前が暗くなった。 とどめを刺されたも同然で、ボルスはゆっくりと立ち上がった。
そして無言のままレオのテントから出ていってしまった。
「……言い過ぎたましたかね」
「パーシヴァル、早くお前も帰れ。…大丈夫だ、あいつはここで見た事は何も言わん。前回散々煮湯を飲まされてるからな。…だが当初の目的は忘れているようだ。地図を置いていきやがった」
「あ、それ、彼の地図なんですよ。無断で拝借したままでしたが」
「お前、そういうのは盗難と言うんだ」
散々罵っておいて、ちゃっかりしている。レオはそんなパーシヴァルに呆れた。
「憎むべき敵はボルスではない、むしろ奴も今回の事では被害者だ」
「それは充分理解していますよ」
小さく溜め息をつくと、パーシヴァルはボルスの後を追ってレオのテントを辞する事にした。
「それじゃお世話になりました」
「パーシヴァル、ちゃんとフォローするんだぞ!あいつは自覚こそないが、ボンボン共のアイドルだからな。泣かせたりしたら、熱烈なボルスフリークに殺されるぞ。それこそペレスの二の舞いだ」
「…だからこそ彼と同室だけは嫌だったんだ。…しかし、姫君の御機嫌をとるのもナイトの仕事でしたっけね。ついでにあの連中に一泡ふかせてやろうかな」
何を想像したものか、うっすら笑うと、パーシヴァルは足早に去っていった。 

■ ■ ■

実は…パーシヴァルがボルスから逃げていた本当の理由は、ボルスと共に過ごすのが気まずいなどという、そんな甘ちゃんな理由からではなかった。 
ボルスには嘘を言った。
テントでの顔合わせ初日、パーシヴァルの目に映ったボルスは、緊張の為頬を染め、おろおろとする可愛らしい姿の美青年そのものだった。
あまりにも落ち着かないその様子に、声をかけようかとも思ったのだが、テントの外から中の様子を伺う野次馬どもの気配に辟易し、そのまま無視を決め込んだ。
実は、ボルスの熱烈な視線を受けるようになってからというもの、パーシヴァルは、ボルスに心酔し追従する彼の取り巻き連中らの妬み嫉みを買う身となったのだ。

それに加え、今回のとんでもない部屋割が発表されてしまった。ボルス親衛隊からの脅迫はますます苛烈を極めた。
『平民の分際でボルスに近付くな!殺す!』
などというようなそんな脅しを、行く先々で聞かされた。 パーシヴァルの心情などおかまいなしの一方的な脅迫に、いい加減ウンザリとした。
いつ自分がボルスと懇意になりたいなどと吹聴しただろうか?そんな事一言だって言った覚えは無いのだ。
さすがのパーシヴァルも、ろくろく喋った事も無い男相手に、恋々と入れ込むような真似は出来ない。
だが、盲目的な嫉妬程恐いものはない。 このまま行けば、パーシヴァルが闇討ちされるのも時間の問題だ。
命の危険を感じたパーシヴァルは、友人に相談し、結果、レオの元に逃げこんだ。

ボルスの熱烈なラブコールを無視し続けてきたのには、そういう理由があったのだ。

■ ■ ■

暗鬱な気分のまま、自分のテントに戻ってくるなり、ボルスはベッドに横になった。
色々と心が乱れていた。何もかもがムシャクシャした。
今すぐにでも敵が夜襲を仕掛けてこないかなどと物騒な事を考えた。
体のなかを駆け巡る、この煮えたぎる衝動を剣に委ね、思いきりふり降ろしたかった。
この感情をどう表現していいのかわからない。
ただ、パーシヴァルが己を避けているという事実が、ギザギザと胸の内を切り刻んだ。 
「くそ…」 
力任せにぎりりと、シーツに指をめり込ませた時だった。
外部からの足音が己のテントに近付いて来た。
足音はテントの入り口で止まると、ザッと帳を払い、ためらうことなく中に侵入してきた。
入り口に背を向けていたため、ボルスからはその姿の確認はできなかった。
一瞬背筋が強張る。
侵入者は、そのままボルスの寝台の脇まで来ると、直接床に座り込んだようだ。
「ボルス殿、もうお休みになられているのか」
背後から小さく囁く声は、案の定、先程諍いをした相手、パーシヴァルだった。
無視を決め込もうかと思ったが、それでは小さな子供が拗ねているのと変わらないと思い、ボルスは返事をした。
「…帰ってきたのか、では寝ろ。明日も早いぞ」
「先程、ガラン卿のテントで見たことは…」
パーシヴァルの口からレオの名が出た途端、ボルスはカッとなった。そして勢いにまかせ、あらぬ ことを口走っていた。
「お前が出世の為なら誰とでも寝るという…あの噂は本当だったんだな!」
少々きつい口調で詰ってしまったが、パーシヴァルは動じず、小さく笑ったようだ。
「ガラン卿はそんな小賢しい手管が通用するような御仁ではない。私はあの方の人間性に惚れ込んで、自ら彼の傍にいるのです。私をどう辱めようと構わないが、彼を侮辱するのは許しません」
ボルスはドカッと金槌で後頭部を殴られた気分に陥った。
己の子供じみた発言も恥ずかしかったが、何よりも再びパーシヴァルに蔑まれた事が心に響いた。
そもそも、こんな事を言うつもりでは無かったのだ。
彼の口からレオの名が紡ぎ出された途端、感情が暴走してしまった。 
「ボルス殿、先程の噂、誰に聞いたかはしりませんが真に受けないで頂きたい。私はそんな節操無しではありませんよ。第一あなたの言う通 り、そんな行為が騎士団内でまかり通る程、ここの綱紀は緩くはない」
…それはその通りである。そんなに乱れまくった事をしていれば、遅かれ早かれ粛清されてしまうことだろう。
『ガウェインの奴…俺にホラふきやがったな!』 
パーシヴァルに対して、またも恥の上塗りをしてしまった。
言い返す気力も無くなり、ボルスは深々と毛布を被った。
どうかこのまま、もう俺のことは構わずに無視して欲しいと思った。だがパーシヴァルが去る気配はない。
ボルスは嘆息した。仕方なく、最後の切り札を自らの手で破る決心をした。
「…告発はしない…。色々と疲れた、安心したなら寝てくれ」
そのボルスの言葉に、パーシヴァルは何事か考え込んでいるようだ。 ふいにパーシヴァルが立ち上がる気配がした。
今の言葉に安心し、寝台に向かうのだろう。
後ろ髪をひかれ、ボルスは思いきって彼の背を見ようと寝返りを打った。
そして固まった。
視界いっぱいに、パーシヴァルの顔があったからだ。
驚いて後ろに引こうと思ったら、彼の両手に両頬をやんわりと挟まれ、身動きできなくなってしまった。
ドキドキと心臓が早鐘を打った。頬が赤く染まり、目が潤んでくるのがわかる。 
そんなボルスの様子にパーシヴァルは微笑した。
「告発しない?何故ですか。…疎ましい輩をスキャンダルで潰す、これは絶好の好機ですよ。君のいうとおり、私は出世欲の塊だ。行く手を阻む輩は容赦なく潰す気でいます。そしていつか君の将来に陰を落す存在に成るかもしれない。蹴落とすなら、まさに今ですよ」
パーシヴァルの瞳に宿る色は、ことのほか真摯だ。ボルスは何と答えていいかわからなかった。
何か言おうと口をあけるのだが、その唇は小さく震えるだけだ。 
「ボルス殿」
パーシヴァルの指先が、頬から頤へと移動する。その感触にボルスは目をつぶった。
「普通、たかが下士官一人の為に、強大な権力相手に正々堂々と啖呵を切れる者はそうは居ません。正直なところ出自に関わらず、例の事件に対して私は君に畏怖と尊敬の念を抱いたものです。まぁ、仲間は色々と言っていましたがね。…君は強い男だ。このまま順調に進めば、いずれこの騎士団の枢軸を担う要となる事は間違い無いだろう」 
パーシヴァルの吐息を、すぐ傍で感じた。寝台に負荷がかかるの感じ、『!』と思った時には手首を拘束され、ベッドの上、彼に組み敷かれていた。
「な…なにを…」
「昔から両雄並び立たずというだろう?そうなると、一方が一方を御すしかないからな。ボルス、君はどっちがいい?」
「???どっちって?」 
パーシヴァルはくすくすと低く笑った。
「さすがの俺も、なんの見返りも無しに君が告発を取り下げてくれるとは思っちゃいないよ。選択権は君にあるんだ。では不祥、私めが『女』となって貴殿に御奉仕つかまつろう」
「おい、フロイライン!?」
突然上下が反転し、ボルスはパーシヴァルの身体の上に馬乗りになる形を取らされた。 すぐ真下に、散々観察してきた美しい男の肢体がある。ボルスはその異常なシチュエーションにだんだんと現実に引き戻されていく思いがした。
「俺にお前を抱けというのか!?ばっ、馬鹿な真似はよせ!なんでそんなに簡単に自分の身を切り売りするような行為ができるんだ!頼むからもっと己を大切にしろ!」
ボルスはパーシヴァルの上から飛び退ると、このテントから逃走をはかろうと考えた。
「ボルス、持ち場を離れるのは重大な軍規違反ではなかったか?」
「…ああ!そうだった!!!」
すさかず突っ込まれ、逃げ場を失う。たじたじとしている所を手首を握られ再び寝台にひっぱり込まれた。
勢い良く寝台に押し倒されたせいか、寝台の端に頭を強かぶつけた。 
「抱くのが嫌なら、抱いてさしあげようか?」
痛みにクラクラとしている隙を突かれ、ボルスの唇はパーシヴァルに奪われた。
ゆっくりと舌先で口唇を弄ばれる感覚に、ボルスは震えた。
パーシヴァルの舌先が、ボルスの唇を軽く突き、納め先に誘致してくれと甘い誘いをかけてくる。
ボルスは逆らわなかった。 うっすらと唇を開き、しっとりと暖かい口腔内にパーシヴァルを誘った。
舌を絡め受け入れるその刺激は、ダイレクトに股間に響き、ボルスを慌てさせた。 他人と唇を合わせる行為がこれほどまでの愉悦をもたらすなど、ボルスは今まで考えた事もなかったのだ。
このままでは股間に来たした熱膨張を、のしかかるこの男に悟られてしまう。
それはいくらなんでも具合が悪いし、恥ずかしい。 

びくりと硬直し、逃げだそうとするボルスの身体を鋼の力で拘束すると、パーシヴァルはゆっくりその唇を解放する。
ボルスが慌てて空気を吸い込む。その艶やかに濡れた唇をじっと見詰めながら、パーシヴァルは物騒な事を真顔で言った。
「…決めた。本当はあの連中に一泡ふかせるつもりで、少々悪戯してやろうと思ったんだが、ボルスとは強固に関係を結んだほうが、俺にとってはこの先有利だな。それに有力士族と懇意になる良いチャンスだ♪」
いけしゃあしゃあとほざかれるその台詞に、ボルスは唖然とした。
「フロイライン…お前…普通『建て前』の台詞が先に来るだろう!?今のは堂々『本音』であって、俺の前で口にするべき事ではないんじゃないのか!?それに連中っていうのは誰の事だ?」 
ボルスの指摘にパーシヴァルはクツクツと笑い、こっちの話だと誤魔化した。
「先に俺の底意を知らせておいたほうが、抱かれた後で君がセンチな気分で不安がる事もないだろうと思ったんだよ。でも別 に構わないじゃないか、そんな事。元より君は俺に惚れているんだから、抱かれるきっかけなんて何だっていいだろう?今ここで大人しく俺にその身を捧げてください。なに、後悔はさせませんよ」
さすがのボルスもこの言葉にはノックアウトされた。怒髪天を突き、のしかかるパーシヴァルのこめかみ当たりを強く押し返した。 
「前言撤回だ!やはり今夜の事は告発してやるっ!俺がいつ貴様に惚れてるなどというようなクソ甘ったるい告白をしたっ!言ってみろ!」 
その瞬間湯沸かし器ぶりに、パーシヴァルは溜め息をついた。せっかく良い雰囲気に持ち込めたのに、口説き文句が徒となったようだ。 理詰めで説いても、こういう輩には効果がない。
やはり肉体に直接言い聞かせ、調教するしか他に手はない。 
「あんなに毎日熱い視線を寄越しておいて、『他意はなかった』と言い切れるのか?」
「…………いや、だって、あれは…」
確かに、そのとおりなのである。パーシヴァルの提起した問題に、ボルス自身深く考え込んでしまった。 
「お前があの少年に似ていたから、ついつい目がいってしまったんだ」
「では何故レオ殿に嫉妬を?俺と彼の関係を知って、身を焦がすような想いをしただろう?」
これは単純な鎌掛けであるのだが…ボルスは迂闊にも、ひっかかってしまった。 
「それは…えーと」
噛んで諭すように自分の心理状況をつぶさに語られ、ボルスは二の句がつげなくなった。確かに指摘される通 りである。こうなると行き着く先にある答えは一つだ。
「それは…?」
黙り込んだボルスの白く柔らかな頬を突きながら、パーシヴァルは彼からの回答を待った。ボルスは大きく息を吐くと、ヒタとパーシヴァルの相眸を見遣った。
「俺…昔から恋愛は下手なんだ。異母兄弟も含め、家族はみんな男ばかりで、女性に免疫がまったくなかったから、女性を目の前にすると緊張して声が張り付いてしまうんだ」
伺うようなボルスの視線に、パーシヴァルは頷くことでその先を促した。
「当然他人と身体を繋ぐような親密な関係になった事など未だに無くてだな…。故に、恋愛感情などというものは全くもって、はかりかねるのだ。だからこの気持ちが恋だとか言われても、皆目見当がつかん。でも…」
「…でも?」
「なあ、パーシヴァル…客観的に見て、やはり俺ってお前に惚れてるいるのかな?百人が百人、そう断言してくれるのかな?俺がお前に惚れたのなら…今ここでお前に抱かれて身も心もお前に捧げれば、それと同じ位 、お前も俺のものになってくれるのか?」 
本来ならそこは爆笑するところであったのだろう。 
だが、生憎とパーシヴァルはまったく別の感情をこの時ボルスに抱いてしまった。
潤んだ大きな瞳で下から見詰められ、その計算づくでもなんでもない天然かつ、たどたどしい純粋な口説き文句に、コロッと参ってしまった。
世の中に対して斜に構え、擦れてしまうと、こんなウブでささやかな愛の告白にヒョイと足元すくわれてしまったりすることもある。 

『ちょ…超絶、可愛いっ!』 

パーシヴァルの理性は、ボルスの金髪に指を絡め、その柔らかな唇を再び奪ったまではまだ働いていた。
だがボルスが『好きだ』という小さな愛の言葉と共に、己の背中に腕を回した辺りからは、理性も本能も目の前の男に首ったけになってしまった。 

その瞬間、ボルスは歓喜でもって男の楔を迎え入れた。惚れた相手に抱かれるのだ、パーシヴァルに指摘されるまでもなく、それはとても甘美な恍惚をボルスに与えてくれた。
こうしてボルスのお初はパーシヴァルに摘まれてしまったのである。

■ ■ ■

それから一ヶ月後。 ブラス城内にて、連れ立って颯爽と闊歩するパーシヴァルとボルスの姿をちょくちょく目にするようになった。
食堂でも堂々と同じテーブルにつき、談笑しながら食事をとる風景が見受けられる。 
その中央出身者と地方出身者の異色の組み合わせに、誰もが一度は怪訝な顔をした。

先の戦から一月後、二人は見事にくっつき、バリバリの蜜月を送っていた。 
ボルスが自らパーシヴァルとの仲を親しい友人達にカミングアウトする事により、パーシヴァルへのあからさまな嫉妬はとりあえず形を潜めた形になっている。
ボルスの取り巻き連中としては、ちょっと目を離した隙にトンビに油揚げを盗まれたような心境であろう。 

「レオ殿に『まるでロミオとジュリエットのようだ』などと、先日いわれましたよ。でもこれを機に、中央だ地方だとつまらぬ こだわりを捨てたカップルがどんどん誕生すればいいですね」
「…男女間での事、言ってるんだろう?それ」 
「どちらでもいいじゃないですか、愛があれば。ね?」
にこっと微笑まれ、ボルスは慌ててその視線から逃れた。そのまま見詰め続けられたら、こんな公共の場にも関わらず、でれ〜とだらしなく自分の頬が緩んでしまった事だろう。ごまかす為にも、話題の方向を転換させる。
「パーシヴァル、お前、その後はレオ殿とどうなんだよ」 
「どうって…別になにも。今までどおりのお付き合いをさせていただいてますよ。勿論肉体関係抜きでね。下世話な言い方ですけれど、もともと彼とは恋愛感情があって寝ていたわけではありませんから。…妻子持ちに熱を入れあげても、虚しいだけでしょう?」 
「そういや最近2番目のお嬢さんが誕生したとおっしゃられていたなぁ…お祝何か送らなければな」 
「そうですね。ああ、そうそう、先日届いた地元からの便りに、ペレスの奥方も懐妊したという吉報が書いてありましたっけ。もう落ち込んでもいられないでしょうね。父親になるのだから、嫌でも張り合いが出るってもんですよ」
その話にボルスは驚いた。
「あの少年、結婚していたのか!?」
「地元に帰ってすぐに幼馴染みと祝宴を上げたそうですよ」 
「…そうか」 
あの少年が第二の人生のスタートを切った。その報に、ボルスは心にわだかまっていたモヤが少し晴れたような気がした。思えば、あの事件がおきなければ、ボルスとパーシヴァルがこんな仲になる事もなかった筈である。
ある意味、ペレスは愛のキューピットだったのだ。
その不思議な縁に、ボルスは感慨深げに天を仰いだ。 そんなボルスの心境などこれっぽっちも斟酌しないような脳天気なパーシヴァルの台詞がその頭上で炸裂する。
「俺とボルスの間に子供が出来たらさぞ可愛い子が誕生するだろうな。想像しただけでも楽しいな」 
「………人として…、いや生物としてまず無理だがな」
なにせまだ新婚さんムードの二人だ。何もかもが桃色に見えてしょうがない。
どんなに周囲から冷ややかな目でみられようとも、今の二人には何処吹く風である。 まだまだ世間の荒波に揉まれそうな二人であるが、取りあえずはハッピーエンドに落ち着いた。 

 
 


 


 

『改造計画分室』の天明寺有利様よりキリ番444を踏み抜いて強奪させていただきましたです〜。
いやいや、本来キリ番やっていらっしゃらなかったのですが…狙っていた書き込みチャンス(おまけに444とほぼ同時にマシンが落ちるわファイルはとぶは…これは書かずにはおれませんでしたともよ(笑))!とばかりに申請しましたら書いて下さいました。天使のような方です。
リクは『野営』。
一生懸命ででもどこか抜けていて、やりたい放題のパーシヴァルにころっとダマされて拐かされてしまうボルスが、もうめっちゃめちゃかわいいです。
(パーシヴァルも結構最初からボルス気に入ってたのでは?素直じゃないね(ヲイ))
そしてラブなのが嬉しいです〜。

有利様。素敵な小説をありがとうございましたです〜\(≧▽≦)/
 

(2003.3.3 ほむら)