○● 読書感想記 ●○ 2010年 【1】 ※ 書影画像のリンク先は【bk1】です ※
「ファム、一つだけ言っておきたいことがある」 シェンルンは妻の肩を掴み、 「私はきみのことが……」 「わかってる。ゴンバ・ルドの精霊があなたの想いも、ジュエルを助けてロワールに国を建てたことも、傷ついた体で私を助けに行こうとしてくれたことも見せてくれたわ。あなただけが、私への想いを貫き通してくれた。今やっと思える。あなたが夫で、よかった」
いやー、もう、こう言われる/言うのって、主人公とヒロインですよねー。 これを見ているだけの主人公は、ホント傍観者(笑)。 わたしとしてはこの情けない旦那様が駆けつけたときの――
「間に合わなかった!」 「いつも一歩遅いのよ、あなたは!」
――には大笑いしましたけど(^-^)。 先述のセリフにしたって、今更言うな遅いわ!感がありまくりでしたしー。 表舞台から退いた元英雄。 再び立ち上がってくれることを期待する精霊。 ふたりがこのまま傍観者であるのか、それとも時代が彼らを表舞台へ押し上げるのか、この先が楽しみな新シリーズです(よね?)
「ぼくら、というかぼくらの世代はさ、いつまでいっしょに歩いていけるんだろうね」 「いっしょに歩いていくって?」 「いつまでみんなで足並みそろえて、正しく生きていけるのかなって」 (中略) 「結局さ」と真悟君はつぶやき、やるせない表情で続けた。「しかたのないことなのかもしれないな。おれたちの世代からも欲望に負けて間違っちまう人が出てくるのは。現実として受け入れていかなくちゃいけないんだ。ここはユートピアじゃない。悪い人もいる。そう納得したり、覚悟したりしておくべきなんだ」 寂しいね、と心の内でつぶやいた。寂しいね、寂しいね。大人になるってなんて寂しいんだろう。心が湿り気を帯びて重たくなった。 「だけどさ、リッツ」 「うん?」 「ぎりぎり踏みとどまっている人もいるわけだ。そういう人がいるかぎり、希望を捨てちゃいけないな、とも思うんだ」
ハッピーエンド至上主義ではないです。 そもそも彼らの世界にはまだまだ苦しみや悩みが溢れているのですから。 それでも彼らは1年前より少しだけ倖せな世界を手に入れた。 それが嬉しいのです。 彼らの、そして勇気を出した全ての人に幸いあれ! そんな願いを抱いてしまう素敵な作品でした。
『まほろ駅前多田便利軒』 三浦しをん 著 東京南西に位置するベッドタウン、まほろ市。 東京であって東京でなし、かといってもちろん神奈川でもなく。 地政学的に不思議なアイデンティティを持たざるを得なかった一都市に住む人たちと、彼らのあいだを巡りながら諸問題を請け負い解決していく何でも屋。 そんな便利屋業を営む多田と、宿無し文無しで転がり込んできた高校の同級生の行天。 なにかを失い傷つきながら生きていく人たちが、出会いのなかで喪失した心を再生していく物語。 ひと言で言い表そうとすればもちろん「喪失と再生」なのだけれど、そこへ至るまでの背景設定が巧妙というか精緻というか。 物語上で表される人物像を含めた舞台装置の配置が見事。 無駄がない……というより、この世界に存在するモノ全てに「まほろ市」に在る意味が有せられているカンジ。 ここにいて良い、というような無言の肯定。 だけれど生きている当人たちからすればそんな世界の意志めいたことなんて知るよしもなく。 傷つき、諦め、逃げながら生きているのですよね。 でも! 世界は優しい! 生きること、そこに居ることに対して、決して敵ではないのですよ! もしそれで傷ついたり、諦めたり、逃げ出さなければいけないようなことがあっても、それでも許されているのです。
「生きていればやり直せるって言いたいの?」 由良は馬鹿にしたような笑みを浮かべてみせた。 「いや。やり直せることなんかほとんどない」 (中略) 「だけど、まだだれかを愛するチャンスはある。与えられなかったものを、今度はちゃんと望んだ形で、おまえは新しくだれかに与えることができるんだ。そのチャンスは残されている」
この世は繰り返されるものではなく、同じように見えてもそこには変化があるという。 倖せも、苦しみも、なにひとつ同じモノはなくて。 だからこそ、世界は可能性に包まれているのだと思うのです。 神ならぬ身では、その可能性がどう運ぶのかわかりません。 可能性があるから嬉しいのか、悲しいのか。 でも、そんな気持ちが「生きている」ってことなのかもしれません。 三浦センセの作品は、そういう「生きる」ことを描いているなぁ……と感じるのです。