○● 読書感想記 ●○ 2009年 【6】 ※ 書影画像のリンク先は【bk1】です ※
作者は登場人物それぞれや、さらに主人公にもあれこれと「悩ませる」のだが、作者自身は妙に余裕ありげで、さほど悩んでいるようには感じられない。この程度に設定しておけば、悩んでいることになるだろう、悩んでいる人物として読者に通用するはずだろうという判断の常識性が気になる。「不完全な世界」をめぐるヨブ風の問いもケーキのトッピング程度にしか扱われていないし、イジメや進路の迷いなどのアイデンティティ問題も「いま」風の素材に過ぎない。(中略)この時代を生きることへの作者の態度に疑問がある。米澤穂信の「古典部」や「小市民」シリーズに含まれる「苦さ」のようなものが、この作品には欠けている。
最後の一文があったから同意したのではなくてよ?(^_^;) なんちうか、甘く見られているのかな、読者を……というカンジ。 日常の謎にしても学園恋愛ミステリにしても。
加菜は私が描いたスケッチの、右の膝小僧を指して言った。 「あたしはここにホクロがある」 そんな細かいこと、と反射的に逆らおうとしたら、次の一言でとどめをさされた。 「そんくらい執着してよ」
んもー! 豊島センセの言葉遣いはクリティカルすぎる!(≧△≦) 自分では全力の想いをもって生きているつもりでも、じつはどこか手を抜いてしまっているという。 それを他人から、それも自分が認めた存在から指摘される苦々しさ。 イタタタタタタタ……。 ハートをえぐられたわ……(TДT)。 とりあえず資格でも取っておくか……という気持ちで教育実習にやってきた学生さんのお話もそんなカンジかなー。 いいかげんな気持ちだから、生徒にもナメられるし自分の覚悟も定まらないっちう。 目の前のことに向き合う、自分の気持ちに正直になる。 簡単なことなのですけれど、それを行うには生意気な自尊心が邪魔して難しいという……。 照れとかね。 自分の気持ちをいいかげんに扱ったことで犯す、ひとつの間違い。 その間違いが次の瞬間にどう作用するのか、永遠の別離なのか新しい一歩なのか。 そうした最後の余韻に考えさせられます。
「向こうが牽制ならこちらは先制です。どうぞ、受け取って下さい」
まさか、ここで、宣戦布告ですか! 参戦ですか!(≧▽≦) しかしオンナノコたちのそんな覚悟も、鈍感さと自分のことに手一杯な状況の主人公の前には功を成さず(笑)。 ダメだコイツ、早くなんとかしないと……。 乗り越えなければならない相手、気にしてくれる異性、自分が持つ能力の意味。 舞台がそろってきた感があります。 次巻が楽しみ〜!
あんまり嬉しくなかった。いつかそうしたいと考えていたはずなのに、達成感よりずっと、苦しさのほうが胸を満たした。やわくて熱い、やらしい唇、でもくっつけ合ったってなにが変わるわけじゃない。俺たちはいっこといっこのままで、同じ願い事を抱くことすらできない。
せつねぇ……(TДT)。 なんてこと考えてるの、中学生……。 でも、そこまで考えられるのは羨ましくもあります。 初恋って……うんうん、こういう気持ちだったんですよねぇ(≧_≦)。 愛おしさと寂しさと、嬉しさと不安と。 たくさんのドキドキにあふれている作品でした。
「あたしもっともっと傷ついて岬に会いたい」
――というセリフが今作を象徴している気がして。 ん? いま気付きましたけれど、どの掌編も「幼馴染み」といった関係であるのかも? その関係がずっと続いていたというものではなくて数年ぶりに再会したというケースがあるにしても、「幼い頃の相手を知っている」というトコロがポイントかも。 んー……。 これはオタには大好物のシチュエーション、ですか?(^_^;) どのお話も要約すると恋が終わることを描いているので、いつものわたしなら「投げっぱなし」と揶揄するかもな結び方なのですがー。 いいや、違うねこれは!(笑) ラスト、きちんと新しい恋への予感をカンジさせられますもん。 終わりがあって、次へと歩き出せる。 そんな余韻がステキな作品なのです。
──あなたたちの子どもなど、助けなければ良かった。
──という声はあまりにも痛烈です。 行動を起こせば必ず結果が発生します。 結果があれば、大衆は各々が好き勝手に自分の気持ちをぶつけることができてしまいます。 それが、いまの世の中でいうところの「自由」というもの、らしい、ですから。 批難を望まないのであれば(望む人なんているのでしょうか?)、行動しなければいいのです。 行動しなければ結果も生み出されませんから。 世界に漂う停滞感というものは、そんな「自由」な空気が生み出したものなのかも。
『ステップ』 重松清 著 若くして妻に先立たれた男性が遺されたひとり娘を男手ひとつで育てていくなかで、娘の成長に時間の流れを感じつつ、時間とともに変わっていくものと変わらないものを感じていくお話。 うああああああぁぁぁぁ……!!! なんていうのかなー、「間違えなかった『汐 篇』」って言うのかなー(人生)。 パパさんの健一さんの努力とか、愛娘の美紀ちゃんの健気っぷりとか、もうねもうね(TДT)。 この世界はお役所が言うところの「標準世帯」に属さない家族には生きにくい世界であると思うのです。 そうした世界で生きていくには、いろいろと障害があったり理不尽なことがあるのですよ。 残念なことに非「標準世帯」の家族が感じる想いについて「標準世帯」の人は気付きにくいのですよねー。 もちろん非「標準世帯」の側が、それを気付かせないように振る舞っている部分も小さく無いのですけれど……。 でもね、そうした気付かない想いは絶対にあるし、抱えているものなのですよ。 誤解されると困るのですけれど、それを無理にわかってくれというものではないのです。 「標準世帯」とされる家族にも実際には様々な形があるように、そうした1形態として受け止めて欲しいということなのですよ。 たぶん、こういうことを言うのは今作の主旨から外れてしまうのかもですが、それでも言いたくなってしまった次第。 父子家庭や母子家庭の方々はいろいろな困難が襲うでしょうから、困ったときは「困っている」と言って良いと思うのです。 自尊心が許せる範囲で。 ゆずれないものは必ずあると思いますし。 母の日のためにお母さんの肖像を書きましょうと授業する小学校教諭。 うん、まぁ、それ自体は教育の一環ですし決して配慮に欠けているとは言いませんけれど、亡くなってしまった人だからといって「死んだお母さんはもう家には居ない」と言ってしまうのは配慮に欠けると思うのです。 それは自分が「標準世帯」で生きてきた、気付かぬうちに潜む驕りではないかと。
そーだよ、ウチのママ、しんじゃったんだよ、でもいるんだもん、ずっとウチにいるんだもん、あんたたちのママってしんだらいなくなっちゃうの? そんなのだめだよ……。
幼いながらもそれを言える美紀ちゃんの感性に涙(T▽T)。 で、そうした感性を大事にしていくパパさんの健一さんも立派デス。
「美紀はこれから、思い出すたびにつらくなって、悲しくなって、寂しくなると思います」 「……忘れるさ、すぐに」 「忘れません」 強く言った。義父は、わかったわかった、と苦笑交じりに目をつぶる。 「でも、つらい思い出に触れるたびに……美紀は、優しくなってくれると思います。いまよりももっと優しくなって、生きることに一所懸命になって、そういうふうに一所懸命に生きているひとたちのことも、ちゃんと尊敬して、愛して、愛されて、……そんなおとなになってくれると思うんです」
ああああ……(T▽T)。 二歳児保育から始まって小学校を卒業するまでの10年間。 確かな歩みでもって生活していく父娘の姿を情緒豊かに描いています。 もしかしたらこれを欺瞞って指摘する人もいるかと思うんです。 夜泣きをあやす苦労とか、急病で仕事を休まなければいけなくなるようなこととか、辛いことはほとんど描かれていないという理由で。 うん、それはそうかも。 現実的な部分から、視線をそらしている感はあるかもです。 んでも、ですね。 わたしは健一さんと美紀ちゃんなら、そうした描かれなかった部分の辛さも乗り越えていったのではないかと思えるのです。 なにもふたりがとても優れていたから……という理由ではなく、当然、周囲の理解と協力があったから乗り越えられたのだと思います。 優しい祖父母の存在、教訓を授けられた人との出会い、信じている信じられる人の想い。 そういった縁が、ふたりを育んでくれたのだと。 そういう物語だと。 そうした出会いや存在を、これまた「運が良かっただけ」と評するかもしれません。 そうですよ。 ふたりは運が良かったんですよ。 でもね、そうやって与えられた幸運は周囲の人たちが生み出すことの出来た幸運なんです。 わたしにも、あなたにも、誰しもその幸運を生み出して与えることができるんです。 誰かにとっての幸運を作り出すこと、それが優しさというものではないでしょうか。 世界はもっと優しくなれる、そう考えた作品です。