○● 読書感想記 ●○ 2009年 【4】 ※ 書影画像のリンク先は【bk1】です ※
9年前のあの日、“神様”の前で誓った友情は、今――。
――というアオリも、ええええっ、な、なるほどーっ!!!! お伽話のような伝承が残る街で、同じ日に生まれ共に育った5人のオトコノコとオンナノコ。 永遠に続くかと思った関係は、しかし大人になることと引き替えに壊れていって。 移ろい、変わりゆく5人の関係。 報われない片想いが交錯するペンタゴンが見つめた、小さな恋と優しい奇蹟のお話。 想いの方向が綺麗に一方方向で、その想いが実ることはないのだろうなぁ……とハッキリわかってしまうだけに切ないわー。 「5人でいる」という関係が居心地良くて、それを無くしてでも通したい想いだというのに、5人の関係が明確なだけにその結果まで見えてしまうという。 これが普通の「友達」関係なら可能性もあったと思えるのですよ。 でも彼ら彼女らは違うってトコロをそこまでに物語で構築しているので、その思いが許されないこともわかってしまうのですよね……。 片想いをつづる物語は少なくないですけれど、その問題を解きにかかるまえに人間関係をきちんと定義している作品ってそう多くはないと思うのです。 想いが成就するかどうかは物語の鍵ではなく、その先をどう生きるのかに焦点があるっちうか。 その時間へ踏み込んだことが、今作を素晴らしいものにしているのではないかなー……と思います。 だからこそわたしは、事件が全て片づいたあと、終幕へむかって静かに紡がれていく流れが大好きなのです。 そこではもう全てが終わってしまっていて、主人公たちは行動することもなくなるのですけれど。 奇蹟はそれ以前に尽くされて、泣いても叫んでも、現実は変えられない。 フィクションであるから、もしかしたら変えられる「未来」はあったのかもしれないけれど、この瞬間においてそれはあり得ないだろうな……って感じられるのですよね。 5人の関係を物語が動き出すまでにきちっと定義づけていたように、奇蹟というものもそこで打ち止めだと定義づけているとわかるのです。 こうしたディファインぶりっちうか、物語導入以前の構築ぶりってところですでに勝負あったカンジです。 物語の形式にはいろいろあるとは思いますけれど、物語が進むにつれて設定の中身が披露し効力が発揮されていく形式にくらべると、今作は物語導入時点で設定の中身や効力が発揮され披露されているのですよね。 それに気付いたときはすでに手遅れであるという……。 そのどうにもならない無力感が、また終盤で重くのしかかる次第……。 がしかし。 そうした重さを背負う反面、エピローグでの幕の引き方が鮮やかで。 嫌味でも、誤魔化しでもなく、かつての事件を人生として受け入れている姿がとても爽やかで好感なのですよー。 辛くないワケじゃないんです、きっと。 でも、その傷に負けたりしていないのですよね。 強い、成長した彼らがそこにいるのです。 決して楽しいお話ではないのですが、だからといって悲しさだけが残るお話でもありません。 人生における大切なことを描いている、そんな作品です。
「許されないですよね。本屋をコケにして、お日さまがのんびり拝めると思ったら大間違い」
た、多絵ちゃんんんんん????(笑) 昨今、アンニュイな空気を漂わせる探偵が少なくないように思えるだけに、事件に積極的にからんでくる探偵さんは嬉しいな〜。 予約の受付から発注、棚の構成に雑誌の付録詰め。 書店にまつわる仕事が事件にきちんと?絡んできて、その道ならではのプロの推理という趣が楽しいったら。 専門性をただの知識のひけらかしに終えるのではなく、それでストーリーを立ててくるのですから感服です。 そういった普段表からは見えない「プロフェッショナル」な仕事は、エッセンスとしても興味深いですし、また読み手の関心を惹くところでもありますよね〜。 5編収められているなかでは、雑誌の種類が謎を生んだ「バイト金森くんの告白」が好きかな〜。 そうなんですよねー。 女性誌とかスポーツ誌とか、単にジャンル分けして覚えているだけじゃダメで、そこになにが書かれているのか誰が執筆しているのかとかまでをおぼえていないと書店員はダメなんですよねー……(´Д`)。 それがきちんとできているあたり、人数は少なくても丁寧で気持ちの良い書店ですよ成風堂は。 あとはまあ、金森くんの鈍感さが微笑ましいお話でもありました(笑)。 表題作になった『サイン会はいかが?』も中小の書店が抱える苦労が良く描かれていて面白いのですがー。 んでもトリックっちうかガジェットという点ではあまり好きではないかなー。 新進気鋭の探偵作家がある事件に巻き込まれていて、今度サイン会を行うことになった成風堂もそれに巻き込まれる……という形なのですけれど。 しかし事件解決の鍵が、その探偵作家が上梓した作中作にあるというトコロがどうにも気持ちよくなくて……。 たとえば物理トリックなどですと成功の可否についてはおのずと限度があるハズです。 「室内で核反応が起これば、それは可能だ」 とか言われても、正しい機材が無ければ不可能です(機材があってもこれは……(笑))。 しかし作中作に鍵が隠されているというのは 「ここで『核反応』と書かれてあるのが証拠です」 って言っちゃえば成立しちゃうんですよねー。 事件解決への裁量権が、あまりに作者のほうへ傾きすぎている、有利になりすぎていると思うのです。 トリックの成否について読み手のイメージによる審判がくだされることなく、そこではもはや「気付くか気付かないか」のチェックが入るだけという……。 最後にあえて指摘するなら、作中作に鍵がある場合「成風堂事件簿」でなくても読解力のある読み手がひとりいれば物語は成立してしまう……という点が、この掌編への評価を下げているのかもしれません。 それでも全体の構成は好みですし、さあ成風堂に持ち込まれる次なる事件はなにかな〜……と、楽しみなシリーズであります(^-^)。
お産は病気じゃないんだから普通は死なない。なのに明美は死んだ。それなら医療ミスかもしれない、と考えたって当然でしょう。
人間という存在が、どれだけの奇跡の上に生きているのか理解していない恐さ。 俗に性教育をもっと高めるべきとの声がありますけれど、さらに大きなくくりで生命とはなんぞやというトコロから知識を与えていかなければいけないのかもしれません……。 三権が無分別にその力を行使して自己保身と自らが得る分だけの利益誘導をした結果、弱者は怨嗟の声すら上げられなくなっている現実。 彼等に代わって声を上げるべきメディアも、もはや代弁者たる立場を見失い、ただただ強者におもねる存在に堕しているという。 それすら気が付かず、むしろそちらに与しているが故に自らを強者と勘違いしてしまっているという愚かな事実! そこへも海堂センセは厳しい目を向けています。
「メディアはいつもそうだ。白か黒かの二者択一。そんなあなたたちが世の中をクレイマーだらけにしているのに、まだ気がつかないのか。日本人は今や一億二千万、総クレイマーだ。自分以外の人間を責め立てて生きている。だからここは地獄だ。みんな医療に寄りかかるが、医療のために何かしようなどと考える市民はいない。医療に助けてもらうことだけが当然だと信じて疑わない。なんと傲慢で貧しい社会であることか」 一瞬静まり帰った場を取りなそうとしてか、顔なじみの記者が笑顔で言う。 「相変わらず手厳しいですね。まあ先生の人間嫌いは今に始まったことではないからなあ」 「私は別に人間嫌いではありませんよ。卑しい人間が嫌いなだけだ」
総クレイマー……ですか。 WEBが普及して、わたしも含めてこうして感想やら批評やらを簡単に行える時代になりましたけれど、それもある意味では「クレイマー」になっているのかなぁ……と考えてしまいます。 エンターテインメントなのだから、自分を楽しませるのは当然だ。 楽しくない作品があるとしたら、それは自分ではなく作品に問題があるのだ! もっと楽しい作品を作れ! ――じゃあ、そんな自分はエンターテインメントに対して、なにかを返していっているのか、と。 誰かになにかを求める、そして何かを得る。 自分はそれにどんな代償を払うのか、その覚悟はあるのか。 そんなことを考えてしまうのです……。 えーっと、そんな展開なのですが、いわゆる「桜宮サーガ」としての魅力も十分にありましたよ! とくに終盤、次々に姿を見せるシリーズキャストには興奮! しかもその誰もが医療に対して強い想いを抱いている面々ばかりなので、わずかな登場であってもその想いはハッキリと示されていますし、また伝わってくるのです。 あー、もちろん「桜宮サーガ」を知っていることは前提なんですけどね。 メディアや司法、行政といった「自覚していない毒」に医療が弱らせられてしまったトコロへ、あの人とかあの人とかあの人とかが登場してくる流れには感涙ですよ!(T▽T) しかし、こうも思ってしまったのですよね……。 今作で極北病院は、卑しい人間にさんざん食い物にされて、翻弄されて、傷つかなくてもいい人が誰かの代わりに傷ついて……。 社会が正しく、優しさに満ちていれば、こんなにもボロボロになることはなかったハズなんです。 だから、最後に勇気ある人たちが手を差し伸べてくれたことで救われた(ように希望が持てた)としても、それはマイナスの状況がゼロに戻っただけなんですよね。 事態は当初のところから、少しも好転していないっちう。 それはまるで健康に対する人々の意識にも似て、やるせない想いがしました。
人類はじまって、幾多の飢饉や戦争や災害で、たくさんの人の命が奪われている。そんななか、生き残った人たちは、やはり生命力が強いといえる。 (中略) 今、生きている、ということは、そういうことだ。みんな危機に打ち勝った人たちの末裔なのだ。強い遺伝子を持っている、生きているというだけで、強いことなのだ。最強だ。
うーん、すごい。 こうまでシンプルに命の強さを語ってこられるとは……。 この真っ直ぐな真理に、思わず笑いがこみ上げてきてしまったデスヨ(^_^;)。 そんな楽しさを感じられた作品でした。
「――そんなことより、支部長が自らここにいらした理由は?」 「君に、そろそろ床屋に行った方がいいと忠告しようと思って」 成嶋は伸びた髪を指で梳いてから、おもしろくなさそうに行った。 「うるさく言う人間がいないから、忘れてた」 「ほう……。いつの間にそんな女性ができたのかな?」
成嶋と本社の人間との会話なんですけれど、ほらやっぱり知らない人から見ればそういう関係に見えるんですって!(笑) このとき砂村は成田空港へ出向中。 成嶋は鬼の居ぬ間のランドリーで自由を満喫しすぎているっちうか自堕落を楽しんでいるっちうか。 わがままな王女様と忠実なる騎士だよなぁ、このふたりって……(^_^;)。 その信頼関係があるからこそ、ひとたび事件が起これば同じ方向を向いて一心に立ち向かっていけるのでしょうけれど。 んで本編。 今回は「ROMES」開発時に生まれた因縁が発端に、死んだと思われていた伝説のテロリストが挑戦状を送ってくるワケですがー。 いろいろと策を張り巡らせてROMESと成嶋の裏をかこうとしていても、むしろ策を弄するあまりの小者ップリを表してしまっているような気がして、相手として役者不足だった感が。 ことに作品の主題のひとつが「機械は間違いを犯さない。間違うのは常に人間である」というところにあるだけに、グループを組んで挑んでくる犯人サイドの瓦解ぶりがまた……。 どれだけ綿密な計画を立てたところで、それを遂行する人間が簡単に計画から逸脱してしまっては成功するものもおぼつかないワケで。 ROMESが反撃するまえに、自沈していったカンジ……。 だものでクライマックスでのカタルシスが微妙だったかなー。 ただし犯行計画の遂行という部分を除けば、このグループに参画した各人の人間性の色づけは興味深かったカンジ。 それぞれでまたひとつ物語が出来そうなくらいに濃いっちうか。 あー、五條センセってこういうキャラ分けもできるんだなぁ……って、新たな一面を見ることが出来たのは収穫。 ROMESの有能さは絶対的なんですけれど、西空内でその能力が及ばないエリアがあるのは前作でも今作でも突かれているトコロですし、そのシステムが万能であっても無敵でないと物語るのはもう十分かな〜、と。 それを上回る「奥の手」を用意するのはフェアではない気がしますし、もしシリーズとして続けるのであれば、やはり「人」の動きにかかってくるのかなぁ……。 終盤で見せた成嶋の読みは冴えわたっていて爽快感がありましたし、その読みのもとで全力で駆け抜ける砂村の姿も熱血していて良かった〜。 敵にはその信頼関係が無かったから負けたのだと思えるくらいに。 じゃあ、そういう信頼関係とROMESに匹敵するガジェットをもった敵が現れたら? そう思ってしまうのです(^_^;)。