○● 読書感想記 ●○
2009年 【3】

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20
 
『黒百合』 多島斗志之 著

 んんんん……???
 ラストがよくわからなくて読み返してしまったー。

 昭和10年〜戦前の章と、戦後の1952年(昭和27年)の章。
 ふたつの視点から描かれる物語で、終盤に向かって両者のつながりが明らかにされていくという形式なのですが。
 明らかになった部分と、1952年の主人公である進くんの認識が異なっている、認識が間違っていると思うのですがー。

 具体的には進くんはお父さんたちの会話の中身を取り違えてはいないか……ということなのですが。
 お父さんたちは<六甲の女王>のことを話しているのに、進くんは違う人だと思っているのですよね??


 んー……これはどういうことなんだろう。
 わからなくなって人物相関図を書き出したりもしたので、自分の理解と進くんの誤解は間違いないと思うのです。

 それとともに「過去のあの人が、実は現在でのあの人だった!」という真相に対しても、それが明らかにされたからといって現在の人間関係に衝撃が走るわけではなかったというのも幾分肩透かしをおぼえたところ。
 正体不明であった人物の背景がわかって、過去と現在をつなぐ関係が明らかにされていった部分にはカタルシスがあると思うのですが、それが物語において重要なファクターとなっていたのか……という部分に疑問をおぼえるのですよー。


 その設定をもったいない……と思うのとはまた違うのですよね。
 設定そのものは作品の軸になっていて、今作はそれを基礎にして生み出されているワケで。
 設定は有効活用されていた、だけれどそれがどういう意味を持っていたのかわからない……という。


 過去と現在が読者視点では結ばれたのだけれど、作中の人物にはその「神視点」を持ち得ないので真相を見間違えるのも無理からぬこと。
 人が犯す、そうした間違いへの無常観みたいなものが狙いだったのかなー。
 真実を理解するには、人はあまりに小さい存在である……みたいな。



 進、一彦、香の少年少女たちの関係も、のちに至った最終的な関係が少しもの悲しかったかなー。
 劇的さなどかけらもなく、至極常識的なものに落ち着いてしまったので。
 途中でも未来がそうなるであろうことが示唆されていただけに衝撃を受けるほどではなかったのですが、当たり前のことを当たり前のように描かれたことに対しての脱力感はあったという次第。

 えー、そこはさー、もっと、こう……と思わずにはいられなかったという(^_^;)。



 事前に計画していた「描くべき部分」については描ききって、その計画から外れるような冒険はしていない作品。
 それは完璧さを追求する職人のワザなのだと理解できるのですけれど、形式ばかりにこだわっているような気がして残念な気持ちにもなるのです。
 

19
 
『有川有菜の抵抗値』 時田唯 著

 うーん……。
 「作りました」感を強く感じてしまって、物語を追うどころではなかったー……。

 感情が昂ぶると電流を発する特異体質な女の子によって巻き起こされる悲喜劇なんですがー。
 当然そんな体質では人との接触で問題が生じて、集団生活では困ってしまうところなのはわかります。
 んでも、なぜその特異体質が「大体二十三歳を過ぎると完全に制御できるように」なるとされているところに引っかかりを。
 遺伝によって低確率で発症する症例なので研究が進まずに不明な点が多いのは置いておいても、しかしここで「二十三歳」という具体的な数値が出る違和感。
 まるで――

学校生活を営むことを困難にさせるための意図

 ――があるのではないかと穿った見方を。


 また過去にその特異体質がらみで人死にまで出た事件があったとされるのですが、その捜査をした警察の杜撰さがまた……。
 当事者からの聴取を最後まで行わず、推察だけで事件を終えようとするなんて。
 事なかれ主義の無責任な官僚制度を揶揄しているのかもですけれど、それが物語の展開に有為になっているのであれば、その批判は場違いになると思います。



 でもって一番の違和感は、先刻のその事件がらみでココロに傷を負った面々がこぞって主人公に「自分たちのために変わってくれ」と求めていることでしょう。
 作中でもこの件は「間違ったこと」として触れられていますけれど、それでも最後に至ってもなおまだこのことが解消されたとは思えません。
 彼らは、自身の傷ついた心を癒すために、主人公に居て欲しいし、自分たちを癒すための存在に変わって欲しいと願うのです。

 主人公もまた傷ついたひとりであることは、誰ひとり考慮していないという!

 自分たちは間違いを犯したけれど、その間違いをただそうと思う。
 だからオマエも正しくあってくれ。

 ――なんて傲慢。
 変化が自発的に生み出されるものでなくて、そこになんの意味が?


 たしかに主人公は受け入れられることを諦めて逃げているのかもしれません。
 でもそれを弱さだと弾劾する資格が、彼らにあるとは思えません。
 いえ、弱さを罪だと、弱いままで居ることは罪であると責めることができるような存在がいるのでしょうか?
 許されない弱さというものは本当にあるのでしょうか??


 主人公は彼らと交わることで強さを得ました。
 だけれども、わたしはその変化が正しいことだとは思えませんし、それを求めた物語が良いものだとも思えないのです。
 


18
『紅はくれなゐ』 鷹羽知 著

 bk1購入だったので著者が「17歳の女子高生」とは知りませんでした。
 購入のきっかけは玉置勉強センセのイラスト買い。
 うん、この世界に玉置センセをチョイスした編集は良いセンスと確かなアンテナを持っていると思う〜。
 もうそれだけで世界の雰囲気を構築しちゃってますもん。


 で、ひるがえって本編のほうはといえば、んー……。
 作品という体は整っているのですけれど、商品としての意識に欠けているカンジ。
 正しい文章が良い物語を生み出すとは限らないワケで。
 なんちうか、読み手へ「媚びる」ような魅力をかたくなに拒んでいるような堅苦しさお感じます。
 それは、あれですか。
 十代という年齢からくる潔癖さですか?


 不安定な世界があって、なんとかしようと想いが衝突し合って事件が起きるのですが。
 その中で生きている人たちに、その人たちの行為に、読み手を共感させようという仕掛けが無いのですよねー。
 あくまで彼らは彼らの理由「だけ」で動いている。
 それを間違いだと言うのではないですけれど、商品としては魅力に欠けるかなー。


 「書きたいから書く」ということだけでは難しいのでは?
 「書きたいこと」あるのはもちろんで、それをどう伝え、どう読み手に受け取ってもらえるかまでを意識されていないと。
 もちろん「良いモノであれば媚びなくても人はわかってくれるハズだ」という信念があるというなら別ですけれど。



 最後に1点。
 冒頭、男の子の描写で次のような文が。

 齢十七。いまだ少年の様子が色濃く残る顔立ちをしている。

 童顔であるという主張はあるのかもですが、わたしは17歳という年齢がまだ「少年」として許されている社会風土なのだと受け取りました。
 吉原だ花魁だと苦界のことを物語るにしては、ずいぶんと緩い社会なのだな……という印象をここで。
 もちろん彼個人の出自に由来したものかもしれませんけれど。

 そのもの自体を直接に描かなくても、世界の輪郭はなぞられていく……と思った次第。



 萌えだなんだのオタクビジネスを展開しろと言っているのではなく、キャラクターにしか分からない感情で完結してほしくないなぁ……と思うのです。
 


17
 
『走れ! T校バスケット部』 松崎洋 著

 大会一回戦敗退が常だった弱小バスケット部へ、強豪私立校から転入生がやってきて。
 以前の学校では部員間の軋轢でバスケットをやめてしまおうとまで思っていた転入生だったけれど、T校バスケ部員のおおらかでひたむきな気持ちに後押しされて再びボールを手に。
 そんな彼の加入と指導によって、弱かったチームがやがて優勝を目指すようになっていくお話。

 えー、まぁ、マンガで言うとことの『キャプテン』なんでしょうか。
 実際、転入生の役どころがそうでしたし。
 異なるのは彼にはもともと才能があって、それなのにスポーツ以外のことでその才能を曇らせてしまっていた……というあたり?

 スポーツに限らず、社会は人との交わりで動いていくものですから、誰かの才能が開花するためには当人の努力はもちろん、周囲の人の理解も必要なんですよー……という。


 でもってそうした「持てる人」だけでなく、当初は才能が無いと思われていた部員たちにも見るべき人が見れば個性と呼ばれる才能がある、と。
 その個性をスポーツというシステムのなかで活かすためには、やはり周囲の、それも指導者の部分が小さくないということも示しています。

 ただの個性と言う無かれ。
 それは素晴らしい輝きを放つ原石なのかもしれないのです。
 ただしそれを価値あるものとして認められる人のそばにあってこその話。
 価値を見出さない人の前では、個性は個性のまま埋もれていきますよ、と。



 努力によってそうした才能が開花していくエピソードは微笑ましく、また熱さも生じるのですけれども。
 いかんせんバランスが悪いかなー。
 部員全員……は無理でも、せめてレギュラーメンバー5名にはエピソードを与えてあげるべきではなかったのかなー。
 それをしないのなら、あえて数名を省くのではなく、もっと主人公ポジションの転入生へ焦点を絞るとかー。


 バスケット部のお話というには各人のウェイトに差がありすぎですし、かといって誰かの視点を中心として語られるというには視点がばらけすぎてて……。

 バランスの悪さについては配役についても。
 敵は常に外にあり、内に入ってくる人は全て善人スタンスというはどうにもむずがゆくなってしまいます。
 同世代の仲間のなかにあって、活躍する人とそうでない人の別が生まれてきて、そもそも体格によるハンディもままならないというのに、そうしたことに対して仲間内では誰ひとり妬みや誹りをしないですし、さらには自分に対して卑屈にもならないというのは出来すぎているのではないかなーと思ってしまったわー。

 性格や役割についてあらかじめ一面的に設定されている「枠」から全くはみ出してこない気持ち悪さといいましょうか。
 たとえば「お調子者」と設定されたら、彼の役割も行動もそれだけに終始するという。

 仲間同士助け合って大きな目標へ向かって動き出す熱さを感じてもどこか空虚な感を覚えてしまったのは、そうした性格や行動の単純さが原因なのかもしれません。
 


16
『たまごを持つように』 まはら三桃 著

 才能あるが故に悩んだり、努力することに苦しんだり。
 未来へ向けて歩んでいる中学生弓道部員たちの青いお話。

 物語の中心は2年生の男女3人なので、そこに中学生らしい甘酸っぱーな展開も差し込まれているのですがー。
 そこに必要以上に肩入れしていなくて、むしろ本筋をきちんと「弓道」と「部活」に抑えておいてくれたことが好感。

 もちろん中学生だからって恋を物語ってはいけないとは言いませんけれど、しかしそうした想いよりも部活動に生活の中心を置くというのもまた中学生らしいなぁ……と思うのですよ!
 朝練とか放課後の活動に夢中になって、試合の結果に仲間たちと喜んだり悲しんだりする時間。
 高校生になるともう少し人間関係が複雑になって違ってくるのでしょうが、そんな複雑なことにまだ振り回され「過ぎない」年頃の純真さが気持ちいいです。


 そんなに長くないお話なのに、出てくるキャラがみな際立っているトコロがスゴイ!
 それも主人公たち周りだけでなく、先輩も、そして他校のライバルたちもみんなキャラが立ってるわ〜。

 キャラが立つってどういうことなのか考えてみるのですが、今作においては二面性なのかなーと。
 才能ある人はその才能ゆえに傲慢になるけれど繊細で、努力をする人間は才能を努力で補おうとするけれどその遅い歩みに焦ってみたり。
 立派な武道者に見えた先輩も、実は限界を感じていて別の道を探していたり。
 ライバル校の生徒だって嫌味を言ってきても本音の部分ではライバルとして戦うことを喜んでいたり。
 一見すると記号化された立ち位置なのですが、そこに隠された心情があるために単純化されないのですよね〜。
 設定だけでない人間味といいますかー。


 なかでも図らずも弓道部顧問となってしまった先生にジワリときてしまったわ〜。
 本当はサッカー部顧問になりたかったけどダメだったので仕方なく……なんて最初は言っていたのに、みんなと同じ時間を過ごしていく中できちんと先生は先生なりの任を果たしているという。
 素人だから技術的にどうとか弓道の心とかは説けないまでも、素人であることを自覚して素人ならではの目線で先生も「仲間」になろうとしていただなんて……。
 あんた、いい先生や〜(T▽T)。


 不器用でも真剣に取り組む姿勢があればきっと道は拓けるし、歩みを止めなければ仲間は必ずできる。
 そんな嬉しい教えが今作には流れています。
 アプローチは各人異なっていても、ひとつのことを共有し共感し、共に目指していくことはとても素晴らしい物語なのだと。

 素敵な物語でした。
 

15
 
『HURTLESS/HURTFUL』 清水マリコ 著

 面白かったかそうでなかったかを問われれば「面白かった」なんですけれど。
 高評価するかしないか、あるいは、感動したかしなかったかを問われると「高評価はしない」「感動しなかった」になるのデス。
 理由は、この作品が「エロゲ(泣きゲー)のフォーマットに準拠」した作品なため、この作品ならではの魅力に乏しかったからではないかと。

 と言うからにはその「エロゲ(泣きゲー)のフォーマット」とやらを定義しないとズルイと思いますので、わたしが思うトコロのそれを。


 突然現れた(出会った)女の子に振り回されることになる男の子。
 現状に置いて主人公の日常は閉塞感があったり無味乾燥で彩りに欠けたものであった。
 そのため女の子に振り回される毎日を当初は迷惑に思っていても、次第に楽しく思っていく。
 そうして二人の距離が縮まっていくなかで、なぜ女の子が自分の前に現れたのか気になっていく男の子。
 女の子が困っているなら助けてあげたい。
 だけれども女の子の真実に近づいていくことは、彼女の存在を世界から危うくしてしまうこともであって。
 自分が日常のなかで抱えていた問題解決と、女の子が世界に存在している意味がトレードオフの関係になっていることに悩む男の子。
 自分のために悩んでくれる男の子に感謝しながら、しかし女の子は自らが幕を下ろすことで男の子を救う。


 ……ってモノがわたしが考えるところのフォーマットなのですが。
 「真実に迫ることで失われていく彼女の存在」というあたりが葛藤を生んで涙を誘う次第。

 あとまぁ、自らがそう「消えゆく存在」だと無自覚にであろうと知りつつ、問題解決へ常に前進姿勢でいるのはヒロインのほうであるというトコもポイントかなぁ。
 女の子は物語において「選択を済ませた存在」もしくは「未来を(意志を)決定している存在」で、迷うのは男の子の側であるという。
 そこに選択がある(選択という葛藤が明示される)かどうかは問題ではなく、むしろ男の子は女の子の意志の前に無力であることのほうが重要なのかも。



 えーっと、まぁ、そんなことを思い浮かべつつ読み進めていったので、驚くほどに新鮮味を感じられなかったというワケで……(^_^;)。
 むしろ既知感のほうが強かった!(><)

 ただ、冒頭で述べたようにそれでも「面白かった」と感じたことは事実で。
 それがフォーマット準拠であることで慣れ親しんだ展開であったことに由来するものなのか、それとも清水センセの筆致をいまでも好きでいられているのか。
 できるなら後者であってほしいと願っているのですけれどー。

 もともとエロゲノベライズも手がけられてきた清水センセですから、ここで流れた展開がセンセの「魅力」であったとも言い難いのですよねー。
 そこに打算はなかったのか……と疑ってしまって。

 計算するのは良いですし、むしろ当然のことだと思ってます。
 んでも打算でやられるのは気分よろしくないなー……と(^_^;)。
 どちらなのかは、ただの読み手であるわたしにはわかりませんけれど。


 「脱子」といったネーミングセンスは清水センセらしいなぁ……と思いますが!(笑)

 最近の清水センセはわたしの好みからは外れていたのですけれど、その流れにおいて今作は「戻ってきてくれた!」感を味わえて良かったかもです。
 楽しむことができたのなら、それが計算であろうと打算であろうとかまわない……のかもしれません。
 

14
 
『ラヴィン・ザ・キューブ』 森深紅 著

 量産プロジェクトを期日内に成立させる手腕に長けた派遣上がりの女性が、配置転換によってワンオフものを作る部署へと転属。
 不慣れな職場に惑い、あるいは性差による意識の違いや仕事への情熱、プロジェクトそのものの意義について悩みながらも走り抜けるお話。

 アンドロイド作成のお話と聞いていて実際に稼働状態にあるアンドロイドも登場してくるのですが、交流より製作の部分に焦点が当てられててちょっと肩透かしなカンジ。
 男性社会の技術畑で奮闘する女性……という世界は面白かったですけれど。


 機会による自動化が進んだ世界で人間は「機械の調律師」になってしまって、本来人間に蓄積されるべき技能や感覚が機械の人工知能にのみ記憶されている……という背景も興味深いです。
 より正確な作業を行わせるため、機械の動作をアジャストしていくという。
 しかしそれでは発生するトラブルへの対応力が養われず、トラブルでなくてもイレギュラーな仕事へも就けなくなる不安が発生しているワケで。

 機械は間違いを犯さない。間違いを犯すのはいつだって人間の側。
 そんな場面を描いた冒頭のアクシデントは面白かった〜。
 「事務のねーちゃん」に現場のコトなどわかるまいと見下していたところへ的確な反証と対応策を打ち出されて窮する面々。
 現場の人間と事務方、そして正社員と派遣といった対立構図のなか立ち回る主人公が痛快でした。

 そんな主人公に言われてしまったあとでの現場主任のお言葉。

「どんな大規模変更のモデルチェンジがあったって、工場は何事もなかったような顔して切り替えなきゃ本物じゃねえんだ。おめえらメイドインジャパンのメーカーの人間だろうが! ぬるいこと言ってんじゃねえよ」

 自分たちが技術屋だというなら、その技術とやらを見せてみろ、と。
 その魂や熱いですなぁ(笑)。



 全編を通してこの熱さが保ち続けられていれば良かったのですけれど、あいにくとそうなならず……。
 作品背景としてはそんな熱さは過去の遺物になってしまい、便利になった世界では安定志向やブランド志向のようなぬるま湯に染まってしまっているという。

 また若年性痴呆症にかかってしまった父の介護をしなければならない立場や、自らが携わって世に生み出す「製品」が決して社会的意義のあるものとは限らないというむなしさなど、物語が進むにつれての陰鬱さは正直わたしには重すぎました。

 技術考証などの部分では面白く感じましたので、今後に期待……かなぁ(^_^;)。
 


13
 
『ファミリーポートレイト』 桜庭一樹 著

 「つまらなかった?」と問われれば絶対的に否と答えるところなのですけれど、「面白かった?」と問われると答に窮する作品でした。
 面白く……なくはなかったのですが、興味深く読めたワケではないので。
 なんちうか、桜庭センセの既作とひどく似通った印象を受けてしまったんですよー。
 だもので新鮮な楽しさ面白さに出会えた喜びが、ぶっちゃけてしまうと皆無だった次第。

 それを「作風」と読み取るファンとしての姿勢があれば、今作は間違いなく桜庭センセの作品であると言い切ることができるので受け入れることができ、また面白く感じられるところでしょう。
 たぶん。


 出自、そして生い立ちに特異性がある女の子が、地方で育ち、都会へ流れていき、ノーマルとアブノーマルの別なく恋愛をして、そして安定できる場所を見つけるお話。
 これ、わたしが持つ桜庭センセの既存作品のイメージに完全に合致してしまうんですよー。
 今作で加わるような新しい要素が見あたらない、感じられないという……。


 しいて挙げるとするならば、主人公のオンナノコがとある文学賞を受賞して彼女を取り巻く世界が変化するくだりでしょうか。
 これはもう桜庭センセご自身が直木賞を受賞されたことと無関係ではないでしょうし、またその体験があるからこそ物語れる部分だと思います。
 そうした受賞後の世界を覗くことは読み手として興味深いところであったと思います。

 んでも、こうした展開に関しては、わたし、「桜庭一樹日記」とかその他のエッセイで読んでしまっている部分でもあったのですよねー。
 それが新鮮味を無くした敗因かもだわ(^_^;)。


 それでも今作はやぱし桜庭センセらしい作品であることは間違いないところでありますし、また「今」の桜庭センセにしか物語れない作品であったと思います。
 むしろこれを区切りとして、これからセンセがどこへ向かうのか楽しみになれるような区切りとしての受け止め方をわたしはしました。
 

12
 
『アイスクリン強し』 畠中恵 著

 江戸が東京とあらためられて20年。
 もはや江戸城下であったころの時代など知らぬ若者が、文明開化の時流にふりまわされながら健気に帝都で生き抜いていくお話。

 んー……主要キャラクターの描写とか、連作短編のなかの個々のお話の作り方などは興味深かったのですけれど、大きなまとまりとして作品と見た場合「なにを語りたかったのか」不明な物語でした。

 旗本の跡取りとして生まれながら維新によって身分を失い、明治の世では巡査として生きている長瀬。
 同じく元士族でありながら両親を亡くしてからは居留地の宣教師に預けられ、いまや西洋菓子職人として生きていこうとしている真次郎。
 物語はこのふたりを中心にして転がっていき、あれやこれやと帝都で起こる大小の事件を知恵と勇気と腕っ節で解決していくのですが。
 最後にオチをさらっていくのが、ふたりの幼馴染みでもある成金商家のご令嬢、沙羅さんなんですよねー。
 どうしてそこにオチつくのか、納得いかないっちうか……。


 真次郎のことを意識しつつ打ち明けられない沙羅さんの向こう意気の強い性格は面白くも可愛らしいですし、そんな彼女の気持ちに気付かない真次郎や、ふたりの関係に呆れながらも見守っている世話焼きな長瀬もとても良いキャラクターです。
 激動の時代において、互いを頼り助け合う気概を持った、気心の知れた仲という雰囲気が良く伝わってきました。
 んでも、物語の軸となれば話は違うでしょー、と。


 事件解決にはもっぱら長瀬と真次郎が大活躍していたことに比べて、沙羅さんはまさに“お姫様”的な位置に収まっていたハズ。
 なのに最後の最後ではそんな“お姫様”の悩みを解決できたことが目的になっていたなんて、意外というより驚きですよ。
 彼女がそんな悩みを抱いていたなんて、どこかで示されていたかなぁ……。

 鈍感な真次郎との関係を悩んでいたことと同軸にとらえられるのかもしれませけれど、わたしが見ればそれは違うと思うー。
 彼女は恋に悩んでいたのとはまた別に、家のことや仕事のことなど「女の生き方」について悩んでいたワケで。


 最後の小編の引き金は、シリーズ当初から盛り込まれていた仕掛けなのですから、このオチつけかたは構想時からあったものだと考えるのが妥当です。
 1冊の本にまとめるからって、最後になっていきなり思いついたアイディアでは無いと思うのです。
 そこまで計画性をもって作られていながら、驚愕というほかないオチであるのは……うーん。
 わたしとは見ているトコロが違うんだなぁ……と思わざるを得ません。


 萌えオタクなわたしですから、キャラクターに好感を持てば前向きに受け止めることができます。
 でも、個々のお話の展開はスリリングで目を引きましたし、キャラクターたちにも好感を持てたからこそこのオチであるというのは、余計に残念であるという気持ちがこみ上げてきてしまうのです……。
 

11
 
『配達あかずきん』 大崎梢 著

 成風堂という書店で発生したり持ち込まれたりする事件を、書店員の杏子さんとアルバイトの多絵ちゃんが解決していく日常ミステリ。
 事件の方向性が舞台である「書店」にからんだものであるという特異性が目を引きます。
 最近ではネット書店を利用する人も多くなりましたからリアル書店とは足が遠くなってしまっているかもしれませんが、やはり本好きとしては書店はなじみ深いところですし、舞台設定としては読み手へ働きかける親和性や共感性は高いものだな〜と思いました。

 わたし自身、書店でアルバイトした経験があるので、店員さんたちの描写に弱くないシンパシーを得てしまいましたことよ(笑)。
 いわく「書店員は必ずしも読書家ではない」「書店員には本に囲まれて働きたい人が多いので時給にはこだわらない」「お客さんはかなりいい加減な記憶で本をさがしてもらおうとする」……etc。
 やっばぁ……。
 思い当たる点がありすぎだわ(^_^;)。

 作家センセが本を上梓するからといってその本を取り扱う書店のことを知っているとは限りませんでしょうけれど(書店員≠読書家の例に同じく)、しかし大崎センセは書店のことを知っておられるのだなぁ……と。
 それが調べてのことなのか、体験されたことなのかは不明ですけれども。


 でもって事件の内容がとても興味深いです。
 訪れたお客さんから本にまつわる相談を受けていくうちに、やがてその捜索の裏側に隠されていた重大事件が浮かび上がってくるっちう。
 この世に起こる出来事で意味の無いことなど無い……とは聞きますけれど、「本」から始まるできごとがよもや社会的な事件までつながっていくとは。
 大崎センセの想像力には敬意を表します。


 ただ「本」→「事件」のつながりや意味を付与する段までは巧みなのですけれど、真相とされた事件解決となると途端に薄味であっさりと片付けてしまう部分はやや物足りなさを覚えたりもしました。
 あるいは終盤の展開がバタバタと駆け足気味になってしまっていて、説明はされるのですけれどそれが十分には足りていないように思うのです。

 おそらくトリックやギミックが明らかになる部分のカタルシスを最重要にとらえて、事件解決そのものは重視していない作り方なのだなぁ……と。

 どこに物語としてのカタルシスを置くかは作風だと思いますし、これはこれで十分であるのかもしれません。
 あくまで好みの差かなー。
 むしろ大崎センセの手法のほうが「推理ミステリ」としてはスッキリしているのかも。
 「解けた!」という部分から受けるカタルシスが大きいので。
 全体の構成が短編連作なので、形式としては最適なのかもしれませんしー。



 しっかり者の正社員である杏子さんと、おっとりしていながら切れ者の多絵ちゃんの関係もステキです。
 多絵ちゃんはアルバイトのために常に書店にいるとは限らず、その間は杏子さんが情報収集をはじめとする舞台進行役を務めているところなど、まさに動かない探偵と走り回る助手の姿そのものです(笑)。

 珍しいのは助手の杏子さんのほうが正社員であるため、身分的に探偵である多絵ちゃんへ命令できるという点でしょうか。
 「経費削減に努める指示が出されたおり、貴重な包装紙三枚を無駄にしてしまったことを店長にうまくとりなしてあげる」ことを取引材料に謎に挑む多絵ちゃんなど、立場の違いを巧みに展開へ活かしているなぁ〜……という印象を。

 ヒロさんほかのアルバイトや社員さんたちも悪い人がいない成風堂は、とても居心地良い書店だと思わされます。

 次なる事件も楽しみながら読み進めて行けそうです。
 


10
 
『葉桜が来た夏4 ノクターン』 夏海公司 著

 今シリーズが素晴らしいところは、事態打開に対して主人公が自らの力で出来ることを探して見つけて動き出すところだと思うのです。
 そこに主人公補正による能力値修正やラック発動なんてなくて、いつもギッリギリのところで切り抜けていく。
 その緊迫感がエンターテインメントではないかと。


 今回も冒頭から災厄に見舞われた学が、その状況から身ひとつでどうやって状況を好転させていくかを描いているワケですがー。
 この災厄っていうか主人公である学の落とし方がわりとハンパ無いなーと。
 裏側でなにか起こっているのかな……と思ったのですが、いやいやいや、ただただその通りに学を落とすためだけに描くとは驚きました。

 もちろん事件の背景には物語上の「オトナの事情」があるのですけれども(当然!)、そのことは学の「主人公としてのアドバンテージ」を消失させたことに尽きると思うのです。
 そんな優位性を失いながらも、学は真実を知るため、より良き明日のために走り出すのです。
 素晴らしい!(≧▽≦)

 用意された脚本で主人公の座を与えられ、その立場に安穏としている主人公を描く物語が少なくない昨今、学は行動で自分が物語の主人公だと示しています。
 そんな描き方をする夏海センセの今作での手法はひっじょーに好感です。


 この世界は理想家の必死の努力でつなぎとめられていた約束の上に成り立っていたものだと、読み手のわたしたちも感じていたトコロだと思います。
 そんな約束、儚くて脆いものだと理解していたくせに、その実、約束が壊されることが無いとも思っていた。
 なぜなら、これは優しいフィクションだから。
 ところが夏海センセはその理想を裏切って(?)、儚くて脆い、そして醜くて邪な現実をつきつけてきたワケで。

 優しいことだけ描いているのは、ある意味、とても楽なことだと思うのです。
 そこにストレスは存在しないから。
 でもそんな甘さと手を切った夏海センセを、わたしは賞賛します。
 クリエイターとして描くべきコト、描かなければいけないコトを理解していて、なおかつそれを選んだことに。


 なんちうか今作は、守られていたひな鳥が巣離れをする瞬間を描いたものだと思うのです。
 特異な設定や状況で主人公を「選ばれた存在」として描く物語に対して、ではその設定や状況を取り除いたとき、彼が彼女がなにをして主人公であると証明することができるのか。
 考えさせられる展開でした。


 主人公として学のことを持ち上げてきましたけれど、もちろん彼が常に正しい選択をし続けているわけではありません。
 間違いを犯さない人間なんていません。
 学は学で、その年相応の甘さや弱さをわたしたちに見せています。
 でも彼はその甘さに気付き、傷つき、未熟な自分を恥じています。
 それだけでももう十分に立派だわ〜。


 まぁね、まぁね。
 そうまでして必至に主人公たらんとする学ですから、反対に葉桜のことを放っておいてしまうのも仕方の無いトコロかな〜と思うのですよ。
 学が彼女のことを気に掛けるのはあくまで「主人公」としてですから、「異性」として責任負えてないのですよね。
 よろしいんじゃないんでしょうか、そんな使命感に燃えているオトコノコっていうのも。
 当然、それを不満に思ってしまうオンナノコもね!

 あれです、「わたしと仕事、どっちが大事なの!?」ってやつですか。
 ひゃー、もー!!!(≧▽≦)

 でも学にとっては「使命」も「葉桜」も同格同位置なハズなんですよね。
 どちらかを選ぶという考えすら思いつかないくらいに。
 個々に認識していなくて、もっと大きなくくりでとらえているために。
 んでも葉桜にとっては、もっと自分のことを「特別」に見て欲しいワケで。
 可愛いなぁ〜(^-^)。



 葉桜の監察に現れた憲兵の稻雀さんも嫌いじゃないキャラに仕上がってる〜。
 オトナのロジックで幼い学や葉桜を追い込む彼女も、しかし彼女は彼女なりにオトナの事情で苦しんでいるワケで。
 しかし学とは違って稻雀さんはそのことに対しては折り合いを付けてみせるあたりが、いやはやオトナだな〜と思わせられるのデス。

 この手の折り合いの付け方、茉莉花さんも見せてきますよね。
 ホント、オトナとコドモの対比がハッキリしているわ〜。



 あ、アポストリの能力?はべつに主人公補正ではないと思いますヨ?
 その能力が優位性を示せるのは、当人の機転を含めての行動あってこそですし。
 ただのガチンコ勝負になったとき、さして優位にならないという失敗談(笑)はこれまでにも何度も描かれてますし〜。
 どれだけハイスペックであっても、そこに弱点や欠点が存在している限り絶対は無いと描いてきているのです。
 そーゆーところも好感なのですよーん。



 きな臭さが漂い初め、もう戻ることが出来ないかのように思えてしまった今回のラスト。
 しかーし、学のひとことで希望どころか一気に大逆転の目が見えてきましたよ!
 どうやってこの劣勢を逆転するのか想像できませんけれど、とりあえず期待だけは抱くことができるという不思議!(笑)
 学、すげー!(≧▽≦)
 これが水無瀬さんが恐れるところの学のカリスマなのかしらん。


 さあ、女王様が帰還なされて反転攻勢ですよ!
 「季節」がひとめぐりしましたし、クライマックスなのかな〜。
 タイトルを思うとあと2巻ってトコロがキリ良かったり思うのですけれど、まだまだ楽しんでいたい作品です。
 


9
 
『鋼鉄のワルキューレ ケーニヒスティーガー in WWWU東部戦線』 水樹ケイ 著

 第二次大戦終盤、ドイツとロシアが衝突したヨーロッパ東部戦線を描いた物語。
 ロシア軍の攻勢にさらされる中に舞い降りた、ひとりの女性士官と強大な新戦車「ケーニヒスティーガー」。
 彼女の存在は死線にあるドイツ兵たちの希望となり得たけれど、たかだかひとりの兵士が、そしていかに高性能を誇る戦車であっても、それだけで戦局を大きく変えていくハズも無く。
 敗戦へと向かっていく軍のなかで、時代に翻弄されながら同胞のため、そして未来に生きる友人のために死地に赴く悲劇の物語。


 うーあー……。
 これは素晴らしかったなぁ……。
 作中でも述べられているように、第二次大戦の東部戦線ってあまり物語られない部分だったかなーと。
 それは結局のトコロ、独裁国家のエゴがぶつかった「だけ」の戦いであるから、戦後において民主国家からは黙殺されてしまった部分なのかもしれないけれど。
 んでも、そうした語られない歴史の中でも人々の想いはあるものだと描いてくれました。


 優れた戦略・戦術眼を持った主人公フリーデリント・フォン・シュレーリン。
 あの時代、ナチスが支配した国においても国民すべてがファシズムに与していたというワケでなく、国にありて中から良き変化をもたらそうと挑んだ人がいたと。
 でも、どれだけ才能があろうとも、現実においては一師団どころか一中隊、よくてい大隊をまかされるところまでしか昇ることができないという。
 才能だけではどうにもならない、この世界のシビアな現実が。
 さらにはそういう才能を無為に散らすことしかできない国家の愚かしさが胸に痛いです。

 彼女のような志士が前線で命を賭けながら国を憂いているというのに、国を滅ぼす輩どもは安全な銃後に隠れて欲望をつきつめているという。
 物語で描かれる部分には、そうした無能者の欲望がさらに悲劇の連鎖を生み続けているという事実が描かれて、とてつもないやるせなさを覚えるのです。

 世の中、勇気も正義も持たずに自らの欲望を叶えるために賢く立ち回ったほうが良いのですか?
 そんなことがまかり通る世界に、人間が生きていく意味があるのですか?
 勇気も正義も、優しさも愛おしさも通じないのだとしたら、そんな世界のほうが間違っているのです。
 そこに生きるのであれば、人は知性を失った野獣に堕しているのです。


 フリーデや彼女とともに戦った人たちは悲劇でした。
 ナチスの暴走を食い止めきれず、望んだことではなかったとはいえ戦争で多くの人を殺めていったことは許されることではないのでしょう。
 でも、彼女たちは生き残る仲間のためを思って戦い続けた。
 決して欲望にまみれた野獣を生かすために戦ったわけではない。
 それだけは忘れてはならないし、貶めることのできないことだと思うのです。



 ケーニヒスティーガーという新兵器が幾度の窮地を救ったという様が描かれていますけれど、それが決定的で絶対的な存在になったわけではないというところも物語として良かったです。
 高性能とはいえ万能ではなく、もちろん無敵であるわけもなく。
 試作機のため9輛しか投入できなかった車輌は、戦火のなかで次々に姿を消していき、やがて主人公とともに命運を共にしていくワケで。
 高い志を抱きながら前線に留まり続ける立場であったフリーデと同じく、いかな高性能の兵器といえど圧倒的な物量差の前には絶望的であったと……。

 エンターテインメントに傾くのであればフリーデはどんどん出世していって軍司令にでもなって戦局を動かすのでしょうし、ケーニヒスティーガーはその能力でもって時代遅れの敵戦車を鮮やかに撃破していくのでしょうけれど。
 しかし現実を思えばそれはとほうもない夢である……と。
 その夢と現実の対比がどこまでもやるせないのですよ……。


 もちろんだからといってドラマ性が薄れているのかといえば決してそんなことはないのですよね。
 フリーデに憧れる少年兵や、そんな少年兵を支える女性兵士もいますし、フリーデ自身にも男女の機微が描かれますし。
 また知略を尽くして繰り広げられる戦闘描写が緊迫感臨場感ありすぎ。
 兵器のスペックに頼りきりになるのではなく、あくまで兵器は兵器、運用する人間の頭脳があってこそです。
 読み合い、出し抜き、そして賭けに打って出る様には興奮したわ!



 水樹センセってレディース・コミックを描かれる漫画家さんなんですね。
 もともと歴史や戦史に関心があったそうですが、それが食玩「ワールドタンクミュージアム」に魅せられてこんな作品まで上梓することに……(笑)。
 好きこそものの上手なれ、ですか。
 しかし単に興味があるという程度では済まない力量を今作から感じました。
 作家としてのご活躍も期待しております(^-^)。
 


8
 
『ROMES 06』 五條 瑛 著

 最新鋭の警備システムが備わった国際空港。
 海の上に建設された空港はその警備システムと地理的要因が合わさって、まさに海の要塞。
 そこへ送りつけられてきたテロ予告に敢然と立ち向かっていく人たちの物語。


 うん、これは凄かったデス。
 相手の予測の上を互いに行こうとする、空港関係者のテロリストの読み合いが緊迫感あって面白かった〜。
 どちらか一方が優位に立って、それを追いかけ続けるような後手後手対応ではなくて、常に同時進行で互いに相手の手を読み続けているというあたりが。

 テロ事件を扱った作品ではテロリストの奇襲?に翻弄される様が描かれることが少なくないと思うのですが、今作では序盤から五分の勝負を見せてくれるので盛り上がるのですよ。

 しかし、じゃあ「警備システムが互角の勝負に持ち込まれて、それでよく最新最強だなんて言えるな」という点がもちろんあると思うのですけれど。
 この点は「機械は間違いを起こさず、間違いを犯すのは常に人間である」というシニカルな命題でもって応えています。
 意図したことにせよ意図していなかったにせよ、人間は簡単にルールを自己改変して運用してしまうことから、最新システムも生かし切れていないという。

 ただし中盤までの流れでは警備に携わる人の多くがこの最新警備システム「ROMES」とそれを運用する人間のことを信頼していなかったのですよね。
 その不信感が基本となるべきルールを改変して、自己の優位性を証明しようとする焦燥に繋がっていたワケで。
 運用する人間までを含めて、はじめてシステムとして完成させられる……という点は、まったくもって考えさせられるトコロです。


 展開が進むにつれて明らかになっていくテロリスト側の素顔にも驚きが。
 ふざけたコードネームで呼び合っていた彼らのことが少しずつ判明していく流れは、誰がテロリストであるのかを推理するという点において提示される情報量の扱いの部分で見事でした。
 もちろん最終的に明らかにされた人間関係の複雑さも、物語を作成する上で綿密に準備されていたであろうことを十分に感じさせられましたし、またその設定を物語上で描ききったこともさらに感動。


 でもってテロリストの正体とその真なる目的がつかめてからの対決がまたスゴイ。
 クライマックスに向かってぐんぐんと物語が加速していったわ!
 まさにエンターテインメントの真髄ってカンジだわ、この勢いは。

 そして読み勝ったテロリストが勝利の凱歌をあげようとしたその瞬間、予想を超えた一発大逆転のカードをきる警備サイド!
 解決の手段については荒唐無稽として判断する向きもあるかもしれませんけれど、あれほどの仕掛けを用意しておくその大胆さをわたしは痛快に思いました。
 そこは「有り」でもいいと思いますよ、わたしは。

 あらためて序盤を読み直してみたら、その手段について書かれていたくだりに気付いてニヤニヤ。
 伏線というにはあまりに意味を乗せていない部分なのですが、それがそこに存在しているとうことを明示していることは、まさに推理ミステリの手法をリスペクトしていることにほかならないと思うのです。

 自身のアイディアを描くことばかりに注視しているのではなく、普遍的で守られるべき物語構造へ敬意をもって描かれていると感じられる作品は、とてもステキなモノだと思います。



 五條センセって防衛庁出身の女流作家であられたのですか!
 しかも調査専門職として勤務していたとか、興味深い経歴ですなぁ〜。
 これは他の作品にも関心が湧いてきました。
 これから読み進めていきたい作家センセになりました。
 

7
 
『魔神館事件 -夏と少女とサツリク風景-』 椙本孝思 著

 クローズドサークル、それも「館モノ」なんて舞台を用意しておきながら、読み手に推理の材料を与えずに名探偵が独断で解決するなんて、推理ミステリに謝れってカンジ。
 新本格に挑むかのごときガジェットを思いついたのは素晴らしいことですが、それを子どものように無邪気に披露して驚かせるだけにしかなっていないのは、ホントに醜悪……。


 椙本センセにどういう意図があったのか不明ですけれど、舞台背景からすれば今作はもう完全に推理ミステリですよね。
 しかも大がかりに仕組まれた奇抜なガジェットからすれば新本格よりの。
 そこまで見せつけておきながら読み手に推理の材料を与えずに「最後に意外な真相を名探偵が発見、披露開陳する」なんていうのは、もう自身の存在意義すら見失っているとしか思えません。

 今作が推理ミステリではなくキャラモノであっっというのであれば、それならそれで素直に頷けるところです。
 ですが物語の構造がそうではないと示しているわけで……。


 個々のキャラクターの描き方には魅力を感じたので、やたらに高尚さを見せつけようとする色気を見せず、ただキャラクター同士のやりとりに終始する群像劇のほうが似合っているような気がしました。
 

6
 
『ミスマルカ興国物語W』 林トモアキ 著

 せ、セリアーナ……!?
 林センセの一連の物語軸において、ことにこの『ミスマルカ』シリーズは視点が異なるように感じて戸惑うことも少なくないのですが。
 長谷部の名を冠いただく人物が描写上「敵」と目される帝国にいたり、鈴蘭の存在や掲げた理念がもはや形骸化してしまっているゼピルムとか、『マスラヲ』の頃からいろいろとあってこの時代になっているのだなぁ……とは理解していたのですが。
 しかし彼女がこのような立場で現れるとは、作中での時代の流れをことさらに感じずにはいられません。


 時代とともに変わるものもあれば変わらないモノもあって。
 世の中が綺麗事だけでは済まされないってことはもう、どんな時代、どんな世界背景であっても変わらないんですね、きっと。

 我が国では「民主主義」という制度が理想型であるかのように教育されていると思うのですけれど、政治や制度の暗部も併せて伝えずに、ただそれが生まれた歴史背景をもって正しさを伝えているような気がしてなりません。
 求める頂も欠点を受け入れる覚悟も無く、それを形式として受け止めるだけであるなら、システムは数値をはじき出す以上の意味を持ちません。

 であるからことマヒロ王子は――
「何が民主主義だ……、くそくらえだ…………!」
 ――と叫ばずにはいられなかったのでしょう。

「命令だ。もう一つ言えば、君は実際に大統領やマヒロ王子と行動を共にしていた。かつ、この数日は不満を抱えていたようだったので勝手に調べられても困ると思い、釘を刺したかったまでだ。真実は話した。文句があるなら今ここで、何なりと私に言いたまえ。ただしそれ以外の誰にも言うことを許さん」
「では先ほど言わせていただきました、長官。くそくらえだ。議場で同じ言葉を叫んだというマヒロ王子が、愛おしいほどにです」

 あるいは政治について学んでいたマヒロ王子のほうがまだ救いがあったのかもしれません。
 与えられるだけの側、考える立場にすらなかったカトレアなどのほうが失望が大きかったかもしれないと思うと、正義なんてものを信じる気にはなれません。

 作中でもセリアーナが言葉にしていましたが、やはり普遍の正義なんてものはあり得ないのかなーとか思います。
 誰かの正義は必ず誰かと衝突するわけで。

 その正義が間違っている!なんて言うヒマがあれば、正直にその正義にガチンコ勝負を挑みかかっていくほうがナンボかマシ。
 話し合いが許される部分があるのかもしれませんけれど、譲れることができるようなら、その正義は所詮譲れる正義なんですよ、きっと。
 そんなもの、正義じゃない。


 林センセの作品は、通り一遍の正義論なんて語る価値すらなくて、譲れないモノを賭けた戦いの物語であることは一貫しているなぁ……と思う次第です。

 ああ、でもしかし。
 どの作品を描こうとしても、結局はひとつのところへ戻ってしまう世界の幅の狭さはそろそろ不安に思うトコロです(^_^;)。
 睡蓮とヒデオのお話はやるって言っていたのでわかるのですがー。



 ところで「ノエシス」って「ノエシス・プログラム」と関係があるんでしょうか?
 世界の在り方を問うてることから、なにか関係がるのかなーと思ってしまうのですが。
 でもそうなるとアウターの存在がいまどうなのかってことになるのかなー。
 うーん……。

 こうして考えることもシリーズものの面白みだとはわかっているのですけれども!(≧△≦)
 



5
 
『伯爵と妖精 魔都に誘われた新婚旅行』 谷瑞恵 著

 無事?夫婦となって結ばれたエドガーとリディアが新婚旅行と称して青騎士ゆかりの地を訪れるというお話。
 うあー……。
 いよいよ「星子&宙太ふたり旅」の感がわたしにはしちゃって(笑)。

 でも以前には感じられたエドガーの張り詰めたところとかはかなり薄まったように思えました。
 余裕ができたっちうか、安心しているっちうか。
 リディアのほうにもエドガーとのあいだにあった壁が取り払われて、かなり距離が縮んだように感じます。
 卑猥な写真をエドガーが持っていたことを怒るなんて、以前はそう簡単ではなかったのではないかと。
 良識としての貞節を疑って怒っているのではなく、妻としてのポジションで怒っているのだなぁ……と思うと、かなり面白いです(^-^)。


 それでも喧嘩をしてしまうのは相変わらず……というトコロですか?
 しかしリディアの侍女のケリー曰く――

「アシェンバート家の夫婦ゲンカについて申し上げるなら、旦那さまに勝ち目はありませんわ」

 ――らしいですし、大丈夫でしょう(笑)。
 いままでも、これからも。
 実際、今巻でのやりとりを見ている限り、心配することが馬鹿らしくなってしまうくらいに愛らしい喧嘩ばかりで。
 もう少し、交わす言葉を多くしたほうが良いのではないかな〜……って思うくらいでしょうか(でも、そうしたら物語が成り立たない(笑))。


 しかし今回の騒動のひとつが、夜伽のとき素肌を合わせるかどうかってことだとは……。
 この時代の夜伽って、そういう習慣だったんですねぇ。
 興味深い……。


 それにしても今回イチバンのサプライズは、アーミン再登場!ではなくて、ケリーの挿絵登場!ではないかと。
 うわっ、か、かわいい……!(≧▽≦)
 本文での活躍も十分ありましたし、さらにはレイブンから「年増」扱いされるというイジられキャラとしての地位も確立しました。
 なに、この存在感は!?(笑)

 レイブンやニコとのやりとりも今後は定番化するでしょうし、これはもう次巻あたり人物紹介ページへ登場してもおかしくないですよね!



 新婚旅行だというのに気の休まる間も無いリディアとエドガーですけれど、少しずつ青騎士伯爵としての足場を固めていっているワケで、どの出来事ひとつをとっても無駄では無いと感じられます。
 今回もそうですけれど、ふたりを助ける妖精が世界に増えてきているワケで。
 いつかそれがプリンスと対峙するときに大切になるのかなぁ……と楽しみにしています。
 



4
 
『イノセント・ゲリラの祝祭』 海堂尊 著

 実際の不都合に目をつぶり、自身の存続にしか興味がない既得権益者。
 彼らの許されざる怠慢に対し戦いを挑んだドンキホーテのお話。


 ここで書かれていること、あるいは海堂センセが主張されることの全てを「そのとおりだ!」と簡単に受け入れられるにはわたしもとうがたちすぎていて。
 でも、少なくとも今の世の中にいつまでも不幸が蔓延し続けていて、その不幸を踏み石にしての倖せが限られた人にしか享受できないという状況を感じている程度には大人であって。

 結局、アタマの悪いわたしには、海堂センセもその敵も、どちらの「主張」が正しいと判断するには難しいのです。
 でも、現状を是としないことはわかるのです。
 であるとすれば、その現状に向かって戦いを挑むことは正しいことだと思えますし、また戦わないということは理知的でも思慮深いことでもなくただ変化に対応できない臆病者でしかないと思うのです。

 もし仮に、現状が「輝ける世界」であったとしても。
 それでも更により良い世界を求め、挑み、戦い続けることに、なんの罪がありましょうか。
 いまが最高に良いと思っていても、それを当然のものとしていつまでも変わらない世界を望むことは、存在として罪なのではないかなぁ……。
 常に高みを望み続けてこそ、存在するに値するのではないかと。

 で、あるからこそ、医療の現場を変えたいという今作での彦根医師らの「主張」に諸手を挙げての賛同はできなくても「行為」には声を送りたい気持ちになるのです。



 現場の医師と後ろ詰めの官僚とで権利をぶつけ合う今作は、フィクションとノンフィクションの境界がかつてないくらいに曖昧で。
 んでも終盤、互いの立場をぶつけ合う弁舌シーンは圧巻だったわ〜。
 欺瞞や偽善を鮮やかに打ち破っていく様は、アクション作品なみの疾走感と爽快感が。
 現実にここまでの論破が有り得るのか自信が無いので、その鮮烈さをもってしてフィクションであるなぁ……と思ってしまったくらいデス。


 医療の現場から離れた今作ですが、シリーズとしてはここまでをひとくくりにまとめる位置付けでもあり、また分岐点であるとも予感させる内容でした。
 シリーズ既作の内容について、ここで再び意味が与えられたっちうか光が当てられたっちうか。
 だからこそ次に繋がっていくのだなぁ……と思ったわけですけれども。

 姫宮さんは登場しませんでしたけれど、彦根先生のマリオネット、桧山シオン先生が姫宮さん以上に謎めいた存在で興味津々です。
 田口先生に会いたいけれど会わない方がいいだなんて、引き裂かれた恋人同士みたいじゃないですか!(笑)
 うわー、どんな人なのかなぁ(^_^)。



 今回もまたいろいろと勉強になりました。
 もし、もっと多くの人が今作に目を通すようなことがあれば、世界のどこかが少しだけでも変わるのではないかと思えるくらいに。
 


3
 
『そして花嫁は恋を知る 緑の森を拓く姫』 小田菜摘 著

 史実をモチーフにした出来事を絡めつつ、女の子が自分の力で倖せをつかみとっていくお話。
 政略結婚で嫁がされても、ただでは終わらないトコロがこのシリーズの主人公たちですねー。

 今作の主人公エリスセレナ嬢も、作中、ご母堂である皇帝から「利発」であることを買われている旨が記されていましたけれど、その設定をうまくキャラクター描写に発揮されているな〜と。
 状況判断の良さと思い切りの良い行動力。
 可愛いらしいヒロイン像とは縁遠いですけれども、凛々しくあるヒロイン像として立派に立たれているな〜と思います。
 待つだけでなく、窮地においては自ら道を切り開く彼女の姿はとても好感です。


 でもってただ強いだけでなく、他の姉妹にくらべて容姿で見劣りすることを自覚しているところで、「持たざる者」の弱い心境にも理解を示せるあたりがまた良いです。
 ほかの人への気配りが出来るっちうか。
 弱さを知っている、強い人。
 それが今作のエリスセレナ嬢なのかな〜。


 反対に彼女のお相手たる聖騎士イシュトファルは、いかに宗教的道義という理由(設定)があるにしても、どーにも頼りないですわー。
 エリスセレナの輝くばかりの陽性気質が発揮されていたので、彼の陰性がちょうど良かったとは思えるのですがー。
 エリスセレナが今回の問題収拾で見せた活躍に比べて、イシュトファルが担った役割があまりに無いもので、ちょっと不満……。
 彼の存在意義や才能?が見えないので、エリスセレナと釣り合っているようには見えないといいますかー。

 でも、まぁ、「良いお父さん」にはなれそうな気がします(笑)。



 ああ、それと今回はエリスセレナの侍医兼家庭教師のレイアさんが輝いていました。
 因習に縛られた帝国においても、持ち前の勝ち気さを発揮して誰に臆するところなく自らの主張を通すところがステキすぎ。
 彼女のもとで教育を受けていれば、そりゃあエリスセレナも一筋縄ではいかない女性に育っていくことでしょう(笑)。
 ……他の姫さまの家庭教師には就けなさそうな性格ですよね、レイアさん。



 まだ4巻しか上梓されていないシリーズですけれど、そろそろ年表のようなものとかそれぞれの時期での帝国版図が欲しいな〜と思い始めています。
 あ、家系図も!


 自ら運命を切り開いていくヒロインの活躍がとても気持ちがよいです。
 次はどの時代のヒロインが描かれるのか楽しみです。
 

2
 
『戦場のライラプス』 瑞智士記 著

 戦場で失った左前腕に移植を受けた女性兵士が、別の作戦の果てに辿り着いた島で、自身とそっくりな女の子と出会うお話。
 島で起こる“神隠し”を通し、軍産複合で取り組まれた社会の暗部を知っていくという。

 富士見ヤングミステリーでデビューした「木ノ歌詠」センセの新しい名義とのことで。
 今作でも徳間Edgeの賞を受賞したり、ほかにも受賞歴があったりと、客観的な力量は疑うところが無いってことですかー。
 富士ミスでの作品はあまり印象に残っていないのですけれど、今作での題材っちうか目の付けどころは、なるほど〜と、その才能を感じられるモノでした。
 いわゆる「社会の闇」のような部分に意識を払って、それを描こうとする姿勢は、単純に筆致などの技巧的部分ではなくて、もっと別な職業意識のような部分での目標の高さを感じます。

 もちろん、そうした姿勢は「描きたいこと」への意識が先行してしまう場合もあるのですけれど。

 今作でもそうした主題は良いとしても、描き方が的確であったかどうかは疑問が残りました。
 現代と過去回想が交錯する技法?は、そこで説明が必要であるという作品としての必要があるにしても文章として分かりにくさがあったかなー。

 ほかにも、事件ばかりに目がいって、キャラクターを描くことへの注視が怠っていたような感が。
 キャラモノだという意識が持てないなら、キャラクターに変な色付けはしないほうがセンセの才能を活かせるのではないかと思ってしまったわー。
 たとば今作であれば、キャラクター個人ではなく「兵士」という職業に焦点をあてる……とか。



 実力を感じられる作品。
 んでも、このままでは遠からず息詰まりを起こしてしまうのではないかという不安も感じた作品でした。
 

『年下恋愛』 梅田みか 著

 うはぁ……。
 30代半ば前後でいわゆる「女性の倖せ」を探し求める必死さが伝わってきて、なんというか息苦しくて困ります(^_^;)。
 それでいて結局、「苦しくてもがんばろうね」みたいなオチだから余計にたまらないわー。

 仕事に手応えを感じている女性、バツイチ子持ちの女性、不倫を諦めた女性。
 この年頃の独身女性が持つであろう代表的?なパターンの背景を持つ女性が、それぞれに年下の男性と付き合うことになって、はてさてどうなる?……という物語なのですが。
 基本的に誰もそのままでは倖せを得られなくて、あえて得られたパターンとして「年下と思われなかったから結婚できました」というのであっては、ちょっと救いが無さ過ぎます……。

 自分のほうが収入あることに引け目を感じている男性が、いよいよ社会的身分で立派になったところで男性より若い女性にトンビに油揚げで奪われていくなんて、もうあまりにあまりすぎて泣けてくるわ(TДT)。
 結局、どうすりゃいいのよ……っつー。


 うーん……。
 別に梅田センセは「年下恋愛」を良いものだと勧めているスタンスでは無いので、こういう救いの無さも、アリ、なのかもですけれど。
 それならそれで「30代後半、バツイチ子持ち。それでも倖せ」って言ってくれれば、それはそれで良いなぁ……と思えるのですが。
 しかし今作で描かれる女性は、ひとりでいることを心からは望んでおらず、「結婚して子供を産む」という立場に心の底で憧れ続けているトコロがスッキリしないのですよねぇ……。


 つまり。
 ここに共感できないわたしは、梅田センセが想定される読者ではないってことなんですね。
 読んでしまってゴメンナサイだわ(苦笑)。
 

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