○● 読書感想記 ●○ 2009年 【2】 ※ 書影画像のリンク先は【bk1】です ※
「え、嘘……今さら……あり得ない……」
リサに言われるまでもなく、ふたりはもうそういう関係であったワケで。 はい、今さら今さら(笑)。 その点ではアリアとユーインの関係のほうが興味深かったです。 こちらの関係はちゃんと?変化しているので。 でもなー……。 ユーインはただ魔剣を憎むことをやめただけで、アリア個人のことをどうこう思っているワケではないところがなー。 ……素直に応援できないかなー。 あの最後の台詞は、ちょっと、なぁ……。 ちうかこの作品の男子って、壊滅的にデリカシーに欠ける男子ばかりですよね! は? 団長や市長? あの人たちは“男子”じゃないですもん!(><) 仮初めの安定が解かれて、誰が敵か誰が味方か陣営が固まったところで、次巻からいよいよ動き出しますでしょうか。 安全なところでただ言葉を交わしているだけなのは三浦センセの作品らしくないと思ってしまったのです(笑)。 行動で想いを示してこそ!……と考えてしまうのは、センセに対して固定観念持ちすぎでしょうか。
『もう我慢しなくていい。操緒が許すよ……』
これを言われたときの智春の絶望は計り知れないわ……。 ここまで来る中で、途中、無駄にも思える展開があったようにも思うのですけれど、たぶんどれひとつ必要でなかったことは無いのでは? 智春にはここへ辿り着くことが必要であったし、ここへ至るまで全ての経験をする必要があった。 そして彼をこの舞台へ立たせたかった人たちにも、やはりこれだけの時間がかかったのだと思うのです。 だから、無駄とか不必要とか、そんなことはなく、こうなることは必然だったのだと。 それを仕掛ける三雲センセには脱帽するしか無いのですけれど、けれど――! どうしたらいいのかなぁ、このやるせなさは……。 あとはもう、再び智春の目を借りて、この世界が救われることを読み手として待つしかないです。 「僕のかのじょ」と言ったからには、マジで責任とってもらうしかないわ! いろいろと!(TДT) 日常観念を超えたところからやってくるラスボスの存在は、まさに三雲ワールド全開なカンジ。 急転直下でクライマックスに向かう展開は、ホント見事だわ。 ブラヴォー! しかし、あとがきに「ちんまりとした学園内のお話に無事戻れるかどうか」とかあるのですけれど、それって……できますか?(苦笑) ここまで盛り上げといてそれは無理のような……(^_^;)。 でも、そういう世界を、もう一度見たい!とも思うのは、やはりあの決意と覚悟を見せられてしまったからでしょうか。
「久しぶりに十人全員が揃いましたわね」 顔を見渡したドゥイエンヌがそう言うと、その言葉をセリノスが引き取った。 「本当だね。勢揃いしたみんなの顔を見ていると、なんだってできそうな気がする」
まさにセリノスの言うとおり。 ちうか正確には「なんだってできそう」ではなく「なんだってやりそう」なのかもしれません。 それだけに読み手のわたしも、次はなにをやらかすのだろう……とドキドキするというか。 セビリィノの件からしばらくは十人が揃わなくて、そして状況から急かされるようにして動いていたように思います。 しかしここにきてついに仲間がそろった、いよいよ攻勢に出たのだと。 さぁ、なにをしてくれるのかな、欠けること無い【元祖】雛小隊は! わたしが抱いた高揚感とは、じつはそういうことだったのかもしれません。 ああ、そうか。 10人が揃ったことが、わたしは嬉しかったのですね。 今巻で描かれたいちばんの絆は、やぱしそういうトコロであったのでしょう。
正しさと間違いは、シーソーの両端にあるわけじゃない。当たり前のことだけど、正しさを間違いを内包していたり、間違いの前提として正しさがあったりする。
正しいことにだけ生きる意味があるわけでもなくて、間違ったことは全てが許されないことでもなくて。 ○か×か判定されることが重要なのではなく、なにかを選び続けていくことが人生なのかなぁ……。 答えには答えの意味しか無くて、選ぶ行為に価値がある、とか。 考えちゃうわー(-_-)。
「あなたのための非力なナイトは、一生懸命でしたよ。必死にあなたを守ろうとしていた。自分を傷つけ、ぼろぼろになりながら、それでもあなたのことだけを考えていた。そこで出した答えは決して正しいものではありませんでしたが、僕は彼のことが好きです。――自慢に思っていいですよ。あなたには、とても素晴らしい友達がいます」
罪と罰、復讐、ルール、モラル……etc。 いろいろと考えることはありましたけれど、行動原理は少しも揺らいでいません。 オトコノコが、囚われのオンナノコを救う物語です。 難しくてうまく伝えられていないと思います。 でも、わたしはこの作品が好きです。
「この子、他愛ないなって」
ヒロインの台詞じゃないーっ!(><) ところで。 今作を読み終えてから『春期限定』と『夏期限定』を読み直したのですけれども。 堂島健吾くんと瓜野くんの違いがまさに描かれていたので驚きですよ。 健吾くんは小鳩くんが堂々として推理を披露しても、その裏付けを取る手間を惜しまなかったのですよね(『春季限定』の最後の事件で)。 これでは「迂闊」と言われてしまっても仕方がないです。 すぐそこに学ぶべき師匠がいるのに、彼はそれに気づきもしなかったのですから。 あと、見たいモノしか見ない、という瓜野くんの姿勢は
「『当然ナントカだ』と言うとき、それは大抵当然ではない」
と主張したあと同じクチですぐさま――
「誰の台詞だよそれ、ありきたりで通俗的な、つまらない警句だね」
と言ってのける小鳩くんには影すらも追いついていないなーという印象(笑)。 聡明さも狡猾さも人の動かし方も猜疑心も、足りていないという証明が。 それでいて行動力だけあるのですから、興味のあることだけ騒ぎ立てるという、まさに<小市民>……ということなのかなぁ。 今作のラストで小鳩くんは、埋もれている「ように見える」人の中にも才能ある人が居ることを知りましたけれども。 シリーズの終わりには、やぱし、<小市民>に生きることと<小市民>になることが別だと知ることになるのかなー。 ところで、これも読み返していて気付いたんですけれど。 小鳩くんってば、高校の一年生から三年生まで、その夏を彼女持ちで過ごしたことになるんですよね! なんてリア充!!(≧△≦) もう、<小市民>とか言えるレベルじゃない気が……。
『秋季限定栗きんとん事件 上』 米澤穂信 著 くあぁぁぁぁっっっ! モヤモヤする――っ!!!(><) 小鳩君も小佐内さんも、あるべきところに立っていない気がするー! 自らの本性を隠して小市民として生きるためにはある程度までは自分を殺さなければいけないとはわかりますけれどっ。 でも、さぁ……それでいいの?とか思ってしまうわ。 小鳩君は周囲を傷つけてまで突出することを厭うようになったワケですけれど、その全てを否定してしまうのは間違いなのでは? うまく立ち回れることが大人であることにはならないと思うー。 ちうか、そもそも無理があるっしょ。 小鳩君、わずか1年とちょっとなのに綻びが見えてます(笑)。 あれ? 小佐内さんは復讐を抑えることをやめにしたんでしたっけ? それが理由であくまで小市民を目指す小鳩君とは袂を分かった……んだっけかなぁ。 うへぇ。 ちょっとウロオボエだわ。 で、そんなふたりのあいだに割って入った新キャラが。 ――ウザイ。 小佐内さんにいいように踊らされているだけなので行動それ自体はどうでもいいんです。 大局的に見れば彼がなにをしたワケでもないですし。 言えるのは功名心と好奇心だけで事件を追うのなら、彼は記者ではなく探偵になるべきだと思うわ。 んでもさー、人を表面に見えている部分だけでしか判断できないその性根については受け入れがたくって……。 これだけ生理的に嫌いになれるキャラもひさしぶりだわ。 彼はさ、なにも分からない子供ってワケじゃないのよね。 わかって、考えて、判断した上であのように振る舞っているワケで。 それはもう「大人」でしょう? 未完成なものをあれこれ言うのは公正でないですけれど、完成したものを嫌うのはあるんじゃないかなー、とか。 たぶん物語的には彼は下巻で墜ちる立ち位置だと思うのですが、その逆境を糧に再起し成長するようには思えないのですよー。 そんな次第で刮目して次巻を待つ!(><) ちうかね。 小鳩君と小佐内さんは互いを埋め合わせ助けられる存在なのに(互恵関係になれるくらいですし!)、こうして離れていることを痛々しく思うのです。 このまま離れていくことは簡単だけれど、その道は二度と交差しないよ、きっと。 わたしは、それはイヤだなぁ……。 『秒速』のタカキとアカリを思い出しちゃって、もーっ!(T△T)