○● ゲーム日記帳 ●○
2008年【2】
9月16日 |
でもって『エーデルワイス 詠伝ファンタジア』もクリアしてました〜♪ もともと『キラ☆キラ カーテンコール』目当てに夏コミで「OVERDRIVE FANDISK SP C74SET」を購入したところ、はからずも本編未プレイのままこの『詠伝ファンタジア』も手にすることになって、ならば本編のほうからクリアしていないと内容はわからないよなー……という迂遠さがあった次第。 ようやくここまでたどり着きましたよ。 ……そして本編の熱にやられて、目当てだった『カーテンコール』のほうが後回しになったという(笑)。 で、そんな『詠伝ファンタジア』ですけれど、これは「夢」であったなぁ……というカンジ。 内容は本編でヒロインの誰とも結ばれずに二学期を迎えたところから始まるわけですけれど、その「誰とも結ばれなかった」という前提がわたしにはすでに夢幻だなぁ……というカンジなのですよー。 それを認めてしまうと、遥花の、みずきの、そして芽衣先生の生き方までも失くしてしまいそうで。 この『詠伝ファンタジア』で嬉しいところは、本当に「二学期」にあると思うのです。 それは、遥花もみずきも芽衣先生も、みんな誰ひとり欠けることなく無事に「二学期」を迎えられているという、夢のようなIFなのではないかなー。 でもそれは「そうであれば良かった」「大切な人が傷つくくらいなら……」という逃げから生まれた夢ではないかと。 彼女たちのお話がどんなにつらい現実であっても、そこから逃げてはダメだと思うのです。 わたしには今作の成り立ちがそういう姿勢にあると思えて、残念ですけれどなんとなく許せないのです。 絶対にではないのですけれどもー、こぉ、もやもやっと……ね(^_^;)。 まぁ、そういう考えに至ったのはプレイ後しばらくしてからなので、実際にプレイ中はそれなりに楽しんでいたりします。 一志のおバカぶりなんて、本編のそれと変わらずにいたので安心しちゃいましたしー(笑)。 バカでありながらも偽り無く真っ直ぐ生きている様も本編と変わらず。 主人公としての一志は、ホント、「イイヤツ」ですね〜。 さくらと凛のお話では凛のお話のほうが好きかなー。 「どちらが自分のことを好きになるか」なんてむずがゆくなるような勝負を描いたさくらのお話は、はじめから軸が揺らいでいたような気がするのですよー。 スタート時点でもう結果が見えているような出来レース……と言ってしまうのは厳しいですか? アッポーたちでなくてもやってられねーっつーの!(笑) 凛のお話は詠伝島の秘密に迫るもので、そこに凛の恋心をうまくからめたかなーと思います。 あとホムンクルスという人外のさだめの切なさも。 ひとことでいえばバギーちゃん? クライマックスでは詠伝島のあの形までも活かしてなるほど!とか思いましたもん。 ……ああ、OPで指で示して見せたのも、ある意味で伏線なのかなー?(^_^;) ふたりのヒロインのお話よりもむしろその後につながるハーレムENDのほうが「らしい」のかなーと思ったりして。 本編の誰とも結ばれずに迎えた「二学期」であるなら、ここでさくらか凛かどちらかひとりをえらぶような未来ではなく、ふたりともを選ぶ未来のほうが本編に対しての適当な反証になっているような気がするのです。 操はどうした!というお叱りはあるかもですけれどー。 さくらと凛と一緒になる、こういうIFももちろんアリだとは思います。 でも、この倖せを見せられたからこそ、わたしは遥花とみずきと芽衣先生と、たとえ傷ついても一緒にいたいと思ったのです。 |
9月14日 |
あーもー。 いろいろと時間が経ってしまったのですけれど、区切りをつけないと。 そんな次第で『エーデルワイス』クリアしました。 南海の孤島にある学園での出会い。 『グリーングリーン』でもそうでけれど、bambooさんとか、閉鎖された場所での全寮制青春物語って好きなんでしょうか。 閉じた場所だけにできる無茶さ加減は、他のブランドには無い魅力ですねー。 でも、青い空を背景にした爽やかなパッケージとは裏腹に、その内容は後半一気にヘビーになるお話ばかりで……。 ああ、そうでしたそうでした。 OVERDRIVEって、そんな一筋縄でいくような「普通」のお話は作らないんでした……ってあらためて思い知らされたコトヨ(T▽T)。 ギャルゲなテンプレに乗らない方向で作られているので業界の異端であるのは間違いないですけれど、そーゆー尖ったとこ、わたしは好きです。 受けを狙ってテンプレ作業されるより、作りたいモノ、表現したいコトのためにこの作品が生まれたのだと感じられるので。 主人公の一志ほかオトコノコたちなんですけれど、序盤では印象悪かったかなー。 その場その場の思いつきだけで行動を起こし、失敗を教訓として活かさない場当たり的な生き方が。 でも、中盤を過ぎるころにはそうした無茶さ加減が好ましく思えたのも事実なのですよね。 なんちうのかなー……。 一志たちって、バカでバカで、しょうがないくらいにバカなのかもしれないけれど、輝いてるんですもん。 自分たちがバカってことを自覚しているし、バカだから無茶もするけれど、そんな失敗と後悔だらけの人生を楽しんでいる……ちうか。 その割り切りかたはスゴイと思いました。 もしかしたら器の大きさってことなのかもしれませんけれどー(でもバカですけれどー)。 こうしたオトコノコの造形にも、テンプレによらないモノを感じるのです。 自己投影をして共感を得やすい主人公を創るなら、ここまで尖らなくてもっと落ち着いた分別のあるキャラ造形をしているはずなんです。 昨今の作品を思い返してみると、実際、そういう消極的かつ一見道理をわきまえている主人公像が多いように思いますし。 でも、今作ではそれを目指していない。 そこはむしろアンチテーゼなんじゃないかって思うのです。 青春物語の主人公が、そんな分別付いた大人であるハズでない……といった。 頭悪くて周りの人に迷惑かけっぱなしかもしれないけれど、毎日を楽しく生きていこうってキラキラしているようなバイタリティ。 そんなパワーが青春なんじゃないの? 主人公なんじゃないの?……って。 中盤を過ぎるころには、そうした一志にすごく親近感を抱くようになってましたよ、わたし。 第一印象はサイアクな人を、やがて友人として認めていくような感覚とでもいいましょうか。 ああ、だからこそ、そんな一志が直面する、重い現実と真実が胸に痛かったデス……。 おまけに錬金術なんてものが存在する世界なのに、都合の良い奇跡なんて起こらないのですよ? 錬金術があろうがなかろうが、絶対的に無理なものが世界にはあって。 時間は巻戻らないし、失われたものは取り戻せない。 そんな当たり前のことを、この作品は語るのです。 ええ、ええ、そんなことはいまさら言われなくなってもわかっているのですよね、きっと。 この作品をプレイする人たちには。 じゃあ、それだけの作品だったのかといえば、そんなこと無いとわたしは思うのです。 時間葉巻戻らない代わりに前へ進み続けていくものだし、失われたものを取り戻すことは出来ないけれど違うなにかを見つけることはできる。 ツライ気持ちも悲しい気持ちもただただ癒されるのを待つしかできないけれど、だからといって楽しい気持ちも嬉しい気持ちも、そして誰かを愛する気持ちまでもが消えてしまうわけじゃない。 そう強く強く叫んでいる気がするのです。 ほんっと、OVERDRIVEの作品ってカンジ!(T▽T) でもってヒロイン好感度〜♪ 芽衣先生 > みずき >> 遥花 >>>>> 蘭 = なつめ 前3人と後ろ2人のあいだは、ちょっと差が有りすぎますかー。 |