○● 読書感想記 ●○
2008年 【6】

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20
 
『ラドウィンの冒険』 水藤朋彦 著

 うーん……。
 ヒロインがずんずん先に進んでいってしまって、そのあとを追いかける(だけ)という行為が冒険なのかどうか首をかしげてしまうトコロかなー。

 ヒロインには無茶をしてでも真実にたどり着くにたる理由はあったと思うのです。
 んでも、それを追いかける主人公に「今作の中で」理由はあったのかどうか。
 わたしには見あたらなかったかなぁ……。

 生い立ちやらなんやらの過去に「いま旅に出ている理由」はあったにせよ、それが今作の中でヒロインとともに行動を、そして目的を共有するにたる理由にはなっていないと思うのですよね。
 現状、主人公は根無し草で自分探しの旅をしているところ、偶然に出会ったヒロインに手を貸すことを約束した……というだけで。

 結局、この事件を解決しても主人公に変化はみられませんし……って、ああ、そうか。
 これまでは「二度と帰るつもりはない」と思っていた故郷に対して、「近くに寄ったら立ち寄ってもいい」くらいに思うようには変化しましたか。
 んでも「どうして帰るつもりがなかったのか」など過去にまつわる理由は今作では明らかにされませんし、その理由が事件の解決に際して葛藤を生んでいたのかどうかは否というほかありません。


 とにかくクライマックスを経て得る爽快感やら開放感が見あたらないのですよー。
 400ページを越える作品でありながら、成し得たことが無いといいますかその程度だったのかといいますか……。
 ほんのり良かったね程度で満足する、満足させようとするのは、乱暴な言い方をすれば作者に覚悟が足りなかったのではないかなーとか思ってしまうわ。
 誰も傷つかずにコトを収めようなんて甘過ぎやしませんかね……っと。
 とくに主人公に対して。



 商業的には主人公の語られなかった過去や旅の友の正体などは続刊への伏線と言うべきものなのでしょうけれど、正直、なにを出し惜しみしているのかなーと。
 出し惜しみなどはしていないというなら、投稿作品としては問題なのではないかなーと思います。

 わたしは続刊はどうかと思ってしまったのですけれど、絵師が菊池政治さんですしねぇ……。
 ここで切るのはもったいないとも判断できますし……。
 ああ、でも。
 カラー口絵が壮絶にネタバレ臭漂っているのですが、あれはもう少しどうにかできなかったものかとー(^_^;)。


 そんな次第で、いろいろと首をかしげてしまった作品でした。

19
『動物学科空手道部1年 高田トモ!』 片川優子 著

 う、うーん……。
 片川センセは現在、大学の獣医学科へ在籍して大学生活を満喫中とのことですが……。
 この作品って、そこでの生活体験を活かした「だけ」の私小説、ですか?
 なんちうか結局のところ「いろいろあったけど、わたしは元気です」みたいな身も蓋もないトコロでオチているカンジで、それが想像の産物ならまだしも実生活とかなり近似であるとするならばフィクションとして見るのも易しくないような気がするのですよー。

 ……てことは、あれか。
 片川センセは、幸せな恋をしてきてないってことになってしまう(^_^;)。


 実はお姉ちゃん目当てで交際を申し込んできたという高校の時のオトコもアレですけれど、恋人が不安になって口にしてしまった「別れて欲しいの」という言葉をそのまま真に受けて「君がそう言うなら」って取り乱しもせずに受け入れるオトコっちうのもかなりアレな気がします。
 優しさと従順は違うよ?
 そして、君が望むこと全てを叶える、っちう態度は優しさとは違いますよ?

 家畜に対して「動物」として接することのできる主人公に興味を持ったとはわかりますけれど、彼が抱いていた「好き」という感情がどの程度のものであったかは不明です。
 あまりにも主人公のことを受け入れすぎていて、彼なりの「自分」というものが全く見えてこないっちう……。
 まるで都合の良いプログラムをされたロボットのようで……。


 うん。
 そういう彼の言動を不安に思ったからこその「別れて」発言だとはわかるのですけれど、そういう彼を一度でも認めた主人公って、高校生のときにバカなオトコに引っかかったときとなにも変わっていないような気がするのです。
 変わっていないっちうか、経験を活かしていないっちうか。

 どうして人を好きになるのか、恋ってどういう気持ちなのか。
 そのあたりの感情面での成長が全く見られないのですよね。
 つまり、成長譚としては少しも機能していないという次第で。

 物語とは主人公の感情の動きを表現するものですけれど、いささかも成長の跡が見られないそれは変化ではなく誤差に収まる程度の「ブレ」でしかないと思います。
 まだ10代の女の子に明確な成長を求めるのは酷かもしれませんけれど、だからこそわたしはこの作品をただの私小説にしか感じられなかったのです。

18
 
『エキストラ!』 吉野万理子 著

 キャラクタービジネスを手がける中小企業へ勤める女性が、仕事に恋に悩みながら生きていく意味を探していくお話。

 大企業側の「なんか違うんだよね〜」というような明確な指針も考えも方向も無い言葉でアイディアをことごとく否定されていく姿に泣けてきたわ〜(T△T)。
 あるあるある〜。
 それでいて大当たりの匂いがしてきたプロジェクトでは、「中小企業の大して経験もない女の子が発案したと公表されると体裁が悪い」という理由でその発案をした自分たちの存在は完全に消されてしまうという……。

 利権が複雑にからむ……というか、お金儲けをするためにはそーゆーものだとは理解しつつも、真っ当に努力してきた人が真っ当に評価されないというのは寂しいものです。
 せめて物語の中では報われるようなことがあっても良いのではないかと思うのですけれど、今作はそんな爽快感からはほど遠く。


 タイトルの「エキストラ!」の意味は、そんな自分たちは社会という舞台においては端役――エキストラでしかないかもしれないけれど、端役には端役の心意気というものがあって、それが「!」に込められているというものなのですけれど。
 であれば、その心意気が気持ちよく昇華されるような展開があっても良かったのではないかなー。
 結局のところ、どこまでいってもエキストラはエキストラでしかなかったような。

 繰り返される毎日のなかでささやかな倖せを見つけて積み上げていくことが「エキストラ」としての自分らしさと結んでいるように思うのですけれど、それってつまりは分相応を知れってことなんでしょうか??

 うーん、うーん、うーん……。


 「社会」という大きな舞台ではメインキャストではなくても、個々人の人生という舞台では誰もが主人公である……という普遍的なことでも良かったような。
 あくまで「エキストラ」であろうとすることにこだわるのって、なんだかひどく自虐的な物語だなぁ……とか。
 それでいいのかなー……。

 まぁ、でも、どこまで夢を追い続けるか、あるいは諦めから生まれる覚悟もあるか、そういうことなのかも……。

17
 
『青春音楽小説アンソロジー Heart Beat』 芦原すなお 他

 ゴツボ×リュウジ せんせの表紙に惹かれてー!(笑)
 限られた色で表現されるゴツボ×リュウジせんせの絵って、ハードカバーの装幀にするとすごく栄える気がします。
 わたしだけかなぁ(^_^;)。 

 アンソロジーってことで、書かれているセンセは6人。
 芦原すなお、伊藤たかみ、小路幸也、楡井亜木子、花村萬月、藤谷治。
 伊藤センセは『ぎぶそん』があるので「青春音楽小説」というイメージもわかっていましたけれど、他の皆さんはほとんど初めて手にしたのでどうかな〜……と不安混じり。
 んでも、どなたも「音楽+青春」を巧みに表現しているなーという印象。
 どちらかに偏りがあるわけでもなく、音楽をトリガーにしている少年少女の青春の1ページっていうかー。

 どの作品も短編ということでボリュームはなくても、表現したいことを表現しきってスパッと終わらせるようなキレの良さを感じます。
 うんうん、短編はこーでなくてはね!


 そんななかでも好きな作品を挙げるとするならば、小路幸也センセと花村萬月センセかなー。
 才色兼備の姉の姿を追って放送部に入部した男の子のお話と、登校拒否の少年少女が音楽という接点でつながって恋するお話。
 とくに前者は体育会系と文化系クラブがいがみあっている中学校で、両者のあいだに入って仲裁?する役割が放送部にあって……という設定が面白いです。

 いまや伝説と化している姉の存在に凹むことなく、むしろまだ何者でもない自分の目標として見上げている主人公の姿が好感。
 ヒロイン格の子がいないのが惜しいのですけれど、短編ということ考えると難しいこともわかります。
 それよりも仲介役として立ち回るために友達とふたりで暗躍する様が冒険小説の色合いでもあってワクワクできました。

 花村センセの登校拒否してるふたりのお話は、世界からはじかれたような気分になっても触れ合う相手がいれば生きていけるものかもね……と思うのです。
 愛って、大事。

「寄りかかるぞ」
「――うん」
「ちゃんと支えろよ」
「そんな重いのかよ」
「体重じゃないよ。心だよ」

 台詞で進められるシーンの比重が他の作品より多いような気がします。
 そーゆーとこ、ちょっとラノベっぽいのかなーとか。
 長編でもこういう書き方をされるセンセなのでしょうか。
 ちょっと気になったのでおぼえておこーっと。




16
 
『太陽で台風』 はむばね 著

 悶え死にするかと思った――(≧△≦)。


 高校生にもなって「ヒーロー」に憧れている少年、百瀬陸。
 自分もヒーローになって困っている人を助けたいと思いつつも、人前でそれを行う勇気が無いためにこっそりと小さな人助けをしてみたり。

 そんな彼に、ナンパに困っていたところを助けられた女の子、常陸谷華。
 初めて会ったハズなのに、華は陸を知っているようで、しかも陸のことを「好きだ!」とのたまう始末。
 自分に自信を持てない陸は、どうして彼女が好意を寄せてくれるのか分からなくて戸惑います。

 助けられたことに感謝して?
 でも、堂々と助けたわけでなし、もとより華は自力で窮地を脱することもできたかもしれないのです。
 どこまでも卑屈になりそうになる陸に対して、しかし華はどこまでも真っ直ぐに好意を寄せてくるのです。

 勇気が足りない不器用なオトコノコと、純粋で天真爛漫なオンナノコ。


 ……うひゃぁ〜、あまずっぺぇぇぇぇぇぇっ!!!(≧▽≦)


 「偶然出会った女の子が、なんの取り柄もない主人公を無条件に好きなる」というギャルゲ・エロゲの様式だけを見てしまうと、この作品の本質を見誤ります。
 ずっと陸のことを思い続けてきた華が彼と出会うのは決して「偶然」ではありませんし、ヒーローに憧れ続けて自らを鍛え実践する陸もまた決して「何の取り柄もない」ワケではありません。
 華は陸に会いたいと願い続け、陸はヒーローになりたいと願い続けた。
 この作品は「願いを叶える努力の物語」なのです。


 裏表紙にこの作品のコピーとして「ファンタジーじゃなくても起こせる奇跡」とあるのですけれど、わたしはこれ、ちょっと違うなーと思うのです。
 きっとこのコピーで伝えたかったことは、魔法とかアイテムとか、そういう人知を越えた存在に頼らなくても思いがけない展開はあるのですよ――というようなことなのではないかと思います。

 んでも「奇跡」って、そういうことじゃないような。
 「奇跡」って、やるべきことをどこまでもやり続けて、最後まで諦めなかったからこそ辿り着ける、限りなく低い可能性のことなのではないかなーと。
 つまり「奇跡」というのは、待っているだけではダメで、自ら起こすものなのです。

 何度も言いますけれど、陸はヒーローになりたかった。
 それはフィクションの世界やファンタジーの世界でしかなれない存在なのかもしれないけれど、だけれど陸は諦めなかったのです。
 このわたしたちの世界でもいつかはヒーローになれるかもしれない。
 ほかの人に自慢できることなんてなにも無い自分だけれど、目標のために努力することは諦めない。
 だからこそ、陸はヒーローになれたのです。
 それは偶然でもご都合主義の世界でもなく、彼はなるべくしてヒーローになったのです。
 奇跡を起こしたのは、彼の努力です。
 奇跡は起こせるものなのです。

 華にしてもそんな彼の姿をずっと見続けてきたのです。
 それこそ名前も知らない頃から、みんなの影になって助けてくれている彼の姿を追い続けたからこそ、彼女は陸のことを信じることができた。
 どこまでもどこまでも真っ直ぐに、傷ついても諦めることをしらないオトコノコの姿を見て好意以上の感情を持たないオンナノコがいるでしょうか?
 だから華は絶体絶命の窮地に陥っても、陸のことをヒーローだと信じ続けた。
 彼が諦めない限り、自分も信じ続ける。
 そんな気持ちがあったはずです。

 そして……。
 困っている女の子の声に颯爽と現れるオトコノコがヒーローでないなんて、そんなの世界のほうが間違ってます!(笑)


 とはいえ、この世界のヒーローはけっして無敵で万能の存在ではありません。
 いざ華を助けようと飛び出した陸ですけれど、多勢に無勢は揺らぎません。
 ここで陸と華を救う「奇跡」。
 でもそれは偶然の産物では無いのです。
 突如閃いた才能でも、どこかで拾った宝物でも、ましてや神様でもないのです。
 その「奇跡」を起こしたのは、まぎれもなく彼。
 ヒーローになることを諦めなかった陸の思いがここに結実したもの、それが「奇跡」なのです!



 「奇跡」と「偶然」を一緒にしてはいけません。
 物語のクライマックスでは、通常では考えられないあり得ないことが起こります。
 でも、それを起こすために主人公がなにかを成したのであれば、それがどれだけ可能性が低いことだとしてもそれはまごうことなく「奇跡」です。
 しかしながらそこに主人公の行為が介在しないのであれば、それはただの「偶然」です。
 「奇跡」とは、主人公の行為が実を結ぶ瞬間なのです!

 そんな「奇跡」でオトコノコがオンナノコを救う物語。
 素晴らしいじゃないですかっ!(≧▽≦)


 ヒーローに憧れていても自分には自信が無くて、華から向けられる好意も素直に受けられなくてイジイジイジイジ……。
 そんな陸の気持ちはわっかるわ〜。
 陸ほどではなくても「自分のどこか好きなの?」は恋愛における至上命題でしょう。
 その問いに対する華の答えは簡単なものなのですよね〜。
 だって好きなんだもん。
 うーはー、照れるわ〜っっっ!!!(≧▽≦)



 あとがきを見ますと、すでに二巻の執筆を始められてるとのことで、楽しみ〜。
 華を襲った不良グループのリーダーが意味深な去り方をしたので、彼は次の展開で何か役割を負うのかな〜とか思ってますけれど。
 でもってめでたく恋人同士になった陸と華のふたりがどうイチャイチャしてくれるのかも楽しみ〜(^-^)。

 物語ですから二人の仲を危うくするなにかが起こるのでしょうけれど、どんなことがあっても華は陸のことを好きでいつづけるでしょうし、そんな華のために陸はヒーローになって「奇跡」を起こすんだろうなぁ……と。
 そんなことを信じられる作品でした。
 次巻も楽しみにしています!


15
 
『私の男』 桜庭一樹 著

 うーわーっ!
 直木賞がどれだけ権威がある賞なのか知りませんけれど、もし「桜庭一樹の著書のなかで最高峰の賞を与えるに値する作品を選べ」と言われたなら、わたしは間違いなくこの作品を選ぶわ。
 他の作家の作品と比べるなんて無為なことをせず、桜庭一樹という人が生み出した作品群の中で評価するなら、今作は間違いなくチャンピオン。


 地方都市を舞台にした作品が多かったセンセですけれど、今作ではその地方の囲みから逃げ出してきたふたりを主人公に、逃亡者としての孤独?みたいなものが感じられて。
 勝手な憶測ですけれど、桜庭センセにとっての新境地というか殻を破った作品なのではないかなーと思うのですよ。

 『赤朽葉家の伝説』や『青年のための読書クラブ』『ブルースカイ』などで時代を追う手法については幾度か手にしたことのあるセンセですけれど、今作では逆、時代をさかのぼることを通して問題の発端を探っていくあたりも新鮮。
 すでに現代で主人公たちが置かれている状況は読み手に提示されていて、その真相近づいていく流れはサスペンス以上にサスペンス的。


 新しいステージに桜庭センセは立たれたなぁ……と嬉しくも寂しく思いつつも、これまでの「桜庭節」らしきものもそこかしこに見ることが出来て安心感もあったりして。
 主人公の「腐野花」なんて名前、嗚呼!って思うわ(笑)。

 そのほかにも思春期の女の子が殺人を体験することや、近親相姦、欠損家族など、社会的タブーこれでもか!って挑んでいるんですよねー。
 これをセンセーショナルな話題作りで浅薄なだけだと見る向きももちろんあるでしょうけれど、わたしはそうではないと感じたりして。
 これらタブーについて「なぜタブーであるのか?」という問いかけを行っているように思うのですよー。
 少なくとも、桜庭センセはこれらタブーを否定的な立場で描いたことはなかったような気がします。

 血のつながりの無い「真っ当な異性」と愛し合った人だけが幸せになれるのか?
 父親と母親にそろって育てられた子供だけが健全であるのか?

 幸せとか正しさとか、そーゆーのはタブーに含まれる「状況」とは完全に因果関係になっているとは言い難いのだと。

 もちろん禁忌を犯したことに対して「仕方がなかった」という言い訳はしていません。
 社会がそれを認めていないのであれば、社会から守られることを期待してはいけません。
 そうした覚悟を桜庭センセが描く人物たちは持っているのではないかなーと。
 ……そんな社会に静かに背を向ける姿勢が、逃亡者のようなイメージを与えてくるのかも。


 今作の主人公、花と淳悟の深い深い結びつき、つながり、絆は破滅的でもあり狂気的でもあり。
 そこまで強い関係を結ばれては社会が成り立たないからこそ、社会はそれをタブーにして抑制しているのではないかなー……とか思ってしまうわ。

 タブーを全て否とする気はわたしには無いですけれど、状況と感情と結果は切り離して考えたいなーと。
 それと、そのことを考えさせてくれる桜庭センセの作品を応援し続けていきたいなーと。

 うん。
 これは文句なしだわ。
 


14
 
『ハルカ 炎天の邪馬台国』 枡田省治 著

 昨年刊行された『天空の邪馬台国』の続編、かつ完結編。
 まさか出るとは思っていなかったです。
 待望していたというのではなく、むしろ何故?という感が。
 『天空』編のラスト。
 あれをかなり気に入っていたのですよね、わたしは。
 だもので、あのシーンから続きを始められてもなぁ……という。
 蛇足で冗長にならないかと不安半分でした。


 んでも、読み終えたあとの気持ちとしては「枡田センセ、やってくれたなぁ〜」という爽快感が強いかな〜。
 天空編での書き残しっちうか心残りであった部分の多くが、この炎天編で成されているんですもん。
 天空・炎天、合わせて1000ページを越える大作ですけれど、ともに読まずにはいられないっちう。
 ふたつ合わせて「ハルカと張政の邪馬台国物語」が形となるカンジ。

 もちろんそういう次第であるので、物語の核の部分の多くを天空編と共有するほかないというトコロは欠点でもあるのかも?
 単独での作品としては成立していないっちう。
 天空編はそれでも成立していたと思うのですけれどー。
 ……ま、仕方がないですか、こればかりは。


 物語としては読み進めるための情報を天空編から引き継がなければいけないのですけれど、そこで描かれるシチュエーションについては真っ直ぐにココロへ切り込んでくる単純で力強いモノ。
 なんといっても作中に生きる“火の一族”の面々が眩しすぎるくらいに純真なんですもん!

 「懸命に生きようとしている命を見捨てる戦士など、火の一族にはいません」

 自分の命の行方には無頓着もいいとこなのに、仲間が傷つけられることには我慢ならない。
 みんながみんなそう思っているから、深いところでつながっているのだと思う。
 自分が自分の身を省みなくても、別の誰かが見ていてくれている。信じてくれている。
 火の一族の強さって、そんな鎖のようにつながった気持ちの部分にあるのかなーって。


 それでも戦いが起これば犠牲が出るのは避けられないわけで。
 どれだけがんばっても「誰ひとりの命も失うわけにはいかない」……なんてことは綺麗事。
 血が流れ、四肢を失い、命が散る。
 それが戦。
 綺麗な戦いなどありはしないのだと、枡田センセは教えてくれます。

 でも、だからといって逃げることを是とはしない。
 恐れから戦うことを否定しても、暴力はいつだって理不尽だからわたしたちを襲ってくる。
 もしわたしたちに大切なモノがあって、それを暴力から守りたいと願うなら、血を流し、腕が折れても戦うしかない。
 そして志半ばで命がついえようと、その気持ちをつないでいる仲間がいれば、きっと戦い続けてくれる。
 大切なモノを守ってくれる。
 戦うってことは、信じるってことなんだなーって。
 火の一族の勇ましさに、とくにハルカと張政のふたりの姿にそう感じたのです。


 火の一族はさぁ、どれだけ困難な状況にあっても、誰ひとり落ち込んでいたり悲しんでいたりはしないのですよね。
 みんな、笑うか怒るかのどちらかで。
 それはエネルギーの発露なんじゃないかな……って。
 困難を受け入れはしても、あきらめはしない。
 ……うん。
 彼らの生き様をおぼえていこう。
 21世紀に生きるわたしたちですけれど、その気持ちを忘れなければ彼らとつながっていると思えますし、そしてその気持ちがあれば誰だって”火の一族“になれますよね!



 戦いの物語。
 たくさんの別れがありましたけれど、ラストシーンは「出会い」でした。
 全てをなくして、またゼロからのスタートだけれど。
 んでも、張政とハルカのふたりなら、ゼロから始まるための「出会い」であっても、実はそれが「全て」なんじゃないかって。
 運命、なめるな。
 1800年の時空を越えてふたりは出会ったんです。
 だとしたら、ゼロからだろうとなんであろうと、なんの問題も無いのです。

 この作品は、ボーイ・ミーツ・ガール なのですから。
 


13
 
『古時計の秘密』 キャロリン・キーン 著

 ミギーさんが描く表紙イラストから、小さなオンナノコが事件を推理していく、解決していくお話なのかなー……と思っていたのですが。
 オンナノコはオンナノコでも、「18才の少女」って、えー!!?
 どうなのかなぁ……それ。
 オンナノコといえば間違いなくオンナノコなのでしょうけれど、「18才」で「少女」っていうのは、ちょっとなぁ……(^_^;)。

 「18才」が指す部分と「少女」を示す部分についてわたしが勝手に感じてしまったアンバランスさ加減なのですが、実際この二値は作中でもいいように解釈されているカンジ。
 推理を証明するために社会的地位が必要な場合は「18才」という年齢を引き合いに出して、またここは理性ではなくひらめきの感情で勢いつけて踏み出さなければならないときは「少女」らしい子供のファクターを利用している、と。

 たとえば彼女が「大人への階段を上りつつありながら、子供の自分から抜けきれない」という位置づけなら良いと思うのですけれど、そういう成長譚とも違うカンジ。
 大人であり、子供でもある……みたいな。


 まぁ、でも、しかし。
 基本的には子供向けの推理ミステリなのですから、難しいことを言って悩ますのではなく、推理については簡単に進んでいくようであるべきなのかもしれません。
 ワクワク感のほうが大事といいますかー。
 立ち止まることなく展開が進んでいくことが大切なら、そのように仕掛けられる性格設定にしておくことは当然でしょうし。



 殺人事件ばかりが推理ミステリってわけではないですし、もちろん本格だか新本格だかを必ず狙うこともないわけで。
 推理ミステリっていうより、むしろアドベンチャー小説なのかなー、もしかして。
 強欲で卑しい人間を懲らしめる爽快感もありますしー。
 「18才の少女」という設定を「ちょっとおませで自立心旺盛なオンナノコ」くらいに読み替えれば十分に楽しいお話ですわね、これ(笑)。
 

12
『会長の切り札 一芸クラブに勝機あり!』 鷹見一幸 著

 学園モノを書きたいと言い続けて、今回ようやくそれが編集サイドからOKをもらっての上梓だそうなのですがー。
 そうした過程で忘れてしまった、失われてしまったものがあるんだろうなーと感じずにはいられません。
 物語として肝心な部分が抜け落ちた作品というカンジ。
 カタルシスもシンパシィもおぼえないのですよ。


 学校統廃合で母校が消滅する危機に直面し、それを直接生徒同士での勝負事で決着しようという展開は娯楽作品としてアリかと思うのですけれどー。
 その勝敗の行方がなんともヌルイといいましょうか。

 「雨が降れば負ける」という条件を振って、「晴れたから勝てた」っていう流れは、もうなんの冗談かと思いました。
 へ? は? 本当に天候ひとつで勝敗が左右されてしまうの……?
 あまりにも単純すぎでしょー。それは!(><)

 主人公は策を張り巡らせて窮地にある母校を勝利へと導くのですが、それも最後の最後のところで天候に命運を預けてしまうのですよ。
 名軍師だとか自身の名前にかけて「諸葛亮孔明」だとか言われたりしますけれど、本当に孔明を気取るなら天候すらも操ってみせなさいよ!操る努力を見せなさいよ!とか思ったわ。
 たしかに天候に賭ける意気込みはわかりましたけれど、そんな彼が勝利のための「晴れ」を呼び寄せるためにしたことといえば照る照る坊主を作ることだけだという……。

 ……え?
 なに、この軍師。
 勝負するという状況を作ったところまでを考えれば三流とは言いませんけれど、いいとこ二流の軍師ではないかなぁ。
 すくなくとも「いざ降雨になったときの準備」くらいは見せて欲しかったわー。
 この軍師が『会長の切り札』というのは、ずいぶんと安い勝負をしているなーという印象になってしまったのですよ。


 じゃあ、仮に雨が降ったらどうなったの?……という疑問がわくのですけれど、その答えは主人公は敗北していて、母校は統合されて無くなってしまうということになりませんか?
 彼らのお話が物語たり得るならば、たとえどんな状況になったとしても彼らは彼らなりの物語を創り上げる姿勢を見せるべきだったと思う次第。
 「晴れたから勝てた」なんてことを当然の理由にして、ゆえに勝てたのだから物語だと高言するのは幼すぎやしませんか?



 加えて主人公たちのモチベーションにとても違和感が。
 統廃合によって整理対象にされて母校が無くなるというのは、たしかに残念な出来事なのかもしれません。
 それは多くの人の共通認識で是とされるかもしれません。
 だけれども、その共通認識が読者全ての行動起因たり得るかはまた別の話でしょうと。

 作中で、どうせあと数ヶ月で卒業してしまう自分には母校がどうなろうと関係ないと言い放つ生徒が登場しますけれど、こういう認識だって当然あると思うのです。
 または、「風雲たけし城」よろしくイベント性高い行事に参加してまで必死になって母校を守ろうとは思わないという人も居るはずです。
 さらには統廃合で組み込まれた新しい学校で新しい生活を始めることに期待を抱く人もいるに違いないのです。

 母校がなくなることは悲しい。
 それはたしかに真実です。
 でも、その真実が全ての人の正義たり得るのか。
 わたしは違うと思うのです。
 今作は、その認識を絶対のモノとして、そこに異を唱える人を「悪」として排除している気がしてならないのです。
 絶対正義に集う生徒たち。
 それがわたしには気持ち悪かったです……。
 押しつけがましいというか……。


 さらに付け足すと、主人公カップルの会長と副会長のふたりの意識について。
 このふたりの「本当の」モチベーションは、学校が無くなることではなくて「ふたりで一緒の時間を過ごすこと」にあるのだと思うのです。
 学校という枠組みは、その望みを叶えることに適したスタイルというだけで。
 それが見えてくるからふたりが学校のために働こうとする行為はまやかしのモノに思えてしまうのです。

 極論から言ってしまえば幼馴染みのふたりは言葉に出来ないだけで意識の中では互いのことを認め合っているワケで、学校が別になろうとこの関係は続くに違いないのです。
 そんな彼らが学校のために本気になるとすれば、いまの関係が壊されるかもしれないという危機にならなければいけないハズなのに、今回の事件ではそれが起こらない。
 会長の女の子は幼馴染みの副会長が必死になってがんばる姿が見たいだけですし、副会長の男の子は幼馴染みの会長が望んでいることを叶えてあげたいというだけなのです。
 学校の存続という危機は、ふたりの関係においては単なる消化イベントでしかないのではないでしょうか。



 気持ちはハッキリしているのに確たる関係には至っていないものどかしい幼馴染み。
 ほかにもこうした関係があちこちに散見されて、いま時分のライトノベルの様式のなかではスタンダードな作品なのかもしれません。
 学校同士の直接対決で統廃合の行方を決するというのも娯楽作品としてのスケールを持っているのかもしれません。
 でもしかし。
 だからといって物語として正当性や妥当性を含んでいるのかという点は、また別のお話なのかもしれません。

 読み手への共通認識やノスタルジーのようなあいまいなものに立脚させるためではなく、会長が!副会長が!そして生徒のみんなが!、この学校がなくてはならない理由をそれぞれに個人的なところで持つべきだとわたしは思います。
 「自由な校風のこの学校でなければ、そんな趣味的なサークル活動はできませんよ?」というのは個人的なトコロではないと思うのです。
 統合されて他校に移ったことを理由にサークル活動を終えてしまうのであれば、その活動に対しての熱意はそこまでのものだと考えてしまうので、そこに感情移入はできないのですよー。
 状況が変化すればサークル活動も影響を受けるというのはわかりますけれど、「他校に移ったから無理だ」という理由に熱意は感じないのですよねぇ……。

 もちろん、いざそうなったら活動継続のために働き出す可能性もあって、いまはまず現状を守るために闘うのだ!ということは理由になるわけで。
 うん、まぁ、そういうことなのかもしれません。
 けどねー。



 ……うえー、語っちゃったなぁ。
 まぁ、でもしかし、反発するところをおぼえたにしても物語の要素としては「いつもの鷹見センセ」らしいのかもしれないなーとか思ったりして(^_^;)。
 自分にしてもこれだけ語っちゃったのも、そうしたセンセらしいところを認めているからでしょうし。
 心底嫌いなものに、こうまで熱くなって反応はしませんて(笑)。



 イラストを担当されているKeGセンセはイラストレーターとしてたくさん活躍されているかたですし、アニメ塗りされた表紙はスッキリとして見栄えが良いと思います。
 生徒会長を大きく立ててポイントは押さえてますし、加えてチビキャラを配してにぎやさかもあったりして。
 ペールブルーの背景も清潔感があると言いましょうか。
 縦置きされたタイトルロゴも規律をカンジさせつつ微妙に丸みを帯びたフォントで柔らかさがありますし、「切り札」の部分のデザインにアクセント入れているトコロが面白いなーと。
 これまでの鷹見センセの作品のなかでは随一の表紙デザインだと思います。
 編集部がどう考えているのかわかりませんけれど、作家買いをしない人が店頭で手にする率は高いんじゃないかしらかしら(笑)。

 ……なのに、このオビは無いわなぁ、とか思ったー。
 スニーカー文庫の20周年記念仕様なのかもしれませんけれど、このオビにデザインセンスは感じなかったわー。
 センス以前に、工夫しました、という点が見あたらないっちうか。
 コピーもありきたりすぎて物足りないですし。
 スニーカー文庫は、こういう部分でほかのレーベルに劣っているような気がしてならんのですよ。
 残念だわー。
 



10・11
『夏休みは、銀河![上][下]』 岩本隆雄 著

 冴えない小学生が少しだけ勇気を出してみたら、地球規模、宇宙規模の冒険に巻き込まれるというお話。
 時間経過はほんの数日なのに、そのなかで起きる変化はものすごく大きくて。
 それだけに冒険の濃さ?がギュッと濃縮されているカンジ。
 中盤以降の話の広がり方は、ああ岩本センセらしいなぁ〜と思うことが出来て良かったデス。

 んでも、そこまで広げるまでに展開上でいくつかのステップを踏むように仕組まれているあたり、上手くないなぁ……とも感じてしまいました。
 もっと、こう、スマートにいかなかったのかなー。
 次から次に事態が展開していく……と言えば聞こえはいいかもですけれど、いま起こっている事態が収拾してから次の展開が待ち受けているような感があったと言いましょうか。
 筆致のぎこちなさとは違うのですけれど……。
 3度目のデビューというブランクがカンジさせるのかなぁ……。



 岩本センセの作品って、最大の局面において主人公が「最大多数の最大幸福」を選ばず、自身の思いこみを信じることが特徴だと思うのです。
 それで失敗してしまえばただの自己満足でしょうけれど、その選択だって決して間違いではないということが後に明かされるのですよね。
 もちろん未来のことなど誰にも分かりませんから結果論で議論しても始まりませんけれど。

 その瞬間において全体の利を選択するのか、個の思想を貫くのか。
 ただそれだけだと思うのです。
 そこに利益の大小は全く関係なく、選択として与えられる道のどちらもが正しくもあり、そして選ぶことは残された一方を切り捨てるという絶対の現実だけがあります。
 そして選んだ先に倖せがあるからこそ、岩本センセの作品はエンターテインメントであると思うのです。


 次は6年も10年も待たされることなく、岩本センセの新作を目にすることができたらなーと思います。



 ところで。
 今作は新レーベルの朝日ノベルズから刊行されたのですけれど、その新レーベルに際してのオビのコピー。
 「ライトノベルを越えたエンタメ新レーベル」
 ――ですって。
 芸が無いっちうか、信条が見えないっちうか。
 右だか左だか、あるいは上だか下だか知りませんけれど、レーベルの基準を「ライトノベル」に定めるっていうのは、方向性でもなんでもなくてビジネスの立ち位置でしかないと思うのです。
 この業界へ打って出るという意気込みはわかりますが、自分たちがなにを表現していきたいのかこれでは不明ではないでしょうか。
 そういう売り方しかできないのだとしたら、先行きは決して明るくないと思います。
 

9
 
『アルワンドの月の姫 砂漠の王子と銀の杖』 ながと帰葉 著

 挿絵のかたの技量がカラーとモノクロで大きく差があって……。
 無理してトーン処理しなくても、カラーで塗ってグレー処理すればいいのに……。
 筆跡をみるとモノクロのほうはアナログで作業しているのかなーという印象なのですが、そうすることの意味が見えてこないという。
 もったいない……。


 本編のほうは、父親に溺愛されて育てられた姫さまが、宮殿の中に閉じ込められたままの人生を拒否し、自らの力で存在を誇示したいと世界に飛び出すお話……かな?
 知謀知略が大好きで、その才を認めてもらうよう隣国の王子に働きかけていくという。
 今回はまだ才能のお試し期間?とでもいう時期で、王子より継承順位が上位の兄を追い落として彼を皇太子へかつぎあげるわけですがー。
 そこまで頭脳戦が好きな彼女が、なぜに自らが立たないのかちょっと不思議で。
 状況からすると才能を認めてもらうというより参謀になりたいように思えて。

 んー……。
 この世界的にはその参謀の地位はとても特別な存在だとうたわれているワケですが、それでもやはり自分の力を活かすために他人を介するというのは、どうもまどろっこしいというか迂遠すぎるというか。


 あとがきでは王子と姫と将軍の「三頭政治」がやりたかったと書かれていたのですけれども、そのために姫の欲望にストッパーがかかっているのではないかと思えてしまったわ。
 姫自身に覇道を望む心があり、その道を邁進する決意をもってしまっては他の2人と並び立つことが困難になってしまうでしょうし。
 結果として「三頭政治」にたどり着くのではなく、「三頭政治」がゴールというか目的というか。
 そんな物語サイドの制約をカンジたのでした。


 まぁ、世界制覇をもくろむ女の子より、それを目指す男の子を助ける女の子のほうが、嫌味が無くて可愛らしいかもしれないなー……とは思いますけれど。
 つまりは姫の思考は「コバルト文庫というレーベルの制約」なのかなーとも思ったりして(^_^:)。
 

8
 
『泣空ヒツギの死者蘇生学』 相生生音 著

 人間としての生は奪われ、人ではない存在となって世界に在り続けるとかー。
 傍若無人なロリ系ヒロインに振り回されながらも彼女の目的を叶えようと動くところとかー。
 子細なところでは手を変え品を変えしてきていますけれど、構造自体には目新しさは無いかなー。
 むしろ既知感がありまくりと言ってもよいかも。

 まぁ、でもしかし。
 そんな展開であっても目を引いたのは巻頭カラーの扱いでしょうか。
 扱いというかデザインというか。
 ここでのミスリードが終盤までの展開において「意外性」となって受け継がれているような気がします。
 「あのキャラの」「あのシーンを」「あんな雰囲気で」描きますか!みたいな。
 この意外性だけは、ほかのなにを置いても好感だったわ。


 もっともその他の点ではあまり好感できなかったのも事実なのですが。
 たとえばキャラ名に「氏姓」(しかばね)とか「泣空」(なきがら)とか、言葉遊びのような一見しただけでは読めないような名前を設定していたり。
 誰かへのオマージュやリスペクトなのかもしれないし、あるいはそうではなくてセンセご自身のセンスなのかもしれないですが。
 わたしはこーゆーの好きくない、と。

 ……ちうか、正直に言えば、いまの業界でこういった方式で名前を設定することに気恥ずかしさをおぼえてしまうのですよ(^_^;)。


 主人公の氏姓偲という人間の性格も好きではなかったというか違和感を。
 これまで幼なじみにべったりされていたから周囲の人間も勘違いしてしまっているが自分と幼なじみはそういう関係ではない……とか言い張るのですが。
 それって幼なじみのせいではなくて自分が踏み出さなかっただけじゃないのー?と。

 ラブレターなんて絶滅危惧種を手にしたのはもちろん今日が初めてだし、告白されたことも告白したこともなかった。大げさかもしれないが、誰かから好意を抱かれていると自覚したことも初めてだったかもしれない。それに関してはたぶん環境的なものが大いに関係しているのだろうと、彼は割り切っていた。
 そう、環境が悪いのだ。
 具体的に言えば、あの幼馴染みが。

 ……なんか、もう、サイテーな言いぐさではないですか、これ。
 自分が誰かに好意を持ったことがるのかどうかは考慮に入れず、誰かから好意を得る得られないという点にのみ執着しているとか、もうね。
 しかも好意を得らられないのは幼馴染みのせい……って、受身すぎて気持ち悪いわ。
 実際には幼馴染みの存在がたしかに邪魔になっていたという事実があるのですけれど、それにしたって自分から行動を起こしたことが無いなら意味無いと思うー。
 むしろ行き過ぎのきらいはあったとしても、実力に打って出ている幼馴染みの行動を応援したくなったわ!(><)
 さらに彼は今回初めてラブレターをくれた相手について、そんな状況を変えるための初めの一歩としか考えていないワケで。
 選り好みをしていられる身分ではない……とか言って。
 なんかもうね、もうねっ!!!(`Д´)

 ……実際の高校生のノリとしては「アリ」なのかもしれませんけれど、ラノベの主人公像としては鬼畜の部類じゃないですか?
 鬼畜とまでは言わないでも、かなり失礼な性格していると思うー。
 ちょっと共感できなかったわー。


 死体をつなぎ合わせて蘇生されてからも、そんな自分の状態に狂うことなく容易に受け入れる……ってのも、ずいぶんと勝手のいい性格しているなーとか。
 さきの恋愛観にしても、自分の人生観にしても、こうした軽めのノリのほうがいまは受け入れられるのかなぁ……。
 なんだか納得いかない……というのは歳だからでしょうか?(^_^;)
 


7
 
『あなたがここにいて欲しい』 中村航 著

 中村センセの著作は、黒砂糖みたいだなーと。
 甘い甘い、美味しい美味しいとなめていると、いつの頃からかのどの奥が痛くなってきたりして、もういいやーって気持ちに。
 でも、疲れたときとか目的無く怠惰に過ごしているときは、その甘さが活力になってココロに染みてくるカンジがして。

 好きだからって、読み過ぎは良くない……と(笑)。

 それでも今回は、わたしが知る中村センセの作品が持つ痛さ?がかなり薄まっている(ちうか、痛くない?)ので、読み過ぎによる自家中毒は起こらないかなーと。


 中編が3編収められているなかで、表題作「あなたがここにいて欲しい」と「男子五編」の2編の主人公男子がー。
 こう、なんていうか自己分析型の消極的行動派と言いましょうか。
 自分の行為も含めて、世界のありかたに第三者っぽく理由付けをしていくタイプで、あまり「熱」を発してこない……と。
 ……自分を見ているようで、こういうトコロは物語のスジとは別な意味で痛いですね。
 あはは……(T▽T)。

 でもさー、「あなたが〜」の主人公なんですけれどー。

「ねえ」と舞子さんは言う。
「俺たち付き合っているんだよね、って言って」
「え?」
「何ですか、それは」
「いいから」
「俺たち付き合っているんだよね」
「うん」
 舞子さんは前を向いたまま力強く言った。

 これはねーよ、とか思ってしまったわ。
 タイミングとか計っていた感はたしかにあるのですけれど、それを言わせてどうするよ!とか思った!(><)

 うーん……。
 そういう彼だと察したから、彼女のほうから動いたってことなのかなー。
 だとすればお似合いなのかも……?
 でもなぁ……(^_^;)。


 全体のトーンが好きなのは、ラストの「ハミングライフ」。
 この掌編だけ女性が主人公で、ココロが疲れているときに意外な出会いがあって、そのまま時を過ごしていくウチに新しい恋心に気付かされるというお話。
 彼とのコミュニケーションの方法が古風でねぇ……。
 答えを求めるスピードが上がっている現代で、このようにゆっくりとココロをつなげていくっていうのはファンタジー以外のなにものでもないと思ってしまうのですけれど、その夢見心地加減がくすぐったいのさー(≧▽≦)。

 たぶん、現実の速さに巻き込まれていたら、恋だけじゃなくてココロも壊れてしまっていたんじゃないかなーって。
 きっと、この出会いは、奇跡。
 神様が少し休みなさいって言ってくれたのだと思うのです。



 また少し時間が空いたら、中村センセの作品を読みたいと思います。
 


6
 
『風の邦、星の渚 【レーズフェント興亡記】』 小川一水 著

 才覚有る女性と義勇ある男性という組み合わせは、小川センセの作品でも定番のペアですけれども。
 その女性の側がヒトならざるものであるというと、やはり『導きの星』を思い浮かべますなぁ。
 町と星の違いはあっても「導き育む」という流れは同種だと思いますしー。

 んでも、今作において「町作り」ってポイントはあまり大きなウェイトを占めているとは感じなかったりして。
 むしろルドガーという騎士の一代記?のほうがわたしにはしっくりくるかなー。
 たしかに「町をどうしたら大きくできるか」という点について指摘している箇所はあるのですけれど、その点を思考した流れと実行に移した流れがアッサリ風味といいますか。
 むしろ町としての存在や形を守るために外敵と戦い続けたルドガーの姿のほうが印象的なのですよー。
 町、それ自体になにかを行った――施政?といったほうが近いかも――カンジはあまり無かったかなぁ……。
 わたしが見落としているだけかもしれませんけれども。


 中世という時代、町を育てる・大きくするという意味には、富を狙う外敵と闘うということが大きな部分ってことなのかなー。
 それはそれで生き様として興味深かったですけれど、町が潤っていく様がもっと意外性のある知略とともに見られればなー。


 物語が進むに連れ、ルドガーとレーズのふたりの関係が希薄?になっていくように感じられたのも、ちょっと楽しくなかったといいますかー。
 町を大きくしたいという共通する目的のために共犯者的な絆は感じられますけれど。
 でも、なんか、こう……仕事上の同僚?ってレベルの付き合いかたのような気がして。
 むしろ終盤での結びつき方はルドガーの弟のリュシアンのほうがそり親密で互いを必要としているふうにも見えて。
 ルドガーは手段のひとつとして彼女を見ていて、リュシアンにとっては自ら選択した方法論の礎が彼女だった……というカンジ?
 重要度が決定的に異なっているというか。

 ルドガーにいいように使われて、あげく鳶に油揚げをさらわれた女性ってカンジがしてですねぇ、その……。
 もっとも、わたしはそういう上手に立ち回れていない女性が好きでもあるのですがーっ!(笑)
 そんな次第だから、彼女をポイ捨てしたかのように受け取れる(してません)ルドガーに対しては辛めの評価なのです。


 まぁ、レーズとリュシアンの関係も、男女のそれでは無かったように思いますけれども。
 どちらかというと母子のような関係に近いのかなー、とか。
 リュシアンの奥さんがレーズに嫉妬したことも考えると、それはマザコン夫に悩む嫁姑問題だと思えば納得できますし(^_^;)。


 んー……。
 総じて振り返ると、大きくガワを作って深みや高みを増そうとしたけれど、どこかで物語の軸がぶれてしまっている……という感想でしょうか。
 残念(><)。
 

5
 
『ジーン・ワルツ』 海堂尊 著

 推理ミステリの観点から言えば、海堂センセの作品のなかでイチバン好きかも。
 なにが起こっているのか見通しのきかない中で、次第に浮かび上がってくる事件像。
 犯人はもちろんわかっているのですから、あとはそれをどうやって行ったか、なぜ行ったか。
 それら真相が浮かび上がるたびにドキドキが加速していってですねーっ!!


 そしてもちろん物語のウェイトが推理ミステリにあったとしても、作品としてのウェイトは現代医学をとりまく諸問題への警鐘という点にあるあたりも海堂センセらしいトコロ。
 地域医療の崩壊、代理母出産、論文主義の医学界……etc。
 ことに地域医療のなかでも大きなしわ寄せがきている産婦人科と小児科のお医者様不足についての見解は舌鋒鋭くて。
 海堂センセご自身がお医者様ということもあって、内側から見ることのできる実情を真摯に語ってくれているものと思います。

 おりしも先日には出産時に妊婦を助けられなかった産婦人科医師への判決がおりたばかりのご時世です。
 現場は既にフィクションの世界へ追いついてきてしまっているのです。
 ……というか、あの事件をモチーフに今作は描かれてる?
 だとすれば、現実は海堂センセの見通したとおりに進んでいるのですね。

「少子化対策特命大臣、なんて人気取り部署を創設するくらいなら、時代遅れの司法判決に即座に噛みつくくらいの反射神経がないと、何の意味もないわ」

 これはもう海堂センセの本音でしょうね……。



 たとえば日本の現代医学をもってしても出産時における赤ちゃんの死亡率は0.4%あるのだと。
 「そのとき」お医者様が全力を尽くしたのかは別に明らかにされる必要があるとしても、わたしたちのほうもお医者様の助けを受けるときには「死」の可能性を受け止めなければいけないのだと思います。

 作中でも触れられていましたけれど、病とはマイナスからのスタートであるということ。
 お医者様が治療をしてくれて完治したとしても、それはマイナスがゼロになっただけ。
 それゆえに患者と家族は治療という行為への感謝に不感症でいるのではないかと。
 それではいけないと思うのです。



 医学と医療のはざまでもてあそばれる現実を背景に、形を成していく事件。
 権威に対して一矢を報いるも、それは一時の栄光でしかなく、真なるクライマックスはそのあと。
 事件がどうあれ、現状がどれだけ非情でも、それでも生への賛歌こそが海堂センセの真意だなぁ……と思わずにはいられないクライマックスでした。
 そしてその余韻にひたることのできるエピローグ。
 なんというか、もう、パーフェクトすぎやしませんか?ってカンジ。


 海堂ワールドとしては浮いていた感のあった『医学のたまご』も今作をもって十分につながりを持つこととなって、いよいよ桜宮市の世界が広がります。
 これからの展開がますます楽しみになってまいりました!(≧▽≦)
 


4
 
『諏訪に落ちる夕陽』 ながと帰葉 著

 100ページほどの中編が2本収められているながとセンセのデビュー作。
 かたや戦国時代、甲斐の国の武田信玄と諏訪御料人の馴れ初めを描いた作品。
 かたら古代日本での貴き血を引く豪族同士の争いに巻き込まれた悲哀を描いた作品。
 なんといいますか、題材のチョイスが渋すぎます(笑)。

 んでも、そこで描かれる恋物語は可愛らしいことこの上なく!
 恋心どころかヒトとして生きることすら知らなかった諏訪御料人――夕が、武田信玄と触れ合ううちに生きる楽しさと喜びを知って、ついには彼を受け入れていくようになる様がもうねっ!

 でもって最後のお願いがマジで可愛いったらないわ。
 巫女として育てられたゆえに神様からも婚礼の了承を得たいために、森の中へと身を隠した自分を探し出して捕まえて欲しいとかねとかね。
 森の中で捕まえることができるのならば、それは神様が許してくれたことになるそうで。
 んもーんもーっ!(≧▽≦)
 神様に許しを乞うとか、わたしを捕まえて欲しいとか、乙女すぎ!
 それをそうとは思わずにお願いしているところが可愛いのですよねー。
 そりゃあ信玄だって本気になるってもんですよ(笑)。

 そんなドタバタ(?)の末のラスト。
 お伽話が「めでたしめでたし」な形で結ばれることの嬉しさったら!


 古代日本のお話のほうも基本的にはオトコノコとオンナノコの構図が似てる?
 世間知らずなオンナノコと、強引でリアリストなオトコノコ。
 引っ張っていくのは一見するとオトコノコのほうなのですけれど、実はオンナノコの側に引っ張られているっちう。
 微笑ましいのですよね、そんなふたりが。

 でもってこちらもラストシーンは、やぱし「めでたしめでたし」ですしー。
 この嬉しさ、なかなか久しかったなぁ……。



 ビターテイストな作風に価値を与えられることが少なくない昨今ですけれど、素直に嬉しくなれる物語の素晴らしさは普遍だと思う。
 絶対のエンターテインメントっちうか。
 この雰囲気を続けていってくれたら嬉しいなー。

3
 
『ドラマチック・ドラマー 遊月』 四辻たかお 著

 受け付けないような嫌悪感もさして無いのですけれど、かといって胸躍るような楽しさがあったのかといえばそうでもなく。
 なんだか淡々と進行して、そして予定通りの「枚数」で終わったカンジ。


 失われた母の声を取り戻すために、そのきっかけとなる最高の音楽を奏でるメンバーを宇宙のあちこちへと探し歩く少女の物語。

 ……なんですけれど、もー。
 奏者の情報を得て当地へ向かいかの人と飛び入りのセッションをすると、音楽人同士の心の交流のようなものが流れて少女の願いを聞き届けることになる……という展開が繰り返されるのですよね。
 少女のほうもべつにその奏者に演じてもらうことに固執しているわけでなく、またその奏者である必要も実際にはなくて、そこに強い物語性は無いというのがなんとも……。
 たまに断られたりしても「仕方がない。ほかの人を探しましょう」な展開ですし。


 「仲間集め」というクエストをこなしていくカンジ?
 仲間そのものに意味は無く、集める行為が物語っちうか。
 お伽話みたいなものなのかなー。



 天才ドラマーが主人公というところとか、音楽を題材にしているところとかに興味を持って手に取ったのですけれど、そういうところが記号でしか語られなかったように思えたのですよー。
 ざーんねーん。

2
 
『ハーフボイルド・ワンダーガール』 早狩武志 著

 フーダニットな推理モノとしては絶対的にボリューム不足だと思うー。
 これで『アクロイド殺し』なみのトリックが成されていればそれは補えたのかもしれないですけれど、そうした仕掛けも無いモノだから順当すぎる犯人だったというか。
 今作が物語であるためには犯人は最後まで隠され続けなければなりませんけれど、なぜ捜査線上から犯人が除外され続けているのか、その状況を受け入れがたかったです。
 種明かしのあとで多少なりともその理由に当たる部分が語られますけれど、それはご都合主義ってもんでしょー。
 わたしの定義によるご都合主義は「時間を調整する行為」であり、「犯人への視線を隠す」のはそれに抵触するので。


 でも早狩センセはそもそも推理小説を書きたかったワケではないでしょうし、そもそもそういう御仁でもない……かな?(^_^;)
 隣にいた幼なじみがひとりだけ先に進んでしまって自分の知らない誰かだと気付いたときの寂しさとか、自分の意志とは関係無く流れていく周囲の思惑へのやるせなさとか、まぁ、そういう青春のほろ苦さ・甘酸っぱさなのかなーと。

 それに今作の出自がセンセの同人作品からというのであれば、もともとのボリュームも大きくは無いだろうなーと思いますし。
 このボリューム、作品のスケールに収まる/収まったのも、ある意味当然のことなのかも。
 もちろん趣味である同人だからこそ『アクロイド殺し』なみのトリックに挑むという人もいるでしょうけれど、それは実験的すぎるでしょうし(そして届かない)、またそういう実験をする人ではない――推理トリック志向ではない、ということで。


 探偵を始める俊紀と綾は雰囲気の良いコンビになりましたけれど、ふたりを結んでいるのは今回の事件だけだからなぁ……。
 そこそこアタマは良くても茫洋っぽい俊紀と、学校内での有名人たる綾。
 ふたりは住んでいるステージが違うのではないかと心配してしまうわ。
 生活や信条で接点があまりないのではー?とか。
 もし仮に、ふたりを結び続けるモノがあるとすれば、それはもちろん「事件」ということなのでしょうけれど、そう何度も興味深い「事件」がふたりの周囲で起こり続けるというのも確率論で変ですし……。

 ミステリー研究会という同じハコに入ってもそれは高校生活の中だけですし、はたして綾が語ったような未来までふたりの絆が続いているのかどうか……。
 樋口有介リスペクトであるならばそれを信じられるのですけれど、どーもまだ信じ切れないっちうかー(^_^;)。
 まぁ、その「あまりにも綺麗すぎて現実味がない未来」というのもまた早狩センセらしいのかなーと思います。

『赤いくつと悪魔姫』 清水マリコ 著

 うーん……。
 よくわからなかったなぁ……。
 主人公が事件に首を突っ込む動機がことにわからず、それゆえ共感もできなかったし物語のスジへのめり込むこともできなかったっちう……。

 あるいはそれ以前に文章のつながり、シーンの連続性に疑問を感じたという部分もあって。
 筆致……が合わないと、つとに感じてしまったわ。


 『日曜日のアイスクリームが溶けるまで』から、清水センセの筆致に違和感をおぼえ始めてます。
 んー……。
 大喜戸さんから誘いを受けてビーズログに来たってことはMF文庫とのつながりは切れていない……のですよね?
 あちらでの雰囲気のほうが好きだったなぁ……。

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