○● 読書感想記 ●○ 2008年 【5】 ※ 書影画像のリンク先は【bk1】です ※
「なめないでください。私の名前はリサ。リーザ・オークウッドの遺した悪魔にして刀鍛冶ルーク・エインズワースの助手、そして魔剣アリアと誉れ高い騎士セシリー・キャンベルの一友人――リサですっ!!」
ああっ、もうっ! リサってば強くなったなぁ……(T▽T)。 この啖呵の切り方、素敵すぎ!! いろいろと不確定で不安だった自分の立場をみんなが明らかにしてくれたし、それを受け入れることもできたし、そしてそんな自分に自信を持つことが出来た。 そういった強い意志へと昇華した雰囲気を感じられるのですよー。 「誉れ高い騎士セシリーの一友人」というあたりが泣けるわー(T▽T)。 でもってリサにそうまで言ってもらったセシリーは……。 今回は痛々しかったですね……。 これまでにもここに至るような悲劇の一端を暗喩され続けていましたけれど、まさかそれが現実のものになるとは……。 初見のときはなんて三浦センセは容赦無い人なのだろう……って思ったのですよね。 物語を作品として仕上げるためなら倫理とかそういう境界をあっさり越えてしまう仕事人なのかなーって。 でも、何度か繰り返して読んでみたら、そうじゃないのかなって。 やっぱり三浦センセは三浦センセなのかなーって。 現実はすぐそばに悲劇が潜んでいて、そこに直面した人は間違いなく傷つくけれど。 でも傷ついたことで立ち止まるか否か。 失うものがあってそのままでいるのか、取り戻すのか、それとも新しく掴み得るのか。 そういう部分に問いかけているように思うのですよー。 もちろん厳しいことを突きつけているワケですし容易く答えが有るワケでもないですけれど、そこはたぶん三浦センセも苦しんでいるんだなーって。 あとがきでの言葉、とても重かったです……。 今回もみんな怒ってました。 「世界はこんなものなんだ」なんて言葉で自分を納得させるようなことはせず、納得できないものは納得できない、そして許せないものは許せない。 だから、誰がなんと言おうと、それは正す。 泣いてうつむいているより、怒りにまかせてにらんでいるほうがいい。 世界を変えるのは、きっとそういう瞳だから。 ところで。 今巻の表紙絵のセシリー。 Webで書影を見たとき、どうしてセシリーがインカム付けてるんだろう……って思っていたのはわたしだけ!? ばーやばーや!(T△T)
なんて痛快なひとなんだろう。真智さんも、ミラちゃんも。まっすぐに切り込んできて、いつでも誇り高く真情をさらし、俺にもそうしろと激しく求める。
オトコどもがとことん「芸バカ」なところにおいて、このふたりのエモーショナルば部分は作品にくさびを打ち込んでいる気がします。 ああ、ふたりに加えて、兎一郎兄さんの奥方、藤根先生もですね。 なんていいますか――強い。 真っ直ぐであるということはこうまでも強いのか、そう思わされます。 芸能のお話とはいっても専門性にひきこもることなく、十分に大衆向けにくだかれた語り口で読みやすいったら。 その読みやすさの部分でひとつのポイントなっているのは、やはり恋愛感情ではないかなーと思うのですよ。 作中でも「世話物の主人公の男の、一番魅力的な部分」として指摘されている点が「色気」ですし、物語には色気が必要なのですよ!(極論……(笑))
「たいがいの男は、自分を優しいと思っているものだろう。それなのに恋がうまくいかないことが多いのは、もっと大事なことがあるという証拠だ」 「それはなんですか?」 「色気だよ」 「えー」
うひゃひゃひゃ(≧▽≦)。 三浦センセの作品は初めてだったかなー? こういう筆致で書かれる人だと知って、なんだか嬉しい気分。 ちょっとほかの作品にも興味がでてきたー。
「こう見えてもあたしはな、あんたにオタクやて打ち明けられたとき、あんたがアニメの抱き枕持っててもあんたと付き合うって決意した女やで。舐めんな!」
あはははははーっ! すごい啖呵の切り方(笑)。 最後の「舐めんな!」が効いてますよね、リズムっちうかテンポっちうか。 このお話では自衛隊の海外派遣のことも絡んできて、ふたりの仲に影を落とすのですけれども。 たしかに一方的な書き方かもしれないのですが、どうして自衛隊が派遣されるのか、そしてそのときの自衛官の気持ちは考えはどうであるのか、彼の言動に考えさせられるものがありました。 やっぱりわたしも「ほかの誰かのこと」としてしか派遣に関する問題を考えていなかったのかなーって、反省……。 派遣に賛成するにも反対するのも、そしてそもそも自衛隊の存在にYESなのかNOなのかからして、もっと考えないといけないなー……って。 本編にあるような「危険だから派遣させるべきではない」なんてコメンテーターの言は、矛盾どころか馬鹿げているなーと感じます。 危険だから自衛官たちは赴くのでありますし、それは大切な人をその危険から守りたいからなのですよね。 自衛隊の成り立ちを歴史的に追求し批判することと、いま、この瞬間に、大切な人を守るために戦うことを躊躇わない人の志を汚すことを一緒にしてはならないと思ったのです。 次いで好きな掌編は、上官の娘さんと秘密裏に交際を始める「秘め事」。 秘密なんてモノはバレるから物語なのであって!(笑) その発覚への流れがまた自衛官らしい衝撃的な展開だったりして……(TДT)。 クライマックスへの怒濤の展開は、本作中イチバンだと思います。
有季が好きなんだ――好きなんだ好きなんだ好きなんだ! 邪魔するな!
ひゃーもー、どんだけベタ甘なんですか! 10代のオトコノコだってこうまで言わないと思うー(笑)。 そのほかのお話も、どれもこれもがベタ甘で。 そしてラストは有川センセらしいハッピーENDで。 こんな倖せばかり見せられたら、ハートがメタボになるっつーの!(≧▽≦) でも後悔はしないね! おかわり!(笑)
「分かってんのか貴様らはっ! 同じ図書隊の仲間が! しかも女性が正体不明のストーカーに写真上とはいえ辱められたんだぞ! 憤りこそすれ回し見て喜ぶなどは言語道断だ! 写真は見なくても黙っていた者も同罪だ! 今日は全員まともに歩いて寮に戻れると思うな!」
図書隊が一枚岩ではないことは重々承知していたつもりなのですけれど、これはなぁ……。 良化委員会との闘争も変化(軟化?)してきた時代ということを差し引いても、こうまで図書隊の中が低俗化していたということに驚きを隠せませんでした。 ことに郁が教官として教えていた吉田という隊員のアホウっぷりは極まれりでしょうか。 こいつ、いつか図書隊にとって大きな足枷となりかねない気が。 ……以前、朝比奈さんが柴崎に仕掛けてきたようなパターンで籠絡されて、簡単に機密情報を売り渡しそう。 「あいつは俺がなんとかしてやらなきゃダメだったんです!」 とか自信たっぷりに。 緒形副隊長のストイックぶりを見せられたあとだけに、余計にダメダメ感が。 吉田ってあれかなぁ。 本編4巻のエピローグで「銃、打ちたかったなー」とかほざいていた隊員。 だとするとホントにもう……(TДT)。 柴崎へのストーカー事件は、可能性を考えられる最重要容疑者を敢えてなのか捜査線上からずーっと外している点が気になりました。 いや、そこ、真っ先に捜査するでしょ!とか思ってました。 先述の図書隊内の規律の乱れにつながるのかもしれないですけれど、郁をはじめとする真面目な図書隊員は身内が敵に回ることを想定していないっぽく感じるのデスヨ。 図書隊を志願してくる者同士には鉄壁の絆があるかのごとく。 むやみに疑えとは言いませんけれど、いざ有事に当たる場合には初期条件をクリアにして全ての可能性を探るべきだよなぁ……と。 ぶっちゃけ、そこを疑えば犯行も早期に発覚してスピード解決していたのではないかと思ってしまったりして。 写真に書かれたメッセージについても、誰も指摘しないし……。 ダメすぎです、この探偵たち……(笑)。 有川センセに推理ミステリは難しいかも……と思ってしまったわ(^_^;)。 もっとも、それ以上に恋愛の機微について精緻に書けるかたなので、弱点や欠点は放っておいて得意なジャンルでこれからも活躍していってくれればいいんじゃないかなーとも思います。 とまれ、本当にこれで最後。 大変な時代はまだしばらく続く世界ですけれど、そんな世界だからこそ、みんなみんな倖せになればいいと思うよ!(≧▽≦)
『いきますよー! みなさんもご一緒に! キャッチフレーズは!』 「ラブ!」 『合言葉は!』 「ラブ!」 『変わらぬ魂はここに生きている!』
いいなぁ、美春ちゃん……(T▽T)。 富士見ミステリーが消えようとしているところ、富士見ファンタジアへ移ってリスタート!……なんですが。 新規読者を開拓しようって気、あまりないですよね、壱乗寺センセ(笑)。 もー、冒頭から飛ばしまくりじゃないですか! 仮に新規読者がかろうじていたとしても、流行りモノに乗っかったオタクネタが次々と次々と登場してきて、ふざけてるとしか思えないんじゃないでしょうか。 それも流行りモノすぎてネタが滑り気味ですし……。 いや、あの、これが壱乗寺センセですから! ふざけてなんか、いないんです!(>△<) と、まぁ、ここまで読み続けてきた既読者としては、「いつもの壱乗寺センセ」らしくって安心して笑ってしまったのですがー(笑)。 むしろ今更状況説明とか始めない潔さに感動デスヨ! ああ、でも、満を持して登場したトーマの妹・葉琴ちゃんに説明するかたちでトーマの周辺をさらりとまとめてみせていたのは、そーゆー意図があったのかも? だとすれば、せっかくの琴ちゃん登場なのに使い勝手の良い小道具として配された彼女が不憫で……。 今シリーズは妹キャラが数多く登場しますけれど、そのなかでも正統派妹ポジションにいたはずの琴ちゃんを! そんな形で消費してしまうことがっ! でも正統派の妹キャラだからこそ、ラストではお兄ちゃんを見事に立ててくれましたねぇ……。 妹キャラがいかに多くても、その兄妹関係がどこかいびつなものばかりの世界にあって、このふたりは「普通」の兄妹なんだなぁ……って。 トーマはさぁ、ホンッとダメダメで頼りないお兄ちゃんなのかもだけれど、それでも他人の痛みを感じ取れる人間だし、どうやれば世界が(少なくとも自分が手の届く世界だけでも)倖せになれるのか探すだけの優しさを持っているワケっしょ? のほほんとしていてもさー、幼かった頃の彼の気持ちを見せられたエピローグはもうねもうね……(T▽T)。 底辺はいずり回るトーマがどうして<トップ3>の一員なのか説明に窮しているシーンがありましたけれど、やぱじ長峰さんの指摘が正しいのかなーって思います。 ダメなら、これから立派になればいい。 ダメな人間の中にはダメなままに過ごす人もいるかもだけど、トーマは違う。 彼はダメなままでいてはいけないことを知っている人だと思うのです。 ――その思いの結果、はたして「立派」になるのか、それとも「もっとダメ」になるのかはこれからですけれど、もー(笑)。 変わってないと先述しましたけれど、んー……どこか変わったような? トーマの気持ちが、もっと深いところまで踏み込んでいるような。 チョコ争奪戦のラストも、トーマは一葉さんのチョコが欲しかったのかな? もしかしたら冬姫さんから欲しいって思ったんじゃないかなって。 叶うはずのないことだから、トーマは言葉にしてしまうような。 少しでも、わずかな可能性だとしても叶うかもしれない未来であるなら、彼は言葉にはしないんじゃないかなーって。 うー、あー……。 いろいろと考えることが多すぎて、もうっ!(><) 早くっ、早く次の巻を!!!
ちょっと頑張れ、今頑張れ、俺。
幸運の神様に後ろ髪は無くて。 チャンスは、訪れたその瞬間にしか無くて。 始まりは偶然が運んできてくれたかもしれないけれど、それを結実させるのはやぱし当人の気持ち、努力しかないのですよねぇ。 ユキさんと征志くんの大人カップルもいい雰囲気! 大人しそうに見えて意外と策士なユキさんと、単純そうに見えてそんなユキさんの手綱をしっかりと握って御している征志くん。 なんなのー、このお似合いすぎるカップルわーっ!! お酒を飲める人は多いでしょうけれど、お酒を嗜むことができる人は少ないんじゃないかなー、と。 ユキさんのお酒の飲み方、かっこいいわー。 格好良くて可愛らしくて。 人生の楽しみ方って、まさにそこにあるかなーと。 同じ人生を見つけることはできないですけれど、ここに描かれた人たちみたいに楽しいドラマを見つけていきたいなー。 そんなふうに感じたのでした。
『聖剣の刀鍛冶2』 三浦勇雄 著 世界の裏事情が見えてきて物語も動き始めているなーという感覚はあるのですけれども、実際にセシリーたちが過ごす日常は地味ですねぇ。 主人公からみで派手さが無いといいますか。 んでも、派手さはなくても熱さはあるワケで。 んもー、なんなのよー、彼女の剛速球は!(笑) 人間のやることにある、行動の裏、建前、言い訳、繰り言……etc。 そんな虚飾をすべて取っ払っちゃって、その奥にあるひとつの真実だけを叩きつけてくるっちう。
己の無力を嘆いても詮無い。だからそれは捨て置く。 そこに自分の力が及んでいようとなかろうと、結果的に彼女たちが救われるのならば問題は無い。そう思う。自分はみっともなく他者の脚にしがみつき、乞い求め、その人に力を行使してもらう。それで彼女たちが救われるなら偽善や誇り云々など瑣末なこと。 ――救うために、体裁は棄てろ。
無力だから、勝算が無いから。 そんなことは「動かない」ことの理由にはならないのですよね。 失うものと得るもの、ふたつを天秤に図って失うものが勝ってしまったとき、人は「動かない」ことの理由を探し始めるわけで。 自分の役割ではない、時期尚早、大局的見地……。 そんなもの、だからどうした……と。 間違っていることは間違っている、そして正しいことは正しい。 立場とかタイミングとか、そんなことで揺れ動くようなことは間違いでも正しさでも無く。 それはただの「都合」で。 そしてそんな「都合」に隠されてしまう間違いも、正しさも、世界にはあって。 セシリーは思考ではなく感情でそれを見つけてしまうのですね。 そして彼女の信条は「救う」こと。 全てを。 だからこそ彼女は間違いを正そうし、正しさを守ろうとする。 そんな真っ直ぐさに泣けてきてしまうのです。 「都合」で動かされてしまう、情けない現実を前にして。 もちろん彼女も信念を貫き通すためには自身が無力であることは百も承知。 「救う」ためにはある種の力が必要であって。 だからこそ彼女は強くなろうとしますし、そしてその努力は少しずつ実を結んできています。 そうした結実した結果には爽快感があるのですけれど、でも彼女の魅力は強さに到達していく結果にあるのではなく、それを求め続ける姿勢にあるのではないかなーとわたしは思うのです。 これを「過程」と表してしまうと、なんだか部分を切り取ってしまったカンジ。 彼女が達するべき答えはもっともっと先にあって、それはもしかしたら辿り着けないトコロにあるのかもしれないけれど、だからといって彼女は歩むことを止めはしない。 歩み続ける姿も、そして手にする答えも、どちらも大事。 間違ったやりかたでたどり着く答えは、やっぱり間違っているのだと。 正しい答えには、正しい道筋を歩んでこそ、はじめてその「正しさ」が証明されるのではないかなー、と。 過程と結果の相関関係と申しましょうか。 自分ひとりが良いことをしても、汚い世界は変わらない。 そう、うそぶく人もいるでしょうけれど。 自分ひとりのその行いの分だけでも、世界は変わるのではないかな。 それでもその小さな善行をしないのは、そこに損得を見たりしているかななのではないかなー。 セシリーは自分で「頭が悪い」と表していますけれども、それは損得を考えられない頭の悪さなんですよね。 だからこそ本質に「感覚」でたどり着いてしまうっちう。 物事の本質を見据えてそれを暴き、取り繕うこともせず受け入れるのは「勇気」だと思いますし、本質を隠そうとするあまたの事象を打ち払い、そこにたどり着こうとする意志を「覚悟」だと思います。 そんな彼女にわたしも続いていけるようになりたい。 そう、感じたのでした。