○● 読書感想記 ●○ 2008年 【2】 ※ 書影画像のリンク先は【bk1】です ※
世間の悪意あるものは自信のなさそうな者を見抜いて寄ってくるのだ。
中途失聴者であるひとみさんが自信を持てずにいたのはもちろん想像できますけれど、そんな彼女に限らず自信の無さっていうのは多くの人にあてはまることであって。 自分なんて……と。 でも自分が自信を持てないからといって、そんな自分でも信じてくれる人の「自信」を勝手に挫くことはどれだけ失礼なのかをおぼえるべきだよなーと思ったりして。 むしろ自分ひとりでは自信を持てないからこそ、ほかの誰かが認めてくれることが必要なのだと。 それは甘えではなくて弱さであって、弱いからこそ人は支え合うのでしょ?ってことでー。 弱い人間がふたりになっても、世間の悪意の前にはまだまだ弱いままなのかもしれないけれど、だからといって支え合うことを後悔するようなことはしたくないなと思うのですよ。 傷ついて傷ついて、それでも結局は負けてしまうのかもしれないけれど。 それでも、一緒に生きていく、一緒に生きたいと願った気持ちまでを否定してはいけないと。 短いながらも想いが詰まっていた一冊でした。 ――でもさー。 いろいろ言い訳してましたけれど、この本を毬江ちゃんに贈ったってことは、気持ち、もろバレじゃないの小牧教官!(笑) 毬江ちゃんを相手にしておいて作中のふたりに自分たちを重ねてはいないなんて言い訳、通用するものか! ちうか、この内容からすると、むしろ婉曲な告白ですよ。 直接的な言葉は言わずにすませて、相手には気付いてもらうっちう手法。 小牧教官らしいっちゃあらしいのですけれど、ズルイなぁ(^-^;)。
「なんであんたもあいつもそんな嘘くさいわけ?」 「嘘くさい?」 「休みの日にドストエフスキー読んでるとか、そういうのがもう嘘くさいじゃん。あんたの眼鏡にスェット二つ結びも一緒だろ」 「えへへ」 「言おうとしないと出て来ないね、えへへなんて笑い声は!」
ところどころの会話で示されるように、やっぱり「作ってる」んですよね、このキャラを。 ふたりがふたりの関係を維持するために。 あるいは、過去の間違いを繰り返さないために。 そんな努力がやっぱり一度は壊れてしまうのですけれど、それでもラスト、またふたりの関係が始まることはなにかループしたような感覚になったり。 でもそれは元鞘というわけではなくて、新しい関係……それも、以前の「作られた」関係ではなく、もっと真実に近い関係になったんだろうなぁ……と。 良かったね……と言うにはツライですけれども、ふたりが良ければそれでいいやという気になりましたとさー。
「お前はそのときのお前と同じ思いを他人にさせるようなことは思いつけないよ。お前はそういう人間だ。そういうことは思いつける人間と思いつけない人間がいるんだ。お前はそもそも思いつけない奴だ」 「あ……あたしだって、本気で傷つける気になったら、」 「お前はな、喧嘩になるタイプだよ。本気で喧嘩になって本気で傷つけるんだろうよ、相手を。それで自分も本気で傷つくんだろうよ。でもこんな悪意は思いつけない」
――と、同じではないことを認めてくる堂上がッ、がッ!(≧▽≦) ひゃー、じわじわ接近してきたわー(笑)。 でもって、そんなドロドロとしたゆがんだ構造も防衛戦が明けたときには問題解決に向かっていたのですけれどもー。 立場が悪くなった業務部が曖昧な謝罪をしようとしたところへ郁の怒りがドンッと落ちたわけで。 うんうん。 郁のこういうハッキリとした意志表現って、ほんと好感。 先述の堂上が評するところの「喧嘩になるタイプ」って、こーゆーところも含んでのことなのではないかと思うー。 手塚のお兄さんも言ってましたけれど、直感的といいますか感覚派といいますか(笑)。 いやいや、ホンッと面白かったわー。 これだけのことを描いてしまっては、締めとなる次巻が楽しみでもあり不安でもあり……。 早く読もっと!
毬江の意志を無視して、毬江の感性を否定する論法には、誰が決して膝を屈するものか。 あの子が自由に本を楽しむために。そのために、毬江に対してだけ正義の味方でいられたら、 それ以外のことはどうだっていいのだ――
飄然とした中に、どんだけパッション詰め込んでいたんですか、この人は! 世界を見る基準が「毬江ちゃんとそれ以外」なんて!(≧▽≦) そんな愛すべきお馬鹿さんに3回も失恋して4回目の恋を成就させようとしている毬江ちゃんはスゴイ。 恋するオンナノコは、ほんっとパワーがあるわー。 有川センセの筆致がまだ、そんな毬江ちゃんの心情と、彼女を応援する郁と柴崎の憤りを見事に書ききってるんですよねぇ。 このあたりが今巻から面白くなってきたトコロかも。 柴崎にもいろいろありましたけれど、まあ、美人の恋愛は難しいってことでー。 んでも今回は恋心に惑う様より、郁をはじめとした仲間を陥れられたことに対して見せた怒りが鮮烈すぎて。
「残念ながら、あんたたちあたしの逆鱗に触れたのよ」
こ……こわー(TДT)。 郁のように感情を表に出さない分、その下に流れる強い怒りが……。 自分のせいで仲間が傷つけられたというのに、このときの柴崎には表だって仲間を助ける行動を起こすには制約があったのですよね。 そのやるせなさがまた怒りを倍増させているっちう……。 そうした「義」を持つところを見せられたら、彼女への評価も変わりますって! イイ女!(≧△≦) 物語としては敵がハッキリしてきたカンジ? 誰ひとり固有名が出てこない良化委員会なんてヤラレキャラもいいとこでしたし。 倒すべき、乗り越えるべき相手というのは、いつの世も身内から輩出されるんですねぇ……。 手塚兄の言うことはもしかしたら一理あるのかもしれないけれど、どんな理屈にだって一理くらいあるわさ。 でもやっぱり気に入らないのは、自分は傷つかないところでのうのうとしているところなんですよねぇ。
「お膳立てされた舞台で戦えるのはお話の中の正義の味方だけよ。現実じゃ誰も露払いなんかしてくれないんだから。泥被る覚悟がないんなら正義の味方なんか辞めちゃえば?」
という柴崎の言葉。 言ってみれば手塚兄はこの「お話の中の正義の味方」なのかなーと。 綺麗な戦いを成し得たい。 そしてもちろん綺麗なことをすれば綺麗な勝利が待っていると信じて疑っていない。 その純真さが気持ち悪い。 夢を見る歳でも無いでしょうに。 ……あ、違う。 夢はいつまでも見続けていい。 でも大人になるってことは現実も見ることであるから。 毬江ちゃんですらツライ現実と向き合って、夢をかなえるために大人になろうとしているのに。
「汚名を着てまで守りたいものがあるから、図書隊員は隊と一緒に泥を被るんだと思う」
そんな柴崎の言葉に対して、郁の答え。 きれい事では済まされない道を歩むのはとてもツライこと。 でも、一緒に歩んでくれる仲間がいるなら、そのつらさも支え合って歩んでいける。 手塚兄の言動からは、そんな仲間を思いやる姿が見えてこないワケで。 だからどんなにきらびやかな文言であっても、どうにも軽く、安く、聞こえてくるのかも。 やっぱりね、理屈の正しさなんかより、そこに自分以外の誰かの倖せを願う気持ちがあるかどうかが大切なのだと思うのよーん。
ムイの呟きに、フィンドルは大人達を怒鳴りつけたくなった。 おそらく大人達はムイに母親を思い出させて悲しい思いをさせたくないのだろう。だが今までずっとそばにいた母親を急に忘れるはずがない。 まだこんなに幼いのだ。思い出して泣いたっていいではないか。
フィンドルはこういうことに怒ってあげられる優しさをもっているのですよねー。 そこが非常に好感。 いまのところはふたりの関係はギクシャクしてますけれど、この先、そんな関係が改善していくのであろうと推測すると、思わずニヤけてしまふ〜(≧▽≦)。 というわけで、わたしはフィンドル応援派です。 イラストは池上紗京センセなのですけれど、細やかな筆致に磨きがかかっているような……。 表紙イラストの存在感は圧倒的ですよ? かわいーかわいー! こういう描き込みするかたはコバルトでは珍しいような気もします。 コバルトって最近は淡いタッチと柔らかな色彩で描かれるかたが多いように思うので。 ところで、表紙のムイ。 よく見ると顔に汗を浮かべていたりしませんか? やぱしこの状況に緊張したりしているんでしょうかねぇ(笑)。 とまれ、先が楽しみなシリーズです。
『ミスマルカ興国物語T』 林トモアキ 著 あ、偶然にも感想記2ページ目のトップも林トモアキせんせの作品から始まったり。 暴力を嫌い、言葉だけで戦うことを望む王子様。 「暴力ではなにも解決しない」とは言いますけれど、ならば解決するにはどういった手段が策として残されるのか。 それをこのミスマルカのマヒロ王子は「話し合い」だとのたまう次第。 きれい事かなー、と笑わばどうぞ。 でも、絶対に無理でなないかも……と思わされてしまったですよ。 その可能性、希望に。 武力は行使さえしなければ取引のカード。 でも目の前の答えを導き出すためにひとたび暴力に頼ってしまえば、次はさらなる暴力が襲ってきて元の木阿弥。 暴力に頼る存在は、いつかそれ以上の暴力に襲われて敗北するという。 簡単なルールなんですけれど、わかってはいても向き合うことが難しいわけで。 それは「暴力に頼ろうとする『弱さ』」なんでしょうけれど、ねー。 人間は自分の弱さを認めたがらないってことなんでしょうか……。 そこへいくとマヒロ王子は「暴力を嫌う」という自らに課したルールを命を賭けてまで守り通そうとする『強さ』がある、と。 やはり本当の力とは、人の意志、なのかなぁ。 身一つで刃と向き合う王子の姿勢に、そう思うのですよ。
「舐めるなよ帝国三番姫!!」
武勇の誉れ高い帝国のルナス姫を前にして一歩も引かずにこの言葉。 これには熱くなったわー!(≧▽≦) よくぞ吠えた! もちろん「話し合い」とはバカ正直に全てをさらけ出すということではなくー。 その手段のなかには相手を騙すことも含まれる次第。 騙すというのは「自分を信じさせる」と同義だと。 うはぁ、へりくつ〜(´Д`)。 んでも、どれだけ屁理屈であろうと、それで誰も傷つかないのであれば、その屁理屈は立派なものだと思います。 誰かが犠牲にならなけれないけないような金科玉条よりも。 お馬鹿で軽薄なノリはいつもの林センセらしさを感じますし、うん、これは先が楽しみになってまいりました。 なにしろ問題解決に「暴力」を許さない設定ですから。 数々の作品がそれでコトをなしえてきた中で、いったいどのようにしてこの先の窮地を切り抜けていくのか、もー、期待しまくり。 もし本当に言葉だけで世界を統一できたら、そのときは名作の仲間入りを果たすのではないでしょうか? まぁ、とまれ、そんな大層な夢物語を始めてしまうあたり、林センセらしい風呂敷の広げ方だと思いますし、夢を語ってこそライトノベル!てなもんでしょうし。 いろいろな意味で今作のこれからを楽しみにしています。 ところで今作の時間軸って、『マスラヲ』の後? 聖魔杯って、あれのこと、なのかなー……とか思ってしまうワケで。 そのあたりの関連性にも期待、なのです。