○● 読書感想記 ●○ 2007年 【7】 ※ 表紙画像のリンク先は【bk1】です ※
「青空禁止条例」 「はぁ?」 「だから青空禁止、空色廃止。青い鳥が見つからないの、空が青い色だからなので。青い色はもうナシナシ。うざったい、青春。古臭い、空の色。緑のくせに、青信号」 「どうやって禁止するんだかな」 「それはおいおい考えるけど、打倒空色よ」 「空色に復讐するの?」 「あたしの青い鳥探しの、邪魔だからね」
こんなに綺麗な言葉が中村センセから紡がれるなんて思いもしなかったデス。 どこか寂しい雰囲気を漂わせながらも、とても力強い言葉で。 「萌え」って、ある側面では二次元から三次元へのコンバージョンなのではないかなーとか、ふと思ったりして。 感情だけで収まらずに、ほかの感覚でも体験できるように。 現在のラノベ業界には、そうした次元を変化できる因子が組み込まれていることが望まれているような。 でも、中村センセの作品はそうではない。 そういう「萌え」という因子からは、すごく遠く離れたところで存在していて。 だから三次元へ変異することはできないけれど、だけれども──故に?二次元の文字情報として洗練していっているのではないかなぁ……と思ったり。 「萌え」は別次元で再構成されて評価を受け、そしてまた人へと回帰してくるものだけれど、中村センセの言葉はただただ純粋に人の感情へと送り込まれていくのみ。 それは希釈することなく与えられる薬みたいなもので(だから耐性の無い人には毒になる次第)。 ともあれ、地方都市の暗部に迫るミステリーとしても秀逸であるなかで、しかし彰人と恵の狂おしいラブストーリーとしての部分こそが今作の魅力であるとわたしは宣言したく! 息も出来ないくらいに純愛ですよ。 映画を見るときはスタッフロールが流れ終わって場内が明るくなるまで席を立つなとは良く申したりしますがー。 同じように今作は、どんなに中村節が苦手であっても、エピローグまで目を離すなと申し上げる次第。 本を読む姿勢としては、しごく当たり前ですけれど。 それでも和らいだとはいえ、やはり筆致には「素人にはお勧めできない」香りがあるわけで。 んがしかし、エピローグまで辿り着かずして今作の魅力を語ることは出来ないデスヨ。 ところで。 中村センセは今作の出版社である富士見書房のほか集英社スーパーダッシュ文庫からも上梓されているのですけれど。 作品を比べてみると、わたしは富士見書房から刊行されている作品のほうが好みでしょうか。 『黒白キューピッド』より『ロクメンダイス』でしたし、『 アリフレロ キス・神話・Good by』より今作です。 あ、ガガガ文庫でも出されているんでしたっけ。 んーと……集英社より好みですけれど、富士見よりは下、かなぁ。 先述の「萌え」論を受けての話になるのですけれど、そうした「萌え」因子が無いために、ライトノベルとして上梓されながらもシリーズ化はおそらく出来ないのではないかぁ……と。 でもそれは悪いことではないと思うのです。 今作までで中村センセは5つの物語をきちんと終わらせることができています。 物語を終着させる。 それは作家としてなにより大切な資質だとわたしは思っています。 どれだけロングヒットのシリーズを生み出そうが、終わっていない物語の評価は結局のトコロ判定不能。 あるいはヒットシリーズひとつで燃え尽きてしまったかのようにラノベのシーンから消えてしまうセンセも少なくない中で、中村センセはこれだけの作品を上梓ししているワケで。 んー……。 それって結局、中村センセはラノベ向きではないってことなのかなぁ(^_^;)。 そうかもねー(^_^;)。 とにかくハッキリしたことは、ご活躍される舞台がどこになろうとも、わたしは中村センセを応援していきますよ!ってことで。 次回作を楽しみに待ってます!(≧▽≦)
だからもう少しだけ、そこで待っていてくれ。 自分が行くその時まで、絶対に無事でいてくれ。 この翼が砕けてでも、必ず助けに行ってやるから!
くっはー! なんて熱い魂をもっているのかしら、この鳥さんは! この物語、テオとリーンだけじゃなくて、ミルヴィルも含めて3人の物語ですよね〜(^-^)。 そのほか脇を固めるキャストも魅力を放つようになったというのに──この巻が「完結編」だそうで。 あーあーあー……。 いやね、売上悪かったから打ち切りになるのは仕方のないことだと思います。 でも、前巻が終わったところで残されていた謎や伏線が取り立ててあったわけでもなし、さらにはこの巻と前巻との展開のあいだに強い物語的つながりを見せられていたわけでもないのに、さもシリーズとしての結びつきがそこに存在していて、ここで満を持してシリーズのクライマックスを迎えたのだと言わんばかりの「完結編!」との売り文句には閉口してしまうのですよ。 どんなセンスですか、それは。 わずか2冊しか刊行せず、とりたててシリーズとして売り出してもいなかったクセに「完結編」ですって。 怒りを通り越して呆れてしまったわ。 もしかして編集部に、過去に打ちきりになった作品の続刊を望む迷惑な問い合わせがあったりしたんでしょうか? 「あの作品って次は無いんですか?」……とか。 だからハッキリと「この作品は終わりました!」と明記するようになったとか……。 なんかさー、例えそういう事態が起こっていたにせよ、これは言わなくても良い類のことだと思うんですけれどっ。 「打ち切りになったとは思うんだけど、あの作品の次って出て欲しいなぁ……」と夢想することすら奪うんですか、編集部は。 商品としての終わりと、作品としての終わりは違うでしょうに!!!!(`Д´) 編集部に続ける意志が無いのはわかりましたよ。 でもね、でもね! 中途半端なところで「完結編」なんて銘打つのは、その作品を「殺す」ことと同義なんじゃありませんかねぇっ!? なに? いつかあの人はきっと帰ってきてくれます!って信じて待ち続けることが、そんなにも許されないことなワケ!? ふざけないで! ハァハァハァ……。 いつになく熱く語ってしまいましたコトヨ。 わたしが知る限り、シリーズとしての体も成していないのにわざわざご丁寧に「完結編」と銘打った作品はこれで二作目ですけれど(富士ミスの『トキオカシ』と)。 ちーきぃしょぉー。 だからってわけではありませんけれど、わたしは伊東センセの次作を待ってます。 ちゃんとした「完結」を迎えられる日がくるまで応援するッス!!!(≧△≦)
『なつき☆フルスイング2』 樹戸英斗 著 夢魔が人に取り憑いてどうの……とかいう作品のベースが揺らいでいるように思うのですけれど? もちろん電撃文庫にはハートウォーミング系の作品の系譜のあるのですけれど、そちらへシフトするならするでハッキリと新作を構築したほうが良いと思うー。 なにも無理に方針転換をするようなことをしないでも。 ……あー、うーん。 銀賞受賞作ですし、そこについてきた読者もいるのだから続編を作ったほうがそこそこ安定的な売上が見込めるってのはわかるのですけれどー。 それで作品に無理が生じてしまうのでは本末転倒なのでは? 短編連作という形を取って新キャラ増員したり、この巻だけでは形にならない次の展開へ向けての仕込みを色々と模索したり。 少なくともシリーズ物の2巻目でやることではないと思います。 それは「新たなスタート」という位置付けなのかもしれないけれど、そこまでシリーズとしての形を既に成しているとは思えないのです。 ことに主要キャラの存在感の薄さったら、見ていていたたまれないわ。