○● 読書感想記 ●○
2007年 【1】

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(ラノベ指数 4/45)
20
 
『飛ぶのがフライ』 ジル・チャーチル 著

 5年ぶりのシリーズ新刊。
 ドメスティック・ミステリなので「ご近所」感が親しみあって気に入っていたのですけれども、今回は遠く離れたキャンプ地(?)が舞台なんですよねぇ。
 なんちうか、それだけで魅力1割減な気がー。
 ジェーンのステディであるメルなんて出番すらないし。
 ああ、でもメールの返信で「一言」だけの存在感は示しましたか?

 訳書では5年ぶりの新刊であっても、原書での刊行は97年。
 ジェーンもパソコンを使うようになっていたりするのですけれど、いまの感覚で眺めていると、どうにも古くさいカンジ(笑)。
 この10年で技術革新ってホントにあったんだなぁ……とカンジさせられました。
 インターネットというよりパソコン通信ってカンジ。

 パソコンを利用して推理をめぐらすというギミックを取り入れたのって、もしかし97年当時では目敏かったりするのですか、もしかして?
 流行に敏感……というのとは、ちと違うか。
 んでも、そうした日常の変化を作中に取り入れているあたりが、やぱしドメスティック・ミステリたる所以なのかしらん。


 日常とは少し離れた今作でしたけれど、それだけにジェーンの友人であるシェリイがあたふたしている様が見られたのは面白かったー。
 日頃、てきぱきとあらゆることをこなしてしまう彼女も、それは文明のある場所での話なわけで。
 都会人、文明人なんですねぇ。
 電気が無い!と嘆くなんて(笑)。


 解説によると、訳者である浅羽莢子さんが昨年初秋に亡くなられたそうで。
 たくさんの本を訳されていたかたなので、意外とわたしも訳書を読んでいたんですよね。
 『火吹き山の魔法使い』とかも浅羽さんだったらしく。
 様々な楽しみをありがとうございました。

 シリーズは訳者を変えて刊行されていくそうなので、これからも楽しみにしています。
 できれば「グレイス&フェイヴァー」シリーズのほうもお願いしたく……(^_^)。
 


(ラノベ指数 11/45)
19
 
『シフトU』 うえお久光 著

 前巻を読み終えてからずいぶんと日が経ってしまっていたので、状況について記憶が定かでなかったりして。
 んでも、現実世界から別の世界へ意識が「シフト」する……という設定さえ覚えていたらなんとかなりました。
 もちろん、ラケルをはじめとするキャラクターのポジションは必要でしたけれど、かといって前作の流れを引きずっているわけでもないですしー。

 で。
 そんな次第で今巻は今巻で十分に独り立ちできるとわたしは思うのですけれども。
 むしろそれゆえに今巻を評価するっちうか。
 いやさ、もう、「うえお節、ここにあり」ってカンジでしたわね。
 前巻は設定を開陳するための導入であり予習であったとするならば、今巻こそがようやく本番というか語りたいことだったのではないかと。

 規定のルートをたどらない生き方を描かせたら、うえおセンセは本当に強い。
 アウトローとは違うんです。
 そうでなくて、生きること、目に映ること、全体の価値観を認めつつも、自分の世界を別の価値観でもって保持できる存在っちうか。
 何者にも染まらない、誰にも変えられない信念を見せてくれるわけで。

 踏み潰されて消えた命には同情するが、踏み潰されてそれでもなお苦しみながら内蔵をはみ出させながら生きてきた自分の生命を同列にされてたまるものか。そんな生命とほかの生命がそれでも平等だなんてそんな理不尽なことはない。ならばそもそも生命に価値なんかない。生きることに意味などない。意味などなく、価値もなく──
 ──でも、意地はある。

 嗚呼。
 この一般的な社会通念に対しての反転の仕方が、ひっじょーにココロに響いてくる次第。
 でもって、その意地とやらが勝負の場に転換されていくわけですけれども。
 その勝負、水泳の千メートル自由形。
 『悪魔のミカタ』の「グレイテストオリオン」でもボクシング勝負の描写が評価高かったですけれど、わたしは今作もそれに匹敵するくらいに素晴らしい描写だと感じたかなぁ。
 シーンそのものは短くても、迫るようなライブ感っちうか。
 競技そのものを子細に描いているわけではないと思うのですよ。
 大切なのは勝負という行為であって、その過程で変化するココロの動きとか。
 「シフト」にまつわる諸々より、今巻はこの水泳勝負こそが華でありました。


 んでも、それも含めて、やぱし今作はラケルが新しい一歩を踏み出すまでのお話であったなぁ……と。
 そういう首尾一貫した構成こそが、うえおセンセの魅力なのかも。

 人はだれでもどこかで勇者で、姫で、そして怪物で、姫は怪物にさらわれて、勇者は姫のために闘い、怪物の魔王は勇者に倒される。それはどこにでもある三角形。勇者、姫君、そして魔王──いつか戦うときがくる。結末なんて関係なく、いろんなかたちで。いつだって。それぞれに、それぞれの理由があって。ただ役割を演じているだけだとしても。
 いつか戦うときがくる。
 ……これはそのなかの、魔王についての物語。

 作品のコンセプトがしっかりしているだけでなく、これはもう、うえおセンセのスタンスのような。
 「描きたかったことはなんですか?」に答えられるセンセは少なくないと思うのですけれど、「この作品はなにを描いてますか?」の質問に答えられるセンセは少ないと思うのですよ。
 大雑把に言えば、前者は著者の楽しみを優先しているタイプで、後者は読者へ楽しみを伝えているタイプなのではないかと。
 もちろん伝えているのに伝わっていないと不幸が生まれるとは思いますけれど、見事伝わったときは前者の比ではくらいに素敵な感情が生まれるように思うのです。
 今作がわたしにとってまさに、それデシタ。


 新しい一歩を踏み出すまでの物語として、これはこれで完結しているとは思いますけれど、当然その歩む先が見たいところ。
 続刊、期待したいんですけれど、どーなのかなー。
 このメディアワークスのハードカバー攻勢、いまいちうまくいってはいないのではないかと勘ぐっている次第。
 でも、良く言われるように「文庫になれば読む」という意見には賛同しかねるんですよねー。
 このお話の持つ重みって、文庫では表現仕切れないような気がして。

 文庫のほうでも、いよいようえおセンセ、また活発に動いていくっぽいですけれど、『シフト』のほうもなんとか続けていってほし〜。
 



(ラノベ指数 7/45)
18
 
『てるてるあした』 加納朋子 著

 先日読んだ『ささら さや』の続編。
 舞台は同じで、前作のキャラクターもそのまま登場しますけれど、主人公は今作新しく設定された女の子。
 そうした新しい視点が、続編としてもあまり型にはまらない自由な雰囲気を醸し出しているのかなーと。
 前情報を必要としないっちうか。

 もちろん前作を知っていればより面白くなるでしょうけれど、むしろ今作を読んでから前作を読み始めても問題ないような気が。
 それだけ今作では、舞台である「佐々良」という町に起因するようなお話の作りにはなっていないということだと思うのですよ。
 舞台よりも、家族に捨てられたオンナノコというキャラクターのお話であるというか。
 ただ単に、『ささら さや』に登場したサヤさんや3人のおばあちゃんたちは「家族」という絆を生み出すのに適当であっただけで。

 
 オンナノコが全てを無くしたところから始まる物語なんですけれどー。
 それまで「ただ」持っていたモノを失うことと、自分という存在を成り立たせるモノを奪われるのは違うんだなぁ……とか思ったりして。
 失ったと見えても、それは単に着飾っていた部分を無くしただけにすぎなくて、自分の本質はなにも変わっていなかったり。
 佐々良に来てからの主人公は、そうして着飾っていた部分を捨てたり失ったりして、どんどんと純化されていったような気がするのですよ。
 人間として。

 あー。
 それが「佐々良」という町が持つ奇蹟なのかもー。


 にしても加納センセの作品、わたしの波長に合ってるのかも。
 これはちょっと読み進めてみるべきかー(^_^)。
 

(ラノベ指数 21/45)
17
 
『学校の階段4』 櫂末高彰 著

 部員の生き方や悩みに焦点を当てた作りになっているので仕方がないにしても、ちょいと話が内々に向き過ぎてはしませんか?という。
 「階段部」というサークル活動が主体として置かれていても、「階段部」がどうこうする話にはなかなかならず、「階段部」をどうするのか、その中の部員同士のお話にこれまでのところ終始してしまっているかなぁ……と。
 学校生活における部活動モノ……というスタンスではないワケで。

 放課後という学生特有の哀愁帯びた時間帯を共に過ごす切なさはなくて、むしろ必ず戻ってくる集団──例えば「家族」の有り様を描いた作品といったほうが近いのかも。
 「階段部」という場や活動を通じて結びつけられた、疑似家族、みたいな。
 それはそれで絆の強まりを見せてもらえれば良いのでしょうけれど、さすがに食傷気味かもです。
 誰かが退部するって言い出したら、それをみんなが引き留める──ってパターンは。


 そういった次第で、今回は「天才ラインメーカー」三枝先輩のお話だったワケですけれども、んー……。
 退部するに至る発端はわかったのですけれど、その勝負にこだわるあたりの確執について上手く飲み込めなかったかなーと。
 先輩がそこまで「階段部」にこだわる理由ちうか。

 もっとも、そのあたりって感情論になってしまうので、「走りたい気持ちを止められない」という理由で成り立ってしまう「階段部」においては、言うだけ野暮なのかもしれませんけれど。
 「走りたいから〜」で納得できない人は、もう生きる道が交わることが無い人っちう次第で。

 いや、ま、今回に限って言えば、そんな三枝先輩の進退問題より、「炎の女神」様との関係のほうが衝撃的であったのですけれどもー!(笑)
 なんですか、もー。
 立派に青春してるじゃーん!(^-^)
 ひゅーひゅー!

 見城さんは、活発でボーイッシュなタイプかと思いきや、意外と受け身であったりするところが良いのでしょうか。
 キャラ造型が素直すぎずに、良い味を出している……ような。
 まあ、ボーイッシュなタイプとしては三島さんがいますからねぇ。
 その辺りのキャラかぶりも当然配慮されているんでしょうね。


 ところで、今回は折り込みカラーで天栗浜高校の俯瞰図が入っていたのは良かったー。
 そうそう、こういうのが欲しかったのですよー。
 これなら第一校舎と新校舎A棟、特別棟や第二校舎を結ぶ廊下の高低などがわかるワケで。
 これで次のラリー勝負が楽しみになってまいりましたヨー(笑)。

 反面、惜しかったのは表紙かなぁ。
 今回の内容からすれば、表紙登場に値するのは間違いなく三枝先輩だと思うー。
 それを中村ちづる嬢にしたのは、なんだか媚びすぎな気がー。
 この作品は先述のように「階段部」の絆の物語だと思うので、別に男子が表紙でもかまわないと思うんですけどねぇ。
 そこまでの覚悟が編集サイドに無かったのか、そんな覚悟を持てないほどにオトコノコとオンナノコで売れ行きが違うのか……はてさて?
 

(ラノベ指数 12/45)
16
 
『翼は碧空を翔けて2』 三浦真奈美 著

 オビには「戦火に引き裂かれた3人の運命は──」とあるワケですが。
 いや、ま、たしかにアンジェラとセシルとランディが中心となっている今作ではあるのですけれど、それぞれが別個に動いているから物語として軸が弱い気が。
 それぞれの立場や思想を抱いているのはわかるのですけれど、3人の中で絡み合ってこないっちうか。

 んー……。
 王族、資産家、庶民という身分が異なる三者から眺めた戦争論……といった体に思えるのですよね。
 物語ではなくて。

 「戦火に引き裂かれた」って言いますけれど、別に戦争になる以前は親しい付き合いをしていたワケではなかったですし。
 前巻での交流は偶然で片付けられる程度のものだったかとー。
 ……ああ、セシルとランディは「引き裂かれた」と言えなくもない……のかな?

 んでもさー。
 ただ「戦争反対」って言うだけのランディの主張は説得力皆無なので共感は難しいですし、「引き裂かれた」という語感が持つ悲壮感からは遠いかなーと。
 若気の至りと言うことすら恥ずかしいくらいに愚かしいっちうか。

 アンジェラの行動も相変わらず王族らしい正論ぶちかましで立派すぎるあたりが鼻につきますが、ランディとは反対に彼女の行動は結果に恵まれるなぁ……という印象が。
 理知的で理性的で聡明な判断だとは必ずしも言えないような気がするのですけれど、結果を見れば良い方向へと転がっているという。
 作者に愛されている?とか、うがった見方をしてしまったりして。


 セシルの言動にいちばん共感を覚えるっていうのは、ただわたしが歳を取ったということだけなのかもしれませんねぇ。
 もう無茶や無謀なことはできないなーと(笑)。
 


(ラノベ指数 6/45)
15
 
『月光』 誉田哲也 著

 真実を知ることは貴い行為なんかじゃない。
 誉田センセの作品からは、そういう厳しさを感じます。
 でも、知るという行為こそがヒトを人間たらしめているのだとも。
 それはもう本能のレベルの問題。
 だからこそ、知って、どうするのか……を意識しなさい、と。

 憎んで相手を殺しても、たぶん、納得はできない。
 殺さなきゃ治まらない相手もいると思うけど、でもそれでも、殺してしまっては、悲しい気持ちが残るだけなんじゃないだろうか。
 一番いいのは、相手が、赦せる人間になってくれること。甘いかもしれないけれど、漠然と、そんなふうに思う。

 その人がしでかした行為によって少なくない人が命を落とし、人生を狂わされ、罪を犯させたとしても──赦される可能性は、常にそこにあるのだと。
 可能性が「残っている」のではなく「存在する」。
 それは自らを罪人だと思うのならば、より果たすべき責務。
 罪人が罪人のままで良いわけが無いという。

 事件が収束するだけでも作品はENDマークを付けられるのかもしれないけれど、やはりその責務を果たしてこそ「物語」は幕を下ろすことができるのではないかと思う次第。
 今作ではそれが果たされたからこそ、主人公の結花は赦されたワケで。
 結花がくびきから解き放たれた実感をもって、この作品はきちんと終わったのだなぁ……と。
 悲しいけれど、希望を残して。

 投げっぱなしのラストを堂々とする作品が少なくない昨今、終わりの形──変化や成長の姿を見せて物語を結ぶことは大変に貴重だと思うー。
 読み手の感情にも、たしかな区切りをつけるワケですし。

 事件は間違いなく悲劇。
 んでも、読後感は非常に穏やかなカンジ。
 それはあるべき姿を、望むべき姿を描いてくれたからなのかなぁ……と思うのです。
 表題「月光」の意味が重いですわ〜(TДT)。
 


(ラノベ指数 6/45)
14
 
『天使が開けた密室』 谷原秋桜子 著

 書き下ろし新作かと思ったら、以前富士見ミステリー文庫で出されていた作品だったんですね。
 ドラゴンマガジンに掲載された短編の収録と加筆修正はあっても書き下ろしは無し……と。
 そういう出自、読み終えた後には激しく納得。
 真っ当に「本格推理」というにはキャラクター小説寄りだと感じたので。
 オビに書かれた「ライトな本格ミステリ」という言葉が、この作品の素性を的確に表しているかなーと。

 推理ミステリとしては十分に及第点を与えても良いのではないかなーと、わたしは思うのですよ。
 だもので黎明期の富士見ミステリー文庫においては、かなりレーベルの方向性と合致していたのではないかなー。
 それでもレーベル存続に大きな効力を発揮し得なかったというのであれば(現状、レーベルの方向性がLOVEに移行してしまったことから考えれば、無力であったと考えられるワケで)、それはもうライトノベルの読者層に本格推理──もっと大きな枠組みで言えば推理ミステリが受け入れられないということだったのではないかなーと思ったりして。

 例えば今作では、推理ミステリの基本として時間経過を表組みにして見せて、その中で犯人としての可能性のある人物を探るような推理手法が採られている箇所があるのですけれど、勢いある文章に慣れたラノベ読みの読書ペースおいては、こうした文章で立ち止まって考えさせるような仕掛けというのはペースの攪乱につながってしまうのではないかと。
 んーと。
 大胆すぎる意見かもしれませんけれど、ラノベ読みに受け入れられる推理トリックって、アリバイ崩しのようなタイプではなくて物理トリックなのではないかなーと思ったりして。
 文章で物理的な仕掛けを「見せる」ことができるのなら、その箇所、その文章だけで理解できるので、立ち止まることなく読み飛ばしていけるので。


 そんな「ラノベと推理ミステリ」の関係について考えてしまった今作ですけれど、仕掛けとしては本当に丁寧だったと思います。
 むしろ丁寧すぎて照れてしまったというかー。
 そんなに説明しなくてもいいですよー……と言いたくなってしまったわ(苦笑)。
 でも、それだけに推理の道筋としてはとても素直で好感。
 無理して背伸びしないところが良かったですわー。

 キャラの造型も悪くなかったかなー。
 美波ちゃんの運の無さっぷりは「巻き込まれ」体質でありますから主人公として物語を運んでいくのに相応しいと思いますし、級友のふたりも江戸っ子とお嬢様と個性をもっていてわかりやすいなーと。
 隣家の修矢くんが探偵役なのですけれど、ちょっとイジワルなところが良いです。
 賢すぎるので素直になるのが気恥ずかしい……といったタイプ。
 泣き虫の美波とは良いコンビですわー。

 ……ああ、もしこの作品が今の富士ミスから刊行されていれば、この先の修也×美波のカップリングにドキワクできたのかもー(^_^)。
 創元推理文庫でも期待して良いのでしょうか??(苦笑)


 ミギーさんのイラストが表紙になったほか、今作があらためて創元推理文庫から刊行されることになって良かったことのもう一つは、鷹城宏さんによる解説が添えられたことでしょうか。
 この解説、今作の内容について的確な批評をされているだけでなく、ライトノベルと推理ミステリの関係についても触れられていたり、短いながらもとても良い解説であると思うのです。
 編集部のヨイショなどより、読む価値は比較にならないくらいにある文章です。


 シリーズ再開……ということらしいので、2巻以降の展開も楽しみにしておりまする〜。
 早く2巻も読もーっと。
 

(ラノベ指数 2/45)
13
 
『世界中が雨だったら』 市川拓司 著

 フツーの文芸作品も描けるんだなぁ、市川センセ。
 それも、かなりネガティブな方向へ。
 まぁ、それを言ったら『いま、会いにゆきます』も『恋愛寫眞』も、けっしてポジティブな作品であったとは言えませんけれどー。

 ん……?
 まてまてまて。
 結局は「人が死ぬこと」に全てのドラマ性がつながっているのか、な?
 今作も3本の中編が収められている内容だったのですけれど、そのどれもに人の死が書かれているワケで。
 『いま会い』や『恋愛寫眞』と違うのは、起こりうる死に事件性があったか否か……だったりするのかな?
 ミステリ調が強まっているっちうか。

 ただミステリ調でありはしてもエンターテインメントではなく、遭遇する「死」もしくは「殺人」に対して戸惑う人間の姿を洞察するトコロが起点であるワケで。
 なんていうのかなぁ……。
 「死」を道具──物語のガジェットとして、いささか安易に配置してきてやしまいかと思ったりする次第。

 そりゃあ読み手の意識を揺り動かすには、「死」は大きなパワーを持っていると思いますし、物語の流れに置いても絶対的な存在感や重みを発揮するのはわかるのですけれども。
 繰り返し用いられることへ、わたしは辟易してきているのを感じます。

 ことに今作中でも、「琥珀の中に」と「循環不安」では、死体遺棄についてどちらも扱っている物語なので世界が似通ってしまっているように思うのですよ。
 おかげで「死」に対する市川センセの見方って、意外と狭量なのではないかなーとか思ってしまったり。

 まだ市川センセの作品、読み続けるつもりでいますけれど、このあとがちょっと不安になってきたかなぁ……。
 


(ラノベ指数 6/49)
12
 
『ささらさや』 加納朋子 著

 このお話、どこかで見たことある……と既視感を覚えていたら、碧也ぴんくサンのコミック版を読んだことがあったのでした。
 今作に収められている「羅針盤のない船」と「空っぽの箱」だったかな?
 おばあちゃんがたくさん登場しているなぁ〜……という変な印象が。
 それと、軽めの日常ミステリが好感だったな〜、と。

 うんうん、原作では十分にその日常ミステリを堪能できましたわ。
 本格推理!とは舞台が異なるので、仕掛けとか解決でのカタルシスとか、そーゆー部分では緩さを感じずにはいられないのですけれど、「日常」の枠組みの中での出来事ですからー。
 あまり大仰なことを用意すると、そもそもの立ち位置すら壊しかねないワケで。
 雰囲気を重視しつつ、もちろんミステリ部分もしっかりと。


 でもさー、そういう作品構成面での完成度の高さより、主人公のサヤさんの魅力のほうが実際には大きな印象を残すんじゃないかなぁ……と思ったりして。
 不慮の事故で夫を亡くして、忘れ形見の一人息子を育てる未亡人。
 人を疑うことを知らず、気弱で文句のひとつも言えないような性格だけれど、息子のためなら我が身を惜しまない優しい人。
 とにかく、一人息子のユウスケくんを育てていく姿が愛に溢れているっちうか。
 筆致から伝わってくる空気が、柔らかくてステキなんですよね〜。

 都会から逃げるようにして「佐々良」という街にやってきたサヤさんが出会った3人のおばあちゃんたち。
 彼女たちの助けを借りながらも、ユウスケくんをしっかりと育てていって……。
 おばあちゃんたちも口やかましく言いつつ、サヤさんとユウスケくんを大好きだから面倒見てるって雰囲気が伝わってきて。
 現代日本が無くしてしまった隣近所のお付き合いとか、町内で助け合って子どもを育てていくとか、そういうトコロも素敵。
 いいなぁ〜って思ってしまうのさ(^-^)。


 そんなお婆ちゃんたちに見守られつつ、サヤさんはユウスケくんを立派に育て上げるんだろうなぁ……と。
 幸せなイメージを持つことのできる終わり方でした。
 うむ、満足♪
 

(ラノベ指数 6/49)
11
 
『リレキショ』 中村航 著

 んんー……。
 なんだか、こう、端と端をそぎ落とされているというか、美味しい部分だけを切り分けられたというか。
 センシティブではあるような気配が漂ってくるのを感じ取れはするのですけれども、お話としては締まらないという気が。
 もっとも、わたしが考えるところの文芸作品って、こーゆーカンジでもあるのですけれども。

 「拾われて弟役をあてがわれた」主人公の良クンからして、どのようにして拾われるに至ったのか、その経緯は最後まで謎なので人物像が成立し得ないというか。
 彼に「弟役をあてがった姉」である橙子さんにしても、詳しい素性が見えてこないですし……。
 そういう「奇妙な姉弟関係」がそこにあるというだけの前提でお話が進んでいくワケで。
 面白いといえば、その配置につきるような……。


 橙子さんの親友である山崎さんは男気溢れてて、その点だけでも好きになれたです。

 「私はね、親友の弟とキスをするのが夢だったの
  親友に隠れて、こっそりとキスを交わすのよ」

 ──といったあたりがー(笑)。


 文芸作品にエンターテインメント性を求めるほうが間違ってるというカンジ?
 



(ラノベ指数 15/49)
10
 
『ユーフォリ・テクニカ 王立技術院物語』 定金伸治 著

 うはは、爽快〜!
 困難を前にしてひるむことなく、前へ進むことを諦めない姿。
 そして困難を乗り越えた先には、ちゃーんと結果が見えてくるという。

 そんな都合の良い話……なんて、現実論を持ち出しても無駄無駄。
 そういった言い訳で人生を飾るのは勝手ですけれど、諦めなかったから扉を開くことの可能性を無にすることはできないんですもん。
 これは、そんないくつもある未来の可能性の中で、より良い方向のひとつ。
 前を見つめる人にこそ希望が訪れるということを示した物語なのですから。


 ヒロインであるエルフェールの前向きな心が好感なのですよ。
 女性が仕事に就くことがいかに難しい時代であったか、それはもう十分に感じられるなかで、しかし夢のために諦めるなんてことをしないワケで。
 そうしたスピリットは、ようやく研究員として雇われ、夢へのスタートラインに立ててからも変わらないワケで。
 望むような実験結果が出なくても、他の研究室の妨害を受けても、研究とは関係ない政治絡みの問題に足を引っ張られても、絶対に諦めたりはしない姿が!

 もちろん諦めないというのは、悩んだり落ち込んだりしないというのとは違うのですよね。
 エルフェールだって人並みに落ち込んだり悩んだりするわけで。
 んでも、どれだけ落ち込んだりしても、そこから必ずや立ち直って復活してくる姿に読み手のわたしも励まされたのですよ。

 落ち込んだり悩んだりすることも必要だと思うのです。
 立ち止まって、周りを見るための時間というか。
 そうして心と体を休めたあと、また歩き出せば良いわけで。


 こうした流れがなにもエルフェールひとりで成立したはずもなく、もちろん周囲の人たちの助けが合ってこそ。
 そんな人たちが物語を彩り、仲間の存在が盛り上げていってくれているのですよー。
 師となるネルや、同じ女性研究者として認め合うライバルのグリンゼなど。
 敵役として登場したディール先生すら、クライマックスでの活躍を見るとただの腐った人では無いことが分かって、まさに敵役として心憎しってカンジ!


 キャラクターの性格設定と配置、物語の起伏など、1冊の本として良く計算され配慮されているなぁ〜と感じ入りました。
 贅肉が無い、絶妙のバランス感覚。
 本当に書きたいモノを見定めて、それを完璧な形で刊行するためには何が必要で何が不必要なのか見極めて。
 だからこそ今作は素晴らしく綺麗で純粋な物語になったのではないかと。

 ベテランの味、堪能させてもらいました。
 

(ラノベ指数 7/49)
9
 
『ゆくとしくるとし』 大沼紀子 著

 当作品によって、一般文芸作品に顕著な「余韻」というものをようやくわかったような。
 物足りなさ……とはちと違い、これはこれでアリだよねって思える感覚。
 いやさ、足りないなぁってカンジは当作品でももちろん感じるのですけれども、タイムテーブル上から見た場合に終わりの位置が時間として適当であったというか。
 物語の主旨を完遂した上でその位置に居るということで。


 収録されているのは中編2本なのですけれども、それぞれ登場人物の数が中編というボリュームに適当であったところも好感。
 少なすぎると三人称だろうと一人称だろうと語り口からの強迫観念が強まってしまうような気がしますし、反対に多すぎると各々の個性が見えてこないと思うのデス。

 加えてキャラの造型も興味を惹かれるというか。
 表題作の「ゆくとしくるとし」などは、引き籠もり気味で大学留年ほぼ確定の主人公、主人公とは血のつながらない助産婦の母親、そして住み込みで助産所を助けているオカマの3人。
 なんいうか、こう……三題噺みたいな組み合わせだなぁ、とか思ったり(笑)。

 必然で結びつけられる人間関係よりも、偶然で結びつけられたそれのほうが「強い」物語ができるのかもー。
 ……もちろん、結びつきが弱ければ、物語は崩れてしまうでしょうけれど。


 最小単位の共同体を「家族」と呼ぶと仮定して、その有り様を描いている……のかな?
 血縁関係とか同じ場所で生活しているとか、そういう物理的な関係で定められるのではなくて。
 とはいっても仰々しく有り様を定義しているのではなくて、ふわりと柔らかく家族という形態を受け止めているカンジ。
 「こういう関係もあるんです」って伝えているだけーみたいなー。

 そういう鷹揚さも「余韻」につながっているんでしょうか(^_^)。
 

(ラノベ指数 19/49)
8
 
『十三番目のアリス2』 伏見つかさ 著

 んー……。
 目に見える範囲で全て、ちうか。
 裏が無いというか秘された部分が無いというか。
 読み進めていっても意外性がない=ターニングポイントがない……ことになってやいまいかとー。

 物語としてイベントを積み重ねて入っているとは思うんですけれど、その積み重ね方が単調であるような。
 まーっすぐの上り坂みたいな。
 曲がり角の先が見えないようなドキドキ感が無いんですよねー。


 キャラクターの作り方も、言動に全てが出てしまっているようなカンジ。
 行動目的とか、もちっとパーソナルな部分でヒミツの部分を持っていったほうが良いような気がするー。


 大雑把な感想ですけれど、キャラクターの作り方におけるウェイトが、性格設定などの内面ではなくて、巨乳や女顔といった外見に置かれているような気がします。
 ツンデレといった言動にしてもしかり。
 一見しての分かりやすさは重要ですけれど、でも筆致で表せるトコロをもう少し大切にしてほしいなぁ……とか思ったりして。
 記号論にはしらないでー、というコトで。

 でも、まぁ、それでも読み進められていっているのですから、わたしにとっては「美味しい」キャラ造型なのでしょう。
 悔しいっ!(笑)
 

(ラノベ指数 12/49)
7
 
『翼は碧空を翔けて 1』 三浦真奈美 著

 主人公たる王女・アンジェラの無邪気っぷりがー……。
 わたしの感覚では、ちょっと自己本位のほうへ針が振れてしまっているかなぁ……というカンジ。
 無知であるが故の無謀さではなくて、考えた上での無謀さなのがまた救いがないというか。

 いかに賢しく頭をめぐらせたところで「王族基準」の指標から抜け出せないあたり、人としての器のほどを表してしまっているかなぁ。
 うーん……。
 素直な性格で自由奔放という魅力があるとしても、身分を捨てきれない鼻持ちならないトコロがあるかなー。

 途中、頼まれれば掃除だって辞さないと口にしたところなんて、ちょっと見直したんですけれど、そうした気遣いを見せたのってココだけでしたし。
 そうなるとこの気遣いすらも、ただの気まぐれな気がしてきて……。


 世界における飛行船の有り様とか、時代背景などは予想通りに面白かったのですけれど。
 新しい技術を巡って、国同士の丁々発止は緊迫感あるわねー。
 産業スパイっていうか。

 でもって、そうした技術はすぐに軍事転用が図られるのも世の常という……。
 戦時下へ突入していく中で、こうした技術の行く先だけでなく、くだんの王女様もどう変化していくのか、そこに期待したいと思います。
 

(ラノベ指数 9/49)
6
 
『風の歌、星の口笛』 村崎友 著

 体裁としてはSFなんですけれど、ミステリー色が強いなー……と思って読み進めていったのですけれど、横溝正史賞を受賞しているんですね。
 ミステリ臭が漂うのも納得。
 加えて言うなら、SF面での定義が曖昧なのも納得。
 SF畑の人なら、もっと世界(設定)を明確にしていると思うので。

 じゃあミステリ畑の人としては秀逸だったのかと言われると、そちらも疑問。
 むしろ横溝正史賞を受賞しているっていうことに首を傾げてしまったというか。

 いろいろ言いたいことはあるんですけれどー。
 とにかく探偵役のキャラクターに──
 「ちゃんと調べれば(中略)わかるはずです」
 ──なんて言わせないほうが良いと思ったり。
 作品世界内のキャラクターが「ちゃんと」した行動をしていないなら、彼らの目を通してしか世界を覗けない読み手に正解へと辿り着けるハズも無いと思うー。
 ミスリードや証拠隠蔽のための記述テクニックに悦に入っているようでキモチワルイです。

 少なくとも、です。
 小川一水センセなら、「ちゃんと」していなくても「当たり前のように」それを成していただろうなー……と思ってしまったのです。
 SFなんですよ?
 科学者なんですよ?
 都合良くプロが素人臭さを出さないでほしい次第。



 この本の魅力は本編にあるのではなく、この横溝正史賞の選評者の方々のコメントにあるのではないかと思ったりして。
 なかでも内田康夫センセの腹の括り方はステキ。
 当作品が横溝正史賞を受賞したことについて──

 マンガチックなあっけらかんとしたホラ話として読む分にはいいかもしれないけれど、ミステリー作家の登竜門として権威ある「横溝賞」の対象に相応しいとは、いまでも得心できずにいる。ただただ僕の読解力と現代感覚の欠如によるものであると思い(中略)ひと様の作品を論評する才能に欠けるらしいことをつくづく実感した。ミステリー界に新しい風が吹き込むのを阻害しないためにも、時宜を得た引き際だと思っている。

 ──と言ってのけて、これで選評のメンバーを辞することを表明していたり。
 なんちうか、昭和の精神に殉死したかのごとくの決意を感じます。

 坂東眞砂子センセなども大反対しているのですけれど、あの人の場合は菜食主義者が肉食文化に物申しているようなものですしー。
 でも、総じて見てもこの作品を大きく評価しているセンセは綾辻行人センセだけで、その綾辻センセすらも「突っ込みどころ満載」って述べているのですよねぇ……。

 どうして受賞が決まったのか、選評者のコメントを見る限りではわからなかったなぁ……(苦笑)。


 そんなカンジで推理過程にムリクリ感があるので、ミステリ方面では、もう村崎センセはいいかなー……とか思ったりして。
 



(ラノベ指数 11/49)
5
 
『恋愛寫眞 もうひとつの物語』 市川拓司 著

 市川センセはエロゲシナリヲを書くべきだと思いますよ、ホントに。
 ぜーったいにオタのハートをわしづかみにしてくれますから。
 終盤のどんでん返しでギュンギュン切なさ乱れ打ちさね。
 こう、目からぶわわっ涙が──(TДT)。

 急ぎ足な感はありましたけれど、そのスピード感が無かったらとても退屈で重いだけの話になってしまうような。
 ココロに気持ちだけを置いて、サァッと進んでいく様は良し!と思います。
 余韻がー。


 コンプレックスを持ち合った、不器用で臆病なふたりの恋のお話。

 恋の結末は悲しい。
 でも、恋をすることは美しい。
 それが「片思いの惑星」に生まれた、わたしたちの運命だから。
 恋をしなければ死んでしまう──生きている価値が、無い、から。
 恋をして死んでいくなら、それは倖せ。

 でも……でもねぇっ!!!(><)
 恋をするために子どもは大人になって、そして恋をしたから別れがあったなんて──どういう神経してたらこんなガジェットを考えつくのか。
 うあ──っ!
 泣きながら市川センセを殴りたいっっ!!!


 キャラクター像も、各人が個性的であり、かつ、また善性に満ちた人たちなので穏やかに読み進められたところも好感。
 市川センセの作品って、悪人はいない……のかな?
 みゆきの「ガブリエラ・パピィ・ポッゾ」ばりの聖女っぷりも見事で、良いオンナノコなんですよねー。
 完璧……とは違うと思うー。
 ……皮肉な意見を申し上げますと、三角関係に陥りやすい性格ではあるなぁと。
 その辺り、物語の軸に対して丁寧に配置されたキャラ気質だと思うのですよー。
 計算されているというか。

 そうした計算っぷりに鼻白む場合もありますけれど、んでもやっぱりここが作家センセの力量であるのは間違いないかと。
 センスって言ってしまうと簡単すぎてしまいますがー。


 映画ではヒロインの静流を宮崎あおいちゃんが演じたんでしたっけ?

「──好きな人が好きな人を好きになりたかったの……」

 静流──ッッッッッッッッッ!!!!(TДT)
 で、主人公の誠人を玉木宏さんでしたか?
 繊細だけど押しの足りないところとか、イメージできるできる。
 あー、これは絶対に見なきゃだわー。


 『Angel type』を思い出した──って言っちゃうと、かなりネタバレ?(^_^;)
 


(ラノベ指数 35/49)
4
 
『アスラクライン6 おしえて生徒会長!』 三雲岳斗 著

 折り込みリーフレットの「電撃の缶詰」。
 その中のコーナー「電撃徒然草」が今回、三雲センセだったのですけれども、本編より先にその内容にドッキドキ。

 たとえば「やつは強い。なぜならやつは最強だからだ」とか、まあなんでもいいんですけど、最近は電撃文庫でも、こういう頭悪そうなトートロジーで書かれた文章をたまに見かけることがあって、なんだかなーと思ってました。一見なにやらハッタリが効いてますが、明らかにおかしいですこの理屈。作者が手を抜いているとしか思えない

 うーわー。
 言ってくれるわ、三雲センセ!(^_^;)
 後半ではこの「頭悪そうなトートロジー」について、これでも「実は高度な小説技法なのかも」と微妙にフォローしていたりもしますけれど、総じて見るとやっぱり苦言でしょうか。

 まぁ……これに関しては同意、かなぁ。
 むしろトートロジーと受け取れればまだマシなほうっていうか。
 物語の中の理屈の説明が下手になってやいませんか?と。
 勢いで未熟な感性を誤魔化している……と受けることがあるのでー。


 で、本編。
 脇役が普段より増量気味の短編連作ってところでしょうか。
 これ、電撃hpにでも掲載されたものをまとめたのかな?って思ったくらい(実際はどうなんでしょ?)。
 短いながらも時系列には沿っているみたいですけれどー。
 んでも、各話ごとの関連性は無いので、構成にはあまり意味ないかも。
 「繰り返された二度目の世界」が舞台であるだけに、時間の経過を追うこと自体には大きな意味があるのですが。

 一度リセットした世界を生きている……ということが、どこかそれを知るキャラクターに影を落としているんですよね。
 物語全体ではなく、知る者と知らない者を区別して。
 そんな「知る者」から漂ってくる諦観めいた覚悟がわたしは好きだったり。
 逃れられない運命と向き合う姿勢っちうかー。

 もちろんそればかりではヘビーすぎて付き合いきれないので、たとえば今回の樋口クンの「王様ゲーム」などは陰陽のバランスとして作用していると思うのですよー。
 単にバカバカしいお笑い話というだけでなく。

 わたし的には智春の年相応なスケベっぷりが現れていたところが良かったです。
 意識しないのもアレですし、かといって色ボケでは困りますし。
 どっちかっていうと好きかなー……という程度具合が◎(^-^)。


 次巻以降から物語が大きく動き出す──そうなので、そういう点からでも、今巻の明るさはちょうど良かったかなーと。


 にしても、各人の把握が追いつかなくなってきているのはわたしだけ?
 どの生徒会関係者なのかとか、どういうエピソードで登場した人なのか、さらにはどういう個性の持ち主だったか……などなど。
 うーん……。
 キャラ紹介一覧が欲しいナー……と言ってみる(笑)。
 



(ラノベ指数 6/49)
3
 
『100回泣くこと』 中村航 著

 終盤、なにかに気持ちをぶつけたくなって、ジッとしていられませんでした。
 こうした表題ですし、そして今作が正しく物語であるならば、中盤を越えて終盤へ向かう悲しい流れは予想できていたのですが──。
 むしろ予想できていたからこそ、その流れを止められないことへの憤りが胸の奥から湧き上がってくるという。

 知識は僕に語りかける。全ては終わるのが大前提なのだと。いつか訪れる終わりを前提にした、生であり愛なのだと。そういう道理なのだと。
 だからこそ僕らの楽観は、約束されているんだろうと思う。そうじゃなきゃ誰もどこにも行けるはずがない。根源的に祝福された世界は、それを失うまでの約束された実感であり、肉感であり、義務であり、権利なのだ。

 物語はすべからく閉じた世界であると思うのです。
 だからこそ、愛も、喜びも、悲しみも、希望も、その中で生き続けるものだと。
 「絶対に開かない箱」のように。
 その中でこそ、気持ちは消費されることなく在り続けるのです。
 消費されてしまうような物語は(順序が逆でありますが)物語ではなく、どんな感情にも終わりが──変化が訪れるのだと教えてくれている気が。
 終わりというのは主観を除けば変化の一形態なワケで。

 怖れても、望んでも、変化はわたしたちを待ってはくれないのだなぁ……と。
 わたしたちにできることは──「できることは?」と考えること、だけですか。

 彼女のためにできること。僕にできること。何ができるか考えること。呪文を唱えるように、僕は繰り返した。僕にできること。彼女のためにあろうとすること。それだけを握り、抱きしめること──。

 この気持ちが切なくて……。
 んでも、やったと思う、十分に。
 この世界はつまらないことで溢れていて願いをあざ笑うように邪魔してくるけれど、それでも、できることを、やれたと思う。


 「We」で語られていた夢の中から、悲しい契機を経て一方が永遠に「You」として存在することになったのは、神格化というか神聖化というか。
 彼方(あなた)であり、彼方(かなた)で。

 夢が、この大地に生を受けた人々の集合知であり、であるならばその起源を遡れば元始の個人へ辿り着くという考えもまた、その此方と彼方の線を意識させるくらいに壮大で。
 あまりに大きな意識に、ひさぶりに目眩がしたわ。
 巨大な存在に呑み込まれそうっちうか。

 『AIR』の「空の向こうにいる少女」を思い浮かべたのは、鍵っ子だからですよねぇ。
 さらには『CLANNAD』の幻想世界。
 遠いどこかの誰かの想いから、わたしたちは始まっているし、そしていまもつながっている……っていう、あの感覚。
 浮遊感と、結合感。
 ビジュアルイメージは……あれかな。
 ヘソの緒でつながる胎児。


 とにかく、主人公ふたりのキャラクター像がわたしの好みすぎててー。
 それだけに、彼らを襲う境遇に対して「何故に!?」とやるせなくなるっちうか。
 ずっぽり共感性に囚われてしまったコトよ(TДT)。

 巨大なものを前に、少年は何を思うのだろう。僕は彼の目に潜む、希望と期待と好奇心を追った。それは同時に哀しみを含んだ目だった。絶対を前に途方もなく無力な、だけど光のある目だった。

 少年はこの哀しみも瞳に映し、そして次代の人々への夢として紡がれていくのですね。
 物語は終わるけれど、気持ちは続いていく……と。
 うわー、尾を引くわ、これ(苦笑)。
 



(ラノベ指数 7/49)
2
 
『赤朽葉家の伝説』 桜庭一樹 著

 現時点での「桜庭文学」の最高峰。
 少なくともわたしにとっては。
 センセの作品に初めて会って、そして好きになった要素がそのまま時代と共に大きく成長を遂げた進化形がこの作品ってカンジ。

 「桜庭文学」ってマーケティングなどの外的要因によって生み出されるものと、ライフワークのような内的要因から成る作品の二系統があるように思ったりして。
 で、わたしが好きなのは後者。
 今作もその系統に属しているように感じられ、センセ自身の歴史観とか人生観などが顕されていると思うのですよー。


 今作の構成って、編年体……というより紀事本末体?
 3人の女性を中心として年代順に追っているワケですけれど、瞳子という語り部を通してしまると各人の「事件」中心になっているような。
 「物語」はキャラクター商品ですから、紀伝体のほうが盛り上がりには都合良かったりするのかなーと思いますけれど。

 実際、今作では派手な盛り上がりには足りないと思いますが、淡々と流れていく様はむしろ「作品」を引き締める要素に達しているなーと。
 エンターテインメント作品ではなく、別のなにか……みたいな。
 わたしは先述のように今作はセンセのライフワークの系列に連なる作品であると感じているので、そうした静かな運びについてもとても心地よく感じるのです。


 赤朽葉家の三代の女性を中心に描かれているワケですけれど、実際はそのもうひとつ前の世代、タツの存在感も大きくあるのですよね。
 でもタツが中心のひとりたりえなかったのは、語り部たる瞳子から時代を遠く離れた人だったせいもあるでしょうけれど、やはりなにより「山の民」の血族に連なっていなかったからでしょう。
 山の上の「赤朽葉家」という舞台も、発端となったタツという彼女の存在も、トリガーではあったけれど物語の歯車でしかなかったというか。

 「山の民」とはこれまたわたしのツボなところを突いてこられてまいりましたけれど、考えてみれば「桜庭文学」の語り部や視点となる存在って、広い世界から置き去りにされた疎外感といったものがあったなぁ……と。
 主流派ではない、といった隔絶した雰囲気。
 「たたら」もそうですけれど、職能民として人々から畏怖を受けても完全にはこちらの世界に同化しきれなかった存在というは、まさに「桜庭文学」の主役を収めるに相応しい人々であったなぁ……と思うのです。

 ラスト、語り部の瞳子は、そのままの存在で未来へ歩むことを覚悟したワケですけれど、それはまた「同化しきれなかった」同胞と同じ道を歩んでいくのだなぁと思ったワケで。
 異端であっても、それが誇りとなるように。
 人と違うことは寂しいことではなくて、素晴らしいことだと。

 今作ではあまり重きが置かれていませんでしたけれど、恋愛観でも「桜庭文学」ってそういった傾向があるかなーと思ったりして。
 愛しい人を理解して受け入れることが全て正しいのではなくて、受け入れられない部分があるから恋愛は趣があるといった前向きな諦観(変な日本語ですが)を感じられるのですよー。
 そゆとこ、好きなのかもデス。


 作中、少し雰囲気を変化させるのは祖母である万葉の臨終の言葉。
 この要素が作品に一気にミステリ色を与えることになるのですが、この手法・構成は判断が難しいかも。
 わたしはフルコースの最後にもう一品サプライズがあったように感じたのですけれど、それまでの基本的な流れを堰のように止めてはいまいかと感じたのも事実。
 状況はすでに終盤に入っているところであるので、この程度の堰では流れを完全に害することはできずに、大きな力で押し流していったとは思うのですけれども。
 んー……。
 少しばかり、トゲのように残ってしまったかなぁ……。
 けっして悪い印象ではなかったのですけれど、ね(^_^;)。


 三人の女主人の中では、真ん中の毛毬の生き様が印象深かったり。
 語り部の瞳子はお祖母ちゃん子ということもあって孫と祖母のつながりは割と強く感じられるんですけれど、毛毬との絆は希薄だったなーと。
 それは万葉の意識は長子の泪に向けられていましたし、ただでさえ母子の関係は微妙なのに瞳子と毛毬の間にはそれらしい関係を築けませんでしたから、むべなるかなというカンジ。
 毛毬の存在をわたしが印象深く記憶しているのは、やはり一瞬の流れ星のほうに煌めいて、そして去っていった輝度の高さのようなものでしょうか。
 去り際をはじめ、他のふたりにくらべて鮮やかすぎるんですよ。


 もうひとり印象深いといえば、出目金こと黒菱みどり。
 世界にはじかれそうな「桜庭文学」の主人公を、こちらがわにつなぎとめる重要な役割があったように思うのです。
 それが女という生をもっていたことが、また、「桜庭文学」らしい配置であったと言えるような。
 主人公よりも、桜庭センセの作品には欠かせない役割だったなぁ……。


 起点となる場面では敬語になる瞳子も面白いキャラクターだったと思います。
 「だ・である」の文体が、急に「です・ます」に変わるものだからー。
 意識せずにやれば、それはただの統一感喪失でしか無いでしょうけれど。
 むしろ音楽でのシンコペーションみたいな技術だよななぁ……と感嘆。
 緊張感を生み出して、そこで読み手の意識を集中させるというか。


 ……とまぁ、大きな部分でも小さな部分でも、技巧的に凝らされて読み応えのある重厚な作品でした。
 新年早々、すごかったわー。
 


(ラノベ指数 14/49)

『花咲く丘の小さな貴婦人 寄宿学校と迷子の羊』 谷瑞恵 著

 ここまで前向き前向きで根性座っているヒロインっていうのも久し振りかも。
 簡単には引き下がらない強い気性が気持ちいいったら!(笑)
 それもただ我を通しているワケでは無いのですよねー。
 理不尽なものを理不尽と言うことの素直さというか。
 時代背景(舞台)が強いている横暴さへの反骨心ですから、読み手のわたしも応援しやすいカンジ。

 女性がまだまだ社会の中で貶められていた時代。
 男女が平等であるとの考え方は進歩的すぎて。
 オンナノコである主人公は、もう物語当初から窮屈さで押し込められている状態なワケで。
 物語のトリガーというかスイッチが入っている、と。
 しかも両親を亡くして、唯一の肉親となる祖母のもとへ身を寄せたら、異国の女に生ませた娘など知りません!と拒絶され……。
 ああ、これでもかと押し寄せる悲劇の前に、落ち込んでいるような主人公ではやっていられなかったのですね(笑)。

 そうした主人公・エリカが、寄宿舎で生活していくうちに男女の別なく仲間を作っていったという事実は爽快感が。
 クライマックス、窮地に陥った彼女のために、みんなが助けに馳せ参じるシーンでは嬉し泣きしてしまいましたことよ(T▽T)。

 下級生の“お姉さん”的ポジションにいつの間にか収まっていた……というのも、十分にイメージできますねぇ。
 監督生のジェラルドはもちろん男性の“ガキ大将”でしたけれど、エリカは女性の“ガキ大将”みたいな存在になっていたのではないかと(笑)。
 カリスマっていうのかなー。
 彼女のためなら!って思わせる魅力がエリカにはあったと思うのです。
 時代に求められるような“淑女”の定義には当てはまらないでしょうけれど、それは確かにオトコノコが動き出すきっかけになる“女性”の魅力であったかと。


 ああ、その“ガキ大将”ジェラルド。
 いきなり報われない恋しちゃってるね!(笑) ←ヒドイ
 今作ではイチバン動いてイチバン活躍していたっていうのに……つらいねぇ。
 わたしが見たところ、ロジャーの魅力って出会いのシーンしかなかったように思うんですけれどっ。
 しかしそれが物語の強制力というもので……(^_^;)。

 エリカのおかげで一歩成長したカンジのイザベラも可愛かった〜。
 んでも、まだまだ頭が固くでネガティブ要素のあるイザベラには、オンナノコのあしらいが上手そうなユージーンがお似合いさねっ!(≧▽≦)
 男性との交際をかたくなに拒みそうなイザベラでも、彼なら余裕で付き合っていけそう(笑)。

 えーっと、まぁ、そういう消去法でー……ジェラルドにはドロシーがお似合い、か、な?(苦笑)
 そういう言い方は失礼ですけれど、んでも、賑やかなカップルになりそうなんだけどなー。


 ガール・ミーツ・ボーイ……ではあるのですけれども、それより抑圧された精神の解放といった「シンデレラ」や「小公女」と同じ物語構造が好みでした。
 終盤で逆転劇って、やぱしカタルシスに震えるわ〜(^-^)。


 桃川春日子センセのイラスト、久し振りに見たーっ!
 細かな線で描かれるセンセの絵、好きなんですよーん。
 カラーよりモノクロのほうが丁寧かつクリアに見られるという、昨今では希有なかたですね(^_^;)。
 今以てアナログな描き方にこだわっているかたなんでしょうか。
 だが、それがいい!(≧▽≦)


 ヴィクトリア期の英国。
 『伯爵と妖精』シリーズからの息抜きってカンジで上梓された雰囲気ありありなんですけれど、この寄宿舎でのお話、もっと読みたいですなぁ……。
 

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