○● 読書感想記 ●○
2006年 【10】

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銀盤カレイドスコープvol.8

銀盤カレイドスコープvol.9
19
20
 
『銀盤カレイドスコープ
 vol.8 コズミック・プログラム:Big time again!』
『銀盤カレイドスコープ
 vol.9 シンデレラ・プログラム:Say it ain't so』 海原零 著


 外的要因に物語の始まりが由来する作品というのは少なくないと思います。
 主人公を襲う不運、事故や怪我、家庭環境、友人関係、恋愛……などなど。
 どれもトリガーとしては真っ当なもの。
 ことにスポーツ物というジャンルでは、それら外的要因によって競技への道が閉ざされた主人公の復活劇というものが少なくなく。

 んがしかし。
 競技への意欲が外的要因のみによって妨げられるものであるなばら、なにもスポーツという枠に限らず物語は成立すると思うのです。
 肩を壊した野球投手も、利き腕の腱をを切ってしまったピアニストも、財政削減で廃止されるスポーツチームも、借金で閉鎖される工場も……。

 物語はどれも、要素の見せ方を取り換えた類似形……と言えたりもするのですから、そうした別ジャンルへの転換可能なことも、けして問題あることとは思えません。
 ましてスポーツ物では、逆境から這い上がるハングリー精神が好まれるところでありますし、そうした目に見える有形の「逆境」はスポーツ・ジャンルでは相性が良いのでしょう。

 では『銀盤カレイドスコープ』という作品が、ほかの多くのスポーツ物と同じく、越えるべき障害が外的要因によってもたらされているのかといえば違うのではないかと。
 作中でタズサも触れている通り、彼女の境遇は日本の平均的家庭のレベルからすれば富裕層に位置するものですし、そんな経済的余裕があればこそフィギュア・スケートに没頭できる毎日があるのです。
 少なくとも彼女がフィギュアを続ける「有形」の逆境は見当たらないのです。
 それは見方を変えれば、彼女はいつフィギュアから離れることになっても当然だといえる状況にあるということでもあります。

 ところが、彼女はフィギュアを続け、またフィギュアから離れられない。
 外的要因では動いていない物語は、もちろん、彼女の内面にトリガーがあるということなのですよね。
 そんな最初の立ち位置が既存の作品──スポーツというジャンルの枠だけでなく、多くの物語のなかで異彩を放っているのではないかなーと思うのデスヨ。
 この作品ならではと言えるような特異性。
 フィギュアスケートという題材や、主人公タズサの尖った性格などがこの作品の魅力の本質ではなく、出立点から他の作品にはない魅力を持っているのではないかと。

 シリーズ最終章となるこの2冊では、やはりというべきか、立ちはだかる最高にして最強の存在、女帝リア・ガーネット・ジュイティエフとの対決が描かています。
 それはスポーツ物としては、当然あるべき展開でもあるわけで。
 んがしかし、それでもタズサを取り巻く状況は、リアとの対決を強制付けるものではないのです。
 彼女は、勝負から下りても良かったのです。
 では、何故──タズサはリアとの勝負を挑んだのか?
 負けたくないという反骨心も、もちろんあったかもしれません。
 逃げたくないという自尊心も、当然あったでしょう。
 でも、わたしは思うのです。
 「至高の存在へ──」
 それを望んだから、彼女は負けたく無かった。逃げたくなかった。
 求道的精神とも言える内的要因が彼女を動かし、物語を生んだと思うのです。
 それが『銀盤カレイドスコープ』という作品を、凡百のスポーツ物とは一線を画したポイントなのではなかったかと。

 あとがきによれば、この作品が「スポ根」と評されることに、海原センセは戸惑いを覚えているそうで。
 んー……。
 「スポ根」って勝利条件を外的要因へ求めるところがあるのに対して、内面を見つめる求道精神とは違うんじゃないかなぁ……。
 そんなわたしの解釈でも、この作品、「スポ根」ではなかったような。


 勝負に勝って、幕を下ろす。
 それは、ことスポーツ物においては必然とされるフィナーレだと思います。
 だけれども勝負が行われる場が、一般に考えられる最高の場である必要は全くなく。
 この場合、勝負に勝つことが主であり、舞台は二の次でもあるワケで。
 もしそれでは盛り上がらない、または物語が締まらないというのであれば、それは物語の出立点が外的要因にあることが理由なのではないかと思うのです。
 今作はタズサの内面によって描かれる物語であるため、勝負のステージは、タズサと、リアをはじめとする輝かしいライバルたちさえいれば成立するのです。
 こうしたジャンルにおいてはイレギュラーとも思える展開が許されるのも、この作品ならではの魅力であり特異性だと思います。

 いや、まあ、よくもそこまで叩き落としたなぁ……と思ったもので。

 でも、オリンピックへの鬱屈した想いや、ライバルたちの動向、試合に向けるメンタリティなど、vol.1&vol.2を大きな伏線としてなぞっているなぁ……と感じて嬉しくなったりして。
 あの頃の成功と失敗があるから、今回の流れが活きてきているな……と。
 より、大きな起伏となって、です。
 まさに、シリーズを追いかけてきて良かったと思える瞬間です。


 本当はもっと個々のキャラクターについて語るべき部分があるはず。
 んでも、それ以上この最終巻では物語としての魅力に気付かされ、それを語らずにはいられないのです。


 しかしながら、万事に好感できたかといえば、必ずしもそうではなく──。
 例えばピートのこと。
 最終巻ではなんらかのフォローが入るものかと思ってもいたのですけれど。
 でも、彼の件をここで大きく持ち出すことが無くてもわたしはさして落胆もせず、それで正解であったと思えるのです。
 スポーツ物として、真っ当に終幕を迎えることができたと思うので。
 もし間違いがあるとしたら、むしろvol.1&vol.2の投稿作のほうにあったと思うのです。
 あえて述べるなら、不要なファクターであった……と。
 んがしかし、ピートの存在が無ければ純粋にスポーツ物としての見方しかされず、ライトノベルという枠組みでは脚光を浴びることはなかったかとも思うのです。

 ガジェットによらずライトノベルを刊行する意志があるのか無いのか。
 それは今後のスーパーダッシュ文庫の刊行作品を見て判断することに。
 もし1作たりともそうした作品を刊行できないのであれば、それはSD文庫のみならず、ライトノベルの限界という枠を設定してしまうことになるのかもしれません。

 もうひとつ、それは「あとがき」に関してです。
 どうも海原センセという御人は、自らの発言に意図せず刃を差し込む傾向があるように感じられるのです。
 先のアニメに関しての発言しかり──。
 今回に関して言えば「しばらく市場原理に向かい合おうと思います」というくだり。
 売れる作品を上梓していこうという意欲なのでしょうが、読み手のレベルに合わせてやろうといった傲慢さを感じてしまいました。

 『ブルーハイドレード』が受け入れられなかったことが、そこまで憎かったのかなぁ……。

 そんなあとがきが、わたしの中で後味を悪くしてしまったようで、残念でした。
 とりあえずは、次回作を待つことにしましょうか。
 海原センセが向き合った市場原理というものの判断を愉しみに(イジワルですね)。
 

18
 
『チーム・バチスタの栄光』 海堂尊 著

 キャラクター小説としては好きでも、推理ミステリとしては納得できなかったり。
 丁々発止に繰り広げられる会話の緊迫感とかは非常に好みなんですけどー。
 いざ謎を追う段になると、事実を披露するだけのわたしが苦手なタイプ。

 Aは現実にありうる事象なので、Bという事象を起こすことは可能だった……って口頭で説明されてもなぁ。
 文献探って論述を見つけて、やっぱり!……って、そこにドキワクする緊迫感は無いんではないかなーと。
 共感対象である主人公(探偵サイド)が、その身で経験してこそ読み手にも伝わってくる──考える、推理するきっかけが与えられるのではないの?

 医療過誤の疑いから端を発している作品(事件)なだけに、専門的なところへガジェットが踏み込んでしまうのは仕方ないでしょうし、またそうした専門性が今作の大きな魅力になっているのも事実。
 それは認めざるを得ません。
 んでも、専門性とは、つまり「書き手=犯人」に優位性が与えられている「知識」であり、それを作中で「読み手=探偵」に委譲していくこと蔑ろにしてしまっては、推理もなにもあったものではないと思うのですが。


 とまあ、そんな次第で、推理ミステリ部分は専門性が目を引いたぐらいであまり感銘は受けなかったりして。
 少なくとも「このミステリーがすごい!」大賞を受賞する理由には思えなかったという。
 でも、推理ミステリ部分以外に目を向けると、先述の会話の躍動感などに代表されるキャラクター性の強調や、物語をエピローグの段まで描ききるというエンターテイメント性などが、既存の推理ミステリにはなかったサービス精神を発揮したかたちとなって、それが受賞理由になったのではないかな……と思ったりして。

 んが、しかし──。
 そういう部分って、ラノベでは普通に要求されているサービスだったよなぁ……と思ってしまうのデス(^_^;)。

 米飯を主食にしている国の人間からすると、パン食中心の国で作られたライスバーガーってどこか変……って思ってしまう。
 そういうことなのかもしれません。
 


17
 
『王子に捧げる竜退治』 野梨原花南 著

 作品の枠を越える形で「多元宇宙」を構成するなら、双方の世界に通じているガジェットには、とても重い存在感が必要となると思うのですがー。
 たとえば野梨原センセの作品の中で、何が、誰が、その地位に達することが出来るのかと問われれば、なるほど確かに「流浪の美貌の大賢者」スマートは、それだけの存在感を持っているなぁ……と感心してしまったりして。

 ジオとかダイヤとかは「ユニバース」としてのひとつの作品を表現するにはまさに適当な存在だと思うのですけれど、彼らではあまりにも固有の世界を体現しすぎてしまうというか。
 すでに、それだけのものを彼らは背負ってしまっているのですよね。

 そこへいくとスマートは、もっといい加減で、どんな世界であろうと身に馴染むといいますかー(笑)。
 あっちにもこっちにも、どこにでも顔を出す野次馬根性をもった、トリックスター的な存在のほうが、きっとたぶん似合っているんでしょうね。

 異世界モノ(多元宇宙、マルチバース)の御伽話や古典ファンタジーで、世界をまたにかけて活躍する存在に子どもが選ばれるのは、そういう意図があったりなかったり?(^_^;)


 ま、そんな世界構造への関心はさておいて。
 本編のお話。
 ……読み進めていると、やっぱり野梨原センセの筆致って好きだわ〜って思わされたりして。
 てらいも、ふっかけも無しで、硬派に真実を語ってくる姿勢が。
 物語の演出のために台詞があるのではなく、伝えたい言葉があるから物語が紡がれるというカンジがするのですよ〜。
 直球とかそういう技巧的な部分でのハナシではなくて、物事の本質だけを切り取った純粋さに打ちのめされるというか。

 もっと──控え目に、遠回しに、雰囲気を盛り上げて語るようであれば、もしかしたら更にたくさんの人に目を向けられるのかも。
 でも、そんな飾った部分には意欲が無くて。
 この世界には──わたしみたいに──これだけの言葉でも通じ合う人がいると信じられているのだなぁ……なんて。
 そんなセンセの言葉に感慨を受けられる自分が、ちょっとだけ嬉しかったりしてね(^-^)。


 読んでる途中で、シリーズにはせずに今巻で終わらせるつもりなのかな?って感じちゃってー。
 事態の進み方が尋常じゃなかったんですもん。
 もっと、こう……事件を起こすとか、キャラを動かすとか、普通ならあるべきシーンでもサクサクッと進んで、要所要所を飛び石のようにつないでいく感覚とでも申しましょうか。
 そしたら、あとがきよんで、ああやっぱり……と。

 『ちょー』シリーズを好きなわたしとしては、こういうかたちでの再会は、嬉しさ半分、寂しさ半分……ってトコロでしょうか。
 どういった形でも続いて欲しいと思う反面、綺麗な想い出を穢される不安も……。
 ファン心理は複雑です(苦笑)。

 まぁ、担当さんの強いプッシュがあったりしたみたいですし、水面下で動いていたり、あるいは売上次第で……という可能性も夢見たりしますけれどー。
 とりあえず、今作を少しでも気に入ったかたは、『ちょー』シリーズのほうもよろしくお願いいたしますということで。
 『よかったり悪かったりする魔女』シリーズよりは、やぱし雰囲気は近いと思いますしー。
 ……どちらかというと、野梨原センセの本質は『ちょー』シリーズのほうだと、わたしは思ったりしているのですよー。
 「書きたいだけ書かせていただいた」シリーズだそうなので、そりゃそうですわね(笑)。
 


16
 
『繙け、闇照らす智の書 幻獣降臨譚』 本宮ことは 著

 アランダム騎士団に来てからのアリア、立派になっちゃってもう。
 成長著しいっていうかー。
 光焰との契約で自分を許せるようになったからでしょうか。
 ──生きていてもいいんだ、って。

 それで驕るようなら並の主人公ですけれど、そうならないあたりがアリアっていうか。
 どこまでも控え目。
 前向き……っていうのとは、違うかなぁ(苦笑)。
 むしろ飢えていると表してもいいかも。
 貪欲?
 大きな器に必死になって水を溜めようとする、焦燥感のような。
 そういう努力はステキなのですけれど、誰か、そばで支えてあげられるようになると良いデスネ〜ってかんじ。

 ライルがとりあえず手を挙げた形ですけれども、離れてますしねぇ。
 まだ出番では無い……と(笑)。
 素性が明らかになってきたシェナンが一番手かしらん。
 ツンケンしたところからの反転攻勢って、定番ですものねー。
 シェナンがアリアを意識し始めるのが、いまから楽しみでたまらんです!(笑)

 まぁ、実際にそうなるかどうかはわからないですけれど、この巻でアリアのことを見直したというのは事実ですよねー。
 愚直なまでの努力する姿。
 とてもストレートな流れで、素直に好感。

 いや、まぁ、ここまで順風過ぎて恐いくらいなんですけれどもー(^_^;)。
 次巻での探索行はクリア前提の強制イベントみたいなものですしー。
 とりあえずは、無事……かと。
 気になるのは、騎士団内での陰謀絡みですか?
 ……あれ、犯人がマルチェだったりしないかと、ちと不安。
 そこまであからさまなことは……しないか(苦笑)。


 ああ、ディクスはすっかり影が薄くなっちゃって、このままフェードアウトしてしまうのではないかと、そういう方向での心配が。
 ユリストルのほうが、前に出てるような(笑)。
 パジャンのもとで、一発大逆転な発明するしかないですな、これは。


 新キャラのイヴリーダとか、女性キャラはみな意志がハッキリしていて好きー。
 先は長そうですし、楽しみなシリーズになってまいりましたヨー。
 

15
 
『ハチドリのひとりずく いま、私にできること』 辻信一 監修

 森に火事が起こって、動物たちがみな逃げ出すなか、ハチドリだけがくちばしで水を運んで消火にあたる。
 そんなハチドリの姿を見て、他の動物たちは「なにをしているんだ」と問うたところ、ハチドリは──
 「ぼくはぼくにできることをしているだけ」
 ──と答えた。

 ……まぁ、それだけのお話なんです。
 そこから、なにを感じるかは、ひとそれぞれということで。
 いちおう、この説話を伝えている現地の人は──
 「他人をバカにしたり非難したりする暇があるなら、自分になにができるのか考えるほうが有益」
 ──みたいなことを教えとして感じているようですけれども。

 初めに興味を引かれたのは、第一稿の翻訳では
 「日頃威張り散らしていた熊は真っ先に逃げ出して──」
 ──と訳したところ、それでは熊が「悪」でハチドリが「正義」になってしまうとクレームが付けられたというくだり。
 もとのお話にそのような善悪論は含まれていないと考えている、と。
 ああ、なるほどー……と思ったりして。


 たまに、この手の「優しい教え」みたいなものに目を通したくなるのですね、わたしは。
 その後の人生において、非常に役立つかどうかは……微妙なところですけれども(苦笑)。
 ひとときの癒しを求めている、みたいなものでしょうか。


 先述のお話は、ものの10ページ足らずで終わってしまって、残り数十ページは有名無名な様々なかたの類似の「前向きメッセージ」で埋められていたりして。
 企画モノとはなるほどこのように構成するのだなと、妙な感心を(^_^;)。

 わたし的には、そのようなメッセージの類は要らないので、絵本のようなカンジで収めていてくれたらなぁ……と思ったりしたのですけれどー。

 ああ、でも、そのメッセージの中で、唯一気に入ったものが、南米のマチゲンガ族の方々の挨拶。
 「おまえはそこにいるか?」
 ──が、挨拶の意味というもの。
 存在してくれることが大切だ……と解説されていますが、はたしてどうなのかな?
 これもまた監修における誘導なのかもしれないなーとカンジもしましたので。

 んでも、相手の存在を確かめることが挨拶って、「元気ですか?」なんて体調を気遣うより、もっと根源的な部分で交流が始まるようで素敵だなと思ったのです。
 

14
 
『つきのふね』 森絵都 著

 コミュニケーション不全を起こしているキャラクターって、物語のトリガーになりやすいんでしょうか?
 昔はもっとかっちり動くキャラクターが目立っていたような気がするのですけれど、これも時代性なんでしょうか……??

 まぁ、失ったにせよ、生来から備わってなかったにせよ、なにかを得ようとする行為は、なるほどたしかに物語たりえますか。
 そんな、回復の物語。

 人を知ろうとする行為をコミュニケーションと呼ぶなら、その行為に完全な終わりは無く。
 辿り着いた──知り得たと思っても、それは対象のある一面でしかないことは当たり前で。
 本当に「その人」を知りうることなんて無いのだろうなぁ……と思わされます。
 だからといって、知ろうとする行為──コミュニケーションを否定するには至りませんけれども。
 「その人」が大切な存在であるなら、なおさら。
 知りたいと思うこと。
 それが、愛情なのかな……って。

 んがしかし、Notストーカーですよ。
 ストーキングは「知る」ことに目的があるのではなく、「自己保全」に目的があると思うので。
 だもので、途中での勝田くんの行為は気持ち悪かったデス。
 中盤を過ぎたあたりから、目的が変化したために、彼の行為そのものも変化していって、枷を解かれたカンジがしたのが良かったです。
 あれをそのまま勢いで肯定されても……(苦笑)。


 解説のかたも仰ってますけれど、完成度は『永遠の出口』のほうが上であっても、魅力は今作のほうが上……に感じます。
 『永遠の出口』は、ちょっと傍観者過ぎるスタイルが気に障るのかも。
 今作のほうが、「事件を解決する」という物語軸において、登場人物が必死になって働きかけているあたりを、わたしは好感しているのだと思ったりして。


 でも、まぁ、なんちうか……。
 ラストシーンの唐突さは、やぱし文芸だなー……と苦笑してしまったりして。
 森センセは今作を児童書として上梓したそうなのですけれど、仮に子どもたちへ読み聞かせたとしたならば──
 「それで、みんなはどうなったの?」
 ──って尋ねられると思うんですけど。

 私見ですけれど「──ふたりは末永く一緒にくらしましたとさ。めでたしめでたし」って結べない作品って児童書じゃないような(べつに幸せでなくてもかまいませんが)。
 作中でどれだけ示唆に富んでいて考えさせるように展開させていても、結びでは「終わりである」ことを示すべきなのではないかなーと。
 オチで考えさせるのは、ちょっと高等テクニック過ぎやしませんかね……ってことでー。
 

13
 
『ダナーク魔法村はしあわせ日和 〜都から来た警察署長〜』 響野夏菜 著

 辺境に飛ばされた、エリート警官……というシチュエーションに、『辺境警備隊』を思い出すわたしは、きっと若くない……(^_^;)。
 でも、本音を言えば──ちうか、同じシチュエーションでありながら、わたしに与えた影響力の多少を考えると『砂の民の伝説』かなー。

 この作品でも左遷されてきた理由に、都でのキナ臭い動向が背景にあるので、物語が進むにつれて都での事件の裏が明らかにされていって、やがては都へ舞い戻って事件解決!……とかなのかしらん。

 ジャンル「田舎モノ」って、まったり・ほのぼの系の王道なんですけれど、物語の起伏に乏しいキライがあって、わたしの場合、途中で飽きてしまうことがしばしば。
 なので、田舎暮らしの良さを描いたあとは、世界的な大事件に巻き込んでいってほしいなー……と思ったり。


 そんな次第で、ジャンル「田舎モノ」に相応しいスタートでした。
 左遷されてやさぐれていた主人公が、純朴でスレていない村の人々と交流していくなかで、久方ぶりの心の平穏を得る……といった。

 穏やかな生活のなかでほのぼのとした事件を見つめていく「日常モノ」と違って、こちらは冒頭から主人公が落ち込んだ状態で始まるので、そのギャップが物語として活きてくるのですよねー。
 大きく括れば復活劇でしょうし、傷ついた主人公の癒しの物語でもある、と。

 主人公と共感する読み手も、せちがらい現代社会においては誰もが傷ついているので、その癒しがじんわりと、しかし確実に効いてくるのでしょうねぇ。
 なんちうの、TV番組で「旅モノ」が外れない理由、みたいな?(笑)


 響野センセの既作は何冊か読んだことがあって、その際に筆致に引っかかるものを感じたのですけれど、そうした感覚は今回もあったりして。
 んー……。
 でも、全体としての雰囲気は好きなので、今後の展開を楽しみにー。
 

12
 
『書店繁盛記』 田口久美子 著

 書店で働いた経験を持つ身として、あーわかるわかるー……と親身に感じるエピソードがある反面。
 なんでしょうか……。
 後半……読み進むにつれて、居心地の悪さを覚えてしまったのです。

 過去と現状の分析と把握については精緻なのに、未来へ向けての展望感に欠けている……ような?
 システムにおける書店員の限界をあらわにしてしまっているような気がします。

 狭い業界の、ある一部分の裏事情を知る楽しさと気まずさ。
 著者のかたは「知ってほしい」からこそ上梓したのでしょうけれど、わたしに残った感情は「知らなければよかった」。

 業界としてどうあるべきなのか、どう変わっていくべきなのか。
 もっと明確な指針が、たとえ夢物語だとしても欲しかった気がします。


 書店の価値は変わらずにあるとしても、中間マージンを廃することが目立つ流通業界に置いては淘汰されていく位置にあるかなぁ……やぱし。
 もはや棚に本をそろえてお客を待つようでは遅くて、コンシェルジェよろしく、読書の楽しみを供するようでないとダメ……なの?
 書店に足を運ぶ人は、そもそも本を読む意志を持っているワケでー。
 いかに普段、本と接する機会を持たない人へ訴求していくか。
 戦いの場は書店の内にあるのではなくて、外にあるのではないかと愚考したり。
 


11
 
『戦闘城塞マスラヲ vol.1負け犬にウイルス』 林トモアキ 著

 二十歳の引き籠もり(無職)が主人公って、ラノベにしてはチョイ年齢高めでシリアスな主人公設定かしらん?
 でも、そんな設定が相応しいような気がする、シュールな展開といいますかー。
 人生の縁に足がかかっている境遇だからこそ、ハッタリや機転に味が生まれてくるような。
 わずか二十歳の若造とはいえ、生きるか死ぬかを考える人生から備わった重みというか。

 まぁ、リストラされて家族にも見放された50歳代のサラリーマンのかたが持つ重みに比べるとまだまだかもしれませんけれど、そこまでいくとラノベの範疇ではないと思えますし。
 また、そういった方々と、この年頃の青年に降りかかる悩みの種類って、似ているようでも違う気が。
 ……つまりは、エッジな設定かもしれませんけれど、十分にラノベの範疇なのだなぁ、と。


 いや、しかし、襲いかかってくる試練の数々を行き当たりばったりでかいくぐっていく主人公・ヒデオの生き様には不思議な爽快感をおぼえたりして。
 もちろん、要はハッタリで生きているので、同時に笑いもこみあげてくるのですけれどもー(笑)。
 そんな楽しさがあるから、興味が尽きないのですね。
 次はどんなふうに試練を切り抜けてみせるのだろう……と。

 でも初戦の大佐との戦いで示したように、根拠の無いハッタリとは言い切れないところも魅力ですか。
 限りなくゼロに近かった勝率が、ヒデオの機転にかかれば勝率5割までアップする。
 5割で負けるとしても、絶望的に負け戦だったことを考えれば十分すぎるほどの可能性が生まれたわけで。

 この物語が始まるまでのヒデオは、人生に諦め欠けていたわけですけれど、いやはや、どうしてどうして、かなり諦めの悪い性格してますよね。
 もちろん、その強い意志は「失うモノは何もない」という開き直りから来るモノなのかもしれませんが、前向きな思考であるのは事実。
 そしてその考えが、諦めない意志が、ヒデオを勝利に導いているわけなのですし。
 そういう姿勢が好感なのです。


 前作や前シリーズとの絡みも、やぱし嬉しいことは嬉しかったり。
 『お・り・が・み』だけでなく、『ばいおれんす☆まじかる』も絡んでますよー。
 エルシアのお兄さん・エルシフのことを知りたければ、『ばいおれんす☆まじかる』をどうぞ!
 あー、エンジェルナイトのことは、わかるようでわからなかったりしますけれど(笑)。

 そんなエルシアの「ちゃんと注意するなら、306ページ」という口調。
 小張春名先生を思い出したり……


 ほどよくキャラクターを再配置して新シリーズを進めていってくれているように感じるので、よきかなよきかな。
 物語が始まる理由までもが前作の引き……というワケではないので。
 今作の目的は、ヒデオのビルディング・ストーリー……だと思いますし。
 ヒデオって名前、漢字表記なら「英雄」なのかな?

 とりあえずファンとして老婆心ながらヒデオに忠告を与えるなら──
 スライムはヤバイぜ!
 ──ですか?(^_^;)
 これってプチ伏線なのかなー。
 ワクワク♪

 ふざけた遊びを散らしつつも、硬派な主張をブチ上げてくるトコロが大好きです。
 これからも楽しみにしてまーす。
 

10
 
『グラン・ヴァカンス 廃園の天使T』 飛浩隆 著

 書かれていることやガジェットに難解なところを感じなかったのに、物語の全体像を受け入れられなかった、理解できなかったということは──筆致が合わなかったのかなー。

 プログラムによって構築された世界に襲いかかるクライシスとかー。
 ヒトによって作られた存在が数値外の生き方を模索し始めるとかー。
 決して分かりにくいものは無いのですけれども。

 主人公の存在を際だたせるためとはいえ、他のキャラクターの扱いが残酷なまでに冷徹に過ぎたことを受け入れられなかったのかもしれません。
 結果、死を与えられるとしても、そこへ至る過程が痛ましすぎるというか。
 その割には主人公に与えられる試練が、どうにも軽すぎるように思えるのです。
 ……逃げていた気持ちに向き合うという葛藤があるにしても。


 シリーズ物であるということを前提に、千年続いた「楽園」が崩壊する様を今巻で描く必要があったにしても、個々人の事情を挟みすぎな気が。
 冗長すぎるというか……。

 ああ、そうか。
 事件の最重要人物が主人公であるのは当然としても、身を削って解決に動いたような様子を感じられなかったから、なんにしてもわたしが好きになるわけはなかったのかも。
 シリーズ物の1巻。
 結局はそこに留まってしまうのかなー、わたしの場合は。
 

9
 
『アモス・ダラゴン2 ブラハの鍵』 ブリアン・ペロー 著

 舞台の落ち着きの無さが子ども向けっぽい……。
 「今度の舞台は○○だ!」みたいなー(苦笑)。
 ひとつを掘り下げていくより、新しいイベントを配したステージを用意する手法のほうが、関心は引きやすいですもんねぇ。
 TDLのアトラクションっていうか。

 そういった雰囲気だったので、シリーズとしての連続性はあまり感じなかったり。
 でも、今回のラストは思い切り事件を起こして終わらせているので、次巻からは違う雰囲気になるのでしょうか?
 今回アモスに助けられた女の子・ロリアも、助けが必要なら飛んでくる発言してますし、サポートメンバー入りなのかなー。
 ヒロインって格ではなかったですけれど(^_^;)。

 あー、そうねー。
 ヒロインがいないのが、わたしにはちょーっとツライのかもです(笑)。
 アモスの機転や勇気を見るのは楽しいのですけれど、なんていうか、行動起因がピュアすぎる正義って思えてしまうのでー。
 穢れた大人には、眩しすぎるよ(><)。

 女の子のために──っていうのなら、単純に諸手を挙げて喝采してしまえるのですけれどー。


 その「機転」。
 前巻ほど「?」と首を傾げることはなく、わたしにとっては理解しやすい方向へ変化していたような。
 文言に表された因果に馴染みをおぼえるような。

 最終的な事件の解決の仕方も、荒技のような気がしますが、これはこれで……あり、かなぁ?
 これくらいダイナミックに解決してくれたほうが、終わったーって雰囲気が出るのかも。
 

8
 
『アモス・ダラゴン1 仮面を持つ者』 ブリアン・ペロー 著

 HACCANさんのイラストに惹かれてー(笑)。

 子ども向けファンタジーらしく、これでもかってくらいに教訓的。
 大まかに言えば、正しいことをしましょう、悪いことをすれば必ず報いがあります……ってこと?
 でもルールを杓子定規に字面だけで追うのではなく、応用に際してレギュレーションの不備を突くのは不正ではないと教える辺り、契約主義の世界で作られた物語だなぁ……と(苦笑)。
 窮地において自らを助けるのは外的要因ではなく、閃きと知恵……なわけで。

 知恵の発露が子ども向けらしく「なぞなぞ」形式なところも微笑ましいですねぇ。
 古典的な雰囲気のあるなぞなぞなので、文言がちと古くさいなーと感じたりもしますけれど(^_^;)。
 クイズという遊び心からは離れているっちうか。
 このあたりも、ただのファンタジーというより「人生の教科書」としての側面が小さくないのかなーと思ったりして。


 ああ、でもしかし。
 ジレンマに挟まって葛藤する物語側面もちきんと図られていて──。

「きれいだよ、メドゥーサ。君の目は世界で一番きれいだ」

 世界中の神話や伝説が詰め込まれている物語なので、メドゥーサというのは石化の瞳を持つリビアの怪物。
 ゆえにその瞳をのぞきこむことは死を意味するのですけれど、罠にはめられたのだと知っても、好きになった女の子の顔を真っ直ぐに見つめようとする男の子。
 ぬぅ……。
 男の子のピュアさ加減に気圧されるカンジ。
 読み手のわたしが歳とったーってことなんでしょうけれども(^_^;)。

 このあと、主人公のアモスが、メドゥーサを失って悲しみにくれる友人を慰めるために、ちょっと気を回した発言をするのですけれどー。
 その言葉、ちょっと気に入らなかったデス。
 そういう気の回し方こそ、大人の小賢しさみたいで。

 このメドゥーサ絡みのお話は、今作の中でも白眉かなぁ。
 メイン……はカルマカスとの対決とか、ヨーヌ公の罪を暴くことだと思いますし。

 ともあれ、読みやすい正統派ファンタジーという印象は受けましたので、読み続けていってみようかと思います。
 



7
 
『風の王国 臥虎の森』 毛利志生子 著

 YEAH!(≧▽≦)
 あとがきを先に読むどころかラストシーンすら確かめて読み始めることも多い、悪食ならぬ「悪読」なわたしですけれども。
 今回はラストシーンにに目を通して狂喜乱舞してしまいましたことよー。
 これまでも期待させることが多かった朱瓔とサンボータが、ついにっ、つーいーにっ!

 COBALT本誌での増田メグミせんせのコミカライズって、この流れを織り込み済みだったのかなーって思ったりして。
 こうあることが既定路線であるから、その雰囲気を匂わせておくことが目的にあったとか。
 いや、ま、そんなことをしなくても、ふたりはもうカップル認定を受けていたような気もしますけれど(笑)。

 ふたりの関係に焦点を当てつつも、吐蕃を巡る世界情勢を明らかにしていく手法は今回もお見事です。
 ……とは言いつつ、細かなところは流し読みしてたりして(苦笑)。
 吐蕃は大変なんだなぁ……という程度の認識(^_^;)。
 とりあえず、新興国においては、誰しもに価値が存在するということでしょうか。
 朱瓔とサンボータにとっては、国のために果たす価値に加えて、もうひとつ、相手のための価値を認められた……と。
 こんぐらっちゅれーしょ〜ん♪(^-^)


 本文中でも触れられてましたけれど、ガルの雰囲気が変わってきてました。
 一皮むけたというか、言動が純化されたカンジ。
 リジムに対しての鬱屈したモノが無くなったというかー。
 やぱし翠蘭と行動をともにしたことが、大きいのかなと。
 そんな周囲へ影響を与えていく様こそ、主人公らしいとも思えたりして。


 今回は朱瓔とサンボータが中心になっているお話でしたけれど、翠蘭とリジムのバカップルは健在。
 むしろ焦点が自分たちから逸れているおかげか、気楽な雰囲気すら流れているんですけれども〜?

 吐谷渾で川に落ちたときも、こうしてリジムが果実を食べさせてくれた。あのときは指を噛まないように注意したが、今回は意図的にリジムの指を噛んだ。
 そうしてもいいような気がしたし、そうしたと思った。けれど、歯の先からリジムの指の感触が伝わると、ひどく恥ずかしいことをしたような気分になった。
 翠蘭は、身を縮めて口を開いた。
 だが、リジムは手を引かず、翠蘭の唇をつまむ。
 思いがけない反撃に、翠蘭は口の中に残っていた果実を丸呑みし、喉に強い刺激を感じて咳き込んだ。

 あーあーあー。
 なにやってんですか、このふたりはー。
 スウィートすぎるっ!(><)
 いいぞ、もっとやれ!(笑)


 ところで──。
 「当て馬」って、今年のトレンドかしらん。
 今作で朱瓔に求婚したイーガンしかり、『上等。』シリーズの芥川小春、『狼と香辛料』のアマーティ……。
 物語の流れからすれば主人公カップルの破局はほとんどアリエナイわけで、そこへ割って入る「当て馬」は、適度に波風立ててくれる都合の良い存在だなーと思ったりして(笑)。
 


6
 
『鋼鉄の白兎騎士団V』 舞阪洸 著

 焦った〜。
 シギルノジチに与した団員について、「ガブリエラの手の内をよく知る」人物だと現代編のほうで語られたので、それはもう彼女しかいないのでは!?と、ドキドキ。
 実際そうであったら、そんな冷静に語っていられるものでもないので、違うであろうことは分かりそうなものですけれど……いや、でもしかしですねぇ(苦笑)。
 ともあれ、違っていて良かった〜(T▽T)。


 今回はいわゆる解決編なので、さほど目新しい展開があったわけではないのですよね。
 過去編の意味合いっ「、ガブリエラ戦役に至るまでの時間に、白兎騎士団になにがあったのか」をしらしめるところにあると思うのでー。
 であれば、どんな事件が起こったのか、が重要であって、どう解決に至ったかは些末なコトというか、すでに決まっている事実なのであるわけで。

 もちろんガブリエラの智略や如何に!ってトコロには見所があるのでしょうけれど、戦術ならまだしも戦略論を語られるとどうしてもキャラクター描写が薄くなりますし、ちと物足りなく感じてしまったり……(^_^;)。

 しかしそんな中であるからこそ、ジアンとドゥイエンヌのやりとりとかが微笑ましく思えてくる次第。
 ガブリエラの「酷い」ところばかりが強調されてしまって、ドゥイエンヌの真っ直ぐさが愛おしくて仕方がないデスヨ(笑)。

 ほかにも、セリノスのドゥイエンヌ評とか、ウェルネシアの特技とか、少しずつ雛小隊の面々の個性が見えてきて、たーのしー(≧▽≦)。
 団長と副団長は想いのすれ違いから袂を分かってしまったけれど、雛のみんなはこのまま成鳥になっていってほしいデス……。
 ──だから冒頭で焦ってしまったんですけれどもっ!
 姿がかぶるっしょ?
 ガブリエラと彼女って、団長と副団長の関係に……。


 作中でも触れられていた通り、団長は冷静な判断力を欠いていたというのは感じました。
 でも、そう動かざるを得ない、追いつめられていった心境はなんとなくわかるのデス。
 レフレンシアのしたことって、やっぱり傲慢だったとカンジるので。
 ズルイ……というか。

 どんなに優秀な人でも、周りが見えない時期はある……という教訓?
 それに気付くのは、いつだって手遅れになってしまってからなんですけれど。


 次巻は来年3月ですか……。
 いよいよ雛小隊の面々が中心となって活躍する時代に入っていくと思うので、楽しみにして待っています。
 

5
 
『狼と香辛料V』 支倉凍砂 著

 時間外取引と新興市場株の高騰のお話(笑)。

 3巻目ともなればある程度のパターン化はいなめませんけれど、それでもここまでくれば立派に芸の域に達してるかもですなー。
 血なまぐさい暴力的なものではなく、知略によっていかに旧知を切り抜けるか。
 クライマックスでの盛り上げ方は、ほかの作品には見られない、この作品独特な妙味ですよね〜。

 経済は生き物で、その姿を刻一刻と変えるというのなら、物語の展開も時間とともに確実に変化を見せているワケで。
 ページをめくるたびに状況が変わっていく興奮。
 描写を挟んでより深く展開を示すこともできるのでしょうけれど、それをすることは時間を殺すことにつながって、結果として「市場経済」を描くことも逸するのでしょうねぇ……。

 時間を進める緊迫感。
 それをカンジさせる筆致に感嘆してしまうのです。


 もしパターン化の害があるとするならば、クライマックスの在り方ではなく、そこへと至る道筋にあるのではないかなぁ……。
 今回ようやくロレンスとホロ、互いの立ち位置が標されたと感じたので次回からは……とは思うのですけれどもー。
 賢い雌と愚かな雄の話は、ちょっと食傷気味になりかけて──。

 まぁ、しかし。
 そんなパターン化すら定番芸としてしまうほどに、ふたりのキャラクター性が特異で強力なんですけどー。
 このままでイインジャネ?と思わせてしまうくらいに(^_^;)。


 それでも全体の歩みはゆっくりでも、ふたりの距離にも変化が訪れているわけでー。
 『紅』の闇絵さんじゃありませんけれど「答えをひとつ見つけていれば、それで大抵のことは乗り越えられる」ってカンジ。

 人間に与えられている時間は短い──って、達観だか諦観だかしているあたりがまだまだだなぁとは思いますけれど。
 このお話、大本では経済ネタはガジェットのひとつでしかなく、概略では農耕社会が近代化していく時代変遷ものなのですよね。
 つまりは「神」であるホロこそ、物語的(時代背景的)には「死」が確実に待っている存在で。
 ロレンスが恐れているのは(仕方のないこととはいえ)生物的な「死」であって、それが物語的に成されるのかわからない状況が、読み手のわたしからするとなんとももどかしく映るのです(苦笑)。

 時間が絶対の支配者ではないことに、早く気付いてあげてほしいデス。
 


4
 
『ジウV』 誉田哲也 著

 前巻からの勢いそのままにスタートしてるとはいっても、この巻だけでも物語としての起伏が成り立っているので、そらもう盛り上がる見せ場の連続。
 美咲と基子、ふたりのヒロインから見せられる事件の全貌もショッキングというか。
 もうすでに事態は動き始めてしまっているので、彼女たちはその流れに身を任せるほか無いのだけれど、それでも流されるままではいない姿が雄々しいデス。
 誉田センセ作品にある主人公ヒロイン像の系譜、見事に継承していっています。


 壮大な仕掛けをほどこした作品だとわかって、では作品のクライマックスはどれだけのことをしてくれるのかと期待と不安が半分ずつだった今巻。
 しかしそれに十分応えてくれたカンジがしております。
 派手も派手ですし、無茶も無茶。
 でも、そこで描かれたことには、そうした無茶さ加減を納得させるだけの説得力があったように思うのです。
 少なくとも、わたしは騙されました。

 それぐらい大きなコトをブチ上げてくれたほうが、読んでいて爽快感があるというかー。
 理不尽な事件が続発する現代。
 ここで描かれたことは、ひとつのケースとして起こりうるのではないか。
 そんなふうに思わせるくらい、現実に迫っていました。


 そんな事件の全体像に比べると、主犯の「ジウ」の気持ちはとても小さい枠に収まってしまったトコロが、良いのか悪いのか。
 ジウの有り様は、ちょっと物語テイストが強く感じられた部分であったような。
 でも、それって、ジウの気持ちが今回の事件を生み出すだけのエネルギーを持っていたという意味でもありますし、原動力としては十分成りうるモノだなぁ……とも思うのです。
 人の気持ちは、どれだけ壊れていようとも、大きな力を秘めている、と。


 ラストのエピローグも、誉田センセの作品ではちょっと意外なカンジが。
 そもそもこういうエピローグを用意する人だっけ?みたいな(苦笑)。
 初のシリーズ刊行ということで、最後に残しておきたいメッセージがあったのかな〜と感じたりして。
 作家として、ひとつステージを上がられたカンジ。

 警察小説の金字塔……かどうかはわかりませんけれど、シリアス目なエンターテインメント作品として興奮できた作品でした。
 これからの誉田センセの活躍に期待です。

 あー。
 映画化しないかな、この作品(^_^;)。
 

3
 
『ヘブンリー・ブルー』 村山由佳 著

 「天使の卵」アナザーストーリーということで、映画化&ドラマ化に合わせて読んでみたり。

 んーと、アナザーストーリーというよりは簡易版っちうか再構成っちうかー。
 本編と大きく離れた別の物語というカンジはしなかったかなー。
 良き後日談ってカンジ。

 夏姫の物語は『天使の梯子』で倖せな形で結ばれていると思うので、この作品でもその雰囲気は崩されなくてホッとしたりして。
 あのラストで感じられた倖せな空気が、あれからしばらく経った現在でも流れているんだなぁ……と感じられただけでも良かった〜。
 いまさら古傷をいじられても困ってしまうデスヨ(苦笑)。

 あまりに軽く読めてしまったので、作品としての存在意義に悩んでしまうトコロはありましたけれど、この作品の上梓に関してはタイミング的にいろいろと大人の事情もありそうなので、仕方が無いのかなぁ……と。

 結局、ファンだから、いいやー(笑)。
 

2
 
『箱の中の天国と地獄』 矢野龍王 著

 あー、ひさぶりに推理ミステリ読んだ読んだ。
 ……って、その経験に対する感想しか浮かんでこないっちうか。
 こうも物語背景が希薄な作品は、ラノベ読みには悲しいものだわね(TДT)。
 もちっとキャラの立て方とか、気遣いあってもいいんじゃないかなーと思わずにはいられなくて。
 新書1冊かけて追い立てていくトリックへの愛情を見せられるのと比べて。

 キャラとか舞台背景とか、「最低限必要なモノ」どころか「トリックを活かすために必要なモノ」しか無いようなカンジ。
 これはもうわたしの読み方・接し方のほうこそ間違っているとはわかっているのですけれども、トリックの技巧だけを読まされるのは物語ではないわなぁ……と思うのですよー。
 そうして「背景」を蔑ろにしていくことは、やがて「推理ミステリ」の分野を枯渇させていくのではないかなぁ……と、勝手に危惧してしまう次第。


 でも、そこまで配慮を為されて用意されたトリックが面白みの全くないものだったかといえば、けしてそうでもなくー。
 傲慢で鼻持ちならない自尊心のようなものを感じても、ほかに余計なモノを身につけないことを選んだ厳しさも感じますし。

 そして最大のトリック?がラストに待っているわけですがー。
 変化球の「アクロイド殺し」っていうか。
 そのことには少しだけ興味をおぼえたのも事実ですけれど、でも必然性があったとは思えないのも事実。
 それによって衝撃を与える意図なら、もっと作中でミスディレクションをすべきではないかなーと。
 あまりにも突然すぎる気がするのデスヨー。

 そうしたカンジで全体を通しての印象は技巧に偏重しているといったモノ。
 そしてそれは、わたしにとってはあまり気持ちの良いものではなかったというコトで(^_^;)。
 

『ROOM NO.1301 #8 妹さんはオプティミスティック!』 新井輝 著

 千夜子ではなく日奈となら「乗り越えてゆける」と感じたことで、自分には「恋愛は似合わない」と断ずるのは、強引──ちうか、その理屈がわかりませんでした。
 それがこのシリーズの定型だとしても、その形式以上のことを感じ取れなかったというかー。

 この巻……というより、シーナ編は「恋愛」より「生き方」と向き合うお話のように感じているから余計にそう思ってしまったのかもしれませんけれど。
 日奈とは恋愛関係になり得ないと線を引かれているから、これまでの展開とは異なる趣きを見せているのは仕方がないとしてー。
 このシリーズって「健一の恋愛を探求する物語」なんですよね?(折り返しによると)
 ことシーナに関わる限りでは、この視線からは外れているのではないかなぁ……と思ったり。
 物語の良し悪しとはまた違ったハナシで。


 そろそろ人物関係が多重化してきたので、相関図が欲しいトコロ。
 健一と関係を持ったヒロインにマークを付けて紹介する一覧とか、以前はカラー口絵にアイディアがあったように思うのですけれど、ここ最近はフツーになっちゃったカンジ。
 もっとデザイン的にも凝って欲しいなーと思ったりする次第。
 

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