○● 読書感想記 ●○
2006年 【8】

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20
 
『ボトルネック』 米澤穂信 著

 うわぁ……。
 これはちょっと受け入れがたいなぁ……。
 物語の筋は通っているんですけれど、その筋の通し方がこうもアンダーだと……。
 青春というモノに光と影があるなら、まごうことなき「影」の部分を切り取られて描かれているワケで。
 光の存在が強烈なだけに、影が色濃くって、もぉ(TДT)。

 甘っちょろいわたしは、それでも、それでもーっ!と思いつつ読み進めていったワケですけれど、ラストで轟沈。
 あ、違うか。
 すぐには沈まなかった(理解できなかった)けれど、しばらくしてラストの意味するところが見えたときに一気に沈んで──ってカンジかな。
 そのラストへの勢いづけ方は、まさに天晴れ。
 ブレーキ壊れた自転車だと分かっても、気付いたときはもう下り坂でした……みたいなー!


 いや、でもしかし。
 全体を通しての沈鬱な世界に目を奪われますが、その中で生きる主人公の描写については、これまた腕を上げてこられたなぁ……と感じます。
 単調になりがちな展開を、ところどころ見せ方やリズムを変えて注目を集める筆致とかー。
 すごく勉強になるわ(^_^;)。


 米澤センセの作品につけられるオビのコピーは秀逸だと常々思っておりますが、今回もまた素晴らしいっちうか、見事に要素を切り取ってきたというか。

懐かしくなんかない。爽やかでもない。
若さとは、かくも冷徹に痛ましい。
ただ美しく清々しい青春など、どこにもありはしない──。

 ですって。
 これはグサッとくるね、ハートに。
 生ぬるい感情を一刀両断にされる気分。


 この作品、センセの中で何か思うことがあって、読み手に伝えるよりも形に残すことを優先して描かれたものなんじゃないかって気が。
 なのに読み手の存在を無視できない中途半端なエンターテインメント性が、どこかで邪魔になっている、持て余しているようなカンジを受けます。
 実験作……とは違うのでしょうけれど、そろそろ米澤センセはジャンルにこだわらずに描かれて良いのではないかと思っています。
 もう、「青春ミステリの旗手」なんて売り文句、不要じゃないかなー。


 大学生が集まって、焼いたベーコン食べる話が読みたいデス(笑)。
 


19
 
『Sweet Blue Age』 共著

 「いま、最も鮮烈な7人の書き手がおくる青春文学ベスト・トラック集」とのことで、上記の著者名では共著で済ましております。
 わたしの普段の読書テリトリーからでは、桜庭一樹センセとか有川浩センセとかが執筆されております、がー。
 桜庭センセのあれって『七竈』の1話ですし、新鮮味無いー。
 むしろ『塩の街』が性に合わなかったために、その後の作品に関心無かった有川センセの短編は、ちょっと衝撃的でした。
 えー、こういう恋愛小説も書けるんだ〜って、嬉しいオドロキ。
 潜水艦乗りの自衛官がお相手ってあたりは、有川センセらしいなぁ……と思って苦笑しきりですけど。
 組み合わせにケレン味を持たせようとするあたりが、ライトノベル作家たらんとする要素なのかなぁ……と、こうして一般文芸のセンセ方と競作のような形で披露されると強く感じます。

 ……調べてみると、やぱし『海の底』との関連性があった模様。
 納得ー。


 三羽省吾センセとか坂木司センセは、どうも「一般文芸ルールを持ち出しての短編投げっぱなし戦術」を弄しているようで好きにはなれませんでした。
 なんていうの? オチはあなたのセンス次第、みたいな。
 題材に目新しさがあっても、それを活かす術が旧態依然とした枠組みのなかで描かれるようであっては、なんの新鮮味も無いのではないかと思ったりします。
 むしろ、ポーズだけ気取っているカンジがして、余計にタチ悪いかと。

 角田光代センセは、そういった気取りやなところをカンジさせずに、ゆったりとした時間をすごしていく女性の心境を書かれているので、さすがだなぁ……と。
 森見登美彦センセは二人の視点を絡み合わせて描く構図が実験的で興味をそそられますけれども……んー、ちょっと空回り感が。
 「彼女」お話のほうは躍動感あってテンポも良いのですけれど、それに追従する「彼」のほうには何故その視点の割り込みが必要なのか、いまひとつ理解できませんでした。
 「彼女」を見つめる「彼」という役割を徹底して、もっと宮沢賢治テイストのファンタジーで良かったのではないかなぁ……と思います。


 それにしても、先述のとおりこのオムニバスの中から桜庭センセはひとつ作品を上梓されたりしているわけで、この本の販売戦略の中での位置付けがいまいちわからないというかー。
 雑誌に掲載しただけではもったいないから、1冊にまとめてみた……とか?
 あるいは、それぞれのセンセに付いたファン層を、他のセンセへと拡大するため……?
 中で描かれている作品には、これといって共通性が見られないだけに、1冊の本として出すことには理解に苦しみます。
 ちょっと書き手も読み手も甘くみてないかなー、と。
 

18
 
『シックス・ルーン1 星ヲ守ル者たち』 桜井亜美

 ひゃー、はずかちー(≧△≦)。

 あまたの天才たちが集う優秀校の中で、学校教育の中での勤勉さしか誇るもののない主人公。
 友人たちのきらめく才能を前に、自身の無価値ぶりに落ち込む毎日。
 そこへ天使が舞い降りてきて「地球の危機だから力を貸してほしい」と頼まれ、自分にももしかしたら特別ななにかが秘められているのではないかと思い始め、平凡だった毎日が変わっていく──って、オイオイオイッ!
 少女マンガにしたってステロ過ぎやしませんか!?

 「天才」ってことばが、こんなにも軽く感じられるのも貴重だなぁ……。
 ステータス以上の意味をもっていない、と。

 「地球が危機」だってことも「悪魔が暴れている」ってことも、それを序盤で聞かされてから実証されるので緊迫感が無いというか。
 体の良い予言者にだまされているカンジ。
 「ほら、私の言ったことが当たっただろう?」みたいな。

 ……うー。
 でも、ちゃんとだますだけのモノがあればいいのかなー。
 そういうガワの部分は、もう、ホントにどうでもよくって、「好きになってはいけない人を好きになってしまった」という恋愛部分がメインだと思うので。
 そこへ至る過程の部分は強引だろうが子供だましだろうがバッサリ切り捨てる覚悟で。
 ……そういう描き方、18禁小説と似てます(苦笑)。

 そんな次第でオビにあった「壮大なるファンタジー巨編」たる部分はどうでもよくって、主人公・ミユのLOVEとCOMPLEXの行方のみに関心が向いているワケで。
 さて、天使に恋してしまったミユの明日はどっちだ!

 わたし的にはマコトでいいんじゃないかなぁ……とか思ったりして。
 一見不良な男子がマジメなとこ/向きになるとこを目にして意識し出す──ってあたりも、少女マンガの定番ストーリーだなぁ(笑)。
 

17
 
『天涯の砦』 小川一水 著

 軌道ステーションを突如襲った事故。
 残されたわずかな生存者がくじけそうになりながらも手を取り合い脱出を図る。
 現場主義の技術者魂を見せつけてくれるパニック・ストーリー。
 小川センセらしい作品ですなぁ。

 場所が場所だけにクローズド・サークルとしての立地は十分で。
 壁ひとつで生と死が隔てられる緊迫感はすごかったですわ〜。
 もちろんそれはなにも宇宙に限らず、日常にも本来はあるべき区分だとは思うわけで。
 運──と言ってしまうと、多分に否定する人がいるとは思いますけれど。
 でも、死の存在をどれだけ気付かずに済むのかが、「日常」であることを推し量るポイントなのかな……とは思うのです。


 物語ですから生存者の数は適当人数に絞られるワケですけれど、結局、この全員がそろって意見をぶつけるようなトコロが無かったのは惜しいかなー。
 それぞれの生き方からくる意見の相違みたいなものは提示されても、それが物語の枠の中で昇華されるような場面は見当たらなかったですしー。
 ちょっと個別のケースに切り分けすぎなカンジ。
 それが最後までわたしの中では尾を引いてしまって、脱出に至るシーンでも「連帯感」に喜ぶことはできなかったという……。

 途中「家族」の有り様について触れる箇所が幾つかあるのですけれど、そうした絆?みたいなものを、もっと印象づけてくれればなぁ……と。
 もっともエピローグでの落とし方からすれば、パニック状態で生まれる疑似家族なんて描くつもりは無かったのかな〜と感じられるのですけれども。


 あぁ、あのエピローグは「小川センセらしくない」と感じてしまいましたことよ。
 パニック・ストーリーの定番として生存者のその後を記すのはアリとしても、いまさら説明的すぎる部分はあるわ望んでないサプライズはあるわで。
 頼んでもいないデザートが運ばれてきてしまった感。
 いいんですよ、小川センセはそんな無理しなくったって!(笑)
 「えっ、これで終わりなの!?」と思わせるくらいにスパッと結んじゃって!


 『第六大陸』とは見据えるものが対局にあるような気がします。
 それをふまえて、いま、こちらが書かれたことは、小川センセは宇宙に対して冷静になったのかなぁ……とか思ったりして。
 フロンティアに夢があるのではなく、そこへ辿り着く人間の意志が夢を運ぶのだと。

 好き嫌いではなく、ちょっとショックではありました。
 


16
 
『エトセトラ上等。』 三浦勇雄 著

 お団子式に連なった形式の短編集。
 読み始めの「サービス上等!」では前後関係がわからずに首を傾げてしまったのですけれど、仕掛けがわかればもちろん納得。
 相互間での重なり具合はほんの小さなものであっても、強い連動性を感じることが出来て面白かった〜。

 お話の構造上としての秀逸さ/計画性の高さというのはあると思うのですけれど、もっと俯瞰してみれば「内世界」というシリーズ通しての共通項が芯に通っているので安定感を保つのかな〜とか思ったりして。
 物語の素地として、設定が機能しているという感。
 展開と同時進行しながら補完していくタイプではなく。


 短編ということで、これまでの「上等。」シリーズに比べるとダイナミズムには及ばないとは思うのですけれどー。
 動き/仕掛けの派手さで目を奪うのではなく、今回は全体にセンチメンタリズムかなーと。
 それでも問題解決において各話の主人公がとる行動は基本的にひとつ。
 叫んで、走る!
 答えを自分からつかみに行く!
 そうそう! これが「上等。」シリーズなんですよ〜!(≧▽≦)

 で、以前から期待度赤丸急上昇中だった文七くんは、今回ストップ高したカンジ。
 おうおう、ここまで成長してくれやがりましたかっ!
 本編の主人公・鉄平が今回お休みなワケですけれど、その存在感たるや、もはや鉄平に引けを取ってませんよ〜。
 あくまで助演タイプのキャラ造型だとしても、主人公が至らないところ(例えば主人公の強烈な個性に弾かれそうになってしまう読み手に対してのフォロワーとしての役割とか)をバッチリ押さえてます。

 文七と仲良くなった柚子ちゃん。
 もしかしたら今後の展開へのキーパーソンになったり……?
 その内に抱えた存在がー、とか。


 恒例のラストカットで今後の展開をちょろっと示してくれて、シリーズのファンとしては嬉しいったら。
 もはや、使い古された感すら漂う「重要語句の羅列」デザインですけれど、その効果は折り紙付きだなぁ。
 ハートつかまれたもん(笑)。
 わたし的には最後の二行で燃えますわ。

 君は我々の世界に関わりすぎた。
 ──上等だ。

 直接につながりないとしても、予告編としてはインパクト絶大だわ〜(≧▽≦)。
 なんちうか、鉄平の不敵に強がる様が目に浮かんできます。
 もち、服装はボロボロなんですけどね!(笑)

 「当日は一緒に回ろうね!」の台詞から、次は文化祭とか……?
 で、「フェスティバル上等。」とかー。
 楽しみ〜♪
 


15
 
『旧宮殿にて 15世紀末、ミラノ、レオナルドの愉悦』 三雲岳斗 著

 奇才レオナルド・ダ・ヴィンチの推理が今回も冴え渡る──!
 とか書くと、一気に安っぽく感じられてしまいますがー(笑)。
 とまれ『聖遺の天使』の続編なワケですが、今回は短編集。
 季刊誌に掲載するという事情から短編推理ミステリという形になったと思うのですけれどもー。
 しかし今回も美術や建築に造詣深いレオナルドらしい事件の数々で面白かった〜。
 時代考証などをきちんとされて、その時代の雰囲気をうまく伝えているような。

 推理ミステリに限らず、やぱし短編を書ききるにはセンスが問われます。
 文章の絶対量が少ないなかで、あらましを的確・適切に伝える筆致など。
 推理ミステリではそこへトリックも組み込まれるので、スパッと状況を描いて読み手に納得させるだけの説得力も兼ねないと……。
 冗長な部分など、入る隙も無いワケでー。

 その分、知識を必要とされたりする偏ったトリックになってしまうところもありますけれど、事件との整合性をちゃんと示せれば後付けで納得できるものだなぁ……と。
 わたしの場合、短編推理ミステリは、あまり謎解きをメインに読まないから了承しているのかもしれませんが。
 短編の場合はむしろテンポかなー。

 あー、でもー、「ウェヌスの憂鬱」は掲載時には良かったのかもしれなですけれど、一冊の本の中に他編と一緒に収められると、その仕掛けが分かりやすくなってしまっているかな〜と。
 ちょっともったいないですよね(苦笑)。


 数編収められて、そのつど事件へ介入していくせいで、ヒロイン・チェチリアに振り回されるレオナルドという構図が出来上がって楽しいったら(笑)。
 賢いながら天然素養でレオナルドの心へ踏み込んでくるチェチリアが愛らしいったら!
 「窓のない塔から見る景色」での馬車のなか。
 レオナルドとルドヴィコの様子をうかがう彼女は本当にカワイイ!(≧▽≦)


 最後の作品が2005年でしたけれど、続きはどうなっているのかなー。
 もっとレオナルド(とチェチリア)の活躍が見たいデス。
 


14
 
『花守』 越後屋鉄舟 著

 時が止まったわ……。
 読後、感慨にふけっていると、そんなカンジにとらわれます。
 作品の世界に嵌りこんでしまったというか。
 あとがきによると──
 単にハッピーエンドのお話、という意味ではなく、読み終えた後、読み手の心に何かが残るお話……という「読後感のいいもの」
 ──を目指しておられたことがつづられておりますが、やられたカンジ。

 では、なにがわたしの心に残ったのかと問えば……んー。
 残酷であろうと無慈悲であろうと、死んでしまえば終わり。
 だからこそ生きているあいだに、できることをすべきである。
 ──といったこと、かなぁ。
 「生」と向き合う姿勢、心構え、みたいな。

 「死」は特別なことでなく、誰の身にも起こりうること。
 それまでの時間が長いか短いかの違いでしかなくて。
 でも、結果として「長かった」とすることはできても、もしかしたら、いまこの瞬間にそれは訪れてしまうのかもしれない。
 それを自覚すれば、生きることに対してなにを迷うことがあるのか。

 作中にもありましたけれど、恥ずかしいからやめる、というのであればその程度のことだったのだと。
 はずかしくても、みっともなくても、それをすることが自分の生きた証となるなら、やがてくる「死」の前に引くことなんてできないハズ。


 主人公・春嶽はかっこよくなんかないんですね。
 腕力としての強さをどれだけ持っていようとも、それで好きな子を救えるワケでもなく。
 でも、ヒロイン・子規にとってはまぎれもなくヒーローで。
 かっこよくあろうがなかろうが、そんなことは彼女には関係なく。
 何度間違えようとも、どれだけ酷い裏切りをしても、だから子規はヒーローの帰還を待っていたのですよね。

 嗚呼……。
 間違いを犯した春嶽を責めることはできない……。
 無理からぬことだと思うー。
 んでも、間違いを認めて、再び立ち上がったことに最大の賛辞を。
 続く苦難を受け止めてでも、生きることを選んだ勇気と覚悟に!


 そうした春嶽の悩みも、子規の苦しみも、自然の前には無駄だったとされるのが、なんとも皮肉で……。
 人のすることなど所詮はその程度のことなのだと。
 でも、その行為が無駄であろうと意味が無かろうと、育まれた気持ちが貴いものであることには違いないと思うのです。
 もっと別の生き方があったかもしれない。
 だけれども、この街で春嶽も子規も、精一杯に生きた。生き抜いた。
 それだけは揺らぎ無い確かなものなのです。


 読み始めは構成部分で感心をおぼえていたのですよねー。
 小さな盛り上がりを章ごとにきちんと配しているあたりに。
 なんちうか、小幅続伸ってカンジで。
 それが気が付いたら天井目指してドーンともっていかれていたという。
 この振幅の配置は見事ですわ〜。

 青春モノとしての側面も良かった〜。
 親友から友達、そして恋しい人になっていく変化が。
 甘酸っぱくて、切なくて(T▽T)。


 シリーズ化を意識させずに、デビュー作単独で立つ作品って珍しいような。
 もちろんそれを書ききったというトコロも好感。
 イラストの文倉十センセは書き手に恵まれてるなぁ(苦笑)。


 最良を望むという点では、はたしてハッピーエンドではありませんでした。
 ふたりと、ふたりに関わった人たちの境遇を思い浮かべると、どうしても苦悩をぬぐいさることはできません。
 でも、あのラストシーン。
 わたしは忘れられないくらいに、大好きです。
 越後屋センセの次回作を楽しみにしています。
 ……やっぱりコメディタッチの作品が来るのかなぁ(笑)。
 

13
 
『海ちゃん ある猫の物語』 岩合光昭・岩合日出子 著

 動物写真家として有名な岩合さん夫妻の飼い猫、海ちゃんとの交流をつづった作品。

 出版社が喧伝する「夏の百選」って、どこもかしこも行うものですから興味薄れてきてしまっているのですけれど、ふと新潮文庫のコーナーを見てみると猫がいたので思わず手に取ってしまったという(笑)。
 もとは十年前くらいに大きな版型で出ていた作品を、あらためて文庫化したもののようですね。
 んでも、こちらの文庫も版を重ねて十四版とかなってるんですけども!
 猫、人気あるなぁ(^_^)。

 そんな次第で、本編に使われている写真も、どこか年期をカンジさせる古い色味だったりするものが少なくないのですけれど、海ちゃんの可愛らしさは別!
 ホントに美猫!
 十年経とうが、いまなおプリチーなのさね!(≧▽≦)
 ああ、「本当の美」というものは、永遠なのね……。


 そんな海ちゃんの一生を中心につづられているのですけれど、全てが彼女に預けられているということはなく、海ちゃんの行動に感化されていく周囲の人間の姿が、またどこか和ませるのですよね〜。
 動物モノのエッセイの定番といえば定番なのですがー。

 海ちゃんとは仲があまり良くなかったと見られている岩合夫妻の娘さん。
 仲が良くなかったというのは、嫌っているというより相性の問題だと思いますがー。
 その娘さんが、海ちゃんが亡くなったあとの生活で
「わたしのベッドの枕で寝ている」
 と言葉にしたことなど、ああ、海ちゃんはみんなの心の中にしっかりと刻み込まれたのだなぁ……と泣けてきたり(T▽T)。

 目に見えるものが全てではなく、手で触れられるかどうかは関係なく、愛しく想うことって本当に心の有り様なんだな〜、と。


 写真がふんだんに使われていて、猫好きにはたまらなかったですわ〜。
 海ちゃんも、その子どもたちも、みんなカワイイ!
 さすが岩合さん!ってカンジでした♪
 


12
 
『ジウU』 誉田哲也 著

 ジウの素性めいたものが見えてきて、なにかが集約されていくカンジ。
 彼自身がなにかを語るわけではないにしても、彼の魅力に惹かれた周囲の人間の存在が光となって彼を浮かび上がらせるというか。

 「自分が行う事は正しいと信じきっている」という誤用ではないほうの確信犯であることが、彼の存在を夢物語のなにかのように思わせるのかな……。
 反社会的という言葉は、社会という存在が絶対の正義であるからこそ通用されるものだと思うー。
 大概のこと、価値観や倫理観も含め、人の為すことはこの「社会」という言葉に裏打ちされて定まっているものだし。
 その定説をジウは翻そうとしているわけで。

 アナーキーとかテロリズムとか、社会の有り様に問題を提起するのではなくて、社会の存在を否定するっちうか。
 それって、人間がというより、生物の否定な気がするのですがー。
 もちろんそこを完全否定してしまうと、行き着く先は「死」のような気がして、しかしジウが考えることは終わりとしてのそれではないんですよねぇ……。
 むしろ「死」と「生」は等価値……ゼロという価値であるみたいな。
 そこを論じることは無価値であると言っているようで。


 古今東西、物語というエンターテインメントは「愛」という概念をベースに置かれてきたものですけれど、その「愛」すら別項に据え置かれてしまうんだもんなぁ……。
 推し量るにしても底が知れないというか。

 もっとも、文脈的には否定されたモノが再肯定されるのがエンターテインメントなのかなと思いますので、次の最終巻では期待が持てるのかな〜とか思ったりして。
 ジウの有り様が、賛同者を得ている本編同様、是とされるのでは、あまりにも救いが無さ過ぎますし……。

 メルマガで担当さんがラストはスゴイと興奮して語っておられましたので、そのあたりも加味して期待(笑)。


 警察小説としての面は十分に表現されていると思うのですが、やぱし場面転換の多さはちと苦手〜。
 異動で所属部署が移ると、それにともなって主人公周りのキャラも一新されていきますから、キャラクター総数も相当なものになってますし。
 で、ラノベのようなキャラクター作品ではないので、個々のキャラクター性に際だつなにかがあるわけでなし、ちょっと戸惑うカンジ。
 んでも二人の主人公、美咲と基子の視線はブレないので、物語を追うことに関しては戸惑わない、この不思議(^_^;)。
 誉田センセの才能なのかなー。

 第2巻という位置付けにも関わらず、上記主人公を絡めて順時間でこの巻を始めるのではなく、別の要素からのセンセーショナルに始められる導入部のくだりなども、とても意欲的というか。
 はぁ〜、勉強になるわ〜。
 

11
 
『トリックスターズM』 久住四季 著

 書店で手に取ったとき、間違えて別の本を取っちゃったのかと思ってしまいました。
 電撃は平積みでドーンとまとまってますしー。
 そんな驚きも感じてしまうくらいに、『トリスタ』らしくない本の薄さ。

 本編のほうも、その薄さ相応なものに……?
 うーん……。
 内容がそれなりであったから結果としてこのページ数になったのか、期日や分量についての制約に合わせたからこの内容になったのか、はてさてというカンジ。

 『L』と『D』で達していたような、本格に対しての斜に構えたような洒落っ気が見えなかったかなー。
 むしろ急いでいるというか、なにか切迫感を筆致におぼえるのデスヨ。
 あとがきで次巻は「シリーズとしても大詰め」と仰ってますし、その影響が出てしまったのかなぁ。
 シリーズクライマックスまでに消化しておかねばならないなにかがあって。
 ──って考えると、周くんの意志、なのかな?とは思うのですがー。


 氷魚ちゃんの露出が多かった今回ですけれど、彼女のキャラ掘り下げはあんまり興味ないというかー。
 『トリスタ』って例の5人組に関しては、さしてキャラを掘り下げる必要もない気がしているんですよー。
 華である、という意味以上には求めないという。
 もしそれ以上の活躍を与えるなら、もっと事件の深層に関わらせるべきかと。
 今回の氷魚ちゃん、二次的な関係者止まりで、なんか可哀想……。


 学園祭の1日ごとに1冊を充てるって、豪華なんだかわからない構成……。
 3冊で3日しか進んでないってことに本当になったら、ラノベ史上に残る日程消化率になりそう(笑)。
 


10
 
『十三番目のアリス』 伏見つかさ 著

 「ツン」と「デレ」の書き分けもないくせに、ただ意思伝達能力の欠如者を「ツンデレ」なんて言葉でもてはやす昨今、「サド」「嗜虐趣味」と明言してしまうことのなんと清々しいことよ。
 そこに市場の需要があるのかどうかはさておき、キャラ立ちという点では非常にハッキリしていて好感。

 そんなサドっ気がある主人公・アリスだけでなく、脇を固めるキャラクターたちも一癖あって印象深いー。
 「名前と設定だけ」という登場に留まることなく、きちんと言動で立ち位置を示しているという。
 もちろん今巻の中で活躍したかどうかと問われれば、事件の真相にはなんら関与していないキャラもいるのですけれど、ラストは「to be continue」なので問題無いかなーと。
 今後の活躍に十分期待できる存在感は示していましたし。

 そんな脇方のひとり、アリスの婚約者・鬼百合三月くん。
 なんだか見えている部分が全てでない印象が……。
 ただの人の良い坊ちゃんで終わらないヨカーン。
 なんちうか、こう見えて重い影を背負っていそうな……?

 アリスの戦いにおける彼の働きも良かった!
 無様でもみっともなくても、女の子を守るなんて、オトコノコじゃーん!(≧▽≦)

 で、サドのアリスは、そんな三月のみっともなさがトリガーになって実力発揮って展開、すごく真っ当で感動。
 設定がちゃんと物語に活かされているカンジ!
 ここでアリスがサドでなかったりしたら、ただのイヤーボーンになるシーンかと。
 自らが愛玩している存在を他人にいじられたりしたら、そりゃサドの子は怒りますよ(笑)。


 筆致もすごく好み。
 時折用いられる古風な表現が、文章にアクセントとなっているカンジ。
 凝った言い回しなんてなくても、言葉一つで十分に日本語の美しさって表現できるんだなーって思わされます。

 丁寧ながら断定や倒置を多用するアリスの口調や、女の子なのに「だ・である」調で話す怜奈ちゃんとか、それだけで個としての雰囲気を放ってる〜。
 彼女たちと三月や友達の誠人くんとの会話は、打てば響くような流れがあって楽しいです。


 楽しみなシリーズが開幕してくれました。
 続刊、早く出ないかな〜っと。
 

9
 
『いつかパラソルの下で』 森絵都 著

 おっどろいたー。
 ラノベ脳に侵されているわたしには、冒頭の性描写に面食らったわー。
 別に行為を子細に描いているというわけではないのだけれど、体位めいたことに触れるライトノベルって見たことないので。
 ああ、これが文芸なのね……と痛烈な一撃。洗礼。

 性行為について取り上げるラノベ作品は昨今少なくないですし、また一時期は応募作にも多量にその向きがあったとかなんとか。
 しかしそうした作品は「行為の有無」をセンセーショナルな部分で置いているだけに対して、文芸は「自我の一部」としてパーソナルな部分で用いているような。
 ラノベは総論としての性描写を用いて、文芸は各論としてのそれを用いているような雰囲気。

 ただ、このことはラノベの限界を示しているのではなく、その枠があるからこそ「ライトノベル」たり得るのでないかと。
 ラノベと文芸の違いとなるものはなにも性描写の一点のみに因るものではないわけで、ラノベが持つ他の多くの要素と合わさったとき、枠組みを超えて上梓するとなればそれは「ジュブナイル・ポルノ」とか、そっちのアダルト系作品との親和性が高まってしまうような気がしますしー。


 そんな次第で冒頭から衝撃を受けて読み進めていったワケですけれど。
 やはり荒々しく揺さぶるような大きな波は見当たらなくても、少しずつ状況が変化していく様は巧みだなぁ……と。
 始まりは日常のすぐ横にある小さなきっかけでも、それは自分の生き方を見つめることになるきっかけに成り得るというか。

 先日読んだ『永遠の出口』もでしたけれど、いまの自分に起こっていることを認め、そしてリスタートするには過去の自分を向き合わなければならないというあたり、森センセの主軸になっていたりするのでしょうか?
 リスタート……新しく始めること。
 それは自己再生の物語であると思うので、とてもわたし好みですわ〜。
 厳格な父の故郷である佐渡への旅も、壊れていた自分を再生するために必要な通過儀礼であったと思いますし。

 旅という行為は変革・再生のきっかけとして(物語としては)ありきたりのものなのかもしれませんけれど、変に奇をてらったようなところをカンジさせない良いものだと思います。
 もちろん、森センセの筆致があってこそだとわかってますけど。
 追いつめられているわけでなく、ゆっくりと、サナギがチョウへと羽化するような、穏やかな意識改革。
 求める意識があるから、旅の終わりには答えを見つけることができるのデスヨ。
 用意された答えに出会うのではなくて。

 防波堤の突端で嘔吐しながら太陽の輝きを目にした主人公・野乃の姿はとても惨めだったかもしれないけれど、それは必要だったこと。
 身体の中からすべての澱んだものを吐き出して、神の陽に焼かれて再生するという見事な暗喩。
 こうした筆致、たまらなく好き〜♪
 

8
 
『吠えよ、我が半身たる獣 幻獣降臨譚』 本宮ことは 著

 なんだか今巻は倖せに包まれてるなぁ……。
 前巻があれ過ぎだっただけに、こう倖せが続くというか、波風立たなくて穏やかだったりするのは、逆に不安になってしまうのですが(苦笑)。

 目に見える困難といえば、契約した聖獣の御し方くらいですし。
 それだけの力を得たあかつきには、多少増長したところが出てしまっても仕方がないと思うのに、アリアってばどこまでも謙虚で……。
 良い子すぎるのも「物語の主人公」としては考えものかと思うー。

 しかし波風立たないお話のなかで、その真っ直ぐなアリアの葛藤がスパイスとして効いていたカンジ。
 けして大きな問いかけでは無いにしても、彼女がそれを思い悩むだろうことは十分に理解できますし、またその解決にいたる過程で彼女はちゃーんと成長しているんですよね。
 偶然とか、勢いで答えを見つけたのではなく、悩んで、考えて、失うことすら覚悟したその末に見つけたという。

 世界がどうの、親の仇がどうの、そんな仰々しい仕掛けをほどこさずとも、譲れない矜恃と向き合えばそこには葛藤が生じると。
 すごくシンプルで心に浸みてきます。


 前巻でファンタジー好きを明かされておられた本宮センセですけれども、今巻になってなんとなくですがその傾向が感じられてきたかもです。
 運命を共にする仲間の集合離散はエピック・ファンタジーの常かな〜と。
 また、アリアのビルドゥングス・ロマンでもありますしー。

 にしても美男子か変人しかレギュラーとして生き残れないんでしょうか。
 今回、シェナンがずいぶんとポジションを落としたような……。
 美醜では新キャラかつ上役のツヴァイスに立場を奪われ、物語の主軸ラインからは『幻獣の下問』に是と答えたユリストルに追い越されましたし……。
 ユニット操作型のシミュレーションゲームなら、間違いなく二軍落ちしてますよねぇ(^_^;)。
 で、ランドールさんが一気に一軍入り。

 ……クルサードは、あれです。
 最初からほかのキャラに比べてレベルが高いので序盤は重宝するのですけれど、成長率が悪くて伸び悩むタイプ。
 逆にディクスは転職したら無敵ング。

 あーっ。そういうゲーム、出ないかなーっ!(笑)


 大きな展開が無かった今巻ですけれど、次の展開へ向けての布石があちこちに散りばめられているカンジ。
 どのように物語が広がっていくのか楽しみです。
 


7
 
『pulpV』 森橋ビンゴ 著

 最近見たWEBでの書き込みで──
 ベタは予想を外れない
 王道は期待を外さない
 ──というものがあったのですが、それに倣うならこの作品はまさに「王道」かと。
 普通とされる人々の最大公約数で描かれる「一般社会」という幻想からあぶれた、アウトローな人々の生きた道を描いた「王道」。
 あぶれた者の哀愁が、ひしひしと伝わるのですよ。

 一般社会からはずれた人の生き様を「暗部」として論じるのは簡単ですけれど、それで済まされる話でもなくー。
 彼ら彼女らは生来の悪漢というわけでなく、あくまで社会から弾かれた、あるいは社会から身を引いた人たちなわけで。
 そこで生きるしかないと覚悟を決めても、光の当たる社会の表層への郷愁があるのです。
 自分たちを受け入れてくれなくても、そこが自分たちの生まれた場所だという記憶だけで。

 戻りたいのに戻れない、そんな背反がこうした作品の魅力なのだと思うのです。
 そして『pulp』という作品は、ライトノベルにおいて珍しく、その魅力を正しく理解して描ききった作品なのではないかと。
 ──それゆえに評価されがたく、レーベルの枠を間違えさえしなければもっと注目されてしかるべき作品であったと感じてしまうあたりが寂しいですが。

 好きにして良いと言われてこの作品を上梓し、結果受け入れられなくて評価すらされないというのは、大きな間違いであったと思います。
 編集部の。
 自社レーベルの舵取りは、作家にあるのか編集にあるのか、もっと意識した方が良いと思います。


 ああ、もちろん首を傾げてしまう部分が無いわけでもないのです。
 今巻などは最終巻ということもあって、冒頭の唐突感はそうとうなもの。
 回想なり入れて、ワンクッション欲しかったな〜と思ったりして。

 でも、それも編集の知恵でなんとか回避できたかもな〜と思うのデスヨ。
 前巻までのあらすじを付記するとか、せめてキャラクター紹介を載せるとか。
 そういう気遣いの無さが、この作品の評価を落としちゃっているような……。
 (表4の文言はあらすじではなく商品説明に近いと思うので役者不足)


 構成についても変化に乏しい……というか、非常に素直な展開ですし。
 一見、ひねた内容なのに、文面は全くひねてないのですよね。
 昨今は構成で個性を発揮しようとするひとが少なくないという時勢なのに。
 その辺りのギャップもまた、物足りなさになるのかもしれません──が!
 わたしは言いました。
 この作品は「王道」であると。
 そういった構成に仕掛けをはめ込むことは、ほかの作品にまかせれば良いのです。
 王道往くこの作品には、そうしたギミックは不必要だとわたしは言いたく!

 それに修辞的な面で見れば、心に響くものはたしかにありましたし。
 彰と李の戦いのシーンなど、その結末には震えが来ましたヨ。
 何気ない所作から始まったそれが、結末に何重もの意味をかぶせてくるなんて。

 ……李についてもねぇ。
 今巻での新キャラというのは致命的だったかなぁ、と。
 せめて前巻から登場を匂わせておけば、こうまで強引なカンジはしなかったかと。
 この辺も3巻構成で進める予定なら、もうちょっと編集が気付いてあげるべきなんじゃ……。
 1巻限りのカタルシスで満足するようなことなく。


 いろいろ言ってきましたけれど、結局のトコロ、あまりに綺麗な最終章の有り様で、全てが許されるような気がします。
 この作品を、この最終章を、世に出したことに感謝するというか。
 それほどに綺麗にはまっていました。

 帰ってきた日常は、相変わらず、退屈で、下らなくて、ともすれば逃げ出したくなるような、そんな世界だけれど、それでも生きていこうと思えるのは、やはり彰がいるからだった。彰だけじゃない。父が居て、球がいて、魁がいて、他にもたくさんの愛するべき人がいて、だから、辛い事があっても、生きていこうと思える。
 (中略)
 全く、世界は生き苦しくて仕方ない。
 けれど生きる意味は、その世界にしか転がってはいない。この矛盾。

 ……あー、もうっ!
 ドロップアウトした人たちの物語として、この結びって!
 完璧すぎて、むしろハズカシイくらい!(≧▽≦)
 しかし、その恥ずかしさこそ、王道の証だと!
 やってくれたと、拍手を!

 どのような作品になるのかわかりませんが、森橋センセの次回作を楽しみに待ちたいと思います。
 



6
 
『カーマロカ -将門異聞』 三雲岳斗 著

 平将門を主人公にしたIFのお話……かと思っていたのですが。
 むしろ将門を媒介にして人生観を変えられていく周囲の人々の物語というべきなのかも。
 当初はそのように視点の切り替わりに読み慣れず、あちこちへと話が飛ぶ散漫な印象を受けてしまったのですけれどもー。
 中盤を過ぎたあたりから、そうした幾人もの想いが複雑に絡み合っていき、やがてひとつのうねりとなってクライマックスへ流れていく様には、まさに物語のダイナミズムがあったように感じます。
 引き込まれるというか。

 うーん。
 やぱし三雲センセには物語構成の才があると感じずにはいられません。
 それも感情をトリガーにして引き込むのではなく、展開ひとつひとつをブロックのように積み重ねることで辿り着く数的な頂のようなカンジ。
 理系の作家センセの考え方って、このようなのかな〜と。

 陰陽道や甲賀の民などが用いる方策についても、けして夢物語ではなく現実的な視点から解釈しているという。
 平貞盛が放った追跡部隊の戦術も、理論的に図られているものだな〜と。
 もしかしたら兵法では基本なのかもしれませんけれど(^_^;)。

 ああ、もちろん全てが理詰めで描かれているというワケでもなく、ちゃんと感情面での揺さぶりも押さえているトコロが更に巧みだなと思わせるトコロでー。
 貞盛や賀茂保憲の劣等感や空虚な想い、父の姿を追う夜叉姫、そして、どこまでも清らかなる高みを目指した将門。
 みなの気持ちが痛いほどに伝わってきて……(TДT)。

 「絶対の悪」が物語の埒外にあることが、とてもとても無情なことなのですよね。
 でも、そうした「悪」には、けっして「物語」をつむぐことはできず──。
 想いを貫き、生きる様にこそ「物語」があるのですね。

 いちばん胸打たれたのは、夜叉姫でしょうか。
 父に会わずとも、その父に触れた人物から父の姿を思い描き、なにを考え、なにを求めるに至ったのか、その理想に辿り着くことが出来た彼女が誇らしいです。
 だから、ラストは──少しだけ、悲しいです。

 賀茂保憲が彼女のかたわらにあったことで、割と先の展開は読めてしまったのですけれども(苦笑)。


 乱暴な言い方ですけれど、将門に常識的な意味でのハッピーエンドは似合わないと思います。
 そのように思うから、あるいはその覚悟があるから、今作のラストはとても悲しくて、とても綺麗なのだと感じます。
 諸手を挙げて喜ぶことは出来ないですけれど、それでも、この結びを祝福したいと思うのです。

 背反することを言うかもしれませんが、ハッピーエンドを好むかたに読んでほしい気がします。
 倖せとはなんであるのかを考える、ひとつの糧として。
 

5
 
『枠の外にある風景』 nuko(石川寛之) 著

 高校一年生が「人生って、これでいいの!?」と疑問を抱き、衝動的にプチ家出。
 旅路の果てに目にした自然のダイナミズムに圧倒され「世界にはこんなにも素晴らしいことがある。人生をツマラナイと枠にはめていたのは自分だった!」と悟って日常生活へ戻っていくお話。

 著者の視点で解釈するなら「物語を必要とする人は、なにかに渇望している人なんですよ」と、自分のリビドーを肯定するためのもの。
 ワナビ。


 あー、もーっ。
 書き手が物語をどう定義づけようが構わないのですが、読み手の存在を蔑ろにすることだけは許せないです。
 冒頭から序盤にかけて、なにもアクシデンタルなことを起こさずに展開させるのは退屈──という感想は、わたしがライトノベル脳だからということで済ましてもらってかまいませんけれど。
 でも中盤以降も全くなにもないってのはどうなのかと。
 結局、だらだらと自転車漕いで、湖に昇る朝日が綺麗だなー、で達観デスカ?


 期日を区切った(帰宅することを決めている)家出というのもヌルイったら!
 それでいて両親がなにも感じてくれなかったら寂しいと思うだなんて、甘えるのも大概にしてってカンジ。

 自分の生き方に疑問をもっての旅路というのはわかるのですが、答えが見つかろうと見つかるまいと、それでも最後には自宅へ戻ることを考えているというあたり、全く切迫感が無いのデスヨ。
 その旅程だけでなく、抱いた人生への疑問についても!


 旅の遍歴についてもかなり疑問。
 ママチャリで関東平野を旅するのは、困難ではないですけれど易しくもありません(体験談)。
 まして千葉から東京を横断して山梨に向かうのは、ちょっと無茶くさいかなと。
 あげく山梨県でチェーンが切れた自転車を、次のシーンでは海へと沈めていたりして。
 ……どこの海!?
 もちろん静岡へ抜けたと思うのですけれど、チェーンの切れた自転車を手押しで歩いたにしては早すぎ!
 そこが、みっともなくても大切なトコロなんじゃないのーっ!?(><)

 時間つぶしのための単語帳とか、CDプレイヤーとか、持っていく物についても呆れてしまう……。
 ああ、人生ナメてんのってカンジは伝わりますが。

 頭の中だけで旅路をイメージして描いた……。
 そんな気がします。
 オビには「等身大の青春小説 決定版登場!」とありますが、誰と等身大なんでしょうか。
 著者のかたと等身大……というのであれば、重々納得できるコピーです。
 とりあえず、わたしと同じ身の丈では無かった、と。


 感想に比較を持ち出すのはアタマ良くないやり方だとはわかっているのですけれども──。
 ハセガワケイスケせんせの『しにがみのバラッド。』3巻、「ビー玉と太陽光線のかなた。」を100回読め!ってカンジ(`Д´)。


 なにがいちばん悔しいかって、おそらく堀部秀郎さんが描かれた最後に発表される作品がこれになるのではないかという点。
 ほんっっっっと、悔しすぎますっ(T△T)。

 ちなみに、表紙に描かれた女の子は登場しません(って言っちゃったほうが早い)。

 自分で納得できない作品はbk1へのリンクをしないスタンスなのですが、それでも堀部さんの絵に敬意を表して、今回はリンクをさせてください。
 

4
 
『時をかける少女』 筒井康隆 著

 うん。映画を見たからさー(笑)。
 古典であり名作の誉れも高いこの作品を読まないのも惜しい気もありましたし。

 したら、奥さん。
 今夏、アニメーション作品となったあの映画、細かな部分できちんと原作を追ってきているんだなぁ……と再確認。
 映画と言うことで大林版などと比較されることはありますが、いやいやどうしてどうして。
 ちゃんと原作へのリスペクトもあるのですね。

 筒井センセはあの映画を正統続編だとお認めになっていらっしゃいますけれど、それは、ただの焼き直しにとどまらず、オマージュとしての部分も感知されているからではないかなぁ……。

 和子おばさんが、どこかつかみ所のないフワフワと漂うような雰囲気をまとっていた理由。
 絶対そうだとは言い切れませんけれど、なんとなくわかったカンジ。
 魔女おばさんは、魔女おばさんになる理由があった。
 そういうことなんですね。


 文体としてはいささか古めかしく、時代の移ろいを感じずにはいられません。
 読み聞かせの難易度としても、ライトノベルというよりは青い鳥文庫のほうが近しいカンジ。
 現代でこれを上梓されてもインパクトは無いでしょうけれど、SFの価値のなんたるかも不明であった時代に出されるのは、その衝撃以上に、筒井センセの決断と勇気へ膝を付く思いです。

 あと、新装版には解説?のようなものが付記されていますが、その内容がまた良かった〜。
 作品の内容のみならず、時代性を見るとともに、さらには現代の少年少女文学(ライトノベル)へとつながる普遍性のようなものへの指摘まで言及されてて。
 学問として見ておられるかたは、やはり違うな〜と、感服です。
 

3
 
『聖遺の天使』 三雲岳斗 著

 不自然な死に方をした建築家の謎に、奇才、レオナルド・ダ・ヴィンチが挑む!
 ──っていうカンジでまとめると、かなり奇天烈なお話っぽくなってしまいますね(苦笑)。
 別にダ・ヴィンチが現代によみがえったとか、そーゆーのではなく、彼が生きていた中世の時代を舞台にした推理ミステリなだけですが。

 過去を舞台に、歴史上著名な人物をメインに据えて推理ミステリを描くというと、ふとクリスティを思い出したりして。
 歴史の尺度がオーバーなくらいに違いますけれど(笑)。
 んでも、そういう名作に並ぶほどに(少なくとも恥じない程度に)舞台背景などの詳細について、かなり突っ込んだ用意をされているなぁ……と感じます。
 思いつきや興味本位程度で、舞台を中世にしたわけではない、と。

 でも、その反面、推理部分では読み手にある程度──ある種の?知識を必要とされている気が。
 物語内で証明されることだけなく、科学的思考が必要というか。

 トリックに際して少し一般的でない知識を披露されると、わたしは気になってしまうんですよねぇ……。
 「犯人にしか知り得ない知識を使って犯罪を成してはならない」あたりの禁忌にふれてやしまいかと。
 荒唐無稽な設定を使っているわけでなし、たしかに一般人である読み手も知りうるチャンスが少なくないとしても、作中で予備知識も無しに出されると……。
 万人が知りうる普遍の知識……ってワケではないのですし。

 もっとも、そこを厳密にしてしまうと、トリック披露の際にサプライズも無くなってしまうので、痛し痒しだとは思うのですが。
 ああ。
 作家センセには「知識を披露する誉れ」と「読み聞かせる忍耐」のバランス感覚が必要なのですね──ってことで!

 今回、いろいろと文句っぽいこと挙げてますけれど、三雲センセのバランス感覚、そう悪いモノではない、むしろ好感だとさえ思います。
 ラノベの舞台ではなく、こちら──推理ミステリの方面で、もっと活躍してほしいかなぁと思うくらいに!
 

2
 
『永遠の出口』 森絵都 著

 少女が大人になっていく、その過程を切り取ったお話。
 でも艶っぽいこととかあまりなくて、世界の広がりとともに難しくなっていく対人関係がメインってカンジ。
 たまたま女の子が主人公なだけであって、物語の流れに性差はあまり関係していないような……?
 もちろん「女の子だから」うかがえる世界もかいま見えるのですけれど、ごくごく一部。
 女の子が体験していったことと区別するより、やはり年齢なんじゃないかなぁ……。

 んー……。
 歳が増えるごとに生活範囲が広がって、その視野の広がりとともに意識も新たになっていく、みたいなー。
 黒魔女のエピソードなどは、まさにそれでしょうし。
 (あまりにも『女王の教室』だったので面食らいました)。

 だから、実は「成長という旅路」の物語なのかも。
 大人になるということがどういうことかは定義難しいですけれど、成長するということはまだ見ぬ世界へ旅立つことだと、たとえば定義できるかも。
 その旅路の先に、ひとそれぞれの「大人」のスタイルがあって──。
 なんちて。


 全体とは別に、高校生の時のくだり、天文部へ勧誘されての「スターウォッチャーズ」のお話は特に感慨深かったです。
 高校生の頃のバカ騒ぎって、なんだか胸に響いてきます。
 本当に、大人でも子どもでもない、わずか3年ほどの期間が愛おしい。


 森センセの作品、初読みでしたけれど、好感。
 大きなうねりはなくても、そこで描かれる空気が好き。
 それでいて構成には、ちゃーんとスパイス効いてるんだもんなぁ。
 これから、ちょっとチェックしていきたいです。
 

『ストロベリーナイト』 誉田哲也 著

 被害者は弱さを内包しているけれど、弱い人が全て被害者になるかといえば、けしてそうではなくー。
 さらにいえば強弱と善悪は、全く関係ないことも示していたり。
 誉田センセの作品からは、そんな雰囲気を受けます。

 むしろ強さを持ったときに、二通りの生き方があると示している……ような?
 被害者が駒のように扱われる反面、強さをつかんだ者たち同士の戦いが大きな部分を担っていないかなぁ……と。

 ……キャラ物では無いんですよねぇ。
 たとえば主人公・玲子の「強烈な個性」という設定は、冒頭で早々と消費されてしまうワケで。
 むしろ設定に加味するのでなく、状況に置いて進行させていったほうが良かったのではないかなぁ……。
 最初のインパクトで関心を呼ぶ必要性はわからないでもないですけれどー。

 奇抜な設定と、その後の展開のあいだに、さして関係性が見いだせない……っていうのも、まぁ誉田センセらしいといえば、そうかも(^_^;)。


 玲子さんの捜査手法、それほどカンに頼ったものとも思えなかったのですけれど、この感覚って、ちょっとフィクションに染まりすぎてる?
 実際はもっともっと窮屈で制限のある捜査現場なのかなー。

 そんな捜査状況、中盤以降の展開がかなりザッピングしてて目が回る〜。
 リアリティを追求した弊害で、読み手を置いてけぼりなカンジ。
 なんか、こう、キャラクターを消費することで捜査進展を図っているというか。
 これが「警察小説」と称される所以なのかな?
 題材は同じでも、推理小説とはあきらかに異なる印象を受けます。

 犯人の情報をミスリードして、クライマックスで印象を強める手法は、これまた誉田センセらしいなぁ……と。
 あと、身体をこれでもかと陰湿に傷つけていく描写とかー。
 イタイイタイ……(TДT)。


 総じてみれば、きわめて誉田センセらしい作品でありましたとさー(^_^;)。


 玲子さんの回想の中での裁判シーンには涙がー。
 覚悟があったから死んでも当たり前だなんて、それはその人を貶める発言。
 そんな理屈がまかり通るようなことは、絶対にあってはならないと思います。
 結果としての死は受け入れないといけないけれど、その覚悟までもただの事実の一つに扱うのは間違っちょる!

 本編に深い関わりがあるわけではありませんでしたけれど、このシーンは印象的でした。
 

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