○● 読書感想記 ●○
2005年 【12】

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4
『pulp T』 森橋ビンゴ 著

 事態へ立ち向かう主人公を含めた面々が、とりたてて一般市民と変わらない存在であることに素直に驚いてしまったといいますかー。
 なんか、こう、特殊な「才能」がそこに描かれても不思議じゃない作品雰囲気なんですよね。
 んでも、それが無いワケで。

 能力に頼らず、身ひとつで不幸の連鎖を断ち切ることができるのか、興味深いです。

 あー、でも彰くんへ向けられる嬢の気持ちの変化は、ちと急に感じてしまった……というか、その方向へ流れることへの居心地の悪さ?みたいなモノを。
 強引──だったかなぁ。

 ほかの展開については説明不足といったカンジは受けなかったかな。
 むしろミステリとしては素直すぎる展開だったので、もうちっと引っかける要素などがあっても良かったんじゃないかってくらい(^_^)。
 ミスリードをしてグダグダになるよりは良かったですけど〜。
 そうでなくても状況を整えるだけで、今巻は一杯一杯だったと言えなくもないですし。

 ……事件概要を表すのに精一杯で、某かの「才能」なんて設定を差し込む余裕なんてなかったですね。
 そっかそっか(苦笑)。


 あとがきからは全三巻として予定されていることが明らかにされていますけれど、巻数を明示するのは最近の風潮なんでしょうか。
 むー……。
 「期待に添わなくてもそこまでは付き合ってくれませんか? 残りたった2巻ですし!」
 てなカンジの思惑を感じてしまうのは、さすがに邪推しすぎですか?
 

3
 
『お・り・が・み 正の闇』 林トモアキ 著

 ショーペンハウアーさん、面白いなあ。
 いおりんでなくても惚れそう(笑)。
 マリーチ様との対決……あるのかな?
 新旧の聖四天決戦。

 前巻でハッキリとした鈴蘭の意志は、今巻でまた悲劇に洗われてさらに強くなって。
 出番は少なくても、きっちりと主人公の役割をはたしてるー。
 ただ鈴蘭とその周囲にいる人たちの存在が大きくなるにつれて、それまで側にいた人たちの存在が相対的に小さくなってしまっているのは、なんともはや。
 沙穂さんとか菊人とかー。
 いおりんですらヤムチャ状態ですもんね(苦笑)。
 例外はカッコ?
 彼女は相対的に小さくなってしまった立場という位置を活かしているんですよね。
 鈴蘭の親友って役どころも後押ししているとは思いますけれどー。
 これから本編クライマックス突入ってことですけど、イワトビーやリッチ、真琴さんたちみんなに見せ場があるといいな〜。


 今巻も挿絵のデザインとか凝っていて好き。
 文庫というひとつの枠組みから超えていると思うー。
 もちろん形式破りには反対意見もあるでしょうけれど、こうした手法は「小説のセールスポイントは筆者の文章である」という概念にとらわれない、新しい方向への模索なのだと。
 賞賛されるばかりではないかもですけど、わたしはその心意気を買う!(>△<)

 ……だからといって、カラー口絵の少なさへの落胆が和らぐものではありませんが(TДT)。
 対談を読むとお忙しいみたいですけれど、がんばってほしいです(^_^;)。
 

2
 
『カメリア・クライシス 魔女と犬』 西魚リツコ 著

 増改築を繰り返した城……ってカンジ。
 建物としては成り立つんですけど、よそ者には不便というか。

 視点がぶれるというか混在しているせいで、途中何度か首をかしげてしまったことよ。
 タイトルからすると白人と令子のお話なんでしょうけれど、ならばそれで徹底してほしいなー、と。
 混在させた目的が、読者の感情移入対象というか共感を得て欲しいキャラクターを際だたせたいという思惑ならば、通常の地の文に埋没させてしまうのではなくて、もっと技巧的に特別に扱っても良かったのではないかと思います。


 ミステリーととらえれば、白人と令子、ふたりの関係は探偵と助手であって別段珍しいワケではない関係なんですよね。
 んでも推理をしていく──読者の目となって事件を見ていく助手に謎めいた部分が存在すると、助手の目を通して見た事件そのものが怪しくなってしまうというか。
 さらに探偵役の令子がガジェットを披露するにあたっても、知識を披露している感が強くて……。
 不誠実ではない──ということは、必ずしも誠実であるということではない、ってことで。


 総じて見ると、導入とガジェットには惹かれるんですけれど、両者が綺麗につながっていない気がする……ってトコロでしょうか。
 あ、睦月ムンクせんせのイラストは雰囲気良かったですよー。


 オビのコピー。
 「“萌え”を超えた!」……って、どうなのよ。
 激しくビジネス的な臭いがして、イヤ。
 こーゆーコピーを付けちゃうのは、わたしが愉しむ「ライトノベル」の方向ではないなぁ……。
 つまりは当作品は「ライトノベルではない」って受け止めれば問題解決するのでしょうけれど、そうだとしても「ライトノベルに因る売り方」をしていることは消えないわけでー。
 それが庭を踏み荒らされているカンジがして嫌なんですよね……。
 むしろ商機を見出して「超えた!」って言ってしまうなら、超えたところになにがあったのか、超えたモノはなんであるのかまでを言い切ってしまうほうが清々しいような気がするー。
 それを明言できていないから、中途半端感を受けるのかな……。
 もちろん「ライトノベル」=「萌え」ではないのはわかってますけれどー。
 ぬーん……。
 

『サンタ・クラリス・クライシス』 ヤマグチノボル 著

 うん、それで?……ってのが読み終えた直後の感想。
 「好きな相手が何がほしいのかわかんなくて四苦八苦する少年が主人公の、恋愛少年活劇(あとがきより)」っていうのはわかります。
 でも、少年が四苦八苦するだけのお話って……え?
 その一連のアクションの末に、少年──浩二はなにを得たんでしょうか?

 書きたいことがあったから生み出された作品であって、伝えたいことがあって生み出された作品ではないってことなのかなー……。


 むしろ主人公然としているのは浩二ではなくてクラリスのほうかと。
 表向き派手なアクションを起こすのは浩二ですけれど、悩んで考えて、そしてひとつの命題に辿り着くのは彼女のほうですし。
 先述の「好きな相手が何がほしいのかわかんなくて四苦八苦」というくだりは、浩二よりクラリスのほうが当てはまるのではないかと思うー。
 
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