○● 読書感想記 ●○ 2005年 【3】 ※ 表紙画像をクリックすると【bk1】へと飛びます ※
「きみは意外と分別があるようだな」
──とか口にしたのには驚いたというか。 なんの冗談かと。 いや、登場シーンは良かったのかも……レルドリン(笑)。 今回もHACCANさんの表紙は素敵ですねー。 ドリュアドと戯れているベルガラスが描かれているのがグッジョブ!(^-^)b ほんっと、このおじいちゃんは元気ですわ。 おもに下のほうで(笑)。
根本的にあたしは何もしてない。あたしが呪いを解いてあげるって言ったのに。そ、そもそも初めっから間違っていたのよ。 「あたしが呪いを解いてあげなきゃ意味無いじゃん」
──これこれ。これですわ〜。 自分で動いて、自分の力で解決しようとする意志。 そこに物語があると思うわけです。 偶然とかイヤーボーンとか、生まれた血筋とか家柄とか、スーパーパワーを持った友人知人の類が解決するのではなくて! 諦めたり嘆いたりせずに。 どういう物語が好きかと問われれば、今作で描かれるような前向きな物語が好きだと答えます。 本質的には悪人が登場しないトコも、読んでいて気持ちがよいトコロなのかも。 情けない小悪党は登場してますけど(笑)。 それにしてもこの作品、挿絵の枚数が多くないですか? 203ページで15枚……。 連載分だから多いのでしょうか? 実際、第7〜8章は少ない気もしますし。 でも、鈴木次郎センセの絵はこの作品に合っていると思うので、多くて良し! ポムグラニット、かわいー!(≧▽≦)
たとえば「今日から真面目に生きるから」と宣言しても、人は前日までの不真面目な態度しか知らない。それまでの自分で裁かれるのは、逃げ出したくても決して逃れられない事実だ。
『ロクサーヌ』でも同じようなことが書かれていましたけれど、もしかして藍田センセの人生観?みたいなものなのでしょうか。 とりあえず今回もまたわたしはウンウンと頷いてしまったワケですけれども。 今回、ページ構成とかミスっているように思えたのですけれど、気のせい? 大きなミスというわけではなく、ページが足りなくてギュウギュウに押し込んでしまいましたー……というカンジで。 後書きとか人物紹介とか、すごく変な印象を受けたのですけれど。 本文も含めて、もうちょっと構成を……ごにょごにょ。
お願い、私の心。 嘘でもいい、演技でもいい、偽物でもいい。 もう少しだけ理性を繋ぎ止めて。恐怖に震えて当然の十七歳の女の子にならないで。
こうした心情の吐露が、たとえようもなく胸に響いてくるんです。 もちろん、桐島さんだけではなく、みんなの気持ちが。 ラストシーン。 あの人が「左腕」を差し出して、あの人を求める。 そうしたことも、希望を見失わなかったからこそ、たどり着けたんですよね。 素晴らしいラストシーンだと思います!(T▽T)
彩雲国は人数とページ数の関係で「いなくても良し」と判断されたキャラは即ドナドナされます。主役級の人間でもあっさりドナドナ。
……とか言ってしまうのって、どうなのかなぁとか思います。 「いなくて良し」というキャラクターを登場させて物語を描いたのは誰なのか。 そして自分が好きになったキャラクターがいたとしても、その人物が物語から退場するような事態に陥った場合、そのキャラクターはこの世界から「いなくて良し」と思われたということなんですよね。 おちおちキャラクターを好きになってもいられません。 んー、で。本編のこと。 朔洵がドナドナされたわけですけれども、つまり不要だったってことですか? 秀麗の心はかき乱していってくれましたけれども、そうした彼女の心情の揺れってなんとなーく無理があったような。 朔洵が劉輝と比されていたわけですけれど、秀麗の言葉で「似ている」と評されていただけで、どの点が類似しているのかが伝わってこなかったというか──。 両者が対峙して、それこそ同じ言動を示してくれれば良かったようにも思うのですけれど。 秀麗と劉輝の恋物語の波乱を描いたとしたら、ちょっと空回りだった気がします。 そんなカンジで秀麗の周りは「?」な動きだったワケですけれど、香鈴とか春姫の頑張りは良かったかなぁ。 本当なら彼女たちのような言動を、秀麗で見せてほしいのですけれども。 ぶっちゃけ茶州への旅程って、秀麗にとってはあまり意味するところはなかったのでは? ここまでのお話って、鴛洵を巡っての物語を引っ張ってきただけですしー。 次巻では任についた秀麗たちの立ち回りに期待したいです。