■ 鈴森日記 ■
2010 如月

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◆◇◆  鈴森的予定メモ ◆◇◆

■■ 2月28日 ■■
TALK:BOOK更新しました。

 おいおい。
 もう2010年も6分の1が終わっちゃうっていうのかね。
 ははは、ご冗談を……。
 ……イヤ、マジデ!(><)


 なんかいろいろあるのですけれど、これからまた出かけなければいけないのでこれにて!

 3月は多少ペースを持ち直せるといいなぁ……。

 
■■ 2月21日 ■■
TALK:BOOK更新しました。

 『プールの底に眠る』を読了して悶えているワケです。
 ああ、これ1ヶ月前に読んでいれば間違いなくラノサイ杯に投票してたわ!!!

 でも思うのは、これ、ラノベにカテゴライズしなくてもいいなぁって。
 挿絵もカラー口絵も、まして表紙にすらアニメコミック調の絵が用意されていないことが逆にイマジネーション膨らませてくれたっちうか。

 ラノサイ杯に唯一投票していた shamrock_cafe さんのコメントが秀逸。

「どうだ、ラノベか? ラノベじゃないのか!?」とちらっと葛藤したものの自分ルールの「ラノベ読みにオススメできるか?」という基準に「YES」だったので投票する。

 あああ、そうそうそう!
 まさにそんなカンジ!
 ライトノベル読んでいる人にもう一歩だけ世界の外にあるモノへ触れて欲しいっちうか。

 いまはこれライトノベルじゃないと思うんですけれど、以前から言っているようにラノベ読みが読めばラノベになるのではないかなって。
 べつにラノベにしたいわけではないけれど、そういう作品を選ぶのもラノサイ杯だなーって思います。



 比較するワケではないですけれど、読書中に思い浮かべたのが『夕闇通り探検隊』と『僕と『彼女』の首なし死体』。
 前者は男女構成についてで、後者は愛を知らない主人公に。
 好きなモノを連想するってことは、やっぱり好きなんだなー(笑)。


 本格だの古典だの言う推理ファンには敬遠されるカモですけれど、そういう作品じゃないと思うのでー。
 過ぎ去ったもう手の届かない時間への郷愁と、いま手にしている大切な感情について考える物語なのです。
 

■■ 2月19日 ■■
TALK:BOOK更新しました。

 昨日は帰りにBARへ寄ってお酒をたしなんできたら、見事に寝坊したわ!
 なんかね、修道院でつくってる珍しいジンがあるって言われたものですからホイホイとおかわりして飲んじゃってね……(笑)。
 いや、これがジンにしては珍しいくらいに甘さを感じて、初体験な美味しさだったもので。
 しかし香りはジンって感じられるんですからスゴイ。

 もっとも香り自体は若干弱めなので、ジン好きには物足りない部分もあるかもですがー。


 で、起きてみたら五輪 男子フィギュアのフリーが始まってて、見たわよ!
 三人の日本選手の勇姿、そして最終滑走組のみんなの演技。
 すごかった〜。

 4回転に挑んだ高橋選手とプルシェンコ選手が銅銀で、挑まなかったライサチェク選手が金ってあたりがなにか物議を醸すかもですけれど、演技内容でいえばライサチェク選手は完璧でしたから当然の受賞でしょう!
 まさに金に相応しい演技をしましたよ。
 会場内の盛り上がりも、今日イチバンでしたしね!

 靴ひもが切れたアクシデントに見舞われた織田選手も、ライサチェク選手のあとだったから救われた部分はあるかなぁ……とか。
 観客もちょっとライサチェク選手の演技に酔ったカンジがあって、それが織田選手のアクシデントで冷静さを取り戻したといいますかー。

 とにかく面白い男子決勝でした。
 
■■ 2月18日 ■■

 森美術館で開催している「医学と美術展」へ行ってきたー。
 うん、これは面白かった!
 いや、人によっては……な傾向が大きくみられる展示だったかもだけど。
 とりあえず断面図スキー(あれよ? あれのスキーだからね?)へは最初の展示だけでも見に行く価値があるのではないかと。
 同好の士の歴史を感じることができるから。


 以下、メモ書きと照らし合わせながら感想〜。


 アンディ・ウォーホールのシルクスクリーンがありました。
 「医学」という部分からは意外だったのですけれど、心臓を描いたそれは今回の展覧会の主旨に極めて沿った作品だったのかもなーと得心。

 白宜洛の大きな心臓の模型「リサイクル」やマグナス・ウォーリーンの3Dアニメ「エクササイズ・パレード」とかは、その意図や方向性は感じられるのですが自己顕示する部分のほうをより強く感じていまって好きじゃなかったかなー。

 そういう芸術面で面白かったのはデミアン・ハーストの「ニューヨーク」!
 5段6段ある陳列棚に薬剤のビンとか箱とかが列んで収められているだけなんですけど、それが「ニューヨーク」って題名付けられると摩天楼のストリート写真みたいに思えてくる不思議!
 しかもなんだかカワイイってところがポイント高し。
 医学という部分になにか「自分の」哲学を投影しているほかのそれより、ただありのまま表現しているところが好きなのかなー。
 ネタをネタとしてだけ昇華しているっちうか。


 近世で用いられた義眼とか半世紀前のレントゲン撮影機とか、工具の展示は興味深かったです。
 いや、興味深いっていうかリアルっていうか……。
 弓形切断ノコギリや穿孔用具、弾丸摘出鉗子とか……。
 これ、実際に使われていたんだよなぁ……って考えると、描かれた作品群よりわたしの中では重みが増しちゃって。

 ああ、男性用マスターベーション防止器とか貞操帯とかも、実際に使われていたんだよなぁって考えたら、より興味が増しましたけどね!(笑)
 マスターベーション防止は英語で「Anti-Masturbatory」って言うんだよ。
 まめ。

 「Anti」ってすごいなぁ……とか。
 魔法の呪文みたいじゃあない?
 これかけられると男の人は自慰ができなくなってしまうギアスの一種。


 工具ではないのですがジョージ・ワシントンの義歯とかダーウィンの杖とかナイチンゲールのモカシン靴とかも展示されてました。
 なんだか非常に「蓬莱学園」臭が(笑)。

 しかもダーウィンの杖なんて、本体がクジラの骨でヘッドが象牙で作られているんですよ?
 欧米人ってこれだから……とか思ってしまったわ。


 未来のアイテムとしてHONDAが製作した体重支持型歩行アシストとか、脳波を検知して走行する脳波駆動式電動車椅子とかも興味深かったですねー。
 少し先の未来のカタチを見せてくれていて。
 HONDAのそれなんてデザインからしてSFとシンパシーありますもん。
 いろいろあって企業としてのアイデンティティを疑いだしてしまいましたが、あそこの根底に流れるスピリッツはやっぱり面白いと思いますね。

 あ、電動イスについていたPCがDellのLatitude D505でした。
 うーん、CeleronMで動かせてしまうのですか……。
 最近のマシンのオーバースペックぶりを感じずにはいられませんね。
 3Dエロゲのためにマシンのスペックが上がっている……ワケではないですよね?(^_^;)



 歴史的なアイテムとしては英国女王のロイヤルコレクションの中から、ダヴィンチの素描が展示されていてなかなか目を引きました。
 解剖図とかのスケッチのしたにダヴィンチのコメントが記されているのですが、これが鏡文字なんですよねー。
 なぜそう記したのか、その意図を考えてしまったりして。

 あと全く体調不良の無いと謳った老人のもとへダヴィンチが話を聞きに行ったら、その数時間後に老人が突然死しダヴィンチが解剖したところ動脈硬化障害による衰弱が分かったー、ダヴィンチの解剖の功績ー……ってカンジで説明されていた箇所があったのですが。
 え、数時間後って、それ怪しくない?とかねとかね!


 杉田玄白の「解体新書」も展示されてた!
 教科書で名前だけ記憶したものをこの歳になって実物見られるとは!
 こういう感動?を憶えるためにも、やっぱり勉強は大切だと思うー。
 勉強してそれが何であるかを知っていないと、生きている時間に得られる感動がその分だけ減ってしまう(増えていかない?)のですから。


 遺伝子の二重螺旋を解明した人フランシス・クリックの螺旋スケッチとか、その意義を考えるととても貴重なモノですよねー。
 こんなスケッチが!!!とか思ってしまったわ〜(笑)。
 さらにノーベル賞受賞通知の電報とか、いつかネタにできるかもって知的好奇心。
 20世紀半ばの電報ってこんなカンジなのかーってあたりも。



 そんな次第でわたしの知的好奇心を思いっきり満足させてくれた展示でした。

 場内、携帯電話の使用が不可だったので手帳に書き書き書き……。
 広くない場内なのに2時間くらいみっちり書きながら見て回ったわたしは、関係者からすると異様に映ったかも……(^_^;)。



 で、そのあとは森ビル52階のスカイビュー内にあるラウンジでランチしたり。
 オタクにはアウェーですが、ベーグルが美味しそうだったのでー。
 しかし「今日のランチ」での「クリームチーズとサーモン」が無くなってしまったので現在は「モッツァレラとドライトマトのジェノベーゼ」に切り替わってるって言われたのですがー。
 バジルソース好きとしては問題なしで、笑顔でお願いしちゃったり(笑)。

 そんなランチセット、ベーグルはまあまあでしたけれどスープがイマイチだったかなー。
 ハーブティーとデザートのフォンダンショコラは美味しかったけど。
 今度行くことがあればスカイビュー内のほかのお店にしよっと。
 
■■ 2月15日 ■■

 夏コミ申し込み、完了〜っ!!!
 ジャンルコードは800!
 ……この意味が分かるな?(`Д´)

 いえ、ま、FC小説なんですけれども(笑)。
 ええ、はい、『葉桜が来た夏』で(`・ω・´)。


 最初で最後かもしれませんし悔いの残らないようにしたいです。
 ので、わたしひとりだけではなくて『葉桜が来た夏』を楽しんだ人にも参加してほしいな〜……なんて思ってます。
 詳細はスペース取れていたら決めますけど、落選していたらコミトレに申し込むかも。
 それくらいには本気です。

 そんな次第なので、ちょっと憶えておいて下さると嬉しいですv



 ラノサイ杯の投票が終了して、いまは集計中……ですよね?
 このあとはてな分が加算されたりして最終結果待ちなんですけれど、とりあえず現状での集計状況を見ているのですがー。
 『紫色のクオリア』が強すぎやしませんか?と、驚き桃の木。
 これはちょっと意外だったかなー。
 下期、そこまで話題になっていたかな?という思いが。

 いや、そうではなくて、ラノサイ杯の時期に投票するほど管理人の皆様のココロに残っていたのかという驚きでしょうか。
 もっとほかに皆様、話題にしていた作品は多かったように感じていたので。

 しかもSFでしょ〜?(笑)


 SFといえば『ピクシー・ワークス』が『ほうかごのロケッティア』の上に来ていることも意外。
 先刻申したように、わたしは『ほうかご』のほうが人気あるように感じていたので。
 少なくとも『ピクシー・ワークス』は主人公少女たちのアウトローっぷりについて眉をひそめた管理人さんが多数見受けられたのですよね。
 ですからこういった場での評価は見送られるのではないかなー……と。

 てぇことは、ですよ?
 ライトノベルにおける恋愛要素って、もしかしたらそれほど最上位な要素では無かったりしますか?
 それよりも目標に向かって駆け抜けていく一心さとか、ぶつかったり離れたりしながらも互いを思い合う絆とか、「誰か」のためになにかをしてあげるという自己犠牲と奉仕の精神とか、そういうモノのほうが惹き付けたりするのでしょうか?
 ここ、ちょっと考える余地があると思うー。


 そんなSF作品の健闘ぶりのなかで『アスラクライン』の低迷にしょんぼり……。
 あっれぇぇぇぇぇ???


 これからの注目作家という点では『さよならピアノソナタ』の杉井光センセ、『ベントー』のアサウラせんせあたりでしょうか。
 ああ、『僕は友達が少ない』『ラノベ部』で票が割れた平坂読センセなどは、今回著者別で集計すっればもしかしてトップですか?
 むぅ……。
 デビュー当時は……っと、これは言うのは適しないわ。ごめ。


 と、いうワケで、最終結果待ちデス!
 豊島ミホせんせと初野晴センセは入らなかったですか……(T▽T)。
 
■■ 2月14日 ■■

 「ビールの美味さがわからない」ってスレ?、わりと定期的に立てられていたりしますが。
 コーヒーについても。

 世界的、あるいは社会的に摂取されている食物について「美味しい/不味い」といった個人的好き嫌いで判断することに意味はないと思うー。
 いや、仲間内、あるいは同クラスタで語る分には大いにどうぞってカンジですけども。


 「人間にとって毒ではない」というレベルまで価値が無いものであっても、それが食べられているののならそれはもう「不味い」という理由のみで生活から切り離 すわけにはいかないモノとなっている現状があるのでしょうし。
 その食物しか採れない、とか。


 そして商品として価値が認められていて流通されているモノに対して「不味い」と言うことの不毛さってあるかと。
 社会的に選択の余地が残されている中で、しかしそのモノが選ばれているという事実があるのであれば、それは「少なくない人が『不味い』とは思っていない」という証左にほかならないと思うのです。
 価値が認められているワケですし、食べ物においての価値とは「美味しさ」なのですから。


 であるので、「ビールの美味さがわからない」って言う人は、自分がこの社会に置いて「特異な」価値観念の持ち主であることを誇示したいだけ……なのかなぁ、と可哀相になってしまいます。
 そもそも隣に「美味しい」と思っている人が居るなかで「不味い」なんて自分の考えを押しつけるようなことをすること自体、子供じみているとしか。


 あと、ビールはそもそも苦いものです。
 ですので「美味しさが分からない」ではなく「苦いから嫌い」という分には、まぁ、よろしのではないかと。
 そして苦さという味覚は生物的に危険信号を受理していることであって、その信号は経験によってやわらいでくるという事実もあります。
 であるので、「経験不足」ということのみは事実としてあげられるわけでー。


 美味い!はまぁ幸いであるから良いとして、不味い!というのはどれだけの範囲を味わってから言えたものなのかと小一時間。
 日本で販売されている大手メーカーのそれを食したくらいで全てのそれを「不味い!」と言い切ることができるのかどうか。

 この点では「のどごしが〜」ってコメントする人も同様に反発してしまうかなぁ。
 味だっつってんだろ!みーたーいーなー。
 まるでビールに味が無いみたいじゃないですか、「のどごし」だけを強調されると。



 てか、そもそもわたし
 「○○についてわからない」って言い回しが嫌いなんでした!(笑)
 わからない?なら調べなさいよ、判断しなさいよ……って思ってしまうので。

 あー。
 このわき上がる反発心は、それが理由かもだわ(^_^;)。

 ビールは美味しいし、コーヒーも。
 わたしはそう感じてます。

 
■■ 2月8日 ■■

 『涼宮ハルヒの消失』を見てきたのですがー。
 どうにも合わなかったです。
 原作もこんなカンジだったっけかなぁ……。


 冒頭、なにかが起こっていると察してからのキョンくんの行動が、あまりに浅慮で気持ちが乗れなかったトコロが始まりかなー。
 手当たり次第にクラスメートへ当たってみたり、挙げ句、朝比奈さんには
 「胸の谷間に星形のほくろがあるはずです! 見せて下さい!」
 ――って、あーた。

 作品世界の常識であり、視聴者も一緒になってその共通知を味わうトコロなのでしょうけれど……。
 このあたりのキョンくんの行動は「主人公としての驕り」があるのではないかとカンジてしまったのです(それは制作側の甘えという原点があると感じます。根本的にはキョンくんのせいとは違います)。

 「脇役以下じゃないか。そんなのイヤだ」といったセリフもありましたが、それもなぁ……。


 まぁ、そうして失ったモノの大きさに動揺し、惑い、それでいてようやく辿り着いた「藁」がやはりハルヒであったことにカタルシスがあるのかもしれません。
 この作品のキモのひとつっちうか。
 にしても、そこまでのキョンの行動をわたしはそれほど理解できませんし、察しようにも共感できないのです。


 大変だったな……とは思うものの、事件もなにもかもが用意されていた感があって、空虚なものを覚えてしまったのです。


 ああ、そうか。
 ハルヒと出会い、SOS団の面々と一緒に活動して、さらにその外の社会へもつながりを持った、拡げたキョンくんの、あまりに「世界に用意された主人公然」というポジションが妬ましいから思うことなのかもしれません。
 キョンくんの言葉を借りれば、わたしは「脇役以下」なのですから。


 ヒロインたる長門も、カワイイっちゃあカワイイのかもしれませんけれど……。
 うーん。
 そこまで惚れ込む要素は、わたしにはなかったということで。



 1期?のTV版でわたしが好評したのはライトノベルという媒体の解釈を、京アニがとても深く捉えて描いたトコロにあったとおぼえているのです。
 表現の方法論として。
 あれから数年経ってこの映画「消失」があるわけですが、そこに解釈として京アニらしい表現方法があったのでしょうか?
 ここがなぁ……。
 わたしには見えてこなかったというか。

 作画が綺麗とかそういうレベルの話ではなくてー。
 楽しみにしていたのは長門の可愛らしさでもハルヒの奔放さでも両者のギャップ萌えでもなくて。
 ライトノベルからアニメーションへ、媒体が移るときの技術の変遷と挑戦だったのだと理解します。

 丁寧な作品でした。
 でも、意欲的なアプローチがあったのか、わたしは感じられなくて残念だったのですね。




 そんなカンジでモヤモヤしていたから、池袋へ行って『イブの時間』の特典付き前売り券を買って来ちゃいましたよ!
 いや、そんな気分でなくても買わなきゃ買わなきゃと年始からずっと思っていたのですが!

 昨年末発売開始だったのでもう残っていないかな……と思いつつも、自ら確かめないとどうにもならないわけで。
 しかしやはり期待はせずに窓口へ行ったトコロ――ああああ、あったよ!
 やたーい!(≧▽≦)

 もう今日は『消失』であんな感想吐き出しちゃったから凹んでいたのですけれど、これで良し!
 今日は「映画を見に行った日」ではなく「前売りを買いに行った日」へ記憶を上書き修正(笑)。
 なんて素晴らしい!

 特典DVDはまだ配布されていないとのことで、後日。
 うわ〜、楽しみだわ〜♪

 まだ若干数残っているみたいなので、関東圏のドリ系な諸氏は池袋テアトルダイヤへ行くといいよ!(>_<)
 
■■ 2月7日 ■■
TALK:BOOK 09年 10年のひと言感想更新しました。

 本の感想を抜き出すためにTwitterを読み返していたら、これは残しておきたいなーって思うことつぶやいていたので転載。
 たくさんの人にフォローされている人ならいざしらず、そうでない人は「発信」の媒体としてはTwitterは適さないですよね。
 基本、内輪での会話なのですし。


 てなわけで、つぶやき〜。



 ―― ライトノベルについて ――

 少なくないラノべ読みは、ラノべだから読むのではなくてラノべとされているから読むのではないかなー、と。


 誰も足を踏み入れない森の中で「ラノべ的な作品」を生み出しても、多分それはラノべではないような。
 誰かに、特にラノべ読みに読まれて初めてラノべになるような。


 森の中の作品を“ラノベ”とするためには、森の中にそこへ至る道を作って案内板を設置して読み手に気付いてもらわないといけないとかー(宣伝と営業)。

 もし初めから“ラノベ”であることを望むなら、森の中ではなく多くの人が行き交う駅前一等地(電撃とか)で活動開始するべきだよなぁ……という考えが、わたしの「ラノベはレーベルが作る論」の基礎かなぁ。

 作り手側が“ラノベ”であることを狙っても的を射ないっちうか。作り手は純粋に「面白いと信じる」モノを生み出していけば良いのであって。


 ラノベ書評サイトは駅前繁華街に並ぶ飲食店を評価するグルメマップで、一般書評サイトは全国を縦断する旅行ガイド……みーたーいーな。

 深い森の中に生まれていた“ラノベ”的な作品が、森が開墾されたことによって陽の目をみてソレと認められることもあるでしょう、と。

 森の中に埋もれている作品を見つけ出してくる人は、そのセンスが良い狩人ってことなんですねぇ。本の狩人。


 少なくないラノベ書評サイトが限られたレーベルの作品のみを取り上げているということから鑑みるに、「ラノベ読者」というのは暗い森の中に分け入ることを躊躇する現実的で保守的な読み手となる……の?
 読んでいる作品は革新的かもだけど。



 ―― 悪意 ――

 もし世界から「悪意」が完全に消え去ったとしても、「どこかに『悪意』があるんじゃないか?」と疑う心は消えないのかなあ。

 でも悪意も疑心もなくなってしまったら物語が消えてしまうので、それはそれで困るのかな???
 え? 創作の根底ってそういうトコなの??



 ―― 創作物の面白さ基準 ――

 「面白い」と「つまらない」は対義語だと思うんだけど、「面白くない」≠「つまらない」なんですよね。逆もまたしかりで。
 だから「面白い」or「つまらない」と作品に関して問われたとき、うまく表現できないモヤモヤ感があるのかも。

 「面白い」と「つまらない」を対義として同軸で表すなら、中央に寄るあたりで両義が混ざり合うカオスな部分があるハズ。
 そこに転換点が在るはずなんだけれど、両端で意味が異なる軸に明確な転換点を見つけることの困難さよ。

 であるなら意味をひとつでとらえて
 「面白い←→面白くない」
 「つまらない←→つまらなくない」それぞれの軸で考えた方が良いのではないでしょうか。
 学校の先生には怒られそうですけど!


 物語の「面白さ」とはなにか?と問われたとき、読者の感情的には「行為への対価を許せるか否か」があるのではないかと思ったり。


 イヤーボーンが物語的にダメなのは「結果を得るに正当な行為」であると見なされないからであり、中二病的なゴージャス設定で望む結果を奪い取るのも、正しさから遠いところの行為だと感じて許せないからなのかなー。

 世に「王道」と呼ばれる作品は、この「行為への対価」が正当であるとの評価が定まっているもの……ではないでしょうか。

 「王道」とは「期待を裏切らないもの」で、「ベタ」とは「予想を超えないもの」とは誰が言ったか言わないか。
 思うに「ベタ」とは「行為」から得られる「結果」が単純であるか両者の関係が近すぎるのではないでしょうか。

 
■■ 2月4日 ■■

 昨日、柚子茶をジンで作ってみた(割ってみた?)ら美味しかったのですがー。
 思いのほかアルコールでめろめろになっていたらしく、今日はほとんど使い物になりませんでした。
 失われた一日だったわー……。


 夏コミの申し込みをしなければいけないのですけれど、オンライン申し込みするつもりなのでまだ日にちがあるか……。
 とか思っていると逃すんですよねー(笑)。
 でももう間に合わないので、週末、オンライン申し込みをちゃちゃっと済ませますか。



 ええと、それと、今週末のサンクリですが……無理っぽいです。
 自分にもこういう時期が来てしまったことに残念。
 しばらくおとなしくすることにして、夏コミまでには体制を整えます。
 申し訳ありません。

 誰が誰に対して謝っているのかっていうと、なにより申し込んだときの過去の自分へ。




 遅きに逸した拍手れす〜♪(負けない

>「s」+「i」で「り」とか出るんですよ?
>「o」を打つと「i」になったり。

 尻……おいっ!(突っ込み)

 と読んでしまいましたw by うべ

 おおいっ!(突っ込み)
 そんな考えは、無かったんだぜ……。

 まぁ、このキーボードも先代からの継承品なので、そろそろ7年くらいになるのでしょうか。
 PCまわりではいちばん使い続けているハードです。
 それだけにわたし色に染まっているのかもしれません(尻)。

 しかしハードとしてはやぱし、引退・交代の時期かもしれませんねぇ。
 でも同メーカーの最新機種へ鞍替えするだけな気もしますw
 
■■ 2月3日 ■■
TALK:BOOK更新しました。

 富士フイルム、ペット検出機能など搭載の「FinePix」6機種を発表
 この春、コンデジ購入を検討しているわたしにはこの中から選ぶことになりそうで。
 初めてのコンデジなので取り回しの善し悪しとか機能の充実ぶりとかわからないですし、ぶっちゃけなんだってかまわないのですがー(笑)。
 富士のメインを張るFシリーズの最新機種は、いまだ日本発売は未定らしいですし・

 そういう次第なので、このなかではFinePix XP10が気になります。
 理由はボディデザインとカラーリング。
 ほんっとに機能と関係ないトコで選んでる〜!(笑)

 まぁでも、実際に手にしてみないと決められないかなー。
 発売前にどこかで手にできないかしらん?



 ペンタブ、新しくしましたー。
 最近、絵を描く時間も減ったってのに(笑)。
 んでもワイド画面のモニタにしたので、ペンタブも合わせないと気持ち悪い操作感になるので、ここは止む得ず(>_<)。

 これまでと同じくintuosシリーズなのですが、サイズを600系から840へ大きくしました。
 机の上で場所取っちゃってもー。
 しかし作業領域はあまり大きくなった感をカンジなかったりして(^_^;)。
 1200にしないと意味無かったかなー。
 宝の持ち腐れだとしても!(笑)



 Twitterを読み返して、こちらへも改めて残しておきたいものを。

 ある創作物に対して否定的な感想を抱いたとき、その創作者が感想に対して「好みに合わなかったようで『残念』です」っていうのはなにか違うと思うのです。
 その発言においては、創作物は絶対の価値を持っているものであって、それを理解できなかったことへの心残りがあるのではないかと。
 つまり、『残念』なのは「感想者の感性」であるというかー。

 創作物の瑕疵を考慮していないのではないかと思うのです。
 あるいは絶対の自信かもしれませんけれど。

 そもそも「好みに合わなかった」という部分からしてそうなのかも。
 いや、まぁ、そういう考えにはわたしも賛同できるのです。
 ひとそれぞれ、感性も観念も千差万別だってことは。
 でもそれで片付けちゃっていいの? 創作者は?

 たかが消費する側の人間でしかないわたしが言うのは傲慢ですけれど、それで片付けてしまうことは謙虚さが足りないのではないかと思ったりしたのです。


 自分の創作物には価値がある……と思っている人よりも
 自分の創作物には価値があるのだろうか……と疑っている人をわたしは尊敬します。
 ただ、それだけ。



 ハイチの大地震の被災者へ千羽鶴を送ろうと言ったらブログが炎上した問題。

 発起人の人はただ善意の表し方を知らないだけなんだと思うー。
 その行為や想いを偽善と言った人がいるけれど、それは違うのでは?
 そこに被災者を救いたいという気持ちがあれば、それは偽り無く「善」。
 ただまぁ、非効率的だよね……という話で。

 救いたいという気持ちがあるなら、どうすれば救えるのか、なにをすれば救ったことになるのかを考えないと。
 千羽鶴を送って、被災者の状況がどう変わるのかを考えましたか、っちう。

 そうしたことも含めてやらない善より、やる偽善…って論で語るなら、それは偽善ではなく独善でしょう。
 扱いに困るという点では同義かもしれませんけど。




 はいはいはい、そんなカンジで生きてますよー。
 むしろTwitterでは饒舌なんじゃないかってくらい(笑)。
 思考のカオス化っちうか、なにかが生み出されるような不思議な感覚がありますよね、Twitterは。
 たいていは益体もない「つぶやき」であっても。


 タイムイズマネー! ボヤッとしてたらあっと言う間に1ヶ月が過ぎてしまう今月も、よしなに願います。
 

 

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