失われた夏 |
ズッ、ズズッ.... ビチャリ....、ズッ、ズルル.... 開け放っていた窓から、濡れた物体を引きずるようなイヤらしい音が聞こえてきた。だが、なぜだろう、その音の耳にしてボクの股間がうずきはじめた。 音が近づいてくる。股間のうずきが高まり、痛みとなってボクをさいなむ。ボクは股間に手を当て、じっとその痛みをこらえた。 まとわりついてくる感じを伴った音が、よりはっきりと生々しく聞こえてくる。下品にものを食べているときのような音も混じっている。股間で起こっている灼けつくような痛みに耐えながら、ボクは起こる音のひとつひとつを捉えていた。 ついに、音はボクの家の前までやってきた。窓の下より、そいつがゆっくり通ってゆく様子が伝わってくる。ボクは股間に手を当てたまま、窓へと近づき、外を覗き見た。 アスファルトの道の上に、乗用車ほどの大きさをした、ぬらぬらと光る赤黒い塊があった。その姿を見たとき、ボクの股間に、ひときわ尖鋭な痛みが走った。 「あっ、ああ....」 走り抜けたその痛みとともに、ボクは嗚咽を漏らした。 あの赤黒い塊は、肉の塊に間違いなかった。そうして、細かに震え、蠢き、道の上をじわじわと這い進むあの肉塊の中心には、ボクのペニスが埋まっている。 肉塊を見たときに感じた痛みが、そのことを教えてくれた。さっき感じたあの痛みは、ボクがペニスを失ったときのものだった。 四年前の夏の夜のことである。たっぷり湿気を含んだ空気が持つもの憂い気だるさに身を任せ、ボクは意味もなくあたりを徘徊していた。 誘われたのか、自ら入ったのか、気づけば、あの肉塊よりも赤黒い色に覆われた部屋の中にいた。 部屋の詳しい様子は、記憶に残っていない。そこがどこで、どんな場所だったかさえも覚えていない。ただ、ボクの前にはひとりの裸の女性がいた。 視界に映る赤黒い光の中、その白い肌が、なまめかしく浮かび上がっている光景は、今もはっきりと覚えている。そうして、かすかにしめり気を帯び、触れた指に吸いついてくる皮膚の感じや、ふくよかでやわらかな胸の感触も、それが今現在の感覚を凌駕してしまうほどまでに、生々しく実感することができる。 しかし、彼女がどんな顔をしていたのかは、思い出せない。思い出そうとしても、彼女の顔は、暗い影に覆われたままである。もしかしたら、顔など見ていなかったのかもしれない。彼女の容貌でボクが覚えているのは、強烈な赤の色を見せていた唇の部分だけである。赤く光る唇と、それとは対照的な輝きを見せる白い歯、その両者を混ぜ合わせたかのように、薄桃色にヌメる舌。 「ふふっ」 彼女の唇がわずかに開き、ゆっくりボクへと迫ってきた。 そこから後、見たことについての記憶は、ほとんど飛んでしまっている。わずかに思い出せるものとても、彼女の肌の色だけである。もしかしたら、以後、ずっと目をつぶっていたのかもしれない。残っている記憶は、すべて肌と肉に染みついたものばかりである。 かすかに触れてきた彼女の唇から軽く力が伝わってきた。ボクの唇がわずかに開かれ、すかさず、そこから彼女の舌が滑り込んできた。彼女の舌が、ボクも舌に絡んでくる。その裏を嘗める。つつく。口を吸われる。 口の中に、快感のうねりが訪れてくる。それは、彼女がゆっくりとその唇を話した後も、余韻として残った。 舌と歯茎、口内粘膜で味わっていた感触が、股間へと移る。彼女の舌の先が、ペニスの裏の付け根の部分をゆったりとまさぐっている。袋を軽くふくむ。ねぶる。 舌先を尖らせ、裏筋の部分を舐めあげてゆく。ボクの腰の付け根から背骨の中を、ズズズーと快感が走り抜けていった。 彼女の舌が、亀頭の部分を素早く舐め回している。舌先でつつかれ、ねぶられ、舐め回され、ボクの中を小さな快楽の波がさらってゆく。 すっと亀頭に、よりあたたかな感触が伝わってきた。そのあたたかな包容が、ゆっくり下がってゆき、ペニスの付け根の皮膚に彼女の唇が触れるのを感じた。 そのあたたかな感触の中から襲ってくる彼女の舌の感触。口で包み、舌を添え、絡め、つつき、動く。吸う。 彼女の動きにあわせて、さまざまな感覚が心地よさとなって、ボクの体を伝わってゆく。下半身ばかりか、体全体が彼女によって包まれているかのような感覚を覚える。その感覚の中で、快楽のうねりは寄せては返し、寄せては返ししながら、徐々にその波を高めてゆく。 ボクはともすればのぼりつめてしまおうとする衝動を抑えつけていた。彼女の口が与えてくれる感触を、ずっと味わっていたかった。このままずっと、全身にまで広がっているやわらかなぬくもりに包まれていたかった。 「それでもいいのよ」 肉の快楽に溶け込んでいたボクの頭に、彼女の涼やかな声がすっと入り込んできた。そのとき、ひときわ熱く、急速な高まりが股間に訪れた。 こらえ、蓄えられていた快感の塊が、一気にペニスを駆け上り、ほとばしり出ようとしたその瞬間だった。 ブチッ! 肉の千切れる音が、全身に響きわたった。一瞬、視界が赤に反転し、すぐさま闇に沈んだ。 それから後のことは、何も覚えていない。気がついたときには、股間に重いうずきを抱えたまま、ボクは自室のベッドに横たわっていた。うずく股間に手を当ててみれば、そこにペニスはなかった。 しかし、うずきが消えてしまえば、ペニスを失ったことなど、所詮はどうでもイイことだった。あの夜、彼女に与えてもらった感触と快感は、今もしっかりこの体に残っているのだから。 道路の上を、赤黒い肉の塊が、蠢き、這い進んでゆく。 あの肉塊の中心には、かつてボクのものであったペニスが埋まっている。だが、それはもうボクのものではない。 あのペニスは、何かを目指してさ迷い続け、ここまでやってきたのだろう。そうして、その途中、同じく捨てられたものたちと一緒になり、あのような肉の塊になったのだろう。 だが、彼の目指すものはボクではない。ボクのもとにいたときから、彼はその見えぬ何かを目指していた。でも、ボクは、そんな彼の思いにはこたえられなかったし、こたえたくもなかった。ボクはこの家の中に留まっていたかった。彼とともに、当てどない旅に出るなど、考えたくもないことだった。 彼は、あの肉の塊は、これからもその見えぬ何かを追い続けてゆくのだろう。醜悪な姿を曝しながらも、それでも、這いずり、進みゆくのだろう。 ボクは、ずるずると進みゆく肉の塊をずっと眺め下ろしていた。股間の痛みは、すでに治まっていた。その痛みさえも、消えてしまえば、もうどうでもイイことだった。 |
「月夜の物語」の入口へ | ホームに戻る | |
"send a message" to Suzumi |