裸の王さま
 あるところに、名君と誉れ高き王さまがいました。領民に対しては、厳格ではあれども、公正であり、仁政を執り行い、外敵に対しては、勇猛果敢、されど敵への温情も忘れぬ王でした。そのため、領民たちは安心して日々の生活にいそしみ、国内は平和と安定に包まれていました。
 あるとき、王さまのもとに、ひとりの旅の商人が献上品をささげに参上いたしました。
「で、私に見せたいものとは?」
「はっ、これにござります」
 商人は両抱えほどの大きさの荷を王の前に差し出し、「これをご覧ください」と、その荷をひも解きました。しかし、そこには何も入っていません。
「これが?」
 愚か者には見えぬという衣を売りつける商人の話を聞いていた王さまは、落ち着いて言葉を返しました。
「おおっ、まさしく」
 王さまの答えを聞いて、商人が驚きの声をあげました。
「お噂通りのお方、はるばる旅をしてきた甲斐がありました」
 そう語る商人のよろこびの表情には、ウソがないように感じられました。しかし、王さまは納得がゆきません。
 とりあえず、王さまは商人の語るに任せてみました。
「実は、これこそが持ち主を選ぶと言われる幻の衣、『君主の衣』なのです」
「持ち主を選ぶ?」
「はい、その通りでございます。この衣を見ることができる人もわずかなれば、まとうことができるお方は、百年、いや千年に一人、真の名君だけなのです」
「ほう」
 王さまは感嘆の声をあげはしましたが、やはりその商人の話を信じてはいません。
「しかし、わずかなものにしか見えぬのであれば、着ていて困るのではないか?」
 皮肉めいた言葉を口にしながらも、王さまには商人をとがめる気持ちはありませんでした。
「いや、それがこの衣も持ち主を選ぶといわれる由縁なのです。この衣は、真に自身の主たる人物に纏われるまでは、その姿を明らかにすることはないのです。失礼ながら、現在、王さまにも、この衣の姿はうっすらとしかお見えになられていないはず」
「あっ、ああ....」
「では、早速お召しくださいませ。さすれば、この衣は真の姿を現わします」
「だが、私が選ばれなかったときは」
「もし仮にそうであったときには、この衣はこのまま、薄い影のままです。しかし、あなたさまならば、この衣の真の主であらせられると、そう信じ、長い旅の末にここまで参りました。そうして、今は強く確信しております。あなたさまこそが、真の主でいらっしゃると」
 悲愴感さえ感じられる商人の様子に、王さまは同情を覚えてしまいました。ウソはない、この男は本当にそう思っているのだ、と。
 王さまは、商人が恭しくささげるその『君主の衣』なるものを、受け取ろうと両手を差し出しました。
----よく見れば、確かにうっすらと見えるような気がする。だが....
 思案する王さまの手の上に、フワリとわずかな感触が伝わってきました。
----まさか!
 確かに布の感触があります。王さまは、早速別室に行き、着替えを始めました。
 そうして、着替えが終わり、王さまが再び商人の前に姿を現わしました。
「おっ、おお....」
 王さまの姿を見るなり、商人は言葉を発することもできず、ひざまずいた姿勢のまま、しばらく茫然とその姿を眺めていました。
「まっ、まさしく、あなたさまが....」
 ようやく口にされた言葉も滞り、商人の目から、ボロボロと涙が零れ落ちました。
「なっ、何という幸せ、生きている内に『君主の衣』の真の姿を拝見できるとは。商人としてこれ以上の幸せはございませぬ....」
 涙を拭うことも忘れて、言葉を口にすると、商人は両手をつき、深々と頭を下げました。
 周囲でその様子を見ていた従者たちにも、真紅の布地に金の刺繍が施された燿かしき衣をまとう君主の姿が、はっきりと目に映っていました。
 王さまは頭を下げたままの商人へと近寄ると、やさしくその肩に手をかけました。
「そなたのおかげだ。お礼をしたい」
 しかし、商人は頭を下げたまま、激しく首を横に振りました。
「お礼など、そのお姿を拝見できただけで満足でございます。さすれば、今一度、そのお姿を」
 と、商人が再びその顔を上げました。
「おっ、おお....」
 真紅の衣をまとった王さまの姿を目にし、涙顔の商人は、再び感嘆の声をあげ、ひれ伏したのでした。

 「君主の衣」の噂は、その日の内に、城内はもとより城下にまで広がり、数日の内には、領内全土にまで知れ渡りました。
 商人が訪れた翌日、王さまが領内の見回りに出かける時刻となると、城門の前には、一目その姿を見ようと領民たちが押し寄せていました。そのため、領民たちの整理を行わねばならず、王さまがお出ましになられる時刻は、いつもより遅れてしまいました。
 今か今かと待ち受ける領民たちの前、城門が開き、いつものように白馬に跨った王さまが姿を現わしました。群衆から、「おおっ」と、喚声とも、どよめきとも取れる声が起こりました。
 その声のほとんどは、真紅の衣をまとった王の姿に対するものでありましたが、中には、戦場での傷跡を残すたくましい王の肉体に対する感嘆によるものもありました。ですが、後者の者たちは、王さまへの信頼感と周囲の者たちへの気がねから、余計な言葉を口にすることはありませんでした。無論、声をあげることもできぬ者たちもいました。

 一月あまりが過ぎ、領地の外れに住む一人の少年が王さまの姿を見ようと、母親とともに城下までやってきました。
 その日、いつものように王さまが姿を現わすと、やはりいつものように感嘆の声があがりました。そうして、王さまが例の少年の前に差しかかったとき、その少年が王さまを指さし、大声で言いました。
「あー、王さま。裸だぁ」
 周囲にいた領民たちの視線が、一斉にその少年へと集まりました。
 王さまの乗る馬の歩みが止まり、ヒラリ、馬上より王さまが地上に下り立ちました。
 少年の母親は、「何てことを」と少年を叱りましたが、もはや手遅れです。領民たちの冷たい視線を外す術もなければ、歩み寄る王さまも止める手だても、もちろんありません。おまけに、当の少年までもが「何でぇ。だって、裸じゃん」と、ふくれっ面で再度その言葉を口にする始末。
「もっ、申し訳ございません。ご無礼の段、お許しくださいませ」
 母親が何度も地面に激しく額を打ちつけ、謝罪しましたが、王さまはそれにかまうことなく、少年の前までやってきました。
 王さまは軽くかがみ、少年に尋ねました。
「君は、さっき何て言ったのかな?」
「王さまは裸だって。でも、どうして裸なの?」
「君にはこの衣が見えないのかい?」
 王さまに尋ねられ、少年は「うんっ」と元気よく答えを返しました。
 王さまはすっと背を伸ばして、振り返ると
「衛兵」
 と、一喝しました。
「はっ」
 すぐさま、衛兵が駆け寄ってきました。
「この少年を捕らえよ。この者は私を君主とは認めておらぬ。このまま育てば、わが国にとって危険な存在となる。また、念のため、母親の方も捕らえ、尋問いたせ」
 指示を終えると、王さまはくるりきびすを返し、再び馬上の人となりました。

 少年とその母親が兵によって連れ去られ、王さまの一行も立ち去った後、今までその様子を眺めていた群衆の中で会話がありました。
「さすがは王さまだね」
「ああ、あのままだったら、結局、リンチだったろうからね。連れ去ってもらって正解だよ」
「なぶり殺しは、いやなものだからね」
「ああ、せめてひと思いにやってあげるのが人情ってもんだろう」
「さすがは、衣に選ばれし王だ」
「ああ」
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