去来抄
(18篇)
◇◇◇ 目次 ◇◇◇
去来抄
そんな夜/そんな夢/諸行無常/距離感
シャボンの夢、ガラスの夢/スカ/どこにも何も/ここにたたずむ/繰り言
悪夢/それでも俺は/闇はどこにある/行き止まり
落雁/ここにいない/景色
冬の蒼天
去来抄


春の景色は雨にけぶり
私は何処へ行こう

降る雨にまじり
散り落ちる桜の花びら
ひとひら
またひとひら

音が消えた
雨は降っている
桜が咲いている
散っている

音は何処へ行った
私は何処へ行けばいい

私は天空にいる
私は降る雨となる
私は散り落ちる花弁
私はここにいる

雨が降っている
景色がくゆる
音は消えている
私はここにいる
そんな夜


さらさらと雨が降る夜
ぽつっ....
ぽつり....
小さく雨だれの音が聞こえてくる

思い出や失われたはずの思いが
空気に漂うしめり気のように
そこはかとなく浮かび上がり
雨だれの音とともに消えてゆく
そんな夢


振り返ったら、そこにあなたがいた
そんな現実を迎えてみたい
追いかけるだけの思いは
もうたくさんです

振り返ったら、そこにあなたがいた
そうして今
私の傍らにはあなたがいる
そんな現実....
諸行無常


私には悲しい思い出がある
私には好きな人がいた
だが、その人を失ったのではない
その人への思いを失ったのだ

あれほど確かだと感じていた思いも
年月を経れば失ってしまう
これは悲しいことだ
寂しいことだ

思い出はかつてその思いが存在したことを教えてはくれるが
ただ懐かしさを漂わせるだけで
決してその思いを甦らせてくれはしない
失ってしまったものは、もう取り戻せやしないのだ

かつて思いがあった場所には穴が開き
その穴の中に思い出が横たわっている
そんな思い出は悲しいに決まっている
距離感


微妙な関係
壊したいけど
壊れてしまうのが怖くて
一歩の隔たりをもったまま
ふたり、もの言いたげな表情で
わずかに微笑み
「またね」と
シャボンの夢、ガラスの夢


かつて私が見ていた夢は
シャボンの玉
触れれば、はじけ
膨らませば、はじけ
今はその思い出が残るばかり

今、私が日々に見る夢は
小っちゃなビー玉
膨らむことのできぬ夢
ささやかな光
口に含むと、冷たい味がする
スカ


薄い
今の私は希薄だ

すかすかのスカ
だから涙を流すこともできやしない

すかすかのスカ
泣きたいはずなのに涙さえもうない
どこにも何も


もし時を巻き戻せるとしたら
私は何歳の時に戻ろうか?

無駄な問いかけだ
戻る時などありはしない
たとえ戻せたとしても
私は再びここに帰ってきてしまう
変われる自分であれば
今の私はここにはいない

戻れる時もなく
今がこれからも続いてゆく
ここにたたずむ


帰りたい
時折、無性にそう感じる
帰りたい
泣きたくなるぐらいの激しさでもって
その思いが込み上げてくる

でも、どこに帰ろうというのだろう
私には帰る場所などないというのに

行くあてもなく
帰る場所もない
なのに、帰りたいという思いは込み上げてくる
繰り言


波打ち際に砂で城を作る
波にさらわれ、それが消える

そこにある砂を手ですくっても
それはさらさらと指間から落ちてゆく

そんなことの繰り返し
だから心が枯渇してゆく

飢えた心は
世界を喰らう術を持てずに自らを喰らう

崩れてゆく
沈んでゆく

両手でそれをすくっても
やはり指間からこぼれてゆく

私にはそれをすくうための器がない
すべて指間から流れ落ちてゆく

何も残らない
ただ手を見る
悪夢


ここに私はいたい
私はここにいたいのに
ここにいるのは殻の私
それが息をし、飯を食い
生きているかのようなふりをして
こうして言葉を吐いている

本体はいつの間にか失われていた
そんなことさえ気づかなかった
気づかぬうちに侵食は始まり
気づいたときには
私の中には何もなく
殻の私だけが取り残されていた
それでも俺は


目指す当てもなく
期待できるものとて何ひとつなく

(それでも俺はメシを食い)

鬱々とした気持ちに覆われたまま
日一日、笑うこともなく過ごし

(それでも俺はメシを食い)

もう止めちまおうか
そう思うことさえある

(それでも俺はメシを食い)

先の当てが見えることはなく
鬱屈した思いも晴れることがない

もう止めちまおうか
生活してゆくことがこんなにも苦しいのなら
生きてゆくことを止めてしまえればいいのに

それでも俺はメシを食い
それでも俺はメシを食い
今また、もしゃりもしゃりとメシを食う
闇はどこにある


闇、
闇が見える
いったいこれはどこの闇だ
目に映る世界には色がある
だが、その彩られた世界が
脳裏では闇に沈み込んでいる
カラフルな闇
不思議だ
不思議な世界だ
ここはどこだ
私はどこにいる
行き止まり


私は今、どこにいるのだろう

「私は今、ここにいる」
ずっとそう感じてきた
しかし、いつの間にか
そう感じられなくなり
そう思うことさえなくなった

私は今、どこにいるのだろう

今の私は、ここにもどこにもいない
居場所を失ったのか
自分を失ったのか
ここにもどこにもいない私は
どこにも行けない
落雁


望めるものは感じられず
臨む意欲もとうに失い
私はぼんやり横になり
自堕落だらだら
口寂しさに
ひょいと自分をつまみあげ
口に入れる

古くなった落雁だ
固くても噛んでしまえばそれまで
ぼろぼろと崩れ、唾液に溶かされ消えてゆく
たいした味もない
口内に残る溶けきらぬ粉がぱさぱさと煩わしい
口寂しさは満たされない
なのに、私はもういない
ここにいない


目を見開いて見渡してみる
ここは日本の首都・東京の江東区だ
ビルや家屋が雑然と建ち並び
人も大勢行き交っている

だが、目を見開いてみても
私にはそれが見えない
見えているのに、見えていない
それはどこか遠く
脳裏に浮かび来る思い出のように
透けた景色となって現実感を失ってしまっている

私の目に確かなものとして映っているのは
空と大地
何もない茫漠たる景色
それだけだ
景色


ここが果てなのか
代赭色の固い大地が茫漠と続き
影となるものは何もなく
わずかに青を滲ませた灰色の空
その大地との境界線が
ただ真っ直ぐに広がっている

何もない
ここには生あるものは何もない
冷えた空気が時折、風となってそよぐ以外
動くものとてなく
ただ空と大地だ

ここが果ての世界だ
ここにも、この先にも
待ち受けているものは何もない
果てのない大地と空
それが果ての世界の証だ

当て所なくさまよい歩き続け
私はここまで来てしまった
帰りたい
彩り豊かな世界に
帰りたい
ぬくもりの感じられる世界に
ここには空と大地しかない
冬の蒼天


さらさら、ぽつり
さらさら、ぽつり
雨は降っているのか

さらさら、ぽつり
さらさら、ぽつり
音は確かに聞こえているのに

さらさら、さらら
枯れた大地に雨は降らない
さらさら、さらら
枯れた大地に雨は降らない

さらさら、さらら
なす術が見つからない
なそうとする意欲さえ湧いてこない

さらさら、さらら
白霞む水色の空を見上げ
どこかに降る雨を待ちわびている
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