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上海皆既日食(まがたま76号より)

この文章は、「まがたま76号」(2009年10月発行)に書いた記事を一部なおしたものです。「またがま」とは、私が所属する天文同好会、さいたま☆天文同好会(旧SPGAS)の会報です。なお、さいたま☆天文同好会のサイト内にある「webまがたま」では、まがたま49号(2000年12月発行)以後の記事の一部が紹介されています。

去年、中国の新疆ウイグル自治区に皆既日食を見に行き、おかげさまで念願のコロナを見ることができました。そのことにかなり満足していた私ですが、今年も皆既日食を見に、中国の上海に行きました。正確に言うと観測地は上海の中心部から50kmほど離れた場所で、行政区画上の上海市からは外れていますが、タイトルは『上海皆既日食』とさせていただきます。

出発まで

今年の皆既日食は『日本で見られる』と世間では騒がれましたが、むしろ去年より今年のほうがツアーの確保は大変そうに感じていました。小笠原やトカラ列島は抽選だと前々から聞いていました。そうなると中国が候補になりますが、忙しかったのでツアーをあれこれ検討する余裕もありませんでした。でも、行くなら日食専門のツアーが良いと思っていました。去年の日食ツアーに参加した日通旅行社から1月か2月くらいに案内のパンフレットが届いていたのですが、結局、他のツアーを考えることもなくこの日通旅行社のツアーに決めました。

ところが、いざ電話をしてみるとほとんどのコースが既に満員とのこと。去年より早めに申し込みの電話をしたつもりなのですが、やはり世間の関心は高かったようです。Aコース〜Fコースまで用意されていたのですが、「チャーター機で行く1泊2日のAコースか、追加で設定したGコースしか空いていない」と言われてしまいました。せっかく行くのですから、少しでも観光が付いていたほうが良いと思い、Gコースに申し込みました。

1日目−7月20日(月)

出発は「海の日」でした。今回のツアーは夏休みを取って参加したのですが、この日が祝日だったので夏休みを1日節約(?)できました。

実はこのツアー、上海への直行便ではなく、大連を経由するコースです。成田から上海まで直行便ならば3時間ほどですが、大連を経由しますからかなりの時間を取られます。飛行している時間以上に乗り継ぎの時間がかかりました。そのため上海に着陸したのはもう夜になってから。上海で泊まったホテルは「虹橋賓館」でした。このホテル、去年のツアーで泊まったのと同じホテルでした。

2日目−7月21日(火)

軽く上海観光

上海の東方明珠電視塔 上海の東方明珠電視塔

「平湖」に向かう日です。平湖は、上海の市街地から50kmくらいの場所だと思います。まがたま73号の「皆既日食ギリギリセーフ!」でも書きましたが、中国の行政単位はなかなか複雑です。大きな行政単位から順に「省級」→「地級」→「県級」→「郷級」という単位になるようですが、上海は直轄市であり省級の市です。一方、平湖は浙江省(省級)→嘉興市(地級)→平湖市(県級)という位置づけになるようです。

平湖に向かう前、午前中にちょこっとだけ上海観光。外灘(バンド)に寄りました。去年はバスの窓からしか見なかった「東方明珠電視塔」ですが、今回はだいぶ近くで見られました。また隣の「森ビル」も、去年は開業前でしたが、今回はすでに開業。もっとも、外からビルを見る分には去年とあまり差はないのでしょうが。この日は天気も良くとても暑い日でした。

烏鎮

烏鎮 烏鎮

その後、上海を離れて平湖に向かいましたが、その前に「烏鎮(うーちん)」という所に行きました。烏鎮は、浙江省(省級)→嘉興市(地級)→桐郷市(県級)→烏鎮鎮(郷級)という位置づけになるようです。ここでは観光施設のようなところに入りました。水路の脇に家が建っている作りで、この地域の伝統的な街を再現したものでしょうか? ある意味ベネチアのようなものかもしれませんが、ちょっと雑多な感じで、ヨーロッパと雰囲気は全然違いました。水路には船も通っていました。

昼食はこの施設内のレストランらしき場所で。暑い日でしたが、食事はクーラーが効いている場所で取れたので助かりました。ごはん(ライス)を食べたいと思った人がいたのですが、英語で「ライス」と言っても係の人に通じません。中国では英語はあまり通じないとのこと。現地ガイドの中国人が通訳をしてくれ、無事にご飯が出てきました。

昼食後もこの観光施設内を見学し、地酒や染物などを見ました。

平湖

学校 校舎の屋上にはドームが
日食の学習ポスター 日食の学習ポスター
横断幕 校舎の入口には歓迎の横断幕

観光施設を出た後はいよいよ平湖に向かい、観測地となっている「余新鎮中学校」の下見をしました。この中学校には天文部(?)があるとのことで、校舎の屋上にはドームがありました。また、校庭の掲示板にも日食のことを書いたポスターがありました。そして、校舎の入り口には歓迎の横断幕が掲げられていました。

この中学校で観測するのは、我々のツアーの客(他のコースの人を含む)とこの中学校の先生・生徒だけで他の人は入れないとのこと。安心して観測できる環境ということでした。トラックの上かトラック内の芝生の上で観測するのが良いということで、きちんと南北を示すひもも張ってくれていました。

去年の砂漠での観測に比べれば、地平線の見晴らしは悪いものの、環境は格段に恵まれていました。ただ、トイレはやはり中国式。もちろん中学校ですから、校舎内にトイレがあります。個室の仕切りはあるにはあるのですが、かなり低く、しゃがんでやっと隠れるか隠れないかという程度。しかも、一番端の個室の人がひもを引かないと流れない仕組み。校庭の端にもトイレがあったのですが、そちらのほうが若干マシだったようです。

ところでこの「余新鎮」という場所、平湖市ではないのかもしれません。どうも、浙江省(省級)→嘉興市(地級)→南湖区(県級)→余新鎮(郷級)という位置づけらしく平湖とは異なる県級行政単位に属しているようです。まあ、皆既帯の中ならどこでも良いといえば良いのですが・・・。

とりあえず状況はだいたい分かりました。下見を終えて、この日宿泊するホテルに移動。平湖は上海と違って大都市ではないので、大きなホテルやお店も少ないとのこと。でも、我々が泊まったホテルはそれなりのものでした。

説明会

このホテルで、夕食後に日食の説明会が開かれました。我々のコースだけでなく日通旅行の他のコース(観測地が平湖のコース)の人たちも、この日はこのホテルに宿泊。それらの人たちみんなそろっての説明会でした。内容は基本的に初心者向けでした。天気が悪かったときの話を星ナビの川村さんがしていました。「たとえ天気が悪くても、その瞬間に皆既帯にいることが重要なのだ。」と言っていました。そして、「『前日のうちから“逃げ”の手を打っている』と言う人もいるかもしれないが、かつてハワイの日食で曇ったときに、呆然とするだけで何も見ていなかった。曇っても見たり感じたりできることがあるのに。」というようなことを話していたと思います。まあ、このとき既に、翌日の天気予報は悪かったわけですが、そういう心構えは必要だと思いました。

説明会が終わったところで各自部屋に戻るのですが、その前に仮設のお土産コーナーへ行って日食Tシャツを物色。上海皆既日食のTシャツを一つ手に入れました。そして部屋へ戻ろうと廊下に出たところで「鈴木さん」と声をかける方が。Oさんの奥様でした。おそらく直接お会いするのはこのときが初めて。なんでもこのツアーに私が参加しているはずとのことで、写真を見て私を見つけたようです。「お一人ですか?Oさんは?」と尋ねると「飛行機が嫌いだから来ないんです。」との回答。このときは「あれ、Oさんは飛行機嫌いだったのか。」とあっさり思ってしまいました。でも後で良く考えると、Oさんはハワイの日食を見に行ったはず。実際、どうなのでしょう?

風呂

あとは翌日に備えて寝るだけ。今回の日食は朝のうちに始まるので、出発も早めです。私達は5時起床、6時出発というスケジュールを選びました。翌日が早いので就寝も早いに越したことはありません。お風呂に入って早く寝ようと思いましたが、お風呂の水が臭いました・・・。なんというか、ドブの臭いなのです。しかもバスタブにためたお湯を見ると明らかに茶色い・・・。ちょっと躊躇しましたが、他に代わりの水などありません。しかたなく、このお風呂に入ってから休みました。

3日目−7月22日(水)

日食

雨の中で皆既の時を待つ人々 雨の中で皆既の時を待つ人々

いよいよ日食当日。朝5時に起き、朝食を取って6時にはバスに乗って余新鎮中学校に向かいました。この時点で雨が降っていたかどうか覚えていませんが、とにかく太陽は全く見えない天気。中学校に着いても、すぐに荷物を出して準備するような雰囲気ではありません。しばらくは、雨が降ったりやんだり、という状況だったと思います。雨が弱くなったタイミングで少しずつ三脚を出し、それなりに準備をしました。もっとも、光学系の機材を出すことは最後までありませんでしたが。

雨がやんで少しでも見られることを期待しますが、むしろ雨は強くなる傾向に。とうに部分食は始まっている時刻になり、少しずつ皆既の時刻が近づいてきます。でもグランドに出ている人は少なく、みんな校舎の渡り廊下に退避して空を見ています。さらに皆既の時刻に近づくと、少し暗くなってきた気が。日食のせいで暗くなっているのか、雲が厚くなったのか分かりません。しかし、さらに皆既の時間が迫ると、明らかに暗くなってきました。雨はやむことなく、むしろ強くなっていますが、皆既の時くらいは外に出ていたいもの。傘をさしてグランドに出ました。

そしてとうとう皆既の時刻に。あたりは夜のように真っ暗になりました。外灯もしっかり点灯しました。空を見ても何も見えませんが、今回は5分以上ある長い皆既日食。皆既中の自分の写真を撮ることができました。まあ、写真を見ただけでは“雨の夜に撮った写真”としか思えませんが・・・。

やがて皆既の時間は終わりました。明らかに辺りが明るくなってきます。やはり皆既日食中はとても暗かったのでした。雨も弱くなってきたので、グランドに出していた機材を片付け始めました。皆既が終わっても、部分食が終わるまでには1時間ほどあります。途中で少し雨がやみ、雲の薄いところから太陽が少し見えました。かろうじて部分食を見ることができました。

こうして、残念ながら皆既日食を見ることはできませんでした。けれどもまた新たな体験ができました。一つは、想像以上に暗くなったこと。皆既帯に身を置いたのは3回目でしたが、今回が一番暗くなりました。雲のせいか、皆既時間が長いせいか、あるいはその両方の影響か、とにかく「皆既中でも夜というよりは夕方くらいの暗さ」と思っていた今までの自分のイメージが今回は変わりました。もう一つは、皆既中の自分の写真を撮れたこと。晴れていたら、太陽(コロナ)の写真は撮っても、自分達を写す余裕はなかったと思います。

再び上海

豫園 豫園(よえん)

残りの日程は観光です。バスの中で昼食のお弁当を食べてから、上海に向かいました。上海についても天気は雨。豫園を観光しました。広いという印象ではありませんが、園内を進むと、池や奇岩で作られた庭が次々と現れてくるという感じでした。

豫園の次は、お土産屋に。そして夕飯を食べてから、飛行機で大連に向かいます。ところが上海の浦東国際空港に着いてしばらくすると、添乗員さんから“残念なお知らせ”が告げられました。この日は中国南方航空の飛行機で上海から大連に向かう予定だったのですが、その飛行機がまだ上海に着いていないとのこと。それどころか、飛行機はまだ北京にいて、それが北京→大連→上海と飛んできて、そして上海から大連に向かう便になるのだと。そもそも、本当にフライトがあるかどうかさえ分からないとのことでした。ということで、急遽、中国東方航空の便を使うことになりました。この便も遅れているのですが、中国南方航空の便ほどではなかったようです。

飛行機の変更は比較的スムーズにできたようでしたが、それでもかなり遅い時刻になり、大連についたのは午前1時くらいだったと思います。

4日目−7月23日(木)

旅順

203高地 203高地の頂上にあった大砲の模型

この日は大連と旅順の観光でした。午前中は旅順の観光。旅順で見たのは203高地など、主に戦争に関連する場所でした。旅順は昔から軍事上の重要な拠点とのことで、今でも外国人の立ち入りが制限されている場所が多いようです。 203高地は、日露戦争のときの激戦地。あまり詳しいことは知らなかったのですが、董(とう)さんという現地ガイドの方が非常に熱心に説明してくれました。おかげで、なぜ日本軍は多くの犠牲を出してまで203高地を占領しようとしたのか、そして占領できたことでどうなったのか、とても良く分かりました。資料館のようなところにも、模型が作られており、わかりやすくなっていました。

現在では203高地の頂上まで登れるようになっており、我々も駐車場から10分程度歩いて頂上まで行きました。そこには記念碑なども作られていました。また、203高地では乃木希典の息子が戦死しています。その碑も作られていましたが、その碑の場所を示す「乃木保典戦死之所」という案内看板に『Very Good』とか『好』(「ハオ」:中国語でgood)などと落書きがされていました。やはり反日感情が強い人も多いのでしょう。

その後、「日露戦争後に両国の将軍が会見した所」の隣で昼食を取りました。この会見所、よくできていて当時のものがまだ残っているかと思ったのですが、一度なくなった建物を再現したのだそうです。

大連

大連港 大連港

午後は、旅順から大連に戻ってきて、大連の観光。まずは労働公園という高台のようなところから軽く街を一望しました。かなりの高層ビルが並んでいます。

続いて中山広場へ。ここは道路が放射状に集まっているところの中心にある広場でした。周りにはロシア統治時代、日本統治時代に建てられた建物が今も残っていて使われています。もちろん、“何に使われているか”は昔と今では違いますが。

最後に大連港へ。大連港は、アジアでも有数の貿易港とのこと。我々が見たのは昔からの埠頭だったようで、それは今では大連港全体のほんの一部に過ぎないようです。

5日目−7月24日(金)

この日はもう帰るだけ。既に大連にいますから、1日目と違って飛行機を乗り継ぐ必要もなく、本当に日本に帰るだけです。ところが、飛行機に乗って待っていてもなかなか離陸しません。「離陸に必要な書類を待っています。」という放送が日本語でも入り、一応の状況が分かるのは助かります。でも、天候や故障などと違って、「なぜ書類を今待っているの?」という気もします。結局1〜2時間くらい待ったでしょうか。それでも、もともと早い時間の便だったので成田にもお昼過ぎくらいに着いたと思います。こうして無事に帰ってきました。

その他・雑感など

反省点について

まずは「去年の反省点を活かせたか」という点について考えてみました。 結局日食の写真は撮れなかったので、“去年の反省を活かして準備したつもりだが、本当に大丈夫だったかどうか”は分かりません。一応、「部屋を暗くして実際に組み立ててデジカメを操作して撮影する」という練習は、今年もしました。ただし、「実際の太陽でピントや構図を合わせる」という練習はできませんでした。

スーツケースも反省点だったのですが、今年は新しいスーツケースで行きました。去年のスーツケースより2kgほど軽いと思います。

それから、去年のまがたまには書きませんでしたが、飲み物は水ではなくスポーツドリンクがあると良いと思っていました。今回は砂漠ではありませんが、それでも暑い時期でした。日本から粉末のポカリスエットを持っていき、これをホテルでもらえるペットボトルの水に溶かしてポカリスエットを作りました。日食当日はこれを持って行ったのですが、水分補給にとても良かったと思います。

感想

今回は、マスコミで騒がれたためか、あるいは都市に近くて比較的楽に行けるせいか、家族連れで来ている方もいましたし、女性の参加者も多かったように思います。家族5人で来ている方もいました。それだけに、天気が悪くて見られなかったのは残念です。

次回は行けるのはいつになるでしょうか。行けるか行けないかは、もろもろの事情を勘案しなくてはなりませんが、チャンスは逃さないようにしたいと思います。

おまけの話

川口市のSKIPシティにある川口市立科学館で、「日食説明会」なるものが7月上旬の土曜にあり、聴きに行ってみました。説明してくれた方は女性で、プラネタリウムか科学館か、そういうところの職員のようでした。その方はそれまでに4回日食を見にいっているとのことでした。1988年に小笠原沖(洋上)で、1991年にメキシコで、1999年に黒海(洋上)で、2001年にマダガスカル島で見たとのことでした。質疑応答の時に、誰かが「今まで見に行った中で、天気が悪くて見られなかったことはありますか?」と質問。それに対して解説員の方は「全て見られました。」と答えていました。

説明会終了後、直接話を伺ってみることに。「今まで全部晴れているというのはすごいですね。」と言うと、「そうですか? 日食ツアーは、ツアー会社も晴天率の高いところを選ぶと思いますから、たいてい晴れると思いますよ。」という感じの言葉が返ってきました。この方、今回は小笠原沖に行くとおっしゃっていましたから、また晴れて見られたのでしょう。

片や5勝0敗、一方で私は1勝2敗。この方にとって皆既日食は晴れて当然なのかもしれません。ちょっと悔しい気がします。まあ、近場で済まそうとしているのが悪いのかもしれませんが・・・。

アップロード:2009.10.12