ズブさんの
アイデア天体
写真館

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腑抜け天文屋(?)だった頃

1992年12月24日に部分日食があった。当時学生だった私はその時何をしていたかというと、実はスキーから帰る途中だった。部分日食があることは知っていたが、そのころは今ほど熱心な天文屋ではなく、日食の起きる24日に帰ってくるという日程でスキーを入れてたのである。スキーに行った仲間もみな、サークルの部員だったから、サークル自体が(天文屋としては)『腑抜け』だったということか?。(ちゃんと写真を撮っている人もいた気がするが・・・。)

翌年の1993年6月4日には皆既月食があった。無事進級していた私は、片道2時間の自宅通学をやめ、この年からキャンパスのある横浜に住んでいた。サークルでは、この月食を大学のキャンパスで観望する予定だった。みんな月食を見るつもりで部室に集まり、写真を撮る用意もしていた。ところが夕方くらいから曇り始め、とうとう雨まで降り始めた。「これはだめだ」とあっさり諦めた我々は、ビリヤードに行ってしまった。夜11時くらいになって、電車で帰る人が先に店を出た。私を含めて歩きや自転車で帰れる人はもっとビリヤードをやるつもりだった。ところが出ていった人達がすぐにもどってきて、「おめぇら、ビリヤードやってる場合じゃねぇよ!」と言ったのである。雨も上がり、天気も回復してばっちり月食が見えていました。急いで観測場所(と言ってもキャンパスの中)へ移動し、三脚を出し、カメラを乗せたものの、用意が出来たときには皆既は終わり、部分食しか写真は撮れなかった。

天気や仕事などの都合で日食・月食を見られないことはある。今の自分から思えば、せっかくの日食・月食を、スキーやビリヤードは他の日でも出来ることなのに、見逃したというのはもったいない気がする。でも、かえってこういうことの方が思い出すと楽しいのかもしれない。

2001.4.22


(注)この話は、まがたま44号に書いたものを一部変更したものです。