2002.12.08(Sun.)
赤羽8:31−(快速〜普通754F)−9:13国際展示場
有明9:29−(ゆりかもめ)−9:52汐留
汐留10:20−(普通・913B1)−10:21大門
大門10:28−(普通・1025N)−11:34印旛日本医大
印旛日本医大11:44=(バス)=12:07京成佐倉
京成佐倉12:13−(普通・11A11)−12:22京成成田
京成成田13:49−(普通・1365b)−13:58芝山千代田
芝山千代田14:14=(バス)=航空科学博物館
航空科学博物館15:20=(バス)=成田空港第1ターミナル
成田空港15:55−(特急・15AE00・スカイライナー22号)−16:56京成上野

 2002.10.27に芝山鉄道が開業、2002.12.01に東京臨海高速鉄道の天王洲アイル−大崎間が延長開業し、JRとの直通運転が開始されましたので、これの初乗りと、忘年会を兼ねて、大学時代の仲間と出かけてきました。ちなみに、会合の名称は”東都交通政策研究会2002年総会”です。
 さて、当日ですが、大崎から乗り込むのも面白くないし、かと言って始発の川越まで行くのも面倒だなあ、ということで、赤羽まで出向きました。ここから乗り込む、と言っていたU竹さんを、改札を入ったところで発見、埼京線ホームへ向かいます。ここで打ち合わせ通り先頭車に乗り込むと、先に乗車してきたC葉さん発見、この日も弟子同伴と聞いていましたが、なんと二人のお弟子さんを連れていました。いやあ、英才教育ですな。
 これまた予定の池袋からH田さんも合流し、新宿、渋谷と停車するにつれ、車内は閑散としてきます。大崎駅のホームは、山手高架線のさらに西側に設けられていました。大崎駅を出てしばらく行くと、地下区間へ入ります。天王洲アイルまで乗車したところで、まずは東京臨海高速鉄道線完乗。国際展示場駅で下車すると、suicaはそのまま使えて結構でしたが、イオカードはそのままでは精算できない上に(出場記録も記載されず、”精算済み”を示す紙が渡されていました)、精算機も設置されていなかったため、有人改札口はちょっとした行列になっていました。パスネットも使えるそうですが、これでは、何かのイベントの際はかなり混雑することになりそうですから、JR線からの乗車の場合は、きちんと切符を買って乗車するか、suica利用が賢明でしょう。
 さて、U竹さんと駅前で買い出しの後、有明駅に戻ると、先に駅へ向かっていたはずのH田さん、C葉さんご一行の姿が見えません。おかしいと思い、携帯で確認すると、何故か”国際展示場正門”駅へ向かっていたとのこと。結局、ここから汐留までは別行動となりました。
 汐留は、まだ再開発の真っ最中で、グランドオープンしているビルがカレッタ汐留しかないようでしたし、ここと新橋駅と結ぶ地下通路も建設中、さらには山手線の反対側へ抜ける道路もまだ工事中のところが多くて、この乗り換え時間を利用してWINS汐留へ出向いたのですが、四角形の三辺を歩かされる仕儀となりました。まあ、日本テレビ本社ビルなどができあがれば、殺風景に思えた印象も変わるのでしょうが。
 さて、大江戸線汐留駅に回って、ここでC葉さんご一行と合流。H田さんの姿は見えません。次だと乗り換えが走ってギリギリなんだけど、と話していると、大門駅の浅草線ホームに先回りしていました。ここからは都営地下鉄〜京成電鉄〜北総開発鉄道〜都市基盤整備公団線とロングシートに1時間強。乗車するにつれてどんどん景色が鄙びてきて、終点が近くなると、冬枯れの景色も相まって、ここは勇払原野かと思われるほどでした。印西牧の原−印旛日本医大間を乗車して、都市基盤整備公団線も完乗。この先、成田空港まで延伸の予定があるそうで、そのため複線で延長したようですが、かりにそうなると、成田空港−羽田空港間の直通座席指定特急でも走るのでしょうか?これ以上の延長開業がなければ、たぶんここまで来ることはないでしょう。
 さて、印旛日本医大駅はなかなか瀟洒な建物でした。都市基盤整備公団線(余談ながら、1999.10.1に、”住宅・都市整備公団”から公団の名称が変わっていたんですね)もパスネットが使えるので、オリジナルのものを発売しているかと思いましたが、発売していたのは残念ながら北総開発鉄道のものでした。駅前にはバスも待っていましたが、人通りそのものは決して多くはありません。ここから乗り継いだバスは、(有)都市交通タクシーという会社が受託して運行している、印旛村営バスのようでしたが、これまた京成佐倉駅までの間は、「どこが都市やねん?」と言いたくなるような風景の中を走り、着いた京成佐倉駅北口は、市街地の反対側でしたが、それでも大都会に見えました。
 京成佐倉から京成成田まで特急で移動し、昼食を取りにThe Berge Innへ。ヴァージン・アトランティック航空の経営だそうで、webにあった地図が適当で、見つけるのに少々手間取りましたが、何のことはない、成田山新勝寺への参道沿いにありました。イギリスに行ったことがないのでよくわかりませんが、内装もビールの種類が豊富だったのも、正統派のイギリスのパブ風(と経営母体の影響?)なのでしょう。950円、ソフトドリンク付きのランチブッフェがあり、なかなかよかったです。
 京成成田駅へ戻って、今度は芝山鉄道の芝山千代田行きに乗車。東成田駅は、昔の成田空港駅な訳ですが、ホーム1面は使われないまま放置されていて、廃墟のようです。ここからが芝山鉄道ですが、地下をしばらく走った後は高架区間へ上がってすぐに芝山千代田駅到着。路線自体も未買収地を迂回する形で大きくカーブしていると聞いていたのですが、東成田を出てからの速度がそんなに速くはなく、どの部分がその迂回区間かは、乗車していた感じではよくわかりませんでした。まあ、全体に曲がっていたからその部分がそうなんでしょうけど。ホーム上で警備の警官を見かけましたし、その意味ではいわくつきの新線開業ですね。ともあれ、あっけないとしか言いようがない感じでしたが(日本一短い営業キロの鉄道会社で、2.2kmしかありませんから当然か)、これで芝山鉄道完乗、千葉県内の鉄道完乗です。
 さて、下車してパスネットを遠そうとすると..通りません。改札口で精算です。むろん、パスネットそれ自体、発売していないようです(少なくとも自動販売機にはありませんでした)。駅舎の先で線路もとぎれていましたし、いくら地元が芝山町中心部〜総武線〜九十九里浜方面への延長を希望しているといっても、とりあえず空港の地元対策でアリバイ的に作った、という印象を強く受けました。
 ここからは連絡バスで航空科学博物館へ。途中、どう見ても団結小屋らしきものが見えたり、やはりなあという環境です。それはともかく、屋外の展示場にはYS-11だのガモフだのが置いてあって、これだけでも十分面白かったですし、建物内の展示も、飛行機博士で有名な、故・木村秀政博士ゆかりの展示物もあり、なかなか興味深かったです。個人的には、やはり飛行機好きで有名だった、故・おおば比呂司氏の絵も飾ってあればよかったのになあ、と思いました。
 博物館からの帰りは連絡バスで空港第1ターミナルへ。せいぜい20分くらいの乗車時間でした。ここからどうするか、しばらく時間をつぶしていくか、とも考えましたが、結局、一番早いスカイライナーで上野へ向かうことにして、スカイライナー車内で宴会、上野に到着したときには、短い冬の日と、この日一日、どんよりと曇って時折小雨が振る天気だったことも相まって、もう真っ暗でした。
 C葉さんご一行とはここで別れ、私たち3名は、”東都交通政策研究会2002年総会”の打ち上げへと向かったのでした。
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