2000.01.09(Sun.)
浅草6:20−(快速・33〜133)−8:49新藤原
新藤原8:51−(普通・833)−10:02会津田島
会津田島10:06−(快速・3316D・アルペンライナー2号)−10:39湯野上温泉
湯野上温泉11:53−(普通・2318D)−12:30会津若松
会津若松13:05−(普通・429D)−15:57只見
只見16:20−(普通・431D)−17:41小出
小出17:57−(普通・1747M)−18:00越後堀之内
越後堀之内18:14−(普通・1746M〜8746M)−19:41水上
水上19:48−(普通・752M)−20:49高崎
高崎20:57−(普通・984M)−22:41上野
 久しぶりに大学時代の友人達と思いっきり列車に乗ってきました。
 朝6:00過ぎの浅草駅はまだ暗く、駅弁売り場も開店準備中でした。ここで予定通りS田さんと落ち合い、快速列車に乗り込みます。この快速列車の前2両は東武日光行き、後4両が目指す新藤原行きで、車両は2扉のクロスシート車、シートの間に窓側から細長い折り畳みのテーブルが設けられていました。浅草駅は構内が狭く、6両編成の電車が入るのがやっとで、しかもホームがカーブしているため、列車とホームの間がずいぶんと開いているところがあります。私達の乗車した車両は前から3両目で、ちょうどホームと電車との間が一番開いているところでした。
 定刻に浅草を発車したガラガラの快速列車は、北千住でスキー客などかなりの乗客を集めて、ようやく明るくなってきた中、越谷までの複々線区間を快走し、その後もノンストップで春日部まで走り抜けました。北千住−春日部間ノンストップというのはかなり気持ちがいいですね。利根川近くでは、畑(?)の上を真っ白な霜が覆っていました。
 7:38の栃木で 、青春18きっぷを持ったI井さんがこれまた予定通り乗り込んできて、一安心。この後の経路のきっぷが保証されました。7:56の新鹿沼でかなりの下車客があった後、下今市で3分停車し、前2両の東武日光行きを先発させた後、いままでの快走ぶりが嘘のように、ノロノロと単線区間の鬼怒川線へ踏み出していきます。ここから西若松までの区間は、私にとっては初めて乗車する区間です。快速というものの各駅に停車しながらゆっくりと走る列車は、途中駅でどうみても地元の主婦といった感じの乗客がずいぶん多くてびっくりしました。私達は「新藤原にデパートでもあるんじゃないか」などと冗談を言って笑っていましたが、ほとんどが鬼怒川温泉駅で下車していきました。たぶん、次の鬼怒川公園駅にかけて立ち並ぶ旅館で働く人達なのだろうと思います。途中駅で交換した上り列車には、ゴルフ場のキャディーさんらしき人達が乗っていました。鬼怒川公園駅からは、さらにスピードを落とし、谷間にへばりつくようにして敷かれた線路の上をゆっくりと走って定刻に新藤原到着。ここからは野岩鉄道線です。
 新藤原で乗り換えた列車は、デッキ付きの座席が回転できる車両で、何故かほとんどの座席が浅草方面を向いていました。調べてみると、この列車が会津田島から折り返しの浅草行き急行「南会津274号」となるようで、座席の向きはそのためだったようです。そう言えば車両の外部には号車を示す案内と座席指定の表示がありました。この車両にも窓側から細長い折り畳みのテーブルが設けられていました。
 野岩鉄道線は、新しく建設された区間だけにトンネルと橋梁の区間が多く、カーブも少ないので列車はかなりの速度で飛ばしていきます。ところどころに残雪も見えてきました。車内では検札があり、ここで新藤原から会津高原までの車内補充券(車補)を買いましたが、この車補にはずいぶんと詳細な地図がついていて、直接乗り入れをしている東武鉄道や会津鉄道以外にも、JR東日本や営団地下鉄、さらには東急、小田急まで連絡きっぷが買えるらしいことには少々驚きました。
 会津高原には9:27に到着、スキー客のほとんどがここで下車し、空いていた車内がさらにガラガラになりました。ここで列車の交換待ち合わせで16分間の大休止、私達も改札の外へ出て、会津鉄道線内の乗車券を買いましたが、あるかなと思っていた1日乗車券はありませんでした。それでも時間があるので、まだ残っているSL時代の転写台の写真を撮ったり、記念撮影をしているうちにようやく交換列車がやってきて、発車時間となりました。
 会津高原から先は昔の国鉄会津線で、乗り心地もずいぶん悪くなりました。沿線の雪はそんなに大したことはなく、それもどんどん少なくなっていく中を列車は淡々と走って会津田島到着。ここで電化区間はおしまいで、ディーゼルカーへと乗り換えです。
 乗り換えたディーゼルカーは、国鉄の赤字線が転換された第3セクター(会津鉄道もそうですが)でよく見るレールバスで、2両編成のワンマンカーでした。途中の会津下郷駅で「交換待ちで3分間停車します」とのアナウンスがあったので外に出たのですが、どうせ写真を撮ってもレールバスだからまあいいか、と思い車内に戻ると、交換列車の来ないまま発車する、なんてこともありましたが、盆地を出て渓谷沿いにしばらく走ったところで湯野上温泉駅到着。ここでいったん下車します。
 湯野上温泉で下車したのは、温泉で朝風呂を浴びようという魂胆からでした。中にいろりの設けられている、趣のある駅舎を出て3分ほど歩いてから、あらかじめI井さんが調べていた中から、「民宿えびすや」というのを選び、民宿の玄関口でご主人に500円支払って道路の反対側、渓谷を見下ろす露天風呂に入ります。泉質は単純泉のようで、無色透明でした。眺めもよく、紅葉の季節はさぞすばらしかろうと思いましたが、脱衣場が吹きっさらしで、ちと寒かったです。
 さて、温泉を出てビールでも買い込んで一杯やるか、と思ったのですが、駅の売店にも駅前にも、ビールを売っているところが見当たりません。そうこうしているうちに、雪があると思ってわざわざ履いてきた私のスノートレーニングシューズの左足のゴム底がはがれてしまうという大事件(笑)が勃発してしまいました。まあ、それでも歩けないわけではなかったのですが、高さの違う靴ってのは歩きにくい上に、これでは何のためにスノートレーニングシューズを履いてきたのかわけがわからない結果となってしまいました。
 湯野上温泉駅で普通列車に乗り込むと、予定通りK持さんが乗車していました。K持さんは、少々朝寝をすることにして浅草発7:30の特急・けごん1号(旅行前に、東武の特急は「走る喫茶室」というレトロなキャッチフレーズがあったんじゃないか、と内輪で盛り上がっていたのですが、これ、実は小田急のロマンスカーでしたっけ?)で私達を追い掛けるスケジュールを組んでいたのですが、ともあれこれで全員無事集合です。早速ワインで乾杯してしばらくすると会津盆地に入り、西若松からはJR只見線に乗り入れて定刻に会津若松に到着しました。
 会津若松では青春18きっぷに日付けを入れてもらうことと、昼食をとる以外に、只見線内で消費する飲食物の買い出しと、さらに念のため夜食の買い出しをして、メインイベント(何の?)の準備は完璧です。ところが予想外なことに、ちょうど会津鉄道の列車が到着した向いにあった只見線乗り場は意外な人出で、結局4人で1ボックスはしっかりと確保したものの、発車時点では2両の車内に立ち客も出る盛況でした。しかも、私達以外にも酒やらつまみやらを持ち込んでいるグループもあり、この混雑は単に前の列車から6時間空いているから、という理由でもなさそうでした。実際、沿線では大きな町である会津坂下でもあまり下車客は出ず、相変わらず立ち客も見受けられました。
 さて、会津坂下を出た列車がしばらくして会津盆地を出ると、沿線の雪もだんだんと増えてきましたが、あんまり豪雪という感じでもありません。周囲の観光客もかなり盛り上がっていましたが、私達も雪は少なくとも酒類の消費量が上がるにつれ、いい気分になってきました。会津若松で買った、名倉山酒造の「月弓」(一応書いておくと”げっきゅう”と読みます)という純米酒はなかなか結構でしたが、これを空にしたときは思わず「げっきゅうが空になった」とS田さんと声がそろってしまいました。あんまりいい響きではありませんね。
 周囲はそれでも雪景色となり、さて只見で乗り換えかと思っていましたが、列車番号が変わるのみで車両が直通する、とわかったので、待ち時間に安心して買い物に出てみました。他にも同じ列車から降りて買い出しに出た人が多く、只見駅から少し歩いたところにあったコンビニエンスストアはこの日特需に見舞われたと言っても過言ではないでしょう。やはり路面上には雪はなく、やはり少々期待外れの感じがありましたが、只見駅自体は雪囲いが施され、冬を乗り切る準備は万端整っていたようでした。ちなみに、私は田中元総理の影響でか、只見町はずっと新潟県だと思っていたのですが、実は福島県だったんですね。帰宅後気が付きました。
 さて、只見を出た列車は田子倉駅からちらりと田子倉ダムを望んだ後、六十里越の長いトンネルに入ります。トンネルを出ると大白川駅で、ここはそれまでよりも一段と雪が深くなっていました。おおむね70〜80cmくらいは積もっていたと思います。薄暗くなったこの駅で国民宿舎に宿泊するという団体客が降り、車内は少々空きが出ました。上り列車を待ってから、私達を乗せた列車は発車しましたが、朝からの疲れもあり、私はしばらく眠ってしまい、目がさめたところがちょうど終着小出駅の手前でした。
 小出からは時間つぶしをかねて一旦越後堀之内に戻り、水上、高崎と暗い中を乗り継いで帰りましたが、案外スキー客が終点まで大勢乗っていました。あと、並行する関越自動車道や国道17号線の上り線は大渋滞だったことと、スキー場のナイター照明が案外列車からは明るく見えることが印象的でしたが、やはり疲れからか早起きのせいか、ところどころで私は船を漕いでしまいました。
 まあ、肉体的には疲れても精神的には非常に満足した旅行だったのですが、これを「おかしい」と言うのは、どうも私のカミさんだけではなかったようです。あえて言えば、不満だったのは雪が思ったより少なかったこと、という点で、図らずも参加4名の意見は一致をみた旅行でした。
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