1999.05.15(Sat.)
浅草11:40−(特急・1411・りょうもう11号)−13:25赤城
赤城13:26−(普通)−13:35西桐生
桐生13:58−(普通・454M)−14:32新前橋
新前橋14:49−(普通・539M)−15:03渋川

 職場の親睦旅行というのがあり、伊香保に出かけてきました。
 さて、まともに考えれば新幹線で高崎へ行くか、あるいは高崎線を利用するところなのですが、それでは面白くないので、どうしようかと考えて、結局上のような行程を組んでみました。最初は成田線〜関東鉄道経由、つまり千葉−成田−我孫子−取手−下館−小山−新前橋−渋川というルートを考えたのですが、早起きするのが嫌だったのでやめました(^^;。
 浅草にはJR〜地下鉄銀座線経由で行きましたが、よく考えれば京成から行けば楽だったですね。浅草は三社祭で賑わっていましたが、上野に着くまで三社祭の日だとは知りませんでした。それならもう少し早く家を出て見物してもよかったですね。
 予想通り、”りょうもう11号”はガラガラで難なく指定券を入手することができました。それにしても、浅草駅は一番端の5番線を使用していたせいか、ずいぶんと電車とホームの間があいていました。
 春日部までは途中で複々線区間を挟んだりして通勤路線という感じですが、春日部を出るとローカルムードが漂い、さすがに線路沿いの住宅地もとぎれるようになってきて、水田や畑が目立つようになりました。東武動物公園から先は今回が初乗りだったのですが、沿線の水田では田植えはすでに終わっていました。また、麦畑もずいぶん見かけることができ、まさに”麦秋”という風景が広がっていました。麦畑を見たのは久しぶりのような気がします。
 単線区間に入るとめっきりスピードも落ち、館林、足利市とただでさえ少ない乗客が降りていくのみならず、浅草では薄曇り程度だった空模様が怪しくなって、太田を過ぎたあたりからとうとうポツポツと降り出してしまい、なんともうらさびしい雰囲気をただよわせつつ終点の赤城に到着しました。
 赤城では隣のホームの上毛電気鉄道の西桐生行きに乗り換えたのですが、あとで考えれば反対側の中央前橋行きに乗車しても面白かったかも知れません。もっとも、上毛電気鉄道自体は10年ほど前に全線乗車したことがあるのですが。
 しばらく先程まで通ってきた東武線と並行し、こちらはやたらと揺れながら西桐生に到着しました。雨の中を5分ほど歩いてJR桐生駅へと歩き、両毛線の電車に乗り換え、新前橋へ。途中、桐生から渡良瀬川をわたってすぐの下新田まではJR両毛線とわたらせ渓谷鉄道(元の国鉄足尾線が第3セクターに転換したもの)が線路を共用していますが、下新田には両毛線の電車は停車せず(いわゆる信号場の扱い)、わたらせ渓谷鉄道にのみ駅があります。その下新田駅にはわたらせ渓谷鉄道のディーゼルカーが1両、ぽつんと停車していました。ずいぶんとシックな茶色(マルーンという、阪急電車の色に近い感じでした)でしたが、これも天候のせいかどこか寂しげに映りました。
 渋川で伊香保行きの関越交通のバスに乗り換える頃には雨足がかなり強くなっており、バスの終点の伊香保榛名口では本降りとなっていました。
 鉄道旅行の話なのに何故伊香保まで話を引っ張ったかというと、実は宿泊した旅館は”景風流の宿かのうや”というところで、なんと旅館専用のケーブルカーがあり、下に設けられた待合所と旅館の入口(フロントの下)の間とを往復していました。待合所には係員が常駐しており、乗客が現れると電話でフロントを呼び出して、別の係員が同乗の上降りてきたケーブルカーに乗車してフロントへ向かう、というスタイルでした。宿泊しなくても確か1,000円で昼間はお湯に入れますので、話の種にはいいかもしれません。ちなみに、フロント脇にはありし日の伊香保温泉電軌の大きなモノクロ写真と路線図が飾られていました。
 旅館自体は風呂も広くなかなか結構でした。もっとも、打たせ湯の代わりに設けてあるらしい、個室に入って左右と上からお湯が出るシャワーなど、扉そのものがなくて使用できないものもありましたが。
 ご想像の通り、夜更かしと飲み過ぎで非常に疲れたので、翌日はおとなしく渋川から高崎へ出て、高崎線で上野へ抜けて帰りました。
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