Web-Suopei  生きているうちに 謝罪と賠償を!

強制連行山形訴訟 仙台高裁 判決全文

平成21年11月20日判決言渡同日原本領収裁判所書記官
平成20年(ネ)第104号損害賠償等請求控訴事件(原審・山形地方裁判所平成16年(ワ)第397号)
口頭弁論終結日平成21年7月7日

 

判決
当事者の表示別紙当事者目録のとおり

 

主文

  1. 本件控訴を棄却する。
  2. 控訴費用は控訴人らの負担とする。
  3.  

事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人ら

  1. 原判決を取り消す。
  2. 被控訴人らは,控訴人らに対し,それぞれ別紙「謝罪広告目録」のア記載の新聞の各朝刊の全国版下段広告欄に,2段抜きで同別紙記載の謝罪広告文
    案の謝罪広告を,見出し及び被控訴人らの名は4号活字をもって,その他は5号活字をもって1回掲載せよ。
  3. (3)被控訴人らは,各控訴人らに対し,連帯して,別紙「控訴人請求金額目録」の各請求金額欄記載の金員及びこれに対する被控訴人国については平成17年1月25日(訴状送達の日の翌日)から,被控訴人酒田海陸運送株式会社については同月23日(訴状送達の日の翌日)から,それぞれ支払済みまで年5分の割合による各金員を支払え。
  4. 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人らの負担とする。
  5. (3)につき仮執行宣言

2 被控訴人国
仮執行宣言を付さないこと,仮にこれを付する場合には担保を条件とする仮執行免税宣言を付すること及びその執行開始時期を判決が被控訴人国に送達さ
れた後14日経過した時とすることを求めるほかは主文同旨

3 被控訴人酒田海陸運送株式会社
主文同旨

 

第2 事案の概要
1 本件は,中華人民共和国の国民であり,第二次世界大戦中に中国華北地方から日本に強制連行され被控訴人酒田海陸運送株式会社(以下「被控訴人会社」という。)の下で強制労働に従事させられたと主張する者ら(控訴人檀蔭春,同部瑞勝,同徐休息,亡孔凡林,亡郭海,亡次作相の6名,以下「本件被害者ら」という。なお,亡孔凡林,亡郭海及び亡玄作相は原審係属中に死亡し,亡孔凡林については,孔祥良,孔祥財,孔祥柱及び孔祥敏が,亡郭海については,郭玉龍,郭玉顔,郭玉我,郭玉旺及び郭鳳芝が,亡次作相については,次雄蘭が,それぞれ訴訟承継した。)が,被控訴人らに対し,謝罪広告の掲載と損害賠償の支払を求めた事案である。

2 控訴人らは,その請求の根拠として,(1)被控訴人らに対する本件被害者らを強制連行し,強制労働に従事させたことによる民法上の共同不法行為責任に基づく損害賠償請求権,(2)被控訴人国に対するヘーグ陸戦条約3条に基づく損害賠償請求権,(3)被控訴人国に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権,(4)被控訴人会社に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権を主張している。なお,本件は,強制連行を含めて本件被害者らが日本国の領土内に入ってからの被控訴人らの行為を損害賠償請求権の発生の根拠とするものであるところ,当時の法例(明治31年法律第10号)によれば,不法行為等による法定債権の成立及び効力については,その原因である事実の発生した地の法律によることになり(法例11条1項),また,法律行為の成立及び効力については,当事者の意思に従い,いずれの国の法律によるべきかを定め(法例7条1項),当事者の意思が明らかでないときは,行為地法によると定められているから(法例7条2項),弁論の全趣旨も考慮すれば,本件において適用される法律(私法)は,当時の日本の民法である。

3 原審は,前記2の(2)について,ヘーグ陸戦条約3条は,個人の交戦相手国に対する損害賠償請求権を認めたものと解することはできないから,控訴人らのこの点に関する請求は理由がないとした上で(争点2),被控訴人らの共同不法行為責任(争点1,前記2の(1)),被控訴人らの安全配慮義務違反(争点3,前記2の(3)及び(4))につき,要旨,以下の(1)ないし(3)のとおり判示して控訴人らの主張を認めたが,これら(1)ないし(3)に関する本件被害者らの損害賠償請求権は,日中共同声明5項に基づく請求権放棄の対象となるものであり,裁判上請求できないものであるとして(争点4),控訴人らの請求を棄却した。

(1)被控訴人らの共同不法行為責任(争点1,前記2の(1))について
被控訴入国は,国内の重筋部門の労働力不足に対処するため,国策として中国人労働者を日本国内に移入することを決定して実行に移し,その実施要領,細目手続等を詳細に定めて関係各機関等に周知させ,このような被控訴人国の政策を受け,日本軍や中国人労働者の供出機関として活動していた華北労工協会の意向を受けた中国人関係者らが,詐言や暴力を用いて,本件被害者らをその意に反して拘束するなどして,中国国内の収容所等に連行した後,貨物船に乗船させるなどして日本国内の被控訴人会社の事業場まで連行し,そこで本件被害者らを港湾荷役作業に従事させたものであり,被控訴人会社は,県を通じ,厚生省に対して中国人労働者の移入の申請をし,日本港連業会が,華北労工協会との間で中国人労働者の供出及び受入れに関する契約を締結し,中国人労働者を被控訴人会社の下で労働に従事させることとし,被控訴人会社の事業場において,中国人労働者を外出又は逃亡のできない施設に収容して監視し,かつ,衛生状態や食糧事情等が劣悪な環境の下で過酷な労働を強制したものである。以上のように,被控訴入国が主導し,被控訴人会社が関与の下で,本件被害者らに対する強制連行・強制労働を行った事実が認められ,このような被控訴人らの行為は民法上の不法行為に該当する。本件の被控訴入国の行為については民法適用の余地があり,国家無答責の法理によっていかなる責任をも負わないものとすることは相当とはいえない。

(2)被控訴入国の安全配慮義務違反(争点3−1,前記2の(3))について
中国人労働者は,被控訴人国が定めた取決めに基づいて指定された作業に従事する義務を負う一方で,被控訴人国は,関係機関や日本港運業会等が取り決められた手続等に従って中国人労働者の移入,就労等を実施しているかどうかについて監督し,それらに不適正な点があれば,取決めに沿ったものに是正すべき義務を負っていたものというべきであり,国策に基づくこのような取決めは,法律関係に準ずるものと評価できるから,被控訴人国は,本件被害者らを含む移入対象となった中国人労働者と「特別な社会的接触の関係」にあったものというぺきである。被控訴入国は,中国人労働膏の健康状態,労働環境等が劣悪なものであったり,中国人労働者の管理が不当なものであったりするような場合には,それを是正するよう関係機関に指導・連絡して,中国人労働者の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき信義則上の義務(安全配慮義務)があったというべきところ,本件被害者らの労働の実態等に照らすと,被控訴人国には安全配慮義務違反があったと認められる。

(3)被控訴人会社の安全配慮義務違反(争点3−2,前記2の(4))について
本件被害者らの被控訴人会社の事業場における労働は,被控訴人会社らによる直接的な指揮監督.労務の支配管理の下にあったことなどから,被控訴人会社が本件被害者らと「特別な社会的接触の関係」にあったことは明らかであり,被控訴人会社は,本件被害者らに対して,その生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき信義則上の義務(安全配慮義務)を負っていたというべきところ,本件被害者らの労働の実態等に照らすと,被控訴入会社には安全配慮義務違反があったと認められる。

4 この原判決に対し,控訴人らが控訴したのが本件であるが,被控訴人らも,当審において,前記3の(l)ないし(3)の判断について争っている。本件における当事者らの主張の概要,争点及び争点に関する当事者らの主張の詳細は,別紙のとおり当審における当事者らの主張の要旨(各当事者につき,原審において不利益な判断を受けた部分に関する主張を中心にその要旨を掲記した。)を付加するほかは,原判決第2の2ないし6の記載のとおりであるから,これを引用する。

 

第3 当裁判所の判断
1本件における事実関係
本件における事実関係は,原判決「事実及び理由」欄第3の1及び2に記載のとおりであるから,これを引用する(ただし,原判決8頁2行目の「76」を「74」と,同15頁19行目,同頁20行目,同頁23行目,同.16頁1行日(2か所)の「要項」‘をいずれも「要領」と,同17頁5行目の「貨物の」から同頁7行目の「するなどの作業」までを「港湾荷役作業たる船内荷役,絆水切,貨車積作業(主として石炭を取扱う)」と,それぞれ改める。)。

 

2 争点I(被控訴人らに対する不法行為に基づく損害賠償請求)について
(1)不法行為(争点1−1)について
この点に関する判断は,次のとおり原判決を訂正し,当審における被控訴人会社の主張に対する判断を付加るほかは,原判決の当該欄(第3の3(1),26から28頁)の説示のとおりであるから,これを引用する。

(原判決の訂正)
原判決27頁9行目の「(1)県を通じ,」の前に「国家の政策の実施に協力すべく,」を,同頁1O行目の「日本港運業会が,」の次に「国家の政策の実施として,」を,それぞれ加え,同28頁10行目の「このような」から同頁11行目の末尾までを「これらは,民法上の不法行為に該当するものと評価すべきものである(国家無答責の法理により,被控訴人国が不法行為責任を負わないか否かについては当事者間に争いがある。)。」と改める。

(被控訴人会社の主張に対する判断)
ア 被控訴人会社は,(1)控訴人檀蔭春の本人尋問の結果等によると,艀船から岸壁に天秤棒で石炭を陸揚げする作業は日本人労働者が行ったことになるところ,この作業はほかの作業よりもむしろ重労働であるから,中国人労働者の負担は日本人労働者よりも軽かったと認められ,不法行為とは評価し得ないし,被控訴人会社に不法行為責任があるというためには,被控訴人会社の中国人労働者に対する行為又は労務管理につき,当時の環境の中でそれ以外の方法があり(代替可能性),かつ,当時の被控訴人会社に結果の回避可能性がなけれぱならないが,(2)労働条件については,当時の軍部からの強い統制の下では,被控訴人会社が中国人労働者に対し,より負担の軽減された労働を課すことはできなかったし,生活環境についても,配給制によって物資の供給が制約される中で,当時の被控訴人会社がより程度の良い環境を提供することは不可能であり,(3)控訴人檀蔭春の本人尋問の結果によると,中国人労働者の作業を直接監督していたのは日本人ではなく中国人の幹部であり,宿舎での生活を管理していたのは被控訴人会社の人間ではなく警察官や華工管理事務所の職員であったことが認められることから,被控訴人会社には代替可能性も結果回避可能性もなかったと主張する。しかしながら,被控訴人会社の主張はいずれも採用できない。その理由は,以下のとおりである。

イ 前記アの(1)について
被控訴人会社は,絆船から岸壁に天秤棒で石炭を陸揚げする作業は日本人労働者が行ったことになるところ,この作業はほかの作業よりもむしろ重労働であるから,中国人労働者の負担は日本人労働者よりも軽かったと主張する。
しかしながら,日本人労働者の作業内容についての被控訴人会社の主張は,艀船から岸壁に天秤棒で石炭を陸揚げする作業が実際にどの程度存在し,それを日本人労働者がどのような労働条件の下で行っていたかといった点で具体性に欠けており,何をもって日本人労働者が中国人労働者より重い労働をしていたといえるのか,その根拠が明らかでない。また,被控訴人会社は,当審において,当時,被控訴人会社の従業員は,健康保険に加入している者だけでも261名から341名の範囲で推移しているから,おそらく1000名近い日本人労働者が種々の荷揚げ作業に従事していたと推測できると主張するが,かかる推測にいかなる根拠があるのか不明であるし,そもそも,中国人労働者の移入が港湾作業における労働力不足に対処するために行われたことからしても,このような推測に合理性があるとは認め難い。仮に,被控訴人会社の主張のように,1000名もの日本人労働者が,338名中23名が病死していることから推認される被控訴人会社の事業場における中国人労働者の劣悪な労働条件と同程度の劣悪な労働条件の下で,より過酷な労働をしていたのであれば,日本
人労働者に相当数の病死者がでるなどしても不思議ではないが,そのような事情についても何ら主張立証はない。

以上によると,中国人労働者の負担が日本人労働者よりも軽かったとする被控訴人会社の主張は採用できない。なお,日本人労働者の労働がどのようなものであったにせよ,訂正された原判決第3の1(認定事実1)の(2)ないし(4)及び(6)の認定事実に照らし,被控訴人会社がその事業場において,中国人労働者を外出又は逃亡のできない施設に収容して監視し,かつ,衛生状態や食糧事情等が劣悪な環境の下で過酷な労働を強制したと認められることは.訂正された原判決第3の3(1)アの説示のとおりである。

ウ 前記アの(2)について
被控訴人会社は,労働条件については,当時の軍部からの強い統制の下では,被控訴人会社が中国人労働者に対し,より負担の軽減された労働を課すことはできなかったし,生活環境についても,配給制によって物資の供給が制約される中で,当時の被控訴人会社がより程度の良い環境を提供することは不可能であったと主張する。

確かに,一般論として,当時の社会情勢の下では,軍部等から被控訴人会社に対し,港湾作業の態勢について指示や干渉があったとしても不自然ではないが,それだけでは,直ちに本件被害者らを含む中国人労働者に対する具体的な労働軽減措置が不可能であったとまではいえず,本件被害者らに対する不法行為責任を免れる理由にはならないというべきである(現に被控訴人会社が,中国人労働者の安全に配慮してその作業量を軽減したり食事を改善しようとしたが,軍部等からの強制や弾圧によってこれを阻止されたといったような事情については何ら主張立証はない。)。また,当時の被控訴人会社にとって,より程度の良い環境を提供することが不可能であったかどうかは証拠上明らかではないが,いずれにせよ,被控訴人会社には,当時,実際に提供できる環境を前提として適切な労働条件を定めて労働者の安全を図る義務があったことは否走できないというべきであるから,この点も不法行為責任を免れる理由とはならない。被控訴人会社の主張は採用できない。
更に,被控訴人会社は,中国人労働者の幹部が配給された食糧からかなりの分量(特に良い食糧)をピンハネしていたため一般の中国人労働者には配給されなかったと推測されると主張するが,控訴人檀蔭春の本人尋問の結果からは,幹部は一般の中国人労働者よりも良い食事をしていたという事実が認められるに止まるし,仮にピンハネの事実があったとしても,中国人労働者全体の食糧事情に対する影響の程度等は全く不明であって,被控訴人会社に不法行為責任があったという判断を左右するような事情であるとはいえない。

エ 前記アの(3)について
被控訴人会社は,控訴人檀蔭春の本人尋問の結果によると,中国人労働者の作業を直接監督していたのは日本人ではなく中国人の幹部であり,宿舎での生活を管理していたのは被控訴人会社の人間ではなく警察官や華工管理事務所の職員であったことが認められると主張する。

しかし,同控訴人は,現場には日本人の監督者がいて長い棒を持って仕事の遅い者を叩いた,日本人の監督者は警察ではないし,鉄砲や刀を持ってもいなかった,所属が会社なのか国なのかは分からない,中国人の中隊長,小隊長は現場に行って日本人監督者の助手みたいなことをしていたと供述しているのであって(控訴人檀蔭春本人尋問7,2 7,28頁),同人の尋問結果から被控訴人会社の主張のような事実が認められるとはいえない。

(2)その他の争点(争点1−2,1−3,1−4)について
被控訴人国は,控訴人らの主張する不法行為としての強制労働は,国の権力的作用によることが明らかであるから,国賠法施行前においては,国が損害賠償責任を負うことはなかった(国家無答責の法理,争点1−2),本件では控訴人らの主張に係る加害行為から本件訴訟提起までに既に20年が経過しているから,民法724条後段の除斥期間の経過により控訴人らの損害賠償請求権は法律上当然に消滅している(争点1−4)と主張し,被控訴人会社は,本件被害者らが損害及び加害者を知った時から3年以上経過し,また,不法行為の時から20年以上経過しているとして,消滅時効の援用及び除斥期間の経過(争点1−3,1−4)を主張している。

ところで,国家無答責の法理の争点(争点1−2)は,国賠法施行以前の国家公務員の職務上の不法行為について,被控訴入国に対する損害賠償請求権が発生するか,発生したとしてこれを訴求できるかという点に関する法律問題であり,その他の争点(争点1−3,1−4)は,いずれも,被控訴人らに対する不法行為に基づく損害賠償請求権が発生したことを前提に,現時点で控訴人らの被控訴人らに対する損害賠償請求が認められるか否かに関する問題である。

しかしながら,これらの問題について被控訴人らの主張が認められず,控訴人らの主張に係る被控訴人らに対する不法行為に基づく損害賠償請求権があるとしても,その請求権は,後記5のとおり,日中共同声明5項による放棄の対象となり,裁判上訴求できないものとなっているというべきである。

よって,これらの争点に関する被控訴人らの主張の当否を判断するまでもなく,被控訴人らの不法行為に基づく控訴人らの損害賠償請求は理由がないというほかない。

 

3 争点2(被控訴人国に対するヘーグ陸戦条約3条に基づく損害賠償請求)について
この点に関する判断は,原判決の当該欄(第3の4,3 1,32頁)の説示のとおりであるから,これを引用する。

 

4 争点3(被控訴人らに対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求)について
(1)争点3−1(被控訴入国の安全配慮義務違反)について
ア安全配慮義務は,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務であり,「特別な社会的接触の関係」とは,不法行為規範が妥当する無限定かつ社会的な接触関係を意味するものではなく,契約関係ないしこれに準ずる法律関係が介在することをいう。また,労務の提供の楊において使用者が負担する安全配慮義務は,その支配管理する人的及び物的環境から生じ得る危険の防止について信義則上負担する義務であるから,当該労務に対する直接具体的な支配管理性が認められることが必要というべきである。

イ 訂正された原判決第3の1(認定事実1)の事実によると,被控訴人国は,国家の政策として中国人労働者の移入を閣議決定し,中国人労働者の移入方法,移入手続,使用条件等を定め,これらの決定に基づいて中国人労働者が日本内地に移入されたものであるが,本件被害者らと被控訴入国との間には,何ら契約関係はない。また,本件被害者らが従事した港湾作業については,全国の港湾作業会社を会員とする中央統制団体として設立された日本港運業会が,華北労工協会との間で中国人労働者の供出及び受入れに関する契約を締結し,運輸通信省の通牒に基づいて「港湾荷役華工管理要領」を定め,同要領において,労務の需給状況及び中国人労働者の受入態勢の適否を考慮の上,主管官庁の承認を得て中国人労働者の配置港を決定し,中国人労働者を配置する港には,出先機関である日本港運業会華工管理事務所を設置して中国人労働者の管理に関する事務を行わせ,中国人労働者は日本港運業会の会員たる港湾作業会社に使用させるものとし,酒田港においては,酒田華工管理事務所が開設され,本件被害者ら中国人労働者を被控訴人会社の下で労働に従事させていた。そして,同要領に基づいて定められた「華工使用二関スル指示要綱」において,中国人労働者の就労中は港湾作業会社が指導及び保護の一切の責任を負い,日本港運業会がそれを監督することとされていた。これらの事実に照らすと,本件被害者らと被控訴入国との間に,何らかの雇用契約に準ずる法律関係があったとも,被控訴人国に本件被害者らの労務に対する直接具体的な支配管理性があったともいえない。したがって,本件被害者らと被控訴入国との間に,安全配慮義務の生ずる基礎となる「特別な社会的接触の関係」があったとはいえない。

ウ 控訴人らは,中国人労働者の国内移入は国策として実施されたものであり,日本港運業会は国の委任を受け,日本政府の機関として,港運会社と一体になって,中国人労働者を港湾荷役作業に従事させたものであるから,港運会社が行った中国人労働者の生活管理・労働管理は,被控訴人国が行った行為と法的に評価しなければならないと主張する。

確かに,日本港運業会は,運輸通信省の通牒「華人労務者ノ取扱方二関スル件」による委任に基づいて「港湾荷役華工管理要領」を定めて中国人労働者の生活管理・労働管理に当たっていたものであるから(甲16),被控訴人国は,その労務管理について,日本港運業会に対し,行政の行為として命令等の間接的な方法により統制を加えることができる立場にあったとは考えられるが,だからといって,日本港運業会が行っていた中国人労働者の生活管理・労務管理そのものが,被控訴入国の行為であったと評価すべきであるとはいえない。本件被害者らと被控訴入国との間に「特別な社会的接触の関係」があったとはいえないことは前記イのとおりであり,日本港運業会が被控訴人国から委任を受けていたという事情は,この判断を左右するものではない。

エ また,控訴人らは,中国人労働者内地移入事業は,国策として制度設計されたものであるが,その中で予定されていた義務を被控訴人国が果し得なかった結果,実際には強制連行・強制労働という残虐非道な行為が行われたとし,被控訴人国は,強制連行・強制労働の派還元的立場,制度設計の責任者として,その労働が契約に基づかない場合でも,中国人労働者の生活環境,労働環境につき,その安全に配慮すべき責任を負うと主張する。

しかしながら,前記イの事実関係に照らすと,中国人労働者内地移入事業が国家の政策として制度設計されたとはいえても,その中で被控訴人国が中国人労働者らに対して直接具体的な義務を負担することが予定されていたとは認められないし,本件被害者らと被控訴人国との間に「特別な社会的接触の関係」があったとはいえないことは前記イのとおりであり,被控訴人国が派遣元的立場にあったともいえない。したがって,国家の政策として制度設計された中国人労働者内地移入事業の実施に際し,現実には強制連行・強制労働といえるような行為が行われたとしても,それによって被控訴入国が安全配慮義務を負うとはいえない(控訴人らのいう「制度設計の責任」は,安全配慮義務とは別の問題というべきである。)。

オ 以上によると,控訴人らの被控訴入国に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求は理由がない。

(2)争点3−2(被控訴人会社の安全配慮義務違反)について
この点に関する判断は,次のとおり原判決を訂正し,当審における被控訴人会社の主張に対する判断を付加するほかは,原判決の当該欄(第3の5(2),3 5,36頁)の説示のとおりであるから,これを引用する。

(原判決の訂正)
ア 原判決35頁9行目の「日本港運業会」の前に「被控訴人会社ら全国の港湾作業会社を会員とする中央統制団体である」を,同頁11行目の「酒田華工管理事務所」の前に「その出先機関である」を,それぞれ加える。

イ 原判決36頁13行目の末尾の次に,改行して次のとおり加える。

「エ 以上のとおり,控訴人らの被控訴人会社に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の発生が認められるところ,これについては更に消滅時効の成否の問題がある。しかしながら,この控訴人らの請求権は,前記の不法行為に基づく損害賠償請求権と同様に,後記5のとおり,日中共同声明5項による放棄の対象となり,裁判上訴求できないものとなっているというべきであるから,消滅時効の成否に関する争点について判断するまでもなく,被控訴人会社の安全配慮義務違反に基づく控訴人らの損害賠償請求は理由がないというほかない。」

(被控訴人会社の主張に対する判断)
ア 被控訴人会社は,当時の社会環境を前提に,被控訴人会社に具体的にどのような労働環境や生活環境の改善策が可能であったのか,具体的な安全配慮義務違反の内容が特定されていないと主張する。

しかしながら,控訴人らが主張するように,被控訴人会社には,中国人労働者らに対し,その労働に耐えられるだけの十分な食糧を与える義務,健康を維持できるような労働条件と生活環境を整える義務,暴力を伴う監督が行われることのないようにする義務があったというべきところ,訂正された原判決第3の1(認定事実1)の事実によると,これらの義務が果たされていなかったことは明らかというべきであるから,被控訴人会社の主張は失当である。

イ 被控訴人会社は,艀船から岸壁に天秤棒で石炭を陸揚げする作業は日本人労働者が行ったことになると.ころ,この作業はほかの作業よりもむしろ重労働であるから,中国人労働者の負担は日本人労働者よりも軽かったと主張するが,この点に関する判断は,前記2(1)の(被控訴人会社の主張に対する判断)のイの説示のとおりであり,被控訴人会社の主張は採用できない。

ウ 被控訴人会社は,労働条件については,当時の軍部からの強い統制の下では,被控訴人会社が中国人労働者に対し,より負担の軽減された労働を諜すことはできなかったし,生活環境についても,配給制によって物資の供給が制約される中で,当時の被控訴人会社がより程度の良い環境を提供することは不可能であったと主張するが,この点に関する判断は,「不法行為責任」を「安全配慮義務違反の責任」と読み替えるほかは,前記2(1)の(被控訴人会社の主張に対する判断)のウの説示のとおりであり,被控訴人会社の主張は採用できない。

エ 被控訴人会社は,控訴人檀蔭春の本人尋問の結果によると,中国人労働者の作業を直接監督していたのは日本人ではなく中国人の幹部であり,宿舎での生活を管理していたのは被控訴人会社の人間ではなく警察官や華工管理事務所の職員であったことが認められると主張するが,この点に関する判断は,前記2(1)の(被控訴人会社の主張に対する判断)のエの説示のとおりであり,被控訴人会社の主張は採用できない。

 

5 争点4(日華平和条約及び日中共同声明等による請求権放棄)について
この点に関する判断は,次のとおり原判決を訂正し,当審における控訴人らの主張に対する判断を付加するほかは,原判決の当該欄(第3の6,36から41頁)の説示のとおりであるから,これを引用する。

(原判決の訂正)
(1)原判決36頁21行目の「除斥期間や」から同頁23行目の「認められるところ,」までを「被控訴人らの行為が本件被害者らに対する共同不法行為に該当するものと評価すべきものであり(ただし,被控訴人国については,民法適用の余地があると解した場合にのみ損害賠償請求権が発生する。),また,被控訴人会社の本件被害者らに対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の発生が認められるとしても,」と改める。

(2)原判決39頁11行目の冒頭から同40頁19行目の末尾までを次のとおり改める。
「しかしながら,上記(1)については,中華人民共和国がサンフランシスコ講和会議に招請されず,参加を拒まれていたことを理由にサンフランシスコ平和条約の効力を否定していたことと,日中国交正常化交渉の過程で,戦争賠償問題の処理につき,結論としてサンフランシスコ平和条約の枠祖みと同様の処理を受け容れることとは別の問題であるし,日中共同声明5項は極めて簡潔な声明であって,・サンフランシスコ平和条約についての言及がないからといって,直ちにサンフランシスコ平和条約の枠組み論による解釈ができないということにもならない。日中共同声明5項がサンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる趣旨のものではないと解される理由は,前記(2)のとおりである。

上記(2)については,前記(2)のとおり,日中共同声明は,復交三原則に基づき同声明に平和条約としての意味を持たせる必要があり,戦争の終結宣言や戦争賠償及び請求権の処理が不可欠とする中華人民共和国政府の立場と,日中戦争の終結,戦争賠償及び請求権の処理といった事項に関しては形式的には日華平和条約によって解決済みという前提に立たざるを得なかった日本国政府の立場のいずれの立場からも矛盾なく日中戦争の戦後処理が行われることを意図してその表現が模索されたものであること,日華平和条約における戦争賠償及び請求権問題の処理がサンフランシスコ平和条約の枠祖みに従ったものであることに照らすと,日中国交正常化交渉の過程や日中共同声明発表時の交渉過程において個人の請求権処理問題について特に検討されず,日中共同声明5項に個人の請求権に触れる文言がないからといって,日中共同声明5項により個人の請求権も放棄されたと解釈することができないとはいえない。上記(3)については,ウィーン条約法条約31条,32条が,同条約締結以前に慣習法として成立していた規範を明示的合意に集約したものであるとの前提に立っても,前記(2)のとおり,日中共同声明5項において個人の請求権も放棄されたとの解釈は,日中共同声明の趣旨,目的,締結経過等に照らして得られる解釈であるから,ウィーン条約法条約31条,32条に反しないというべきである。

上記(4)については,ジュネーブ第4条約は,1949年に締結され,日本国がこれに加入したのは1953年であるが,条約は,別段の意図がなけれぱ,条約の効力が当事国について生じる日以前に行われた行為,同日前に生じた事実に関して当事国を拘束しない(条約不遡及の原則,ウィーン条約法条約28条参照)ところ,ジュネーブ第4条約にかかる別段の意図があるとは認められないから,本件強制連行・強制労働行為について同条約は適用されない。

よって,日中共同声明5項についての前記解釈がジュネーブ第4条約に違反するとはいえない。」

(控訴人らの主張に対する判断)
(1)「サンフランシスコ平和条約の枠組み」論に関する主張について
ア サンフランシスコ平和条約締結当事国以外の国や地域へのサンフランシスコ平和条約の拘束力に関する主張について
控訴人らは,原判決及び最判が,「サンフランシスコ平和条約の枠組み」は日本国がサンフランシスコ平和条約の当事国以外の国や地域との間で平和条約等を締結して戦後処理をするに当たっても,その枠組みとなるべきものであったと判断している点をとらえ,それはすなわち,サンフランシスコ平和条約は「日本国の戦後処理」に関し,その「枠組み」に反する取決めをしてはならないことを日本国に求めたと同時に,その日本国と平和条約等を締結することになる「サンフランシスコ平和条約の当事国以外の国や地域」にもその「枠組み」で戦後処理をなすべきことを求めたと判断していることになるとし,一つの条約がその当事国以外の第三国を拘束することができないのは国際法上の大原則であること,サンフランシスコ平和条約自体が日本国が第三国との間でサンフランシスコ平和条約と異なる内容の条約を締結する場合があり得ることを前提としていること,サンフランシスコ平和条約においてサンフランシスコ平和条約と実質的に同一の条件で二国間条約を締結すべき義務は3年に眼られていることを指摘して,「サンフランシスコ平和条約の枠組み」など存在しないか,存在しても3年間の期限付にすぎないから,日中共同声明は「サンフランシスコ平和条約の枠組み」に従った戦後処理がなされたものではなく,個人の請求権までは放棄されていないという解釈は十分に成り立つし,その解釈こそが正当であると主張する。

しかしながら,原判決及び最判は,「サンフランシスコ平和条約の枠組み」は,連合国48か国との間で締結されこれによって日本国が独立を回復したというサンフランシスコ平和条約の重要性にかんがみ,日本国がサンフランシスコ平和条約の当事国以外の国や地域との間で平和条約等を締結して戦後処理をするに当たっても,その枠組みとなるべきものであったと判断し,平和条約の実質を秀する日中共同声明において,戦争賠償及び請求権の処理について,「サンフランシスコ平和条約の枠組み」と異なる取決めがされたものと解することはできないと判示しているのであって,サンフランシスコ平和条約が「日本国の戦後処理」に関し,日本国と平和条約等を締結することになる「サンフランシスコ平和条約の当事国以外の国や地域」にその「枠組み」で戦後処理をなすべきことを求めたとか,サンフランシスコ平和条約が締結国以外の第三者を拘束するなどとは判断していない。また,控訴人らは,サンフランシスコ平和条約26条ただし書第2文を引いてサンフランシスコ平和条約自体が日本国が第三国との間でサンフランシスコ平和条約と異なる内容の条約を締結する場合があり得ることを前提としていると主張するが,サンフランシスコ平和条約26条ただし書第2文は,「日本国が,いずれかの国との間で,この条約で定めるところよりも大きな利益をその国に与える平和処理又は戦争請求権処理を行ったときは,これと同一の利益は,この条約の当事国にも及ぼされなければならない。」と定めているのであり,これにより,日本国は,第三国との間で「サンフランシスコ平和条約の枠組み」よりも第三国に利益となるような二国間条約を締結することを事実上制限されているというべきであって,この規定は,むしろ,「サンフランシスコ平和条約の枠組み」が,日本国が第三国との間で平和条約等を締結して戦後処理をするに当たっても,その枠組みとなるべきものであることを間接的に示しているものといえる。そして,同条本文において日本国に課せられているサンフランシスコ平和条約と実質的に同一の条件で二国間平和条約を締結する用意を有すべき義務が同条ただし書第1文で3年間に制限されているのは日本国の義務を軽減するものであって,3年が経過した後においても「サンフランシスコ平和条約の枠組み」が日本国の戦後処理の枠組みとなるべきものであることと何ら矛盾抵触するものではない。控訴人らの主張は採用できない。

イ 「サンフランシスコ平和条約の枠組み」は日本国と中華人民共和国との戦後処理の枠組みとはなっていないとの主張について
控訴人らは,請求権問題を同時に処理しなければ平和条約の目的達成の妨げになるとはいえないのであり,ー回の協定ですべて解決することなく二回目,三回目の協定を合わせて戦後処理を終えることも十分あり得るのであって,日中共同声明においては,すべての戦後処理問題を一括して解決する道を選択しなかったと主張する。

しかしながら,日本国が個人の請求権を含め請求権問題を一括解決する枠組みを定めて連合国48か国との間の戦争状態を最終的に終了させて独立を回復したというサンフランシスコ平和条約の重要性にかんがみると,前記枠組みは,日本国がサンフランシスコ平和条約の当事国以外の国や地域との間で平和条約等を締結して戦後処理をするに当たっても,その枠組みとなるべきものであったというべきであり,この枠組みが定められたのは,平和条約を締結しておきながら戦争の遂行中に生じた種々の請求権に関する問題を,事後的個別的な民事裁判上の権利行使をもって解決するという処理にゆだねたならば,将来,どちらの国家又は国民に対しても,平和条約締結時には予測困難な過大な負担を負わせ,混乱を生じさせることとなるおそれがあり,平和条約の目的達成の妨げとなるとの考えによるものと解される。そして,日本国は,中華民国政府との間の日華平和条約において,「サンフランシスコ平和条約の枠祖み」に従って請求権問題を一括解決しているところ,日中共同声明の交渉過程において,日本国政府は,日中戦争の終結,戦争賠償及び請求権の処理といった事項に関しては形式的には日華平和条約によって解決済みという前提に立っていたこと,日本国と中華人民共和国との間において,「サンフランシスコ平和条約の枠組み」を外れて請求権放棄の対象から個人の請求権を除外した場合,前記のとおり,平和条約の目的達成の妨げとなるおそれがあると考えられたにもかかわらず,日中共同声明の発出に当たり,あえてそのような処理をせざるを得なかったような事情は何らうかがわれず,日中国交正常化交渉において,そのような観点からの問題提起がされたり,交渉が行われた形跡もないこと(日中国交正常化交渉の過程において,周恩来総理は,日本側に対し,中国人民は賠償の苦しみを知っており,この苦しみを日本人民になめさせたくないので,日中人民の友好のために賠償請求権を放棄するのである旨を繰り返し述べているが,個人の請求権は別であることを示唆するような発言はない。(甲162),日中共同声明及び日中平和条約締結後に改めて請求権問題に関する二回目,三回目の協定等が何らなされていないことに照らすと,日中共同声明においては,すべての戦後処理問題を一括して解決する道を選択しなかったという控訴人らの主張は採用できない。

ウ 中華人民共和国が「サンフランシスコ平和条約の枠組み」を受け容れていないとの主張について
控訴人らは,中華人民共和国がサンフランシスコ平和条約及び日華平和条約を不法・無効なものと批判し,この姿勢は,日中国交正常化交渉においても維持していたことに照らすと,中華人民共和国が「サンフランシスコ平和条約の枠組み」を受け容れて日中共同声明発出に至ったとはおよそ評価し得ないと主張する。

しかしながら,中華人民共和国がサンフランシスコ平和条約及び日華平和条約を不法・無効なものと批判していた趣旨は,中華人民共和国政府が中国の正統政府であるとの主張に基づき,中華人民共和国を除外したサンフランシスコ講和会議及びこれに基づいて締結されたサンフランシスコ平和条約の効力は絶対に承認できないというものであって(控訴人らは,中華人民共和国政府のサンフランシスコ平和条約を無効とする主張につき,昭和27年5月5日の中華人民共和国政府の声明を引用しているが,その内容は,「対日平和条約の準備,起草及び署名に中華人民共和国の参加がなければ,その内容と結果の如何にかかわらず,中国人民政府はとれを不法であり,それゆえに無効であると考えるものである。それゆえに絶対に承認することはできない。」というものである。),サンフランシスコ平和条約や日華平和条約における戦争賠償及び請求権問題の処理の内容(すなわち「サンフランシスコ平和条約の枠組み」)について批判していたとは認められない。

そうすると,中華人民共和国がサンフランシスコ平和条約及び日華平和条約を不法・無効なものと批判していたことは,日中共同声明5項を「サンフランシスコ平和条約の枠組み」に従って解釈することの妨げになるとはいえないから,控訴人らの主張は採用できない。

(2)日中共同声明5項の解釈論に関する主張について
ア ウィーン条約法条約違反の解釈であるとの主張について
この点に対する判断は,訂正された原判決第3の6(3)の当該部分の説示のとおりである。なお,控訴人らは,「締結経過等」が何を指すのか不明であると主張するが,「締結経過等」とは,原判決第3の6(2)において説示している内容がこれに当たるというべきであり,控訴人らの主張は失当である。

イ 日中共同声明5項が武力紛争法違反による損害賠償請求権を放棄していないとの主張について
控訴人らは,最判及び原判決は,日中共同声明5項がサンフランシスコ平和条約と同じく戦争の遂行中に生じたすべての請求権を「相互に放棄した」ものと判示しているが,サンフランシスコ平和条約と異なり,日中共同声明には日本側からの放棄条項は存在していないから,日中共同声明についても,サンフランシスコ平和条約と同じ相互放棄の枠組みが適用されるという判断には根拠がないと主張する。

確かに,日中共同声明5項自体は,中華人民共和国側による一方的な放棄が表明されているものである。
しかしながら,原判決第3の6(2)の説示のとおり,日中共同声明は,復交三原則に基づき同声明に平和条約としての意味を持たせる必要があり,戦争の終結宣言や戦争賠償及び請求権の処理が不可欠とする中華人民共和国政府の立場と,日中戦争の終結,戦争賠償及び請求権の処理といった事項に関しては形式的には日華平和条約によって解決済みという前提に立たざるを得なかった日本国政府の立場のいずれの立場からも矛盾なく日中戦争の戦後処理が行われることを意図してその表現が模索されたものであり,そのような日中国交正常化交渉の経緯に照らすと,中華人民共和国政府は,日中共同声明5項を,戦争賠償のみならず請求権の処理も含めてすべての戦後処理を行った創設的な規定ととらえていることは明らかであり,また,日本国政府としても,戦争賠償及び請求権の処理は日華平和条約によって解決済みであるとの考えは維持しつつも,中華人民共和国政府との間でも実質的に同条約と同じ帰結となる処理がされたことを確認する意味を持つものとの理解に立って,その表現について合意したものと解される。したがって,日中共同声明5項自体の文言に日本国側の請求権放棄の文言がないからといって,請求権相互放棄の枠組みが適用されていないということはできない。控訴人らの主張は採用できない。

また,控訴人らは,日中共同声明の交渉過程の中で,「両国間の戦争に関連したいかなる戦争賠償も行わない」との日本側の提案が取り入れられなかったから,「サンフランシスコ平和条約の枠組み」とは異なり,日中共同声明5項では武力紛争法違反による損害賠償請求権を放棄していないとも主張する。

しかしながら,控訴人らが指摘する前記の「日本側の提案」は,日中共同声明日本側提案の7項として括弧書きで提示され,これについて中国側に対し,「賠償の問題に関する第7項は,・本来わが方から提案すべき性質の事項ではないので,括弧内に含めてある。」「その内容は中国側の『大綱』第7項とその趣旨において変わりがない」「他方,(中略)日本が台湾との間に結んだ平和条約が当初から無効であったことを明白に意味する結果となるような表現が共同声明の中で用いられることは同意できない。

日本側提案のような法律的ではない表現であれば,日中双方の基本的立場を害することなく,問題を処理しうると考えるので,この点について中国側め配慮を期待したい。」と説明され,最終的に,中国側の大綱第7項「中日両国人民の友誼のため,中華人民共和国政府は日本国に対する戦争賠償の請求権を放棄する。」の「請求権」から「権」が除かれたものが日中共同声明5項の成案となっていることが認められるのであり(乙89),「いかなる戦争賠償も行わない」との日本側の提案が取り入れられなかったというのは,控訴人らの独自の見解というべきである。

以上のとおり,日中共同声明5項が,サンフランシスコ平和条約や日華平和条約のように相互にすべての請求権を放棄したことが明確になるような文言になっていないことは,日中共同声明5項を「サンフランシスコ平和条約の枠組み」に従って解釈することの妨げにはならないというべきであるから,控訴人らの主張は採用できない。

ウ ジュネーブ第4条約違反の解釈であるとの主張について
この点に関する判断は,訂正された原判決第3の6(3)の当該部分の説示のとおりである。
この点,控訴人らは,この条約の条項が適用される行為の対象は国家による権利放棄行為であるか,1972年の日中共同声明はジュネーブ第4条約の拘束を受けると主張する。

しかしながら,ジュネーブ第4条約146条ないし148条は,まず,146条において,「次条に定義する『この条約に反する』重大な違反行為」について,締約国が有効な刑罰を定めるため必要な立法を行うことを約束し,147条において「重大な違反行為」を定義し,148条において,147条に掲げる違反行為に関して締約国の責任を免れさせてはならない旨規定しているのであって,同条約に遡及効に関する規定がないことや刑罰法規の不遡及の原則に照らし,147条の定義する「重大な違法行為」には同条約発効以前の行為は含まれないと解するのが相当であり,したがって,同条約発効以前の行為である本件強制連行・強制労働行為について,ジュネープ第4条約148条が適用される余地はないと解するのが相当である。控訴人らは,148条が禁じているのは「責任を免れさせる行為」であるから,同条約発効以後に「責任を免れさせる行為」は同条約に違反すると主張するが,責任を免れさせる対象となる「重大な違反行為」に同条約発効以前の行為は含まれないというべきであるから,控訴人らの主張は採用できない。

エ 中国政府の認識に反する解釈であるとの主張について
控訴人らは,原判決のいう「中国政府も日中間の賠償問題が解決されていることを示す発言」は個人の請求権のことを特定して発言しているのか必ずしも明らかではないと主張するが,我が国の政府高官は,日中間のすべての請求権問題は日中共同声明において解決済みであるとの認識を度々明言しているのに対し(乙15のほか公知の事実),これまで中国政府から公式の抗議や反論はなされていないこと(甲163参照)からすると,一部の中国政府関係者の発言によって日中共同声明5項に関する前記の解釈が妨げられるものではないことをいう原判決の判断(原判決第3の6(3)の当該部分)は首肯できる。

また,控訴人らの指摘する最判後のコメントにしても,中国外務省の一高官(報道局長)の発言であり,これまでの発言と異なり,日中間のすべての請求権問題は日中共同声明において解決済みであるという日本政府の見解に対する中華人民共和国政府からの公式な抗議であるとは認められない上,最判の解釈に「痛烈に反対」していながら,「日中共同声明において個人の請求権は放棄されていない」という法的な主張はしておらず,「中国政府が共同声明で対日戦争賠償請求を放棄すると宣言したのは,両国人民の友好のための政治的決断だった」とし,「日本政府に対し中国側の関心を持っている問題を真剣に対応し,適切に処理するよう求めました。」とするなど,本件等の問題について日本国政府にも政治的決断を求めるもので日中間の個人の請求権問題が法的に未解決であるとの認識を示したものではないとも解釈できる内容であって(甲143,163,176),直ちに日中共同声明5項に関する前記の解釈を妨げるものとはいい難く,控訴人らの主張は採用できない。

(3)請求権放棄の抗弁が権利の濫用であるとの主張について
控訴人らは,口中共同声明5項による請求権放棄の抗弁は権利の濫用であるという控訴人らの主張を排斥した原判決の判断には理由不備があると主張する。

しかしながら,前記のとおり,個人の請求権の放棄を含む「サンフランシスコ平和条約の枠組み」が日本の戦後処理の枠組みとなったのは,平和条約を締結しておきながら戦争の遂行中に生じた種々の請求権に関する問題を,事後的個別的な民事裁判上の権利行使をもって解決するという処理にゆだねたならば,将来,どちらの国家又は国民に対しても,平和条約締結時には予測困難な過大な負担を負わせ,混乱を生じさせることとなるおそれがあり,戦争状態を最終的に終了させ,将来に向けて揺るぎない友好関係を築くという平和条約の目的達成の妨げとなるとの考えによるものと解されるのであるから,その平和条約としての実質を有する日中共同声明の重要性にかんがみると,控訴人らの主張する事実を前提としても,日中共同声明5項による請求権放棄の抗弁を主張することが権利の濫用に当たるとはいえないというべきであり,同旨の原判決の判断に理由不備の違法はない。

(4)2つの政利が違憲,違法であるとの主張について
控訴人らは,2つの最判が結論のみならず理由の論旨の展開や文章そのものも多くの部分が完全にー致しているのは第一小法廷と第二小法廷が評議を共同にしたか,少なくとも,その評準の内容を判決前に双方で情報交換したからであり,これは憲法76条3項の裁判官の独立に違反し,裁判所法75条2項で禁じられている評議の秘密を漏洩したものであり,2つの最判には重大な手続的正義に反する違憲・違法があると主張する。
しかしながら,各当事者から,同一の法律問題について同様の論旨による主張がなされた2つの事件において,2つの小法廷の判断がその結論において一致し,判決理由の論旨の展開や文章に多くの一致点があったとしても,それだけから憲法76条3項の裁判官の独立に違反し,裁判所法75条2項で禁じられている評議の秘密を漏洩したなどということはできないから,控訴人らの主張は失当である。

 

6結論
以上のとおり,控訴人らの請求権は,・日中共同声明5項による放棄の対象となっており,裁判上訴求することはできないものであるから,その余の争点について判断するまでもなく,控訴人らの請求は理由がないものといわざるを得ない。

よって,原判決は相当であり,本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
なお,本件訴訟において,本件被害者らは強制労働等により極めて大きな精神的・肉体的苦痛を被ったことが明らかになったというべきであるが,その被害者らに対して任意の被害救済が図られることが望ましく,これに向けた関係者の真摯な努力が強く期待されるところである。

 

仙台高等裁判所第1民事部
裁判長裁判官 小野貞夫
裁判官 綱島公彦
裁判官 高橋彩

 

 

Copyright © 中国人戦争被害者の要求を実現するネットワーク All Rights Reserved.