love message       2000/5/5up


    

「今日は絶対イヤ」
「なんでだよ」
「コドモが出来ちゃう日だから」


 澤村はその恥ずかしげもなくきっぱりと言い切られた言葉に思わず目の前にいる希理子の顔を見直

した。今、二人は澤村の自室というか自宅で二人きりで過ごしている。テーブルの上には飲みかけの

バドワイザーが2缶とくすぶった煙を少しだけ残しているタバコがのった灰皿がおかれている。

 二人はベッドを背もたれに字幕の法廷ものの映画を見ていたのだがそれがエンディングを迎えて主

題歌が流れはじめた時、澤村はいつものように自分の左側に座っている希理子の唇を啄んだ。そして

やや強引に舌をからめ存分に希理子の口を犯すと、希理子の白く滑らかで細いうなじに唇をはわせよ

うとした。だがそのときになって希理子がいつもなら黙って自分を受け入れようとするのに澤村の身

体をほんの少しだけ力を込めて引き剥がしてきたのだ。

 希理子がこのような態度を取るのは珍しい。たしかにためらったり、拒んだりしてくるときもあっ

たが、それはいわば澤村の強引さをたしなめ、そして自分の恥じらいをみせるもので本気でそのこと

を嫌がっているのではなかった。なのに今日に限っては希理子はどうやら本気で澤村に抱かれること

を拒んでいる。

「ちゃんと避妊するから大丈夫だよ」

 希理子が自分を拒んできた理由がとてもその言葉通りとは思えなかったが、とりあえず澤村はそう

言った。

「でも100%成功するとは限らないじゃない」

「それだったら出来るとも限らないだろ?」

「だったら出来たらどうするのさ」

「出来た時に考えるしかないだろ」

「そんな単純に言わないでよ。あんたはまだ高校生で、あたしはまだガッコウ通ってる身なんだよ。

もしもコドモが出来たら堕ろすしかないじゃない、それってあたしに人殺しをさせることと同じこと

なんだよ。それわかっててアンタその言葉いってるの?」

「そんなこと誰も言ってないだろ!」

「言葉では言ってなくてもあんたが言ってる内容はそういうことと同じなんだ」

 かなりディープな内容の会話を二人は真正面に向かい合って視線をそらすことなく行なっている。

その真正面に捕らえた希理子の姿から希理子が本気でそう思って、そしてそれ以外にも澤村の何かに

対して不満を持っていることも感じ取った。だがまだそれが何だか澤村にはわからない。ただ希理子

が今日だけは何が何でも流されないと意識を強く固めていることだけがありありと伝わってくる。

「……わかった、今日はしねぇよ。あんたのカラダが俺を受け入れても平気な日までがまんするさ」

 澤村はそう言って希理子の瞳から視線をそらした。だがそのことを希理子は許そうとしない。

「あたしが言ってるのはそういうことじゃない!アンタいったい何考えてるのよ?いったい何焦って

るのよ?カラダの欲求だけであたしを抱こうとしてるんじゃないことぐらいお見通しだよ。いったい

アンタ何を怖がってるのよ」

 希理子は自分から目をそらした澤村の肩を押さえ込んで自分の方を向かせ、真摯な瞳といつものい

たずらめいた表情からは想像も出来ないような真剣さでそう訴えた。

 その言葉に澤村は目を見開いた。その瞳に今は『自分の女』である希理子の姿が映し出されてい

る。だがその脳裏にはまだ自分の女ではなく『他人の女』だった頃の希理子の姿が思い浮かんできて

いた。そして『他人の女』でなくなった直後の姿が……。




 今から約1年前、希理子は成瀬の手助けもあって同級生でチームメイトだった桜井と付き合いはじ

めた。とはいっても実際に付き合っていたのは1月あまりのことだった。何故なら桜井は医大に合格

しながらも将来就きたいと願っている医療ボランティアの実情を知るためにインドネシアの方に旅立

ってしまったのだ。希理子はそれまで成瀬や澤村などごく一部のその二人が付き合っているという事

実を知る人たち以外を驚愕させる程堂々とした態度を空港で見せつけ、その旅立つ桜井に付いて行っ

ていた。希理子はそれから2週間程で帰ってきたがこの澤村にとっては食えない先輩達は澤村自身を

含んだ誰から見ても似合いのカップルだった。

 だが事件はそれから4ヶ月後に起きた。桜井が行方不明になったのだ。桜井は日本人ボランティア

グループ一行とスマトラ島をバスで北上中だった。そのときに東ティモール独立運動に巻き込まれ、

そのバスごと行方不明になってしまったのだ。それから1ヶ月後、桜井は無事に解放されたのだがそ

の間の安否はいっこうに知れず、家族はもちろんのこと桜井を知る人々は彼の無事を祈りつつも絶望

の縁に立たされていた。だがその中で唯一まったく心配するそぶり一つ見せず、桜井の家族や心配す

る後輩達を元気づけたのが希理子だった。

 桜井の悪口をそれこそ怒濤のごとくまくしたて、その運の強さや意志の強さを周りに言って聞かせ

た。だから心配ない、そんなことしても無駄だ、桜井が死んでいるはずがない、と絶望の中で笑顔が

失われて行きつつある人たちに笑いかけていた。本当は一番泣き叫んで心配でいられないはずの希理

子のその言葉の力強さと笑顔に周囲の人々はみな希望を見ていた。だが誰も気付かぬ人々の中で澤村

だけは気が付いてしまったのだ。強い瞳で周りの人々を元気づけながらも、その希理子の指先が白く

血の気を失い、ほんの微かに震えていることに。

 そうしているうちに桜井は無事救出され、一時的にだが日本に帰国してきた。10日余りの帰国の

中で桜井は再び旅立つ前日に心配してくれていた後輩達に礼を言うために部に顔を出してきた。その

時に桜井の口から澤村は希理子と別れたことを告げられたのだ。澤村には理由が判らなかった。あれ

ほど互いを想いあっていた二人が何故別れたのか理由が判らなかった。希理子は強い女だ。たとえど

れ程相手が自分に心配を掛けてこようとも、それが相手の望みを叶えるためなら平然とその辛さを乗

り越える女だ。それが確かに大ごとだったがこれくらいのことで根をあげる女ではないはずだ。それ

を澤村は先日見た希理子の姿から察していた。だけど桜井はその澤村の疑問に答えぬまま、今度はベ

トナムの難民キャンプに向けて旅立ってしまった。

 それから数日後、今度は希理子が一人で体育館にあらわれた。しかも部の練習はとっくに終わり静

まりかえった時間にあらわれたのだ。その時はたまたま振り当てられていた後片付けをさぼり倒して

いた罰則を喰らって澤村は一人で残って体育館の後片付けをさせられていたのだ。

 希理子はどこから持ってきたのかぼろぼろになったバスケットボールを後輩達によって『桜井ゴー

ル』と名付けられたリングに向かって何度も何度も投げ付けていた。その表情は切なさによってゆが

められ泣きそうにしか見えなかった。そこに希理子とは幼馴染みでもある馬呉があらわれ希理子に桜

井と別れた事情を聞き出したのだ。澤村はその会話を盗み聞きしてしまった。

 本当は誰にも言うつもりはなかったのだろうが希理子は、その馬呉のしつこさと自分の中にあった

やるせなさからその理由を口にした。その理由とは自分や桜井の心変わりではなく、また桜井の身を

心配する自分の心の為ではなかった。希理子は桜井の無事を知らされた時、本当に心から安堵した。

だけどその瞬間にそれが将来的に自分の身にも起こりうる現実なのだと悟ってしまったのだ。だがそ

のことを恐れたのではない。そうなった時に桜井の心を傷つけることを恐れたのだ。

 もしも自分がそのような危険に巻き込まれれば桜井は自分を責めるだろう。もしも自分が死んでし

まえば一生心から消えない傷を負うことになるだろう。もしも希理子にもそのような危険性が付きま

とうことになるのだと悟れば桜井は自分の夢を諦めてしまうだろう。希理子はそのことを恐れたの

だ。だから別れたのだと。自分の為に桜井に夢を諦めさせることは出来ない、その心を傷つけさせる

ことは出来ない、だからこれ以上愛しあわないうちに別れたのだと。

 澤村はその時にみせた希理子の自分の選択が間違っていないと信じる強さとそれでもとても一人で

は抱えきれない痛みを必死で堪えた笑顔のような泣き顔に捕われてしまった。この女を支えたい、も

うこんな悲しい顔をさせたくない、そう思った。気が付くと希理子のことを愛していた。

 それから澤村はおせっかいだと思いつつも希理子に付きまとった。希理子が桜井のことを愛してい

るのはわかっていた。だけどその辛さだけでも何とか拭ってやりたくて無理してはしゃぐ希理子にわ

ざと振り回された。そうしているうちに希理子は澤村が自分に想いを寄せていることに気が付いた。

そして桜井に向けたのとは違う愛情を澤村に向けてくれるようになった。そうやって二人が結ばれた

のは今から2月余り前のことだ。

 澤村はそのはじめて希理子と結ばれた日に桜井の希理子に対する愛情の深さを知った。

 希理子と愛しあったベッドの上には彼女がこれまで誰ともカラダを交じりあわせたことがなかった

証拠として鮮血が無惨なまでに広がっていた。桜井はやっと想いを通じ合わせた女と2週間二人きり

だったというのに希理子を抱いてはいなかったのだ。おそらく桜井は1年間は結果としてほったらか

しにしてしまう希理子を自分に縛り付けないためにわざと我慢して希理子を抱かなかったのだ。

 それほどまでに希理子を愛している桜井がもうすぐ日本に帰国してくるのだ。これから正式な医者

になるために大学に通うためにこの街に戻ってくるのだ。

 そのことが澤村を不安にさせた。自分では希理子をそれほど大きな愛情で包めない。そして希理子

は桜井のことを愛しているのだ。希理子が再び桜井のもとに行ってしまうかもしれない。素直な言葉

で希理子に愛を伝えることすら出来ない自分のもとから希理子は離れて行ってしまうかもしれない。

そういったすでに希理子を抱いてしまっているが故に生まれてくる不安が澤村を焦らせていた。

 澤村にとって希理子を抱くことだけが自分の希理子に対する愛情の深さを示しうる唯一の手段だっ

た。言葉では照れくさくて伝えられない想いを希理子に直接示せるたった一つの愛情表現だった。澤

村は愛を言葉にするかわりに希理子を求めた。本当は希理子が抱かれることが余り好きではないこと

を澤村は知っていた。だけどそれでも自分のことを受け入れてくれる希理子のことが愛しくてカラダ

ではなくココロで希理子のカラダを求めていた。

 澤村は自分が情けない男だと思った。言葉で伝えることも出来ないくせに、不安と焦りばかり大き

くさせて希理子に無理強いしようとしていたのだ。こんな自分では見限られても仕方がない。再び桜

井のもとに戻って行く希理子をとめることは出来ない。

 でも希理子を失いたくない。絶対に桜井のもとに行かせたくない。そういった恐れとあせりと不安

が言葉に出来ない想いの代わりに希理子を抱きたがった。希理子を自分に縛り付けたがった。

「……どこにでも行けよ」

 澤村は無意識にそうつぶやいていた。希理子が以前桜井を愛し過ぎるのを恐れたように澤村は希理

子を愛し過ぎてしまうのを恐れた。今ならまだ何とか歯を食いしばって我慢できる。希理子が以前そ

うしてみせたように精一杯の強がりで希理子のことを諦めてみせる。

 だけど今、希理子を諦めなければ自分は希理子を手放せない。たとえ希理子が泣いたって、自分の

ことを恨むようになったってどこにも誰のもとにもいかせやしない。自分から希理子を取り上げよう

とする人間がいるのなら殺してしまうかもしれない。今がもうその限界だった。

「さっさと桜井のところに帰っちまえよ」

 澤村は冷たくそう希理子に言い放った、つもりだった。だが希理子はその冷たい言葉を受けても澤

村から目をそらそうとはしなかった。それどころか泣きそうに見える程せつなそうな笑顔で澤村の瞳

を見つめかえした。そしてふわりと澤村の首に自分の手を巻き付けると澤村の唇に自分のそれを優し

く押し当てた。澤村は思わず目の前の希理子を見つめた。それは希理子からの初めてのキスだった。

「……ゴメン、嘘付いてた」

 希理子はそう小さくつぶやいた。

「コドモ出来ちゃう日なんて嘘。抱いてもいいよ、……ううん、抱いて欲しい」

 希理子はそう言いながら澤村のほほに手をやった。

「恐かったのはあたしの方。焦ってたのはあたしの方。どうやったらあたしの気持ち、あんたに伝わ

るんだろうって思ってた」

 そしてその言葉とともに澤村のほほに唇を寄せる。

「あんたが桜井の帰国が近付いてきてるのに焦ってるのはわかってた。だけどどうしてあんたの手を

取ったあたしを信じてくれないんだろう、あたしがあんたを好きだって気持ち、理解してくれないん

だろうって全部アンタ任せにしてた。伝える努力をしなかったあたしの方が全然悪いのにね。……

のにこんなあたしの為に泣いてくれてありがとう……そこまで愛してくれてありがとう……

 希理子はその唇で澤村のほほを伝っていた涙を拭った。そしてもう一度澤村の唇に口付けた。

「もっと愛して。あたしにそのあんたの想いを伝えてよ」

 それらの言葉が澤村の心を優しく満たした。どうしようもない愛しさが全身からわき上がってく

る。なのに口からこぼれ出す言葉はその心とは裏腹だった。

「……バッカじゃねぇの?桜井の方があんたにとっては良い男だろうに」

「そうだね」

 希理子はその澤村の言葉の裏に秘められた想いを正確に理解しながらあえてそのように答えた。

「あとから馬鹿なこと言ったって言っても認めないからな」

「わかってる」

 小さく頷く。その希理子のほほにもひとすじの涙が伝って行く。今度は澤村がその唇でその希理子

の涙を拭った。

「もう俺のためにしか泣くんじゃねぇぞ。他の誰かの為に泣いてたらぶっ殺してやるからな」

「そんなことごめんだよ。あたしはあたしの為だけに泣くんだから」

 その言葉に二人は小さく笑いあって口付けをかわしあう。そして澤村はこれまでにない程の愛しさ

と優しさを持って希理子のカラダに自分からの愛のメッセージを刻み付けていく。

 希理子はその澤村からの愛の告白を包み込むように受け止める。そして自分の胸元を愛撫していた

唇が再び自分の唇を求めて近付いてきたのを確認して満足げに、だけどこれ以上なくいたずらめいた

表情を浮かべると乱れる甘い吐息で一言言い放った。

「いつかあたしにコドモ作らせてよね」

 澤村はその一言に面喰らう。だが堪えきれずに人を喰ったような表情で笑いながら言い返す。

「さてね」

 だがその一言が希理子の耳に届くのと同じ頃に希理子の唇を深く貪り、希理子の視界と言葉を封じ

てしまう。だが希理子にはそういった澤村の真実の想いが重ね合わせた唇から伝わってきていた。

 愛してる、いつまでも一緒にいたい、その彼には決して言葉に出来ない真実の想いが。




                             Fin


    かなり、……いや、めちゃくちゃヤバい内容ですね。私の中では澤村と希理子ってカラダからはじまる関係
    なんですよね。原作を読んでるとどうも澤村は希理子のことが好きなんじゃないかとしか思えないんですよ。
    だってただ面白いからってだけで他人の恋愛にあそこまで首を突っ込むような男には思えないんです、澤村っ
    て男は。無意識に恋してるんじゃないのかなって邪推してしまいます。みなさんはどう思います?


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