幸福論。たとえばこんな愛のかたち。 2000/5/4up
「最低だったね、今日は」
地下街から駅につながる階段の途中で自分より一段高いところからそうきっぱりとした声で言い切られる。
「……すみません」
そうあやまるしか小林には出来ない。そう言われても当然だった。付き合いはじめたばかりで、そして初めてのデートで、しかも今日は彼女の誕生日だった。それなのに自分は全然彼女を楽しませる
ことが出来なかったのだ。
「わかってないみたいだね、あんた?あたしの言葉、ちゃんとあんたの心に響いてる?」
不機嫌そのものの表情とするどい瞳で彼女はそう小林の顔を覗き込む。とはいっても実際には階段の段差のおかげで小林は真正面からその視線と向き合うことになる。もともとパワフルで迫力のある
彼女だが、今日の彼女はいつにもましてその迫力が凄まじい。
「あたしが怒ってる理由、あんたホントに理解してる?」
つめよられた言葉に小林は立ちすくむ。
「……わかってる、……つもりです…」
それだけを口にしながら小林は今日一日のことを振り返った。付き合いはじめたばかりの彼女、矢部希理子は自分より一つ年上の先輩で周囲に大人びた印象を与
える美女だった。そもそも自分がこうやって彼女と付き合いはじめたことさえ小林には信じられない。
小林は希理子が自分の先輩である桜井を好きだと思っていたのだ。それというのも小林は今から約一
月程前に部室で見てしまった光景に遡る。
小林は部の練習の半ばに忘れ物を取りに部室に戻ったのだ。そしてその誰もいないはずの部室の扉が半開きになっているのに気がついた。不思議に思いなかを覗き込むとそこに希理子がいたのだ。
しかも普段とどうやら様子が違っていた。他人のことに関して限り無く鈍感なところがある小林だが、その自分がみても、その希理子からはいつもの闊達さも逞しさも感じなかった。それどころか憂
いを帯びた切なさのようなものを感じたのだ。
希理子はどうやら何かを探しているらしく部員のロッカーを勝手に探っていた。だが見つからなかったらしく、その開いていた扉をやるせなさそうに閉めるとふと何かを思い出したかのように今度は
別のロッカーを探りはじめた。しかもそのロッカーは小林のロッカーだったのだ。
希理子はその小林のロッカーから白ベースのユニフォームを取り出すと一瞬ぎゅっと自分の胸にかき抱いたかと思うと今度は両手で広げるように高らかに持ち上げるとその背番号に唇を寄せたのだ。
その瞬間、小林は心臓がとまるかと思った。自分の目に映っているのは良く知っているあの乱暴者
な先輩女子マネではない。恋をしている女だった。
小林はその光景を黙って見続け、そして希理子が部室から黙って立ち去っていった後に、自分が希理子に恋をしていたことを自覚したのだ。
希理子のことがずっと苦手だった。ただごくたまに見せてくれる優しさや、他人のことに誰よりも親身になれるその心根に関しては認めていた。だがそれ以上にうるさいし、乱暴だし、粗忽だし、し
かも恐いと思い、大和撫子タイプが好みの小林としてはどうしてあんな女がこの世に存在するのか不
思議にさえ思っていた。
希理子のことをいつの間にか観察してしまっている自分を小林は知っていたが、それはその不思議さ故のことだと思い、そしてそれが自分が自分の希理子に対する恋心だとは無自覚だった。
だがユニフォームに口付ける希理子を見た瞬間にすべてを理解した。自分が希理子を観察していたのがその無自覚の恋心故のことだったのだと。
だけどそれと同時に小林は自分の失恋も自覚してしまった。なぜなら小林のロッカーを探る前に希理子が探っていたのは桜井のロッカーだったのだ。希理子は自分を思う縁としてではなくその背番号
の前の持ち主である桜井を思って口付けていたのだと小林は理解した。恋心を自覚したまさにその瞬
間に失恋してしまったのだとそう思って小林は自分自身を笑った。
だけど自覚してしまった恋心をうやむやにして封印することも小林には出来なかった。きっぱりと
自分のことをふってもらおうと希理子を呼び出し、告白したのだ。希理子は一瞬何を言われたのか理解出来なかったかのようだった。自分をからかっているのかと、真面目な小林にしては珍しいことを
するもんだ、とさえ笑っていた。だが小林が真剣なのだとその瞳から理解すると、希理子はこれまで
の人を喰ったかのような態度から一変して戸惑ったような瞳を小林に向けてきた。小林はその希理子
の瞳から希理子の唇から自分を拒絶する言葉を待った。だがいつまでたっても希理子はそういった言
葉を口にしようとはしなかった。小林はそれでも辛抱強く待った。希理子は小林が最後に言葉を発し
てからたっぷり5分は経過してから口を開いた。その言葉は小林の予想に反して小林のその告白を受
け入れ、そして自分と付き合うというものだった。
最初、小林はなんと返事をされたのか理解出来なかった。予想とはあまりにも違う返答で思わず希理子をまじまじと見つめた。希理子が好きなのは桜井ではないのか、そう思っているのに、自分と付
き合うという希理子が理解出来なかったのだ。それゆえにそのことも問いつめた。自分は見たのだと、
背番号4のユニフォームに口付けている希理子の姿を見たのだと。
だが希理子は小さく笑っただけだった。そしていつもの自信タップリの表情を浮かべると逆に小林
に問うてきたのだ、どうするの?と。
小林はすっかりとその希理子に捕われてしまった。その魅惑的な表情のまえに疑問は確かに自分のなかに残されたままだというのに、そんなことどうでもいいとさせ思わせられてしまった。その日、
その瞬間から小林と希理子は先輩後輩ではなく『彼氏彼女』になった。
それから隙を見ては世間話のようなものをしたり、食堂で待ち合わせて一緒に昼食を取ったりしたのだが、もともと無口で、そのうえ食事中はさらに無口になる小林は希理子を楽しませることが出来
なかった。そのうえウィンターカップの最中ということもあって忙しくて練習で顔を合わせるだけの
毎日だった。
それゆえにやっと迎えた初デートの今日、小林は何とか希理子に喜んで貰いたかった。だからいろいろ考えたのだ。とはいっても、普通の高校生とはかなり違う感性をもっている小林は世間一般のデ
ートというものを理解出来なかったし、また無理をしてもかえってぎこちなくなってしまうだけだと
思って、オーソドックスに映画と過去に自分が行ったことがある美味しい蕎麦屋という予定をたてて
渋谷駅で待ち合わせた。
だがそこにあらわれた希理子を見て小林は面喰らってしまった。もともと彼女が綺麗なことは重々承知していたはずだがいつにもまして私服の彼女は大人っぽく美しかった。この日の為にわざわざコ
ーディネートしたのであろう上品なサーモンピンクのタートルネックのセーターに焦げ茶のフリンジ
の付いたロングスカート、そのうえから裏地がからし色にチェックの模様の真っ白なダッフルコート、
そして首にはアッシュグレーのマフラー、足元は5cmほどのヒールが付いた焦げ茶の編み上げのシ
ョートブーツを履いていた。希理子はそんな難しい組み合わせの服をまるでファッション雑誌から抜
け出したかのように完璧に着こなしていた。
だがそれに対して自分は普段着に毛が生えた程度の服装でしかなく、小林はそのいつにもまして美しい希理子の横を歩くのが恥ずかしくなってしまってマトモに顔も見れなくなってしまった。しかも
そのうえ見に行った映画は満席で一回待たねばならず、また食べに行った蕎麦屋で希理子が頼んだカ
レー南蛮が聞き間違えられて鴨南蛮が出てきてしまった。だがそれだけではすまなかった。
その蕎麦屋を出てお茶でもしようと適当な喫茶店を探していた時、希理子が本屋に寄りたいと言い
出したのだ。将来美容師になるべくバイト中の希理子は最新のヘアカタログを見たいということで女性雑誌のコーナーに寄りたいと小林に言ってきたのだ。もちろん断るすじもなくすぐすむと言うこと
なので小林は希理子に付き添ってその女性雑誌のコーナーに向かった。その希理子が熱心に雑誌を探
している間に小林はふと目にした女性週刊誌に気になる見出しを発見してしまったのだ。それは女性
雑誌にありがちの彼氏との相性を占うとかいうもので、その一つが身長に関することだったのだ。
小林は思わず気になってその雑誌をめくってみた。するとそこには女性が彼氏にしたいタイプの男性との身長さについてかかれていた。ベストな身長差は12センチということだった。何故なら女性
の方がかかとの高い靴を履いても男性の方がまだ背が高く、靴を脱いだ状態でキスしようとしても楽
な身長の差がちょうどそれぐらいだというのだ。
自分と希理子の身長差は最近計っていないから正確なところは判らないが周りの証言からまた伸び
ていることを考えて約20cmの身長差がある。それだけの差があればかえって見た目の釣り合いが
悪く、またキスをするにもそれ以上のことをするにも不便だとかかれていたのだ。
その内容に小林はショックを受けた。そうでなくても自分は希理子に不釣り合いに思えた。性格もあまり合っていないし、自分が結構格好良いという自覚がない小林としては見た目だってつり合って
いないし、しかも誕生日が1月な小林と希理子では今現在2歳の年齢差がある。それに本当は希理子
は自分ではなく桜井のことが好きなはずだ、自分が真剣に告白したから希理子は付き合ってくれてい
るだけで、自分に愛想が尽きれば桜井のところにいってしまうのだと小林はそう考えていた。だから
ここまでつり合っていない上にさらにそのうえ身長までつり合っていないと雑誌という公のものに書
かれていたことに対してとことんまで小林は落ち込むはめになった。
それゆえにさらにぎこちなくなってしまい、そんな状態で立ち寄った喫茶店で会話がはずむはずもなく、結局何一つ希理子を楽しませることがないまま今日のデートを終えようとしていたのだ。
だから希理子が怒って当然なのだ。大切な誕生日を無駄にしてしまったのは自分なのだ。小林は自分をそう責めていた。
「20cm身長が違うからってなんだっていうのさ」
自分の心を見すかすような希理子の言葉に小林は目を見開いた。
「あたしも読んだよ、あの雑誌。だけどあっそう程度で笑ってた。努力すればどうとでもなることに理由つけてそれを言い訳にするなんざ卑怯者のすることじゃないのかい」
希理子の言葉が胸に突き刺さる。
「見た目や釣り合いを言い訳にして努力しないで何かを手に入れようなんざ最低だよ。見た目を気にするんなら靴で身長調整すればいいし、本当に相手にほれちまってたら身長差なんて気にならない。キス
したいっていうんなら背伸びするなり縮むなりすればいいんだし、それがしんどいっていうのならこう
やって一段階段のぼってすればいいんだよ。何かい?あたしはあんたにとってこんな単純な努力さえす
る価値のない女なのかい?あたしはその程度にしか自分に惚れてくれてない男に心、振り回されてたっ
てわけかい?」
小林はハッとした。大切なことを自分はすっかり忘れていたのだ。諦めたところからスタートさせた関係だったから自分は終わることばかり考えてしまっていたのだ。それを続ける努力、そうしたいと思
う心をすっかり忘れてしまっていたのだ。
「努力してよ、もっと自信つけてよ。あたしが選んだ選択が間違ってなかったって証明してみせてよ。
勇気をだして乗り越えてご覧よ。じゃなきゃせっかくこうやってる意味ないじゃん」
その言葉でやっと希理子が何を怒っているのかに気が付いた。希理子が怒っていたのは見た目や体裁ばかりを気にしていたことに対してだったのだ。
「今日はあたしの誕生日だったんだよ?だから一番あたしのことを考えてくれて、あたしが一番考えてる人と過ごしたかったのに今日のあんたはあたしのこと考えてくれてない。このままあたしにとっての
これまでの人生で一番幸せになる予定だった日をめちゃくちゃにして終わらせる気?」
希理子は選択を迫っていた。小林はそれを理解した。そしてそれは同時に希理子からの告白だった。
明確な愛の言葉ではないにしても希理子がはじめて小林に対して口にした想いを告げる言葉だった。
全身に暖かいものが満ちるのを小林は確かに感じた。ここで勇気を出して自分が勝手に諦めて、勝手につくり出していたハードルを乗り越えなければ一生彼女に追いつけない。
「……俺は……」
その言葉とともに今は見下ろすでもなく見上げるでもない同じ高さに顔がある希理子の唇に自分のそれを押し当てた。その細いがとてもやわらかな身体を抱き寄せるように強く抱いた。そして希理子のし
っとりとした唇の感触が全身につたわるまで小林は希理子の唇に自分のそれを何度も何度もついばむよ
うに押し当てた。
そしてそれらの一連の行為を終え、ゆっくりと開いた小林の目に少しだけ照れたようなはにかんだ希理子の笑顔が映った。今度は希理子が小林の首に両手をまわして抱き着いてきた。そしてその小林の耳
もとで小さくつぶやいた。
「ね、やれば出来るだろ?こんな人前でもね」
その言葉に小林ははっと我にかえった。ここが駅に通じる人通りの激しい場所だとすっかり忘れてしまっていたのだ。周りに目をやればこれまで濃厚なキスシーンを演じていた自分達の方を大勢の人たち
が目配せするように見ている。その瞬間まさに全身が恥ずかしさのあまりかっと赤くなった。
希理子はその小林の様子を小林に抱き着いたままクスクス笑い続けた。その笑い声に小林はもう人目などどうでもいいような気がしてきた。抱き着いてきている希理子の身体がやわらかくて、あたたかく
て、その感触が気持ちよくて、だけどそうしてくれていることがそのこと以上に嬉しくて幸せすぎて仕
方がなかった。
「ねぇ、小林?」
ちょっとだけその手を緩めて自分の顔を覗き込んでくる。
「キス以上のことも試してみたいとおもわない?」
その言葉の意味を理解するのに小林は数秒の時間を要した。その露骨かつ大胆すぎる言葉に小林はこれまで以上に真っ赤になる。だがその希理子のからかうような、それでいて誘うような表情と瞳に逆ら
えなかった。もう自分は希理子に捕われている哀れな、だけどこれ以上なく幸福な奴隷なのだ。
「行こう」
希理子から指し伸ばされた手を小林は壊さない程度に、だけど決して離れないように強く握りかえした。
FIN
小林ファンの方に喧嘩売ってますね。だけどコバキリだと小林は受けかなぁと。この話は自分で書 いててメチャクチャ楽しかったです。ちなみに身長差の恋愛論は私が勝手に作ったものです。 本気にしないで下さいね。
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