WILDER THAN HEAVEN       2000/7/29up

     

    

街角ごとの落書きには 途方に暮れた神がいる

電線づたいに夜の都市に 空の青さは伝染する

 

「───そんなとこで何やってるんだ、あんた」

 絶句する。そしてとらわれる。その姿に、その瞳に、その存在に囚われる───。

「別に。何処で何してようがあんたには関係ない。───そうだろ?」

 返された瞳の透明さに、返された言葉の不透明さに時間がとまる。はじけとぶ水の粒に掻き消され

ることなく存在するそのすべてが永遠という言葉を思い出させる。

 澤村のいう『あんた』こと希理子は噴水の中にいた。宿泊しているホテルの裏庭にある噴水の、落

ちてくる水の中で希理子は全身でその水を受け止めながらその場に立っていた。もう時刻は午前3時

になろうとしている。12時ぐらいまではおざなり程度ではあるがライトアップされている裏庭も今

はところどころに電灯がついているだけで闇の帳に覆われていた。

 その中で白く浮かび上がるその姿は幽霊か何か人外な存在のようにしか映らない。なのにその存在

からどうしても目がはなせない。その場から立ち去るべきだ、目をそらすべきだと自分という存在を

形作る一番深いところで警告が発せられているのにそれでもその禁忌をおかさずにはいられない。例

えるなら犯罪をおかす甘美さにそれは似ているのかも知れない。

「眠れないのならあんたも来るかい?してみたいだろ、───『バカ』なこと」

 その自分を見すかすかのような言葉にかっと全身を強い意識が支配した。

「……ふざけるな」

 怒りに任せて踏み出した右足に感じた水の『熱さ』に理性がとろけた。

 

明け方に見つけた虹はどこか不吉さ 君のこと失くした夢を見たみたいに

  

 澤村は噴水の中に夜と希理子がつくり出していた静寂を打ち壊すように音を立てながら進んでいっ

た。そしてその澤村から目をそらすことなく佇んでいる希理子の左二の腕を強く掴んだ。右掌から水

と同じ程の冷たさとしか感じられない熱が伝わってくる。

 希理子はその澤村の剣呑とした様子を目の前にしてもその透明さを失わせることはなかった。

「ふざけるな、あんたに何が判るっていうんだ!」

 希理子を掴む手と瞳に力を込めながら澤村は低く鋭い声で希理子に向かって挑み掛かる。

「じゃあ、あんたに何が判ってるっていうんだい」

 動揺一つ伺えない淡々とした言葉に澤村は一瞬その言葉が理解出来ない。

「あんたはまだ理解しちゃいない。あんたの後悔はこれから始まるのさ。───ボールに触れる度、

シュートが決まる度、仲間の笑顔が目に映る度、あんたはこれから追い詰められるのさ」

 希理子はそう言いながら濡れた右手で同じく濡れていきつつある澤村の頬に手を伸ばした。

「『どうして』、『自分は』、『最後まで』、『走れなかった』んだろうってね───」

   

美しいすべては恐ろしさの前兆 奪われた心は帰れない孤児 

   

「───気がすんだかい?」

 希理子は左手で自分の左頬と唇の辺りを押さえながら噴水の水の中から身体を起こした。希理子が

見上げるその視界の先には右手を震えさせている澤村が立ちすくんでいた。

 どうしても押さえられなかったのだ。気がつくと自分の右手は希理子の左頬を強かに打ち付けてい

た。その頬を打った際の鈍く乾いた音が澤村の脳裏で正しく理解されるその瞬間まで澤村は自分が何

をしてしまったのかさえ理解していなかった。

 試合中に傷めてしまった左ひじの所為で自分は最後までプレー出来なかった。日本一のチームとの

試合で、前半戦こそ力の差を見せつけられ完膚なきまでにされていたが途中からは互角の勝負が出来

ていたのだ。もしも自分が最後までプレー出来ていたら勝者となっていたのは上南の方だったかもし

れない、どうしてもそう思ってしまい自分への悔しさが断ち切れないのだ。

 だからその自分の心の奥底を覗き込んだかのような希理子の言葉に怒りの衝動が押さえきれなかっ

たのだ。本当に殴りたかったのは『自分』、なのに自分は弱さを指摘されたことに我を失い希理子を

殴ってしまったのだ。フェミニストではないが弱者に対して手をあげることを潔しとしない澤村は自

分のしてしまった行動に激しい後悔を感じた。

「思い上がるのもいい加減にしときな。人独りの力で変わるもんなんてちっぽけなもんさ。あんたが

あの後出てたった勝てたかどうかなんてわかりゃしない。あんたごときが全部の責任を背負い込もう

なんざ百万年はやいよ」

 希理子は殴られたことを気にする様子もなく淡々と言った。だが再びその言葉が澤村の感情を怒り

と激しい衝動の方に向かわせる。慰めでも同情でもない単純な事実───、希理子の口調は希理子の

言葉に含まれている感情がそれ以外の何ものでもないことを告げていた。

「この……!!」

 澤村は何とか再び怒りに身を任せようとしている右手を理性で押さえ込む。

 何が判るというのだ、そんな理屈めいたこと言われなくてもわかっている、それが事実ということ

など百も承知だ。だけどそうは簡単に割り切れないのだ。割り切らなければならないのだとわかって

いてもそれが出来ないからここにこうしている。それをどうして自分の気持ちがわかったかのように

ヒトから指摘されなければならないのだ。自分が同じ立場に立った時本当にそう思えるのか、そう割

り切ることが出来るのか、───そういった想いが睨み付ける視線にこもる。

 だがそういった気持ちで睨んだ希理子の瞳には自分以上の怒りが込められていた。

「殴りたいなら殴ればいいさ。だけどさっさとそのうっとおしい様子を何とかしておくれ。目の前で

そんな様子でいられちゃ思い出したくもないこと思い出す。何であたしまであんたに感情引きずられ

なきゃならないのさ」

 希理子のその言葉に澤村ははっとさせられる。希理子がバスケを出来なくなった由来を澤村も人づ

てに聞いて知っていた。そしてその結果どれほど心を傷め、すさらせていったのかを。

「……あんたなんか死んじまえ、あたしの前から消え失せろ───」

 噴水の水ではない水の粒が希理子の頬を伝って、そして膝の上で砕けた。

   

虹に目がくらんで欺瞞を愛しすぎてる ファシストの靴音 君だけに聞こえる

   

 微かな震えを含んだその言葉を耳にし、その表情を捉えた瞬間、澤村はすべてを理解した。どうし

て希理子がこんな場所に居たのか、何故こんなことをしているのか、そして何よりどうして希理子が

この世界に存在しているのかを。

 自分と希理子は同じ人種だ。これまで生きてきた軌跡もこれからの生き方も違うだろう。だけど判

る、判るのだ。性別が違っても、自分たちを形作ってきたものが違っていても同じものを見れば同じ

ように感じ、同じように思うのだろう。

 希理子はこの場に泣きに来ていたのだ。人前では流せない、それどころか独りでいても流せない涙

を何とか流したくて、その為に縋るような想いで噴水の中に佇んでいたのだ。

 自分には希理子が理解できる、そして希理子にも自分が理解できるのだ。それが希理子の、そして

自分の『存在理由』───。

 そしてそのことを理解してしまった今、これから先出来ることは2つしかない。そのうちの片方を

選ばなければならない。

 澤村は迷うことなく、瞬時のためらいもなく希理子が『選んだ』答えを選んだ。

    

負けないで信じてて 何度負けても 欲望の亡霊に星が占拠われても

   

「……いや……!!」

 希理子は澤村の手から逃れるべくその手を強く弾いた。だがそれにも怯むことなく澤村は後ろづた

いに逃れようとする希理子を追い詰めていく。

「逃げるな、誘ったのは……選んだのはお前の方だろ」

 澤村は後ろから羽交い締めにするように希理子をとらえ、傷めた左手で希理子の身体を支えながら

右手で水を含んでべったりと肌に張り付いていたうす手の更紗地のワンピースを引き裂いた。胸元が

さらけだされ、華奢なその身体が夜風にさらされる。そして今度はその右手で希理子の顎の辺りに手

をやると力を込めて首を後ろにそらさせると、後ろから抱きすくめた状態のまま希理子の細くて白い

首の右鎖骨のすぐ上のあたりに唇を添わせた。

「受け入れろ、───現実を。お前が俺に気付かせた、お前も気がついていたから俺を誘ったんだろ

う?」

 ほとんど力の入らない、使えば激しい痛みが走る左手で澤村はブラジャーを無理矢理たくしあげる

と希理子の右胸をまるで林檎でも潰すかのように力任せに掴んだ。その痛みに希理子はさらに首を大

きく後ろに仰け反らせ、乱れた吐息を洩らす。

「俺達に残されている選択肢は2つしかない。俺達は『同じ』ものだ、出会っちゃいけなかったんだ

よ」

 澤村は希理子の反応を無視するかのように希理子の足の間に自分の足を無理矢理入り込ませ、ワン

ピースの裾をたくしあげていく。

「出会ってしまえばどちらかしか選べない、一つの世界に『本物』は一つしか存在出来ない。つまり

はそういうことだろ?」

 その言葉に希理子は一瞬竦んだかのように身体をこわばらせた。そして次の瞬間にはがくんと全身

の力が抜け落ちたかのように抵抗をやめた。その反動で全体重が澤村にのしかかったが澤村はその希

理子の身体を揺らぐこともなく受け止める。

「2つのものを一つにするには方法は2つしかない」

 澤村はその人形になってしまったかのような希理子のワンピースをさらに引き裂いて着ていること

が無意味な程にしてしまうと背中をむき出しにし、両肩を手で支えながら舌先でそのなめらかな背中

の背骨のあたりをつつっとたどっていく。その感覚に恥じらうかのように希理子は身体をくねらせる

が澤村は自分の舌から逃れることは許さなかった。

「片方をぶっ壊してその存在を粉々にするか」

 澤村は再び希理子の首筋に唇を添わせた。そして大きく口をあけ、その首筋に歯をたてる。

「1つに戻るしか、『こうする』しか出来ない。───そうだろ?」

 ぷつり、皮膚が引き裂かれ、小さく肉のはぜる音がした。その瞬間に鈍びた血の味が澤村の口の中

に広がった。

  

君を土足で辱しめる 悪夢から君を救いたい

天国よりも野蛮なのに 時々世界は美しくて

  

 ことを終えたあとの希理子の姿は無惨だった。口付けによって付けられた『所有印』が至る所に刻

みつけられ、逃さないようの掴まれた指跡が二の腕や手首だけではなく腰や胸にまで残されていた。

 のぼりはじめてきた朝日によってさらされたその姿は澤村がした行為の残虐さを事実として突き付

けてきていたが澤村はその姿を見ても目をそらさなかった。後悔するくらいなら初めからしない。そ

れは希理子も同じだった。

「『殺す』から、───それでいいんだろ?」

 真正面から澤村の瞳を捉えたまま希理子はそう言葉を発した。

「上等だ」

 澤村はそう頷いた。

「許さない、一生」

「当然だ」

「あんたは最低だ」

「お前もな」

 淡々とした言葉がかわされる。

「だけど……」

 希理子の言葉と瞳が一瞬揺らぐ。

「言うな」

 澤村は希理子を引き寄せ、その唇を奪った。そしてわざと希理子の唇を噛み切った。希理子は一瞬

顔をしかめたが何の感慨もなくその行為を受け入れた。だがそれは初めてのキスだった。

「もう行けよ。誰かにそんな格好見られたくないだろ」

 澤村は血の味がする希理子の口を存分に犯してからわざとぞんざいに言い放った。その言葉に希理

子は小さく頷き、振り返ることもせずにホテルのなかに消えて行った。その背中を見送ってから澤村

は口の中に広がった血の味を希理子が言おうとし、そして同時に自分も言おうとしてしまった言葉と

共に呑み込んだ。

 気付いた不幸と気付かぬ不幸、どちらがいったい幸せだろうか?自問したその問いかけを澤村は脳

裏から消し去るべく小さく頭を振った。

 希理子は自分ではない誰かをすでに想っている、そしてそのことを澤村も知っていた。そして澤村

が自分の想いに気がついていることを希理子はすでに察していた。

 順序に捕われているわけではない。事実を消せないそのことを知っているだけなのだ。

 希理子は自分を愛していても、それでも希理子のなかにあるもう一つの想いを消せないだろう。む

しろ消せないのではなく消さない。壊れたわけでも振られたわけでも薄れたわけでもない愛情を自分

の中に初めから存在しなかったかのようにふるまうことなど希理子は自分に許さない。

 そして自分も同じように、自分と結ばれたからといって簡単に想いを消し去るような希理子は許せ

ない。相手のことが手にとるように理解できるが故にその事実から目をそらせない。

 一つに『する』か、一つに『なる』か。どちらかしかない選択肢。そして一つに『する』なら、ど

ちらを『本物』として残すのか。───簡潔にして突き付けられたこれ以上ない難しい命題に澤村は

迷わなかった。

 そっと自分の唇に触れる。その触れる感触に導かれ希理子の肌と唇の甘さを思い出した。プライド

の高い自分達は人に強いられるのをよしとしない。それも無理矢理躯を奪われるなどという女として

死にも勝る屈辱を与えられた希理子は一生自分のことを許さない。死ぬまで、──死んでも希理子は

忘れはしない。

「こうすれば少なくともお前の心のどっかで生き続けられる、そうだろ?」

 答える人がいるはずもないその問いに、希理子の手にかかり心の中か、もしくは実際に殺されるで

あろう自分の姿を想像しながらその甘美な夢に酔いしれた。

  

微笑った君を抱きしめると 気が触れそうな気持ちになる

天国よりも野蛮なのに 空の青さに泣きたくなる    

     

                              Fin


 意味不明、解釈不要の怒濤の暗さを追求してみました。作品タイトル及び文中の青字は中谷美紀
の『天国より野蛮』からです。これはこれまで書いていた話とは全く別の物としてとらえて下さると
助かります。『3角関係板挟み的な話』を目指してみたんですが私には無理でした。モノノーグ入り
の小説に挑戦という初の試みでしたが見事に玉砕してますね。世界広しといえど完璧に壊れてる澤村
と希理子を書くのは私だけでしょう。中途半端に終わってますが続きはないので御容赦くださいね。
      


  


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