「へえ、こんなトコにもう花さいてるじゃん」
桜井の家への近道として通り抜けようとしていた公園で希理子は鋪装された道の
両脇にある植え込みの下にピンク色の花が咲いているのに目を止めた。
「おっ、ホントだ」
花の方に近寄っていく希理子の後ろから桜井もその一足早い春の訪れに目を止め
る。木々にさえぎられてゆれる木漏れ陽は3月になったとはいえまだまだコートが
手放せない早春の午後をあざやかに彩っている。
その光を一身に浴びたかのようにけなげに咲く小さく可憐な花はそれを目にした
人々すべての心を穏やかにしてくれるようで、通り過ぎていく人々の顔にもほころ
んだ笑みが浮かんでいる。
「やっぱ春はいいねぇ」
大きく伸びをしながら希理子は名も知らぬその花の姿にやはり顔をほころばせ
た。
「そうだな」
花よりもその花に見とれる自分だけの『花』に見とれながら桜井は頷く。
「希理子は春が好きなのか?」
「ううん、別に」
希理子はぶるんぶるん首を横に振りながら桜井の言葉を即座に否定する。
「冬が嫌いなだけ」
「ハハッ」
その簡潔な解答に苦笑が漏れる。冷え性で寒がりな希理子にとって冬は大敵だ。
右膝の古傷が痛みやすくなることもその大きな要因だ。そのことを知っている桜井
とすれば納得するしかない。
「じゃあ希理子はいつが一番好きなんだ?」
「夏」
これまた希理子が即答する。
「夏が一番だね。アスファルトが溶けそうな炎天下の日に、クーラーがんがん効か
せて冷たいモン飲んでる罪悪感がたまんないね」
「ハハッ」
またもや希理子らしい答えに桜井もまたまた笑う。
「俺は春が好きだな、眠くなっちゃうのが難点だけど」
桜井の答えに今度は希理子が笑った。
「『春眠暁を覚えず』かい?」
「そういうこと」
その答えに2人、顔を見合わせて笑う。
「さあ、そろそろ行こうか」
「うん」
その言葉に希理子は頷くと、促すように数歩先を行く桜井の背中を追い掛ける。
直ぐに横に追い付き歩き始めたのだが、身長差のせいでかなり歩幅が違う為最初は
かなり早足で歩かなければならなかった。
そのことに希理子は微かに顔をしかめ、その不快感をうったえようとしたのだ
が、希理子が不平を口にする前にごく自然に桜井の歩く速度がゆったりとなり、希
理子のリズムに合わされた。
何でもない、何気ないことだが何だか嬉しくなる。
「やっぱりさ、春も好きかも」
どことなくはずんでしまった言葉に桜井は希理子の顔を覗き込んでくる。
「どうして?」
「だって『さくら』があるじゃん」
トトトと歩を進めて桜井の前方にまわりながら希理子は言葉を重ねる。
「あたし、『さくら』は結構───ううん、かなり好き」
そういうとからかうようににやりと笑うと微かに頬を染めながら背を向けて早足
で進んでいってしまった。
「───?」
あとに取り残された桜井は美しく揺れる黒髪に見とれながら希理子の言葉を反す
うする。
「あっ!」
とたんに顔がほころんでしまう。前方では後ろを振り返っていた希理子がしてや
ったりといった表情で桜井の様子を笑っている。その希理子の様子に桜井の顔はま
すますにやけてしまう。
たしかにそこに『春』は来ていた。
THE END.