「くしゅん」
希理子は小さくくしゃみをした。
「今日はよくくしゃみしてるな、もしかして花粉症か?」
横を歩いていた桜井が希理子の顔を覗き込んだ。
今日は始業式だった。学校から駅へと続く帰り道、明日の入学式の準備の為、体
育館占拠されたバスケ部は練習休止をよぎなくされていた。そのため、いつもより
ずっと早い帰り道、偶然帰りが一緒になった2人隣り合わせて駅へと向かってい
た。
「うにゃ、昨日つい面倒くさくなっちまって髪の毛ドライヤーで乾かすの手抜きし
たからちょっくら風邪ひいちまったみたい」
希理子は小さく首を横にふった。その仕種に髪が小さく揺れる。
「希理子は髪が長いもんな。初めて会った時はこれくらいだったっていうのに、も
うここまで伸びてるんだもんな。髪の毛伸びるの早いよな」
まず手で肩の少し下を示し、次に今の実際の長さである腰の辺りまでを示した。
だがその言葉に希理子は首を横に振った。
「そうかい?途中で何回かそろえてやっとこの長さだから普通ぐらいだと思うけ
ど?もしも一回も切らなきゃこれぐらいまでは伸びてるよ」
そう言って自分の実際の長さよりも30センチ近く下の位置を手で示した。
「えっ、髪の毛ってそんなに伸びるもんか?」
その言葉に桜井は少し驚いた様子を見せた。その言葉に希理子は大きく頷く。
「伸びるよ、それくらい。体質もあるだろうけど、大体年に2、30センチくらい
はね」
「そうなの?」
まだ納得がいかないらしく、すこしくせのある長めの自分の髪を桜井は指先でく
るくるともてあそんでいる。
「ハハッ、何驚いてんのさ?自分の方がもっとヘンテコリンのくせに」
「『ヘンテコリン』?」
希理子が自分に与えた形容詞に疑問符を浮かべる。
「たしか、あんたと初めて出会った時、あんたこれぐらいだったよね」
希理子は手で自分の目線より少し上、まゆげの高さぐらいの位置を示した。そし
て次に手を上に掲げ、桜井の身長に合わせる。
「だけどそれからたった1年ちょっとでここまで大きくなったんだよ?あんたの身
長伸びた速度、髪の毛伸びんのと同じじゃないか」
希理子がそう言って実際に示した長さは25センチから30センチの間ぐらいだ
った。
「だって俺、成長期だったんだからそれぐらい伸びるだろ?」
「普通はそんなに伸びないよ!」
希理子は呆れたように言う。
「それにそんなに急に大きくなったら成長痛がひどくて起き上がれなかったりする
もんだよ。だけどあんたは平気でぴんぴんしてたじゃないか。身体中の神経、どっ
かイカれてんじゃないの?」
「いてっ」
その言葉とともに二の腕をつままれて桜井は顔をしかめた。
「ひどいなぁ、俺がここまで大きくなったのは全部希理子のせいなのに」
「?」
桜井の口から出たその言葉に今度は希理子が疑問符を浮かべる。
「何であたしのせいなんだい?」
その質問に桜井は責めるの半分、からかうの半分といった表情で希理子の顔を覗
き込む。
「忘れたのか?お前が言ったんだぞ?『チビがバスケやったって頂点なんか極めら
れない、悔しかったら大きくなってみな』って。だから俺、嫌いな牛乳も毎日のん
で頑張ったんだぞ」
「ハハッ、そんなことも言ったッけ?」
希理子は視線だけを斜め上を見るようにして誤魔化し笑いをうかべた。
「言ったよ。だから俺、頑張って大きくなったっていうのに変態扱いするなんて」
「まあ気にするな!おかげでバスケットマンとしては理想的な体型を手に入れたじ
ゃないか」
その恨みがましい言葉に希理子はバシバシ桜井の背中を叩きながら希理子は誤魔
化そうと試みた。
「それに……」
「それに?」
桜井の続きを紡ぎ出そうと言う言葉に希理子は問いを重ねる。
「それに、……まあ、どうでもいいよ、どうせ希理子は忘れてるんだろうからさ」
「はあ?」
中途半端なことが嫌いな希理子はその桜井の態度にいぶかしみの視線を向ける。
だが桜井はそれに対してにこりと笑い、あいまいにごまかした。
「とにかく、俺がここにいるのも、こんなに大きくなったのも、こんなふうに幸せ
なのも全部希理子サマのおかげです」
その言葉に希理子はとことんイヤそうな顔を浮かべる。
「あんたさあ、2年の間に背も伸びたけど、それ以上に性格ゆがんでない?」
「だからそれもすべて希理子サマのおかげ……イテッ」
桜井が言い終える前に希理子の鉄拳がとんだ。
「あーあ、育った男なんか可愛くない。かわいくて、イジメがいのあるかわいい後
輩早く入部してこないかな」
頭を抱え込んだ桜井のことを振り返りもせずに、希理子は桜井に対して聞かせる
べくイヤミがましい口調で言う。その先を行く希理子の背中に桜井は苦笑する。
「あんまりイジメてくれるなよ?そうでなくても去年お前のせいで半分ぐらい辞め
ちまったんだから」
「あーらっ、あたしの所為だけにするのはよしとくれよ。あんたがバカみたいに練
習させたから辞めちまった人間の方がほとんどだよ」
希理子は心外とばかりに大袈裟なジェスチャーをする。
「あたしのイジメでやめたのは、ひー、ふうー、みー、……そうだね、たったの5
人ぐらいだよ」
「……それってメチャクチャ多くないか?」
小さく頭を押さえた桜井に対して希理子は平然と何でもないかのように言葉を紡
ぐ。
「気にするな、気にするな、もう過去の話じゃないか」
まったく気にしなければならないはずの人間のその平然とした様子に桜井も笑う
しかない。
「いいコが入ってくるといいね」
「ああ」
まだ見ぬ後輩を思って笑顔がもれる。
「さっ、帰ろう?」
すたすたと先を行く希理子の背中を追っていく。約2年前には自分より大きかっ
たはずの背中がやけに小さくか細く見えた。春の花の甘さを含んだ風の中、颯爽と
歩く髪がますますその風に甘さを添えて、桜井の元まで運ばれてくる。
「───もう平気だろ?お前がハイヒール履いたって俺の方が大きいだろ?──
─」
「えっ、何か言った?」
希理子がくるりと振り向いた。
「いや、何でもない」
「あっ、そう」
希理子は再び正面を向いてスタスタ歩き出す。
『ついてくんなよ!背が低い男と一緒に歩いてると恥ずかしいだろ!あたしがバカ
みたいに大女に見えちまう』
桜井の脳裏に出会ってすぐの頃のバスケ部のマネに誘う為に付きまとっていたこ
ろに自分を拒絶するために言われた一言がよみがえっていた。自分を遠ざける為に
言った言葉であろうはずなのに、その言葉を紡ぎだした希理子の方が痛そうな顔を
していた。
人に傷つけられることを怖れ、そしてそれ以上に人を傷つけることを怖れている
希理子───言われた言葉に男としてのプライドが傷つけられたというよりも、そ
んな言葉を言わせてしまった自分にハラが立った。
早く大きくなりたかった、早く大人になりたかった。初めて本気で恋をした少女
にあんな悲しい顔を二度とさせずにすむように───、その想いが今の桜井の根本
を形作っている。
「早く明日がくるといいな」
その言葉に希理子も笑う。
最後の春、最後の夏がはじまろうとしていた───。
THE END.